【長編】分岐するパラノイア-schwartz-【C26】
<Chapter 26 Steam & Smoke>
目の前のコーヒーからはいい感じの湯気が立ち上がっている。
湯気とともに流れてくるのは
祖父の時計屋の跡地に座り込んでいたときに嗅いだ香りだった。
「あの、この店何度も来たことあるんです。」
「うん。覚えてるよ。頻繁に来てくれるお客さんって少ないからさ。
あんまり流行ってないんだよ、この店。」
店主は笑いながら割と悲しいことを言う。
「場所が場所だけにね。最初はね、“隠れ家的”ってイメージでいいかなって思ったんだけど、ホントの“隠れ家”みたくなちゃった。」
祖父の店があったこの地域は当時は商店街として栄えていた。
しかし、時代は流れどんどんと過疎の道を辿った。
今や商店街の雰囲気はなく、廃墟のような建物が並ぶ通りとなった。
“シャッター街”なんていう言葉もあるが、そんな生やさしいものではない。
建物の老朽化のせいで行政が危険と判断し、取り壊しを長期的な計画でやってはいるが、行政の計画と時間の流れは一致することはない。
この通りは時間が止まったまま、朽ちている。
時間が止まっているにもかかわらず、かつて商店街だった通りは死に向かっている。
「ここ、いいかな。」
私が黙ってしまったことに、店主は何かを察したようだった。
店主は私の目の前に座り、タバコに火を付ける。
「あ、タバコ大丈夫だよね。最近じゃ健康増進法なんて言って飲食店のほとんどはタバコ吸えないんだってさ。馬鹿げてるよね。喫茶店とかファミレスとか、あと飲み屋とか居酒屋とか。タバコがないとねぇ。」
タバコの煙にコーヒーの湯気が混ざり合う。
煙をじっと見ていると、湯気と煙は全然違うことに気がついた。
見た目は似ているのに全然違う。
煙は、何かをを燃やした時に発生する固体と液体の微粒子の集合体で、
湯気は、水蒸気が外気に冷やされて白い煙の様に見える。
コーヒーの湯気は昇っては空気に同化するように消えていくのに、
タバコの煙は湯気より少し長く空気中に滞留し、消えるというか
見えなくなるだけのようだった。
何かを燃やすというのが一種の破壊的で湯気よりも強い気がする。
だから湯気よりも長く空気中に滞留できて、かつ消えるのではなく
姿を隠している、見えなくても微粒子の集合体はそこにあるのではないか。
似ている二つのものが同時に存在するとき、もしかしたら必ずどちらか一方は必ず消えてしまう定めなのかもしれない。
祖父の時計屋の跡地、このカフェという二つの存在が同時に、同じ場所に存在したら、やはりどちらかが消えなければならない。
「さて、お兄さん。君はこの店に連れてくるほどの仲のいい女の子がいるのかい?」
店主はニヤニヤしながら聞いてきた。
「あ、はい。何度もこの店に来てるんです。むしろ二人でしか来たことがなくて。一人でこの店に入るのは初めてです。」
「そうかぁ。僕はね、君のことを覚えているよ。そう、君の言う通り何度もこの店に来てくれたのをしっかりと覚えている。
でもね、いつも君は一人だったよ。一人で店に来て、一人で帰ってゆく。
誰かと来たことはないよ。」
「それはないですよ。いつも二人で、来てたんですから。」
「お兄さん、僕は君の言っていることを疑ってるわけでも僕の言っていることが絶対的に正しいと言っているわけじゃないんだよ。」
「それじゃ、二人で来てたかもってことでしょ?」
「それはないね。どうしてかって言うとこの店が営業している時は必ず僕がいるってこと。僕がいないとこの店はやってないんだよ。
バイトのスタッフが一人いたけど、最近やめちゃったんだ。
メグちゃんっていうんだけど、その子がいても必ず僕がいる。
だから僕は必ず来てくれたお客さんを全て見ているんだよ。
その上で言うけど、君はひとりだったよ、いつでも。」
