【長編小説】分岐するパラノイア-weiss- 【S10】
<Section 10 踊る会議 第二幕>
「老主様、この男の非礼をお詫びいたします。
しかしながらこの男が言わんとすることも一理あります。
この一刻争う中、無駄な議論は差し控えた方がよろしいかと。」
老主様、とよばれる男はかなり高齢の老人である。
名をフィルナンド。しかし普段この名で呼ぶものはいない。
皆一様に「老主様」とお呼びするのだ。
実際僕も顔を付き合わせるのは初めてだ。
フィルナンド、いや老主様は深く息を吸い込み、
「しかり。」
とだけ答えた。
すかさずスカーレットは「では先に私から今回のプランの概要を」と
プログラムを一つ飛ばそうとした。
「うぅん。スカーちゃん。ちょいと待ちぃな。
バシレウスの民は無駄な議論は要らん言うておる。
ここはもう本題に入ってもよかろう。な、チャオシンよ。」
“スカーちゃん”とはもちろんスカーレットのことである。
スカーレットは“筆頭補佐”という役職でかなり高い位置にいるのだが、
そのスカーレットを“ちゃん付け”で呼べる者はこの街に5人しかいいない。
老主と老主会の4人である。
4人の老主会の面々は先程のフォルとチョロス、ビビアルルディの諍いの時には一言も口を出さなかったが、今やっと口を開いた。
アルタミル=ルル。スカーレットをちゃん付けする男。
朱の翁。スキンヘッドに皮膚は浅黒く、ひょろひょろの体。
今にも朽ちてしまいそうな枯れ木のような男。
「同意する。謝辞や概要を無駄だと、要らぬと申すなら好きにさせると良い。」
マオ=チャオシン。ルルより名指しされた男。
青の翁。大きな体格に虚な目。見事なオールバック。
垂れ目に綺麗な青眼の瞳。
「スカー!さっさと誰が何をどうするかだけ伝えりゃいいんじゃ。」
割って入ったのは、白の翁、コッコ=ペパーバック。
長髪の男で、浮浪者のような出立ちをしている。
せっかちな性格なようで先ほどから舌打ちを何回もかましている。
「わかりました。では。」
スカーレットが優秀だということがわかる。
考えていたであろうプログラムが大幅に削減され、
即席でこのプランを要約して話さなければならない。
そんな事態をものともせず、スカーレットは話を続ける。
「そこにいらっしゃる記録士ミハイル様に、
書物の修正、改善、再編集ため神海へ行っていただきます。」
急に僕の名前をよばれたので、体がギュッとなった。
「その際ミハイル様には各地域にある中継地点にて報告をしていただく。その報告を吟味の上、こちらからの指示を受け神海に到着していただきます。」
「その中継地点を担うのは老主会の4人。
皆様には各地域の中継地点へ【織守(おりがみ)】を放っていただく。
ミハイル様にはその【織守】にて報告を。」
【織守(おりがみ)】というのは二つで一つのポストのようなものである。
ポストのように完全設置型ではなく、
任意の場所に出現させたり、移動したりできる。
ただデメリットとして、“使用する者のどちらかが行ったことのある場所”
でないと出現させることはできない。
【織守】はこの街ができる前の大きな大戦時に使われた
情報伝達手段である。
どんな戦においても情報は貴重であり、必須である。
情報戦を制するものは戦を制するなんて言葉もあるぐらいだ。
【織守】の由来はここからきている。
【組“織”を“守”るための情報伝達】という字を当てて【織守】、
そしてこの織守自体がもとは一枚の紙のようなもので、
特定の折り方によって放つ方角や距離を決定する。
もとは“しきもり”という読みであったが、
異文化の流入の際、どこかの国の紙を折って何かを造るという
文化に習い、読みを“おりがみ”に変更した。
と図書館の本に書いてあった。
今回で言うと、【織守衆】と呼ばれる【織守】を管理する
郵便配達員のような係が行ったことのある場所を中継地点とし、
その場所へ【織守】を放つ。
そしてその【織守】に保存されたデータを僕が読み取り、僕の報告を上書きして送り返す。
「報告を受けた織守衆は織守を開封することなく
直ちにビビアルルディ宰相率いるバシレウス軍へ引き渡す。神海に到着するまではこれの繰り返しです。」
【織守衆】は老主会が管轄している。
それなのに、【織守衆】は開封を許されず、受け取った僕の報告を
そのままバシレウスの軍へ引き渡す?
