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担当を外された件

遂にやってしまった。
事の発端は先月のこと。 
お客様のご家族に対する態度で、お客様からリスケの電話を受けた時の私の対応が気に入らないと、度々クレーム。その期間は一か月以上に及び、一度しかその電話はしていないけれど、その記憶がお客様の脳内には鮮明に残っていて。
とうとう今週、担当を外せと言われ対応したと、直属の上司から聞いた。

当時、売れている営業職員の影響を目の当たりにして、私は自分の力を試したかった。それは事実。それが電話対応のどこかで発言に出てしまったのだろう。契約を取りたい。その強い気持ちの陰に、お客様の気持ちを汲む姿勢がどこか欠けてしまったのだろう。

電話で担当を外されたことを聞いて、電話口で自然と泣いた。悔しい。こんなことになって。自分にはなにも言われてなくて、私以外の方がすべて対応してくれて。

看護師としての傾聴スキルには自負があった。でもいまの仕事は看護師ではない。営業だ。患者さん-看護師の人間関係とは違う。相手の向き合いかたも。信頼ゼロからスタートなのと、信頼ありきでスタートは大違い。これをどこかで履き違えてしまった。
でも、その戻し方がわからない。
全部目に見えないところで起きてる。

どうしてこんなことになってしまったのか。  

直属の上司は、その現場にいた。その方から言われたのは、誰よりも私はアポ電もかけて、誰よりもお客様と向きあおうとしているのがわかる。だからこそこんなことを言うのは申し訳ないのだけど、やはりお客様の気持ちを汲む姿勢が欠けていたのではないかと。

あの時、なぜかヒートアップする自分を止められなかった。とことんやりこめる時の私のやり方が、何故かその特定のお客様に出てしまった。

なぜ、止められないほどの衝動に駆られたのか。

自分でも気持ちを振り返ったのだけど、ちょっと浅くて足りない気がして、急遽、時々相談するカウンセリングサービスに電話して、無料電話カウンセリングを申し込んだ。その時の担当は熊谷さんだった。

わたしは人に近づきすぎてしまう癖があるんですーと。

よくよく相談内容を整理して聞いてくれた熊谷カウンセラーは、それって、人に近づきすぎるというよりは、マリさんがお客様の話しを聞けてないってことですよね?と。

あれ?

はい。たしかにそうです、聞けていたら、ここまでのクレームにはならなかったかと。

では、どうして人の話しが聞けなかったんでしょうかね?  

、、、あれ?

これは実は娘からも最近指摘されてた。ママ、話すのは上手だけど、人の話し聞いてないよねと。

人の話しというのは、恐れとか不安があるとちゃんと聞けない。それが動機になって、買って欲しいとが営業しても、売れるわけがない。クレームにも繋がる。

マリさんの中で、嫌われたらどうしよう、とか、恐れとか不安があって、そこが根っこになってると、人は話しを聞いてもらえてる感じがしないんじゃないですかね?と。蓋をして自分とは切り離してしまっていると、その分人との距離が出来てしまいます。どうですかね?と。

恐れ?
不安?

、、、、、

幼少期、親に素直に甘えられなかった自分。
可愛いがってくれた誰かを思い出してください、と言われると、ふっと思い出すのは5歳の頃の保育園の工藤先生。いつも微笑みながらみつめてくれて、あの表情は40年経っても鮮明な記憶。本当に嬉しかったんだと思う。この人は、私のことをわかってくれている。子どもながらに、感じるもの。

その方に抱きしめてもらうイメージをする。この子はこんなこんなで、本当に可愛いんですよ、目に入れても痛くないし、頑張りやさんでね、、と言ってくれる姿を想像してみる、、、

それだけで、たったそれだけであっても、自分が本当に無条件に愛された記憶を振り返ると、満たされていくのがわかる。


常に、既成概念を壊して新しいものを取り入れたいと思ってきたけど、実は違ってたんかも。すでに自分の中にある、親に依存したかった自分、甘えたかった自分を、大丈夫だよって包み込んであげられることができたなら、自己嫌悪と共存していけるように少しずつなる、とある。

その自分は、蒼ざめた顔をしていて、体育座りして、話しなんか聞かない!と心をピタっと閉じている。触れると冷たい。息はひっそりとしかしていない。ああ、こんなにほったらかしにしてしまったのか、依存したかった自分、辛かった自分、甘えたかった自分。恐れ、不安の正体は君だったんだね。ごめんね。本当にごめんね。ひとりぼっちにさせて。もうひとりにしないよ。

嫌いな自分をバッサリ切り捨てることは出来なくても、てか出来ない。嫌いな自分さえも、取り込んでいけたら、質の違う変化が待っているらしい。

ここ数日、素敵なお写真を観たり、毎日泣いてたら、今日出かける時に小さな変化があった。

今まで、玄関まで娘ちゃんが見送りにくることはほぼなかった。それが、玄関の外まで来てくれた。ギリギリまでじゃれあってたおかげだろうけど、じゃれあうって、素になってないとなかなか出来ない。なんだろう、この感じ。

今回、担当を外されるほどの大事件を犯したおかげで、今までやったことのない、自分の中の恐れと不安の振り返りが少し出来た。

私の中に私がいて、成績残さなきゃとか、ちゃんとやんなきゃ、とかのルールがのさばっていたけれど、私は私と戦わなくていい。他人は私を幸せにしてくれるわけではない。私が如何に私をハッピーにできるか。

簡単なことのようで難しい。
でも、きっとできる。

担当外されて、外してくれて良かった。

こんなに弱い自分と向き合って泣いたことない。

その方のクレームのおかげで、弱い自分を大切に取り戻せた。

泣くと目がつらいけど、これからの幸せを思えばなんてことないね。


#人の話しを聞く

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マリ
常に頭の中に表現したいことで溢れている根っからの表現者です。いただいたサポートは創作のために大切に使わせていただきます。