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【短編小説】望郷凱歌
トキオはタバコに火を付ける。
先端が赤く光り、煙が立ち上る。軽く吸って赤い光を強くする。
口からふわっと煙が漏れる。
トキオが吸っているタバコの銘柄は歴史が古く、年配の人が吸うようなタバコだった。そのためかよく喫煙所などでは年配の人に話しかけられた。
ヘビースモーカーというわけではないが、普通に吸う人より少し多い。
トキオは妻が淹れたコーヒーを片手にベランダでタバコをふかしている。
ベランダの窓の向こうではテレビの音と娘がはしゃぐ声が聞こえる。
その声に背を向けベランダから階下を見下ろす。
ここは5階だ。
そこそこ高いが、見下ろせばちゃんと人は見えるし看板の文字も読める。
下手すると路上の会話だって聞こえる時があるぐらいの高さだ。
いつ買ったかわからないお得用のピーナッツの缶に灰を落とす。
中にはこの世の悪を詰めたような色をしたタバコの遺体たちが蠢いている。
トキオはこういう夜が始まったばかりの時間帯が好きだった。
まだ人々が盛んに動いている。
配達の原付バイクや帰宅中の学生が通りを歩いている。
夜のはじまりのはずなのにトキオの心は沈んでいた。
それは“りん”に再会したからだ。
“りん”はこの街で生きるストリートチルドレンだった。
街の中にある区画には孤児などが集まる場所がある。
“りん”もその集団のうちのひとりだった。
トキオもこの集団にいた。
だったが、運良くそういう生活から逃れることができた。
まるで後ろ足で砂をかけるように、区画から逃げ出しなんとか適所に拾われ生計を立て生きていけるようになった。
ここ数年の話だ。
トキオが拾われた“適所”というのは行政が監督する支援施設だった。
子どもだけでなく大人の入所者もいた。
いわゆるもともとホームレスの支援施設だったものが、身寄りのない子どもの生活の面倒も見ることにしたという遍歴である。
その支援施設はすこぶる評判が悪かった。
子どもを働かせ、その給料のほとんどをピンハネしているような施設だった。他にも叩けば出る埃が山のようにあった。
トキオはそこで施設の職員と幾度もやり合いながら、なんとか施設に食い物にされることなく生きていけた。
それもこれも区画にいた経験から大人がどんなものか知っており、
大人からの暴力や理不尽な行為に対抗する術を知っていた。
その後施設は問題が発覚し、解体されることになる。
その時に施設にいた大人は病院や似たような施設へ、
子どもは里親や似たような施設へ移送された。
トキオは運良く里親が見つかった。
そこの里親の家の近くに住んでいたのが今の妻である。
トキオは、区画から逃げ出した後から施設に拾われた時も、
里親が見つかった時も、区画に残してきた誰よりも“りん”のことが気がかりだった。
まだ小さかった“りん”は元気はよかったが、区画で生き残ることは難しい性格だった。
“りん”はトキオに懐いていた。
後をついてまわり、トキオを探して一晩中探し回ったこともある。
そんな“りん”を置き去りにした。
またずっと探しているのではないか、
ずっと泣き腫らしているんじゃないか。
トキオはそのことだけが気がかりだった。
そんな“りん”に再会した。
トキオが仕事帰りに偶然寄った本屋で“りん”を見つけた。
その本屋に“りん”はたくさんいた。
所狭しと、“りん”が並んでいた。
一番目立つ棚に並んだたくさんの“りん”。
『今年大注目のアーティスト!凛に完全密着!』
一番目立つ棚に並んだ雑誌の表紙に赤々とした太いフォントとともに写っているのは紛れもない“りん”だった。
どうやら“りん”はうまくやったらしい。
大出世だとトキオは心が躍った。
それと同時に、置き去りにした自分が情けなかった。
夜の始まりは終わり、もう完全な夜だった。
肌寒く感じ、数本目の火を付けたばかりのタバコをピーナッツ缶へ捨てた。
火のついたタバコは缶の中の水に触れ、じゅっと鳴いた。
ベランダの窓を開け、部屋に入る。
妻の声が響く。
「りん!早くご飯食べちゃってよ。」
娘はアニメのキャラクターのぬいぐるみを持って走り回っている。
これからりんはどう生きるのだろう。
これまで“りん”はどう生きたのだろう。
窓の外にはあの区画の中心にそびえる塔が見える。