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【短編小説】トラッシュ イン ザ カフェテリア
「誰でも若気の至りってあるとおもうのね。」
ユカリは大学の食堂にいた。
食堂とは言っても食事をしているわけではない。
テーブルには食堂の入り口にある自販機で買ったパックジュースだけが
ひとつ置かれている。
ユカリはよく授業と授業の間の空き時間はこの食堂で過ごす。
ほどよくどの時間帯も人がまばらにいて、
混んでるわけでも空いているわけでもない。
そんな食堂が居心地がいいのだ。
同じ空き時間の友達とおしゃべりをすることが、
ユカリにとって今一番楽しい時間だ。
ユカリと同じテーブルに座っているのはユカリを除いて二人だ。
同じように食事はしていないが、パックジュースは置いていない。
この時は一年先輩のナントカさんという男が
ユカリに好意を持っているという話だった。
ユカリはその先輩をよく知らない上、
おそらく仲良くなれそうにない先輩だというイメージしかなかった。
それなのに周りが焚き付けるものだから少しムキになっていた。
「あたしもう年上とは付き合わないの。同い年がいいの。」
大学生というのは、色恋が仕事のようなもので、他人の色恋を
本人の感情に関係なくのべつ幕無しに成就させることも業務の一環である。
何度も興味はないと言い放っているユカリだが、周りはその業務の遂行に
一生懸命である。一歩も引かない。
ユカリがその先輩の至らないところや、タイプではないこともはっきりと提示し、そもそもよく知らないことを強調するのにもかかわらず、
そのユカリの発言を撤回させるようにナントカ先輩のいいエピソードを使って論破しようとしてくる。
正直に言うとユカリはそのナントカ先輩をよく知ったところで、
いいエピソードで論破されたとしても付き合う気はなかった。
それはナントカ先輩のせいではなく、ただ“先輩”であるからだった。
ユカリは“若気の至り”という言葉を使ったが、
今も十分“若気”だということも理解していた。
しかし今の若さよりもずっと若い時に付き合った年上の彼氏について
思うところがあった。
「あたしね、中学ぐらいのときってめっちゃ大人しかったんだよ。」
ユカリはその大人しさが災いして、友達がまったくいなかった。
残念なことに、ユカリはそこいらの同級生よりもかわいかった。
歌って踊る天然キャラで売り出されるアイドルのようだった。
しかし男子というのはいつの時代も、いつの時期も馬鹿であり、
大人しいというだけで根暗な女だと決めつけられ人気はなかった。
残念だというのは男子から人気がなかったことではない。
男子から人気がない、というよりことよりも
女子からの圧力の方が激しかったことの方が深刻だったからだ。
かわいこぶっているとかキャラを作ってるなどと言われ
村八分にされていた。
「そんな時にね、
同じように学校中から嫌われて友達なんていない男子がいたの。
その男子は高校生だったんだけどね。
変にプライドばっか高くてさ。
でもあたしもその時期は寂しいってのもあったし、
何よりあたしは友達がいなくて悲しいって思ったり恥ずかしいって思ったりしたのね。でもその男子って友達がいないことを全然気にしてなくて。」
ユカリはその時の自分を冷静に分析できていた。
本当にその年上の男子を好きだったかと聞かれても、
即答でイエスを返せるかと言われたらそうでもない。
「誰でも若気の至りってあるとおもうのね。何か変に感化されやすいっていうかさ。」
ただ寂しさを紛らわすためだったのだろう。
自分にかまってくれる人が欲しかったのだろう。
その高校生だった男子のほうも同じようなもので、
高校中から嫌われていて色恋なんてできなかったはずだ。
そこにかわいそうな年下がたまたまいて、
ユカリと同じようにかまってほしかったのかもしれない。
「よくあるじゃん。その時の彼氏と結婚するんだ、とか。
ずっと一緒にいようね、みたいな。そんなわけないんだって。
だって本当に好きかなんて本人にだってわかんないんだから。
ただ好きなんだろう、とか好きでいなければならない、とか
そういう自分に言い聞かせるって言うか、
固定観念みたいなものが発動する時期なの。」
そういう見えない共依存みたいな関係を嫌悪するようになった。
ユカリは以前のような大人しい子ではなくなっていた。
それは正直、地元から離されたということがよかったのかもしれない。
あの年上の高校生ではなくとも、四十過ぎのおっさんであったとしても
その時のユカリは思うがままにされただろう。
そういう洗脳にかかりやすい、という洗脳から
解かれたような状態になった。
「でね、その男子に聞いたの。
どうしてそんなに気にしないでいられるの?って。なんて答えたと思う?」
同じテーブルに座る二人は顔を見合わせる。
この二人にはすでに話の骨子が理解できていなかった。
