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【短編小説】貧乏神とチケット

「おはよう。」
キッチンからコーヒーのいい香りと、貧乏神の挨拶が聞こえた。

「どうしたの?今日はやけに早いね。」
私は毛布にくるまったまま、キッチンへ声をかける。

「今日はね、予定があるんだ。なんとあのハルカちゃんとデートなんだ。」

「へぇ。よくデートまでこぎつけたね。」

「まぁね。でも無理矢理誘った訳じゃないんだ。似てるんだよ、いろんな感覚が。」

貧乏神は今日のデートがいかに決まったかを楽しげに教えてくれた。

この貧乏神は私に取り憑いている。
取り憑いている、というと怖い印象があるが実はそうではない。
私も最初はそうだった。
取り憑かれたとわかった日はとても怖かったし、正気でいられない気がした。だけど日を追うごとになんてことないことだと慣れてしまった。

取り憑くというよりも単純に貧乏神と同棲を始めたと言った方がいいような生活っぷりだったからだ。

「じゃあ今日はこの前買ったジャケット着ていけば?あれまだ買ってから着てないよね?」

「そうだね。それはいい。せっかくだから新しい服で行こう。」

この貧乏神が取り憑いて、約2年になる。
貧乏神だからといって何か不自由があったり実害があるかと言えば、ない。
まったくない。

むしろ礼儀正しい友人のようだ。

貧乏神は私に取り憑いて数日後にバイトを見つけてきた。
一緒に生活する上で、ちゃんとしたいということでバイトをして家賃や生活費を折半すると申し出てきた。

貧乏神は、クリーニング店でバイトを始めた。
そのクリーニング店でいっしょに働いているのが、ハルカちゃんだ。

綺麗好きで、几帳面なハルカちゃん。
貧乏神はハルカちゃんととてもいい関係だった。
本人から聞いたわけではないから本当かどうかわからないけど、
ハルカちゃんの几帳面さがすさまじく、働き出した子たちは数日でやめていくのに貧乏神はその几帳面さにこたえることができたようだ。

貧乏神は二人分のコーヒーが入ったサーバーとカップを二つテーブルに並べる。

サーバーからは湯気が立ち上る。
キッチンの窓から差し込む朝日がその湯気の白を際立たせている。
私は毛布から出て、キッチンの椅子に座り、コーヒーをカップへ注いだ。

「デートはどこ行くの?」

「美術館。そのあと近くにあるパンケーキがおいしいって店があるらしいからそこでランチかな。」

「そっか。」

コーヒーは適正温度だった。
熱すぎず、ぬるすぎず、ちゃんと飲める温度。

「君は今日どうするの?バイト休みでしょ?」
貧乏神はクローゼットからまだタグのついたジャケットを取り出し壁にかけようとしていた。

「家にいるよ。読みかけの本もあるし。」

「最近あんまり出かけなくなったね。よくないよ?たまには外に出なきゃ。」

小さなハサミでタグを切る貧乏神。切ったタグはゴミ箱へ放られた。

私は何も答えなかった。

「おっと。時間だ。そろそろ出ないとバスに遅れちゃう。」

ジャケットを着て、リュックを背負った。

「コーヒーは?」

「あ、全部飲んじゃっていいよ。」

バタン、とドアが閉まる音がする。一瞬にして静寂が部屋中に広がる。

テーブルには数枚の郵便物が置かれている。
そのほとんどは請求書や督促状なのは知っている。

一度、貧乏神に聞いたことがある。
「貧乏神が取り憑いたら貧乏になってしまうのかい?」と。

貧乏神は答えた。
「そう。そうだった、昔はね。今の時代はそうとも限らないけど。」

「貧乏神が取り憑いても貧乏にならないこともあるの?」

貧乏神はさらに答えた。
「昔はぼくらみたいな貧乏神がいて、人間を貧乏にしてきた。
ぼくらだって一応“神様”の端くれなんだ。
人間には想像もできない不思議な力で人を貧乏にしてきた。
昔の人が“働けどはたらけどなお、わがくらし楽にならざり”なんて言ったように働いても働いても暮らしはなぜか楽にならないってことがぼくらの仕事だった。」

「今は違うの?」

「ぼくらより大きな力をもった貧乏神が出てきちゃったからね、僕らの出番はなくなった。ぼくらはどうにか生きてくために人間とうまく共存していくしかないのさ。」

「より大きな力を持った貧乏神って?」

「何言っているんだい?それは君の方がよく知っているだろう?
毎日のように届く手紙と毎月かかってくる電話の主がその大きな力を持った貧乏神じゃないか。」

私はコーヒーを継ぎ足し、郵便物の束に触れる。
“国民健康保険料”、“国民年金納付のお願い”。
国から請求される“生きる”ためのお金。

その郵便物をすべてよけた一番下に明らかに封書ではない紙切れが見える。
カップを置いて、両手で封書を持ち上げるとそこにはチケットが2枚あった。

美術館のチケットが2枚。
貧乏神が行くはずの美術館。
忘れていったようだ。

「あらら。これはやばいな。」

私は椅子にかかっているカーディガンを羽織り、チケットを片手に家を出た。小さい声で「間に合え。間に合え。」と唱えていた。

冬の朝は寒い。
白い息が朝日に照らされ綺麗だと思った。







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