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冬のまつり

私は今年もここにきた。

ただ、真っ白な土手にきた。

雪がちらちら舞う。

一年に一度だけ。

雪の降る日にだけ、彼に会える。

白い服をきた少年なのか青年なのか微妙な年頃の人が座っていた。

私を待っていたのだ。

高校で授業があったからどうしても降りはじめに来ることができなかった。

もう、うっすらと雪が積もっていた。

「今年は遅かったね」

透明で澄んだ声がする。

「ごめん。学校があって」

その答えに彼は笑った。

淡いクリーム色が入った金髪に銀の瞳、白くて暖かそうな服を着ていた。

この世のものとは思えない綺麗な瞳は私を見ている。

彼の声で切なくなる。まるで、雪が降った時のように。

「いいよ」

私は彼に抱きついた。

冷たいのに暖かい。雪みたいに。

「今年も変わらないんだね」

私の言葉に優しく微笑まれる。

だけど、気のせいか。

寂しそうにみえる。

「君はどんどん変わっていくね」

彼と出会ってから、十回の冬が過ぎた。

彼の姿は変わっていない。

いつか自分が彼の外見年齢を追いこしてしまのだろうか。

私はそんな不安に駆られた。

「いつまでいられるの?」

私の顔がそんなに寂しそうに見えたのか、髪をくしゃくしゃに混ぜられて優しい声が耳に響く。

「君が望むまで」

私は涙が溢れてくるのを感じた。

目の前が涙でぼやける。

知っている。

私は知ってる。

長くはいてくれない。

この冬が終わったら、雪が溶けてしまう頃にいなくなってしまう。

だけど、知らないフリをする。

「ありがとう」

自分を誤魔化して、会えてすごくうれしかったという涙にする。

涙は止まらない。

もうすぐ、私は彼が見えなくなるかもしれない。

大人になるから。

私が彼と出会ったのは十年前、私が六歳の時だった。

私は近所にある土手に座っていた。

眼前に川は流れを細めていた。もともと流れるためにあった川ではなく近くの川が溢れそうな時に放流する川だったから、水の量が少ないのは当然だけど。

その川が溢れるのを止めるための土手に小さな私は座っていた。

ランドセル背負って。

吐く息は白い。

そこに、ひらひたと一粒の雪が降ってきた。たった、一粒だけ。

「ちょうちょみたい!」

幼い私はそれの動きが蝶のように見えた。

するとその雪は蝶に形を変えた。

それは、今考えると子供特有の想像力だったのかもしれない。

「ちょうちょにかわったから、おにいちゃんにもかわらないのかな?」

兄は交通事故で亡くなった。

ずいぶん歳が離れた兄だった。

十歳は違う。

それなのに仲が良かった。

私は兄が大好きだった。

その時、奇跡が起きた。

雪の蝶は兄に姿を変えた。私の思い出に変わらぬままに。

「おにいちゃん!!」

その色素だけが薄い兄はにこりと笑う。

「茉莉」

私の名を呼ぶ兄は声もそのままだった。

「どうしてここにいるの?」

「茉莉が必要としているから」

「ひつよう?」

「そう。茉莉にはまだ難しかったかな」

兄が笑うと幼い私はうれしくて胸がいっぱいになる。

「遊んで!!」

そう言うと私は我慢しきれず走り出した。

「あんまり急ぐと転ぶよ」

兄の声が後ろから響く。

おかしいとは思えなかった。子供だったし、私はあの時、兄の存在が必要だった。

仕事で忙しい両親の代わりに私の面倒をみてくれていた兄が必要だった。

雪は積もっていく。

深くなり、私は、またあしたと言って兄に手を振った。

次の日も兄はその場にいた。

あっちにいこう、と言って土手の外に一緒に行こうと言っても、それは叶うことがなかったが。

「そっちにはいけないんだ」

兄が悲しそうに笑うので、私は結局その後、何も言えなかった。

雪が溶ける季節になると、兄は消えてしまった。

次の年も次の年も、雪の降りはじめたに彼はきた。

その頃になると、彼が兄でないことがわかった。

髪の色も、瞳の色も違う。なにより、彼の兄になった姿はあの時のままだったし、六歳の頃とは違い、兄が死んだことを、もう戻ってこないことを私は知っていた。

「あなたの本当の名前は何?」

一大決心をしてそう言うと、綺麗に笑うと彼はつぶやく。

「ないよ」

「ないの?」

「うん」

