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【長編小説】分岐するパラノイア-schwartz-【C23】

<Chapter 23 鉢植えと床屋と、あたし>


「店長、あの忘れ物のケータイってもう持ち主見つかりました?」

ソファ席にだらしなく腰掛ける男に声を掛ける。

「いや、まだだけど。どうして?」

「いや、ちょっと気になったんで。」

そのだらしなく腰掛ける男はこの店の店長だ。一応。

「そろそろオープンしちゃっていいですか?」

朝の11時。あたしはいつも開店時からシフトに入っている。
とは言え、スタッフはこのだらしない店長とあたしの二人だから
あんまりシフトという概念は感じたことがない。

3時にいったん店を閉めて、夕方からまた開けるからオープンは2度ある。
アイドルタイムというやつだ。
カフェでアイドルタイムがあるというのは珍しく、仕込みをするわけでもないので店長に聞いてみたことがある。

答えは「ずっとやるのはしんどい。」と返ってきた。

シフトに関しては店長自身も「別に決めなくても入れるときに来てくれたらいいよ。」という寛大な心もしくはめんどくささからなのか自由だ。
いくらだらしなさからの優しさだとしても甘えて好き勝手するわけにもいかないので自分の中で常に朝の開店から入ると決めている。

その代わり、用事とかできたら普通に休むし、
入り時間は開店時で固定しているけど帰りの時間は変則的に変えている。

入り時間を変則的にしていたら、自分が来ていないときに忙しくなると申し訳ない。逆に帰りの時間を変則的にしていれば忙しくない日は早く帰るし、
忙しい時はクローズまで働くことができる。

「え?早くない?オープンまであと2分もあるじゃないか。」

たった2分。この街は、というかこの通りはそんなに人通りは多くない。
現に今だって人っ子ひとり通ってない。

「もう開けちゃいますね。」

「あぁっ!もーまだ2分あるって!」

子供か。

扉を開けたままにする。メニューを書いた看板を表に出す。

「じゃあさ、今日2分早めに閉めちゃっていい?ねぇいい?」

ここはあんたの店だろうに。あたしは苦笑いでじょうろを指さす。

「メグちゃんさぁ、よく働くよねぇ。」

店長はじょうろを手に取ってこちらへ向かってくる。
「店長、水入れてくださいよ。じょうろだけでは水やりできませんから。」

なにかぶつぶつ言いながら水道へ向かい、水を入れてくれた。
店の前に出している鉢植えに水をやるのがあたしの日課だ。
この鉢植えはあたしがここで働く前からあるものだ。
店長が用意したものかどうかはわからない。

水やりが終わると、ここからは自由時間だ。
いや、営業中なんだけどオープンしてからだいたい2、3時間は誰も来ない。だったら2、3時間後の時間にオープンしたらよさそうなものだけど
それは違う、らしい。

店長は「あのね、エンジンかかるまでに時間かかるの。11時に開けてるけど気持ちは13時オープンだから。」という訳のわからない言い訳をする。

店を開けたらあたしはいつもの席に座る。
すると店長がコーヒーを淹れて持ってきてくれる。
あたしはテーブル席に座り、外を眺める。
店長はカウンターの丸椅子に座り、外を眺める。
ほとんど変わることのない通りをただただ誰かが来るまで眺めながら
たわいもない話をする。

今日は向かいの床屋さんの話題だった。
「ねぇ。あれさぁ。今もやってくれるのかなぁ。」
店長はカウンターの丸い椅子にもだらしなく座ることができる。
丸椅子からお尻が半分飛び出していて、上半身はカウンターにのっかてる。
肘をつき、手のひらはアゴ。これが店長スタイル。

気になったのは向かいの床屋のガラスに貼られている昭和初期ぐらいの髪型のポスターだった。

「あれそうとう古いですよね?」

「昭和初期ぐらいかなぁ。あのポスターの髪型にしてくださいって言ったらやってくれるのかな?」

「言ってみたらどうですか?実際どんな感じなのか見てみたいですし。」

どうでもいい会話で時間は刻々とすぎていく。

あたしはスマホを確認する。
どうでもいい広告メッセージやアプリの通知を消す。
あの男からの連絡はない。
スマホをしまい、向かいの床屋に視線を戻す。

どうしてこのカフェで働くようになったかというと、実は理由なんてない。
どうしてもここで働きたかったわけでも、
バイトを探しているわけでもなかった。

ただふらっと歩いてて、目に入ったのがこのカフェだった。
どういうわけかここで働いてみようと思った。ただなんとなく直感的に。

いかにも暇そうで流行る感じもない、
若者向けでもないしかと言ってこだわりの強い感じでもない。
そんなカフェの扉に貼られた紙にアルバイト募集の文字。
その文字を見ながら扉を開いた。

無精髭が似合ってない店長が水を持ってきて、
いらっしゃいと小さく言った。

「バイトまだ募集してますか?」

「はい。見ての通りまだ私一人なんでね。」

店長は照れ臭そうに答えた。
「もしかしてバイト希望の方ですか?」

「はい、でも接客も飲食も経験ないんですけど大丈夫ですか?」

「大丈夫ですよ。いやぁうれしいなぁ。」

それから少し話をした。
バイトするにあたっての説明やら、世間話やらをした。

「とりあえず合格って事で。」とあっけなくバイトが決まった。

「じゃここに名前と連絡先書いてくれる?」
「あの履歴書とかは?」
「そんなの必要ないよ。」

あの日からどれくらい経っただろうか。
辞める理由もないからずっと続けてはいるけど、あたしがやめたらこの店長はどうするんだろう。また扉にアルバイト募集の張り紙を貼るのだろうか。
そもそもあたしはこの店長のことをほとんど知らない。
興味がないから、というのも少しはあるけれどそれにしては知らなすぎる。
この店以外で会ったことはないし、この店以外ではどんな生活をしているのかさえわからない。

店長はまだ向かいの床屋の古いポスターのことをしゃべっている。
「逆によ、今あの髪型をさ、忠実に、ちゅうじつに!再現できる人っているのかな?」

「知りませんよ。年寄りの床屋さんならできるんじゃないですか。」

「メグちゃん、冷たいなぁ。もっとどうでもいいことに脳みそ使おうよ。
どうでもいいことにこそ真理が隠れているんだよ。」

「あの古いポスターのどこに真理が隠れているんです?」

店の前の鉢植えの花が揺れている。
ピンク色の花びらはこの店には似合わない。
覚えてないけど、もしかしたらあたしはこの花に惹かれたのかもしれない。
ピンクのかわいらしい色とこの店の佇まいのミスマッチさに魅力を感じたのかもしれない。
もし、あの当時にこの鉢植えがあったとしたら、だけど。

なぜかバイト募集に惹かれ、この店に初めて入ったあの日。
あたしは名前と連絡先を書いた紙の上にボールペンを乗せた。

「あの、書けました。」

「あ、はいはい。ありがとね。お?珍しい名前だね。」
「よく言われます。」

「これ、なんて読むの?」

「 “ めぐり たつき” です。」

「じゃあ“メグ”ちゃんで!」


3軒となりの駄菓子屋のアオキさんがやってきた。
さぁ。今日も1日が始まる。

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