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【短編小説】オト と フミ

 夕暮れは見飽きた。
運転席に降り注ぐオレンジ色の夕日は眉間の皺を作り出す。
オトは会社員として働いてちょうど10年になる。
毎朝7時に家を出て、夕方6時には勤務を終え帰宅する。
1時間もかからず家に到着する。それから家族と夕食をとったり団欒を過ごす。その合間に吸うタバコは格別だった。
家族がいて、仕事もある。社会的見れば幸せの部類に入ってもいいはずだ。しかしオトの心は晴れない。

 それは今日、たまたま再会したフミのせいかもしれない。
フミはオトの同級生である。フミは高校卒業後すぐ
芸人になるため養成所に入った。それから芸人として活動していると噂で聞いていたが、泣かず飛ばずである。
全国ネットどころかローカルテレビやBS、ネット番組ですら観たことがない。

 フミは同窓会などは一度も来たことがない。他の同級生はフミの話はまったくしなかった。学生時代はあれだけ仲が良くつるんでいたのにさもフミがいなかったように、フミとの思い出だけないもののように振る舞っていた。
それに倣って、オトもそうしていた。

 フミと再会したのは、仕事帰りに寄ったスーパーだった。
娘の漢字練習帳を頼まれていた。
フミはそのスーパーの前のベンチで缶コーヒーを片手に魚肉ソーセージを齧っていた。着ている服も独創的でスーパーにはそぐわない服だった。
いい大人がベンチで魚肉ソーセージに齧り付いている。
スーパーに出入りする人はフミを汚いものを見るような目で見ていた。
オトはスーパーに入る時は気付かなかったが出る時に気が付いた。

「フミ、か?」
「オトか?久しぶりじゃないか」
フミはベンチに座ったまま、オトの顔を覗き込むように見た。
「何してるんだよ、こんなところで。いつこっちに帰ったんだ?」
「何って、ソーセージ食ってるんだよ。昨日こっちに着いたんだ」

 フミはまだ開けてないソーセージをオトに差し出した。
魚肉ソーセージは3本セットだ。フミが座るベンチにはオレンジ色のソーセージの包みが丸めて置かれている。オトに差し出されたソーセージは最後の一本だろう。別に最後の一本だから遠慮したわけでなく、このベンチでフミといっしょにソーセージを齧る気にならなかった。
言葉には出さず、手を広げることでソーセージを断った。

「そうじゃなくてさ、なんでここにいるんだって話さ」
「うーん。たまたま暇ができてな。することなくてブラブラしてたら帰ってきちゃったんだよ」
オトはそれが嘘だとわかった。
暇ができたからといって帰ってこれるほどの距離ではない。
そして、たまたまできた暇というのも嘘だろう。芸人として稼ぎがないフミは、毎日のほとんどが暇なはずだ。フミは帰ってこようと思って帰ってきたはずだ。

「そうか。大変なのか?芸人っていうのは」
「まぁ、ね。オトは今何になったんだ?」

「おれは今しがない会社員だ。ただの会社員さ」
「違う違う。お前は一体何になったんだ?会社員は仕事だろ?」
フミはソーセージを一本、食べ終わった。
オトに勧めた未開封のソーセージを雑にズボンのポケットに押し込んだ。

 オトは黙ってしまった。
「オト、何かになるって大変だよな」
フミは缶コーヒーを両手で握りしめていた。

「どれくらいこっちにいるんだ?」
オトは話の向きを変えた。会話のキャッチボールがしたかった。

「今から帰るよ。そんなに暇じゃないからな」
嘘だ。フミには待っている人も待っている仕事もない。

「もっとゆっくりしていけよ。久しぶりの地元だろ?」
「そうは言ってもな、もう誰もおれのことなんて覚えちゃいないんだろ?」
「そんなことないよ。みんなお前がどうしているかってたまに話してるさ」
オトも嘘をついた。

「オトはやさしいな。おれんとこには同窓会の案内なんて一度もきたことがない。普段だって誰も連絡よこしてこないし。それぐらいおれだってわかるさ」

「それはお前がコロコロ住所変えたり携帯の番号変えたりするからだろ。
連絡しようにも連絡できないんだよ」
半分嘘で半分本当だ。

「そりゃそうだ。おれも携帯変えたって誰にも言ってないしな」
フミはボロボロのスニーカーの靴を指で引っ掻いていた。
オトはスーパーのビニールに入った漢字練習帳を見つめていた。

「もうおれを覚えている人間なんていやしないんだな」
フミは笑いながら言った。

「オト、声かけてくれてありがとな」
フミは立ち上がり、後ろ手に手をあげ挨拶した。
じゃあな、とたぶん言ったと思う。

両手で握りしめられていた缶コーヒーとソーセージの包みはベンチに置かれたままだった。

オトは立ち上がった。手には漢字練習帳が入ったビニール袋を下げたまま。
フミ、と声をあげた。
フミは立ち止まり、オトの方へ振り向く。

「フミ、何かになるって大変だよな」
フミは少しだけ笑い、また歩き出した。

夕日はもう、沈んでいた。




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