【長編小説】分岐するパラノイア-schwartz-【C18】
Chapter 18
The zombi walks in ghost town.
中村麻衣子と別れ、店を出た私は帰るでもなくただ歩いていた。
街並みの中に溶け込んでいたかった。
何も知らないであろう無関係の人間たちの中に埋もれて、
隠れてしまいたかった。
しかし、どんなに歩いてもコンビニや店の中に入っても
私一人だけが浮いているような、何か周りの人間とは違うような気がしてならない。
楽しそうにはしゃぎながら通る高校生たちは前から来る白杖をついた中年男性に気が付いていない。
電話口で必死に謝っているスーツの男は右手にタバコを持っている。
バス停に座っている優しそうなおばあさんはそばにいる他所の子供を
その子供の親から見えないように軽く足で押した。
交通違反で止められた車の手続きをしている警察官のうちの一人は
同乗者の若い女と笑いながら話している。
中学生ぐらいの弱々しい男の子が明らかに友達ではないだろう
忌々しいファッションに身を包んだ高校生らしい数人に薄暗い駐車場へ連れて行かれている。
何かの事務所の前を通ると、同じぐらいの年代の男性がデスクに座っている。その目は虚で焦点があっていないように見える。
当時いた友達もこんな世界に紛れてしまったのか。
周りを見回すと怖くなる。
私の記憶はどこへ行ってしまったのか。
この色のない社会のどこかへ散り散りになってしまったのか。
私は街並みを歩いて気が付いた。
私には行くところがない。
いつからだろうか。
覚えていない。居場所がなくなったのはいつからだろうか。
とりあえず乗りもしないのにすぐそばに見えたバス停のベンチに座る。
スマホを開き、メールを確認する。
もう私の記憶を辿れる人間は残っていない。
中村麻衣子で最後だった。
那実のSNSを開く。
当然のように、更新され続けている。
最新の更新日は昨日。
綺麗な花の写真が投稿されている。
ピンク色のゼラニウムが画面いっぱいに広がる。
那実がどうして自ら命を絶った理由はわからずじまい。
私の記憶の整合性がとれない理由も、その歪んだ記憶の真実も
何も明らかにはなっていない。
私はいつの間にか自分が幼少期に住んでいた街にいた。
人の気配がないのは平日の昼間だからではない。
そういう街なのだ。
団地がひしめくこの街は以前は、たくさんの子供で溢れていた。
しかし今では子供の数も減り、マンモス校だと言われていた学校も
そうではなくなった。
理由はいくつもある。
例えば、日本全体のことで言えば少子化、出生率が下がっているからでもある。でも実はそんな大袈裟なことではなくて。
“団地”という生活システムが現在の子を産む世代に合わないと言うこともあるだろう。
私の住んでいた団地では、毎週日曜の朝は団地ごとに掃除があり不参加の場合罰金を払わなければならなかった。
子供は“廃品回収”という団地の各家庭を周り古新聞や古雑誌をゴミ捨て場まで運ぶという仕事をしなければならなかった。
この毎週日曜の掃除は仕方のないことかもしれないが、団地のシステムで一番やっかいなのはご近所付き合いである。
こういったわずらわしい関係性は今の子を産む世代は確実に避けるだろう。
小さな街、小さな市だからあそこの地域は住みにくいなどの情報は
タバコの煙より早く広がる。
どんどん入ってくる若者は減り、こんなにも閑散としたできたばかりの
ゴーストタウンの雰囲気を醸し出しているのだ。
私はできたばかりのゴーストタウンのような街を
ゾンビのように歩いている。
人っ子ひとり見かけず、たまに通るのはおそらく中古で買ったであろう車が忘れた頃に通ってゆく。
よく遊んだ公園に入る。
昔よりきれいに整備された公園。
ブランコの後ろには土手がありよく登って遊んだ。
滑って転んで怪我もした。
変な植物でかぶれたりもした。