私が黙っていると、店主はゆっくりとタバコの煙を吐き出した。
煙は、微粒子の集合体はゆっくり私と店主の周りをぐるぐる回った。
「よし、整理しよう。ゆっくり。順序立てて、ゆっくり“感じて”いこう。
時間あるよね?」
店主は立ち上がりドアの方へと行き、ドアを閉めた。
おそらく閉める時に、“CLOSE”の札を下げたのだろう。
「お兄さん、ゆっくり話を聞こうじゃないか。」
「はぁ。でも何から話せばいいのか。」
「まず、君はいったい誰で、なぜここにいるのかな?」
私は話した。事の一切を。
まず、私自身の記憶の整合性がなく辻褄が合わないことが多いこと、他人と記憶や思い出が違うということ。
次に、死んでしまった友人“那実”のこと。
その友人が死んでしまった理由もわからないし、疎遠になってしまった理由すらわからない。その答えが記憶の整合性がないことにあると感じていること。
それを確認するために、昔の友人たちに話を聞いてきたこと。
昔の友人に話を聞くということを提案してくれたのは恋人の竜姫であり、
提案された場所がこのカフェであったこと。
そして、昔の友人たちに話を聞き終わり、最後に自分の記憶を整理するために縁のある場所を歩いていたこと。
その中で祖父の時計屋だった場所にたどり着いた。
建物は取り壊されており、平地だった。
しかし、一瞬のうちにこのカフェが現れていたこと。
そのカフェは竜姫と何度も来たことがあるカフェであり、場所もこの場所だったと確信があること。
【祖父の時計屋の跡地】という記憶と【カフェ】があるという記憶が同時に存在すること。
店主は私ができるだけ順序よく話すことをしっかり聞いていた。
何も言わず黙って聞いた。話の途中で新しいタバコに2回火をつけた。
話を終えて、かっこいいBGMだけが流れている。
「よくわかった。君の話はおもしろいね。」
「あの、別に嘘ついてるわけじゃ・・・」
「わかってるよ、さっきも言ったろう?君を疑ってるわけじゃないんだよ。
まぁ強いて疑っていると言えば、君に彼女がいたってことだね。君、モテるタイプじゃないじゃない。」
店主はまた笑いながら揶揄ってくる。
「竜姫は少し変わってて。あ、恋人です。“竜姫”っていいます。」
「竜姫?」
店主の顔色が変わる。
「あ、恋人です。“竜姫”っていいます。」
「すごい偶然もあるもんだね。ほら、さっき最近やめたスタッフがいたって言ったでしょ?」
「メグちゃん、ですか?」
「そう。メグちゃんってのはね、あだ名なんだ。本名が君の恋人と同じ“タツキ”っていうんだ。」
「“タツキ”、なのに“メグちゃん”なんですか?」
「そりゃそうなるよね。彼女はバイト募集の張り紙見て来てくれてね。
苗字を呼び捨てにするのも下の名前で呼ぶのもなんか違う気がして、
苗字をかわいく呼ぶことにしたんだ。」
私はまた不思議な感覚に襲われた。
店主が言うであろうこの次の言葉が予想できた。
しかしその予想が当たってしまえばまたこの物語はややこしくなる。
私は聞きたくないとすら思った。
これ以上謎の種が発芽するのが我慢ならなかった。
それでも、進まなければならないというある種の義務感も感じていた。
「“巡 竜姫”」
私は店主の話を遮った。
これ以上誰かにこの物語の舵を取られたくなかった。
どうせ結末が変わらないのなら、自分から踏み込んでやると
一瞬で覚悟ができた。
どっちみち私の身に起こっていることは不可思議極まりないことだらけだ。
店主はきょとんとしている。
「私の恋人の名前です。“めぐり たつき”といいます。」
「えっと・・・君はメグちゃんの彼氏、ってこと?」
明らかに店主は困惑した。
二つの煙はいまだにゆらゆら空中を漂っている。
コーヒーの湯気とタバコの煙。
でも今はなぜかコーヒーの湯気は消えずにタバコの煙といっしょに
漂っていた。
まるで、そこにあることを知ってほしいかのように漂っていた。