多数派と少数派


こんばんは。突然ですが
善と悪って本人の感じ方次第ですよね。その人にとって善も他の人からしたら悪かもしれない。
皆経験がある事だと思います。
だからこそ会話では相手がどう思うか
常に考える必要があると思いますが。

物事に対してそれは良いことだと感じる人が多いものが善。悪いことだと感じる人が多いものが悪。これは感覚的な所も大きいので
多くの人が無意識にそういうものとして
表面的に受け取っている事だと思います。
世の中の決まり(大きく言えば法律)は
いわゆる多数派の人達の意見によって
作られているものだなーと私は18歳くらいの頃に思うようになりました。
こうするべきだ。これをしてしまったら
罰せられるべきだ。という決まりたちは
全て多数派の人たちに都合よく作られているだけとも思うようになりました。

でも多数派といってもそれは物ごとによって
多数派になったり少数派になったり
変わると思います。
当たり前ですけど。

と考えてみると多くのことについて
多数派の思考でいる人はいわゆる生きやすいというか不便を感じにくいのでははないかなと思います。反対に少数派であることの方が多い人は生きづらさを感じて苦しむ人が多くなるのではと思うのです。
これも一種の私個人の決めつけであり
そうなのではないかなっていう考えでしか
ないのですが。想像力が足りないと言われてしまうことかもしれないけれど。

同意を得られない、わかってもらえないと
いうことは苦しいし辛いという感情がここでは多数派ですよね。私は生きづらいなーと感じてきたことが今までの中で何回かあったので
少数派であったことがちらほらあるのでしょう。
これで同意を得られなくても大丈夫!
タイプの少数派だったのであれば
また生きやすかったのでしょうか。
みんなにわかってもらえないことが辛いということが多数派であることで私は不便を感じているのでしょうか。
でもそうすると少数派を貫いても生きにくいと
感じないのではという矛盾になってしまう。
そもそもわかってもらえないと辛いということは多数派なのでしょうか。
私は想像力がまだまだ足りないので
こうやっていつもたくさん考えては
答えに行き着くことができません。
自分の中でいつもこれという答えが出ないのです。しかもこれは厄介でその時自分が置かれている環境や状況でも変わるのです。
それくらい人は変わるものであるから
決まりとして決められているんでしょうね。

そもそも今は個性を大事にと言われていて
あるゆる人の考えを尊重しようという
流れが活発なのでそういう括りでも
無くなってきていますよね。
YES/NOだけの大雑把なクローズドから
オープンなものになってきています。
そういうことを意識していくことが
尊重するという意味だと私は思いたいのです。


結局まとまらないね。まあメモだし!
2つ目だし!いっか!

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