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【短編小説】茜が見る雨

 茜が憂鬱なのはポツポツと降る雨のせいではなかった。
席に座り、窓から見える景色だけを見ていた。
運動場はびっしょり濡れているのだが、雨粒はほとんど見えない。
細く小さな雨、霧雨のような雨なのだろう。
傘を持たず外へ出ても、濡れている実感はさほど感じないが
服はずぶ濡れになるという厄介な雨だ。

「茜、あんた何かしたの?」
「どうして?」
「生活指導の堀がよんでるよ」
「あ、そう」
茜の目は運動場だけを見ていた。

栞という友人は茜の肩に手を置き、茜の名を呼んだ。
「わかってるよ。たぶんバイトしているのがバレたんじゃないかな」
「あんた、バイトしてるの?最近付き合い悪いのはそのせいか」
「ん。それだけじゃないけど」
「なんのバイトしてんの?やばい系のやつ?」
「そんなわけないでしょ。清掃のバイト」

 教室のドアが勢いよく開く。
ガムテープを丸めて作ったボールで野球をしていた男子が慌ててボールを隠した。おそらく見られていただろう。
「茜!ちょっと指導室までこい」
栞がほらきた、と小声でささやいた。茜は大きく息を吸い席を立った。

 茜は堀という教師が嫌いだった。
そもそも女子生徒を下の名前でしかも呼び捨てでよぶ教師にろくなやつはいない、というのが茜の持論だった。
堀は出席簿を挟んでいるバインダーを手に持っている。
歳は30代後半だが若く見える。
筋肉質でも痩せているわけでもなく程よい肉付きをしていた。
既婚だから奥さんがきちんと管理をしているのが随所随所に見え隠れする。

 茜は一度、堀の奥さんを見かけたことがある。
クリスマスの時期におもちゃ屋で商品を選んでいる二人を見た。
立派にサンタクロースをやっているようだった。
その時は声はかけなかった。
よくわからないであろう子供用のおもちゃを両手に持ち、
どちらがいいかと奥さんに見せていて幸せそうだった。
茜は学校では見せない顔をした堀をいっそう嫌いになった。

 指導室に入り、パイプ椅子に座る。
今日は誰も座っていないのだろう。パイプ椅子はひんやり冷たかった。「茜。お前、バイトしてるんだろ?」
「はい、してます」
「はい、か。ごまかさないんだな。知り合いの手伝いとかたまたまその日だけとか大抵はみんなごまかすぞ」
「意味ないですから」
茜は背中ごしに雨の日の湿った空気を感じていた。

「何のバイトしてるんだ?」
「清掃です」
「清掃ね。お前が学校ではまともに掃除しているの見たことないぞ。金もらったら真面目にやるのか」
茜はロングヘアーを束ねながら答える。

「まず私がやってる清掃と学校の掃除は違います。あとお金をもらえばやるかということは内容にもよります」
「いっちょまえに仕事を選んでるってことか?」
「違います。どれだけお金を積まれてもできない清掃があります」

 茜のロングヘアーは束ねられた。束ねた髪はショートヘアーのようだった。茜はショートも似合うと自分では感じていたが、切ることはなかった。
堀が大きく息を吸い、パイプ椅子の背もたれに体重をかけた瞬間、
弾けるような乾いた音が響いた。
その音はどこにも届かないほど静かだった。
それは隣の部屋で行われている英会話のクラブが賑やかだったからというのもあった。

「逆に、端金でも清掃することがあります」
茜の手にはスミス&ウェッソンのM-500、Mk22が握られていた。
茜はこれを“ワンちゃん”とよんでいた。
「奥さん、全部知っているみたいですよ。先生がやってること全部知ってるみたいです」

 茜は薬莢を拾いポケットに入れた。それから“ワンちゃん”を腰の後ろに隠したホルダーへ戻した。堀はそのままにしておいた。そのうち発見され騒ぎになるだろう。そして茜は疑われることにはなるが、遺体には射創がある。
日本はすごい国で、射創があればどんな状況でも一般人は対象外になる。
まして遺体と最後まで一緒にいたとしてもそれが女子高生ならば、
拳銃なんて手に入れられるはずがないという固定観念から容疑者からは外されるだろう。そもそも拳銃の出所なんて調べてわかるわけがない。

 教室へ戻り、また席に座った。
栞が駆け寄ってきて、どうだった?としきりに尋ねてきた。
怒られちゃった、とだけ茜は答えてまた運動場を見つめた。

雨はどうやら本降りになりそうな雲行きだ。
茜は腰のあたりに優しい温かみを感じていた。

「栞、あんた今日ヒマ?」
「うん。ヒマだけど」
「カラオケ付き合ってよ」

茜は清掃のバイトをしている。
どれだけ金を積まれてもできない清掃がある。
逆に、端金でも清掃をすることがある。

今日はまた清掃の仕事を一つ、控えている。






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