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【短編小説】ドッペル&ゲンガー

「でね、よく見てみるとそれは自分自身だったの。」

藤村は黙って話を聞いていた。
その話がどれだけ現実から離れたものであるとしても、
最後まで聞いてやるのが礼儀だと思っているからだ。

「ね、怖くない?」
聞いているのか、同意を求めているのかわからなかった。

藤村は風邪をひいていた。
ベットで上半身だけを起こし、カップ入りの安いヨーグルトをプラスティックのスプーンでかき混ぜていた。
お世辞にもオカルトじみた話を聞かされるような体調ではない。

そのヨーグルトは、大学の友達である椿が差し入れてくれた。
椿は女性だ。女性というよりまだ“女の子”といった雰囲気だ。

椿は風邪をひいている藤村に差し入れを持ってきて、
あろうことか現実離れしたオカルト話を延々と続けていた。

「調べたらさ、ドッペル&ゲンガーっていうんだって。」

おそらく“ドッペルゲンガー”のことだろう。
変な場所に謎の“&”が入っていて、
若手芸人のコンビ名みたいになっている。

藤村は否定しない。否定する気力がないのだ。

椿はこの大学で初めてできた友達だ。
地方からやってきた藤村に興味を持ったのか、
はたまた高校を卒業したばかりの新入生の中にいた
数少ない20代の藤村を気遣ってかわからないが、
かなり人懐こく話しかけてきた。
そのおかげで椿を中心に若い友達がたくさんできた。

「椿、たぶんだけどもう一人の自分を見たら死んじゃうって話も聞いたことあるよ。」

「え?それほんと?あたし、死んじゃうの?」
藤村の期待とは違い、椿は嬉しそうに声のトーンを上げる。

藤村は“&”はいらないことを伝えようと思ったが、
椿はずっと“ドッペル&ゲンガー”の話をしていて口を挟む隙がなかった。

その嬉々とした声を聞きなながら、藤村は自分のことについて考えた。

さしづめ自分もドッペルゲンガーかもしれないと、
ドッペルゲンガー側ではないかとさえ思っていた。

あの荒んだ若い時代、高校を中退し何かをするでもなく
ただ無為に家で時間を過ごしたあの日々。

それが嫌であてもなく外へ出始めた。
すると懐かしい顔に再会し、
そのままその懐かしい顔とその友人たちとしばらく過ごした。

藤村はその“懐かしい顔とその友人”に関わったことを後悔していた。
藤村の言葉で言えば、“状況は悪化した”である。

その懐かしい顔と友人たちは、常識と想像の外側に住む人間たちであった。生活は無為な時間を過ごしていた時よりもかなり荒んでしまった。

若気の至りとして酒や女というのはよくある話だが、
この常識と想像の外の住人たちのそれは限度がなく凄惨なものだった。

「ドッペル&ゲンガーって実は自分ってこともあるかもね。
自分がドッペル&ゲンガーで、もう一人の自分の方が本物なの。
ね、怖くない?」
今回は同調して欲しいのだとわかった。

「それは怖いね。でもそれだったら死ぬのはもう一人の自分の方じゃん。」

「あ、そっか。じゃ本物が死んだらそのドッペル&ゲンガーが本物になるって感じでどう?」

「入れ替わるってこと?」

「そうそう!」
椿はさっきよりも随分楽しそうだった。

「そういう話、テレビで見たことあるぞ。」
藤村は少しだけ笑った。
本当はもう少し笑いたかったが、咳が出そうだったので堪えた。

藤村は常識と想像の外の住人に黙って大学を受験し、地元を離れた。
歳が違う18歳や19歳に混じって生活することに不安はあったが、
それよりも未来への不安の方が大きかった。

藤村は性格上、大きな変化を自ら起こすことは苦手だ。
そんな性格にも自分自身で嫌気がさしていたし、
好き勝手やるあの外の人間たちに憧れを抱いた原因でもあった。

「はやくよくなってサークルに顔出してよ。みんな意外と心配してるんだよ。」

「意外と、は余計だね。人気者なんだよ、おれは。」
椿の声を聞いていると少し頭がクリアになった気がした。
体を起こし、カーテンを引っ張った。

夏の真昼の陽差しが暑かった。

藤村は故郷を想った。
あの荒んだ毎日から逃げた自分を正当化する術はいくらでもある。
逃げとは言わずこれは自分の人生に本気になったことでとてもいいことだ。
そういうことも大学を受験しようか迷っていた時、
周りの大人たちに散々言われてきた。

それから藤村は人が変わったように勉強して大学に合格した。
そして今、常識と想像の内側に住む人間たちと
人が変わったように楽しい人生を送っている。

窓の外を2日ぶりに見た。
代わり映えしない都会の風景。

「椿、ドッペル&ゲンガーじゃなくて、ドッペルゲンガーな。
“&”はいらないんだ。」

藤村は人が変わったように、笑った。

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