その土手は土が綺麗にならされ土手の一番下にフェンスが張ってあり、
“危ないのでのぼってはいけません!”と書かれた看板がつけられている。
たぶん小学生が書いたものだろう。
人気のあるゲームのキャラクターが困った顔をして変なポーズで描かれている。こんなキャラクターはボールでなんて捕まえたくないなと思った。
私はその看板を背にするようにブランコに座った。
このブランコはこんなに低かっただろうか。
座る板の部分はこんなに細かっただろうか。
とりあえず両脇の鎖を握ってみる。
元の色が何色かわからないほど錆びている。
嫌な予感がして手を離した。
手には茶色い鎖の錆がついてしまった。
昔は気にならなかったのに。
ゆっくりポケットから携帯を取り出し那実のSNSを開く。
画面に広がるピンクのゼラニウム。
死んだ人間の名前で更新し続けるこの人間はいったい誰なのか。
何の目的でこんな悪趣味なことをするのか。
誰かが見ることをわかっててやっているのか。
それとももっと変態的な趣味なのか。
私の背中のリュックにはこれまで会った人の証言をまとめたノートが入っている。それを開いてもう一度検証してみようかとも思ったが、
ピンクのゼラニウムはそれを許さない。
ずっと画面を見続けるよう私の目を離してくれない。
ゼラニウムに目を奪われてどれくらいたっただろう。
画面からゼラニウムが消え、見覚えのある画面に切り替わる。
着信。
竜姫だった。
竜姫とは調査をするよう勧められたあのカフェから満足に会えていなかった。ちょこちょこ連絡は取り合っていたが、なかなか会う時間がとれなかった。その間の連絡の中でも竜姫はこの調査については触れてこなかった。
通話ボタンを押し電話に出ると、なんだか懐かしい声がした。
「やぁ。お久しぶりだね。」
皮肉たっぷりではあるが、電話口ではにやけているのがわかる。
「久しぶりって言ったって、連絡はしてただろ。メッセージも毎日送ってるんだし。」
「こうやって声を使って喋るのは久しぶりでしょ。あんた今、何やってんの?」
竜姫はこうやって話をどんどん進めていくことが得意だ。
「まぁ。ちょっと出てるよ。なんか用事だった?」
私はなぜか幼少期に住んだ街にいることを言いたくなかった。
「ふーん。時間あるの?」
「あると言えばあるし、ないと言えばない。」
「なにそれ。そういえばさ、あんた記憶のナントカってやつは解決したの?」
「もし解決してたら、今は時間はあるってことになるね。」
私も意地悪な答え方をしてみた。
「あ、そういうことね。じゃあついにこの竜姫さんの出番じゃないの?」
「なんでだよ。竜姫はこの件には関係ないだろ。」
「その言い方はなんか腹立つなぁ。で、どんな感じで煮詰まってんの?」
「うーん。何人かには会えたよ。会えない人もいた。電話だけの人もいた。
で、結局何もわからず途方に暮れてるって感じ。」
「じゃもう話を聞ける人がいないってこと?」
「そうなるね。もう何もわからないままなのかもしれないな。」
「あたし、もうひとり話聞ける人知ってる。」
竜姫の声は急に真剣になった。
真剣な竜姫の声は怖い。
「誰?」
「あんたよ。」
竜姫の言葉は意外だった。
「誰もあんたの話は聞いてないでしょ。」
「あのね、自分の話をどうやって聞けって言うんだよ。」
言い終わらぬうちに竜姫は
「あ、ごめん。休憩終わっちゃう。また連絡するね。」
と言って一方的に電話を切った。
どうやらバイトの休憩中に電話していたようだ。
携帯を耳から離し、画面を見るとそこにはまだゼラニウムが咲いていた。
ゼラニウムをスワイプして消して、ブランコから立ち上がった。
竜姫の言うように、この不可解な件についての当事者がもう一人いる。
この私だ。
もう一度、最初から、“私”という人間に聞いてみよう。
その中に那実の自殺の欠片や、記憶の欠片があるかもしれない。
これは、私の人生。
私の記憶。
私の、逸話。