「なくて困らないの?」

「君が呼ぶ時に困るくらいじゃないかな?」

「私がつけてもいい?」

「いいよ。君しか呼ばないから」

「蝶。私はあなたのこと蝶ってよぶわ」

その頃からだ。彼が、蝶が、私のこと君って呼ぶようになったのは。

彼は、その時から兄ではなくなったのだ。姿は兄なのに。

兄である蝶が必要でなくなってきたのかもしれない。

内面的で、想像力が豊かで、なんでも話し合える友達がいなかった私には兄よりも友達が必要だったのかもしれない。

私はたくさんのことを蝶に話した。

蝶は、自分のことを一切話さなかった。

私がいろいろなことを聞いても笑って誤魔化すか、答えを濁すだけだった。

それでも、たったひとつの質問にだけは答えてくれた。

「蝶は雪なの?」

「そう、雪の蝶」

それがどういう意味なのか私には想像もつかなかった。けれど、とても重要なことだということはわかった。

「雪の蝶?」

「知らなくてもいい。むしろ君は学校生活を楽しむことを考えた方がいいよ」

今まで、聞くだけで私に意見したことのない蝶がそんなことを言うなんて信じられなかった。

「何よ、それ!」

その言葉がひどく胸に刺さった。

「君は自分がそれでいいと本当に思っているのかい?」

痛いことを言われて何も言えない。

「学校でも一人。両親には何も言えない。やりたいこともない。自分が悪いわけじゃなく、環境のせいにして、不幸だと嘆くだけで何もしない。君は本当にそれでいいの?」

いいわけない。

自分でもいいとは思っていない。

だけど、変えられない。

自分が変わることができない。

助けてほしかった。

ただ、ひたすら無償で助けてほしかった。

ここから救われることばかりを夢見て、自分では何もしなかった。

「恐がらないで。恥ずかしかったり、傷ついたりすることを恐れないで」

そんなの、わかってる。だけど、聞きたくない。私は必死で耳を塞ぐ。

ふわり、と抱きしめられた。

冷たいのに暖かかった。

気づいた。

蝶は、私のことを考えて言ってくれていたのだ。

いじわるを言っているのではない。

だけど、今それを認めるのは辛い。辛くて痛くて苦しい。

時間が必要だ。

雪の蝶、と言ってから、蝶には意思が確立したようにみえた。

「次の冬に」

蝶は消えてしまった。

まだ、雪は降っているのに。

それが、去年の冬だった。

「私、がんばってるんだよ。両親と話し合って、自分で行きたい高校に入った。高校に入ってから友達だって結構できたよ。もう、自分だけが不幸だなんて思っていないよ

」 「そう、がんばったね」

「だから、行かないで。蝶!」

「必要でなくなるまで、いるよ?」

「それはいつ?」

「それは君しか知らない」

「私にはわからないわ!」

「…雪の蝶は必要な人のもとだけに現れる存在だから」

「雪の蝶?」

「君はもう、大丈夫。大事な人がたくさんいる」

「あなたに会うとき、悲しい顔なんてしていたくなかったから、だからがんばったんだよ?」

にこりと笑うと蝶は消えた。

収縮して白く小さくなる。

一匹の雪の蝶がひらひら舞う。

雪はやんだ。

次の日は暖かくて、雪は残っていなかった。

今年は暖冬で、雪はあまり降らず、雨ばかり降っていた。

私はあなたがまだ必要だよ?

あなたは幻じゃなかったの?

あなたは私が作り出した幻じゃなかったの?

ねえ?

返事して。

雪の降らぬ土手で、私は待ち続けた。

手はかじかみ、息はやがて透明になる。

涙は凍る。

雪は降らない。

「ちょう……私、いくわ」

彼女は土手を離れた。

それは、終わりではなく、はじまり。

雪の蝶は存在している。

彼女の心の中に。思い出の中に。

そして、真実ほんとうに。

冬になり、初めての雪が降った。

彼女は、また土手にいる。

待っているのかもしれない。

だけど、もう二度とくることがないことを彼女は知っていた。

それなのに雪を見続けている。

「私、蝶に会えてよかった」

茉莉は目をつぶり微笑んでいた。

どこかで、雪の蝶は聞いているかもしれない。

「ばいばーい!」

茉莉の大きな声が響く。頬に当てた両手の親指に白い息が暖かい。

雪の蝶がヒラリと見えた気がした。



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