なぜならば、ユカリがもう卒業したであろう“見えない共依存”の霧の中を
この二人はまだ彷徨っている最中だからだ。
そういった関係が長続きしないこと、まるで蜃気楼のようなものであることがまだ理解できていないのだ。
この大学という小さな箱庭で、確かに中学や高校に比べたら箱庭自体は大きいかもしれないが、考えなければならない方向性はほぼ同じなのだ。
そのナントカ先輩は目に見えていい男ではないし、
やたらモテるとか女子ウケがいいなんて話も聞いたことがない。
ただ誰かの友達の友達の先輩、とかどこから漏れたかわからないような
情報だけでユカリにコンタクトをとろうとしているだけの男である。
年上の高校生と同じように、心の穴を埋めるような、
はたまた性欲の穴を埋めるためだけの
洗脳にかかりやすいと思われていることが腹が立つのだ。
ユカリも中学の時ほど男子からも女子からも毛嫌いされているわけではなく、むしろあろうことか今さらになって清純派とかピュアとか尾ひれまでついてそこそこ人気の女子にランキングされている。
しかしユカリ自体がその清純派やピュアというキャラクターから卒業したため、コンタクトをとりアタックする男のほとんどは発注ミスのような顔をして去っていく。
結局のところ、もしこのナントカ先輩を受け入れる方向で話が進んだとしても良くてあの中学の時の二の舞、見えない共依存関係となるだけ。
現実味があるのは発注ミスの顔をして去っていくのだろうと
確固たる自信があった。
寂しくないとは言わない。
彼氏、というより素の自分を愛してくれる誰かが欲しいとは思う。
だがそれが今、年上であってはならない。
どれだけ寂しくても、年上だけは駄目なのだ。
「その子ね、学校中から嫌われててもいいんだって言うの。
世界は学校だけじゃないって。今の俺らは学校か学校じゃないかっていう
狭い世界しか感じきれないって。でも一度外の世界を見るといろんな人がいるんだって、そんなことを言うの。」
ユカリはその言葉に大きく感動したのだ。
年端もいかな女子が変な犯罪に巻き込まれる理由が今はわかる。
そんな当たり前のことを目を輝かせて言うその高校生は
まるで自分が発見したことかのようにユカリに言ってきかせた。
ユカリはその年上の高校生に心酔した。
そのせいでユカリの人生はここで一段階ギアを落としてしまった。
「でね、今度はその高校生の先輩だっていう二人を紹介されたの。
その二人の先輩っていうのが、“外の世界”に住む人だった。
私たちよりちょっと年上で、もう二十歳超えてたと思う。」
同じテーブルの二人のうち一人は喉が渇いたのか入り口の自販機にいた。
いつの間にか席を立っていた。そのことにユカリは気づいてはいなかった。
もう一人は、座ったままユカリの話を聞いていた。
それ怪しくない?とか雀の涙ほどの警戒心を精一杯不快な表情で表した。
ユカリはそういう見えすいた清純派、常識派の真似事をするのが不快だ。
こういった女がサークルやらクラブやらで会った初対面の男と朝帰りをしたり、小遣い稼ぎにおっさんの相手をしたりするのだ。
でもそれを不快だ、と口に出してしまえばこの虚構の友人関係にヒビが入る。虚構の関係でもいないよりはマシ、最低かもしれないが
利用できるところは利用してやる、というのが
ユカリがあの年上の高校生との関係が終わり、地元から離れたあと
身につけた人生哲学だった。
「でね、その先輩たちはほんとうにはちゃめちゃで楽しかった。
真夜中の公園とか地元にあるテーマパークとか連れてってくれたの。
まぁ、ほとんどはファミレスだったけどね。
そのファミレスにはいろんな人が集まってさ、いろんな話をするの。」
自販機にいた友達が戻ってきた。
手にはパックジュースが握られている。
一日分の野菜がこれで撮れると書いてある。
本当なのだろうか。
「でもね、なぜかわからないけどその集まりもなくなってしまって。
あたしとその高校生も別れたの。
いや、別れてから集まりがなくなったのかも。どっちが先だったは忘れてしまったけど。」
食堂にいる人間たちがざわざわと動き始める。
次の授業へと向かうのだ。
だらだらとしゃべりながらリュックや鞄をみながだらしなく抱えている。
「あ、次506号室か、ちょっと遠いね。早めに行こうか。」
ユカリは二人を従えて食堂の出口へ向かう。
その途中にあるゴミ箱にパックジュースを捨てた。
もしかしたらペットボトル用のゴミ箱だったかもしれない。
ユカリはもうそんなことを気にする女ではない。
分別は大事だが、ゴミはゴミだ。ゴミ以下でもゴミ以上でもない。
ゴミはすべてゴミ箱に捨てられる運命なのだ。
ユカリは自分が社会というゴミ箱に、
大人たちによって捨てられたゴミだと自覚していた。
ユカリが持つ、何のブランドでもない安物の少しくたびれたリュックには
色が剥げて、ただのプラスティックに成り果てた田舎の方にあるテーマパークのキーホルダーがふらふらと踊っていた。