まるで【織守衆】を伝達のためだけに使い、
主導権はバシレウスが握ろうとしているようにしか見えない。
「ミハイル様は神海に到着されたらまず
この位置情報フラッグを立ててもらう。
その位置情報フラッグのもとへ【織守】が届くのでご報告を。
その【織守】はバシレウス専用の【織守】となりますので後にチョロス様より研修を受けていただきます。」
バシレウス専用の【織守】は僕達の街の【織守】、いわゆる老主会が抱える
【織守衆の織守】よりも高性能である。
位置情報フラッグさえ立てればそのフラッグのバイト数に応じた周辺地域
すべてに【織守】を送ることができる。
僕たちの【織守】との違いは、
使用する者のどちらも行ったことがない場所でも、
フラッグが賄える距離であれば【織守】を放つことができる。
神海にたどり着いた者は誰一人としていない。
【織守衆の織守】は織守衆の誰かが行ったことがないと使えない。
よって、もし僕が辿り着いた場合は僕自身が位置情報フラッグで
場所を明らかにし、バシレウスからの【織守】を待つ、ということか。
やはり釈然としない。
バシレウスの位置情報フラッグは有事の際に備えて
各地さまざまな点に設置されていると聞く。
最近ではバシレウスが情報の伝達ができない地域は数が少ないと
言われるほど位置情報フラッグは存在しているにもかかわらず、
どうして最初から使わないのか。
この国のどこかに神海があるとするなら、
どこかのフラッグの範囲内のはずである。
それに直に【織守】を送ることも可能だし、何より神海に到着するまで
性能が劣る【織守衆の織守】を使う意味はあるのか。
疑問は何層にも重なる。
神海、という場所は本当に存在するのだろうか。
そもそも人神とよばれる“エイデム”とはいったい“何”であるのだろう。
僕は【織守】を記録士としての業務で何度か使ったことがあるが、
位置情報フラッグもバスレウスの【織守】も使ったことがなった。
研修はありがたいがそれをあのチョロスから
受けるのはいささか不満である。
話はどんどん進み、むしろ会議というよりは確認作業のようなもので
異を唱える者は誰一人いなかった。
深い疑問もたくさんあったが、とりあえず行くのは僕だから
浅い疑問かもしれないが、重要なことは聞いておかなければならない。
「あの、質問してもいいですか?」
僕はそっと手をあげる。少し焦っていた。
なぜならスカーレットがいつの間にか会議をまとめだしたからで、
もう会議の終わりを誰しもが感じたからだ。
「各中継地点で僕はいったい何を報告すれば良いのでしょうか?」
一瞬の沈黙。
老主様を含めた5人も何も言わない。
「ミハイルさん、まず礼を言おう。
このプランに手を挙げてくれたことに感謝する。
そしてご質問の答えだがなんでも良いと言うのが本音だな。
実際、我らが一番危惧しているのは君が安全かどうかなのだよ。
だからきちんと定刻通りに君が無事到着したことを教えてほしい。」
国王ビビアルルディは私の方を向き、身を乗り出して答えた。
「ま、恥ずかしながらこの国の宰相ではあるが
他の街や地域について何も知らんのだ。
もし君が嫌でなければでいいのだが、
旅日記のようなものを送ってはくれないだろうか。」
「旅日記、ですか。」
「わたし自身が行くというのも一つの手ではあるが私には任された国があるのでな。」
聞いておいてなのだが、今まで会議を続ける中で垣間見た
国王の威厳を感じなかった。
むしろ意図的にハードルを下げ、赤子か幼児に話すように
僕と向き合った態度や、旅日記という表現が
馬鹿にしているように感じて少し不快だった。
「もし神海に到着したとしてそれからは?」
たぶん私が不快に感じたことに気づいたのだろう。
乗り出した体を整えて、背筋を少し伸ばし、さっきとは低い声で
答え出した。
「ミハイルさん。正直に言うとそこまではわからんのだ。
誰も見たことがない神海、さらに人神。
書物をどうやって修正、改善、再編集するのか。
そもそもそれが可能かどうか。
記録という分野に関してはミハイルさんが専門だと聞いている。
君の働きに期待するしかないな。」
後半の言葉は投げやりというか、冷たく突き放すような口調だった。
僕は確信した。
老主会までもがそうとは限らないが、この国王にとっては
書物の件はどうだっていいのだ。
大事なのは、【神海】の場所と【人神】存在。
僕はただの駒にすぎないようだ。