にじさんじ文化論「炎上の予兆。好感度の大切さ」
※注意書き
当記事における内容はにじさんじをコンテンツとして捉えた場合の一視聴者目線からの考察です。
「ライバー毎の人気には格差があるけど、どういう理屈でその差が生まれているのか」
「視聴者数を増やすにはどうすれば良いのか」
「コラボを通してどのような経路でファンが共有されるのか」
など私が通常のコミュニティでは発信し難いと感じた話が中心となります。
その為、時には「人気が乏しいライバー」、「こうしないと人気が出ない」といった書き方が一部に見られるかと思いますが、あくまでも個人的なコンテンツ的価値観と考察を行う仮定に付随するものであり、「私の言う通りに活動しないこのライバーが悪い」と言った責任追及を喚起するものではありません。
また文中に登場するライバーについて個人情報に繋がる類の考察は行わず、誹謗中傷やそれに該当するような個人の名誉を傷付ける意図は一切ありません。
「ライバー個々の活動スタイルや配信内容はそれぞれが自由に決めるべきものである」と言う大前提を承知した上で一つの読み物として捉えていただければ幸いです。
「Vtuberは炎上やスキャンダルとは無縁。」
などと吹聴したのは当時からVtuberを良く知りもしない一部のテレビ屋やメディアのみ。
そんな事はありえないと気付いていたはずだ。
この界隈でのトラブルや不祥事、炎上に繋がるやらかしの中には事前にその予兆が見える事も多いのではないだろうか。
中には明らかに危険な状況にありながらも、それを誰も止めなかったが為に羽目を外して大事にしてしまうようなケースがある。
界隈の気風か。運営への盲信か。同調圧力の元で目に見えた危険をひた隠し、諌める事をせずに見過ごして後の祭りにしてしまうのである。
にじさんじライバーの「星川サラ」の配信中での失言(誤解を与える表現)もその一つではなかろうか。
公式声明文でも言及はなされているが、こちらの文章中には処分については書かれていない為今回のは自主的な謹慎期間であろうか。
この記事では失言の内容や、処分の妥当性などについては取り上げる事はしない。
ここで問いたいのは、
「星川サラの炎上」は未然に防げたのではないか?
という事である。
というのも私の過去に投稿したnoteの記事内でも、「次に失言や謹慎をする羽目になるのは星川サラだろう」と予測している。
この流れからすれば今後予測出来る危険性は「星川サラ」あたりだろうか。
別段その事実を「ほれ見たことか!」と誇りたいわけではない。
誰にだって当てられた。
これは多くの人が予測出来た事態だ。
私は星川サラにやらかして欲しくて、今か今かと待ち構えていたわけではなく、むしろその活動と今後の飛躍に期待していた側の人間であった。
将来有望なライバーであるからこそ、自身の置かれている立場、危険な予兆に気付き、大事となる前に姿勢を改めて欲しかった。
星川サラというライバー
星川サラは去年の10月頃にデビューし活動1年の節目を迎える。
登録者は30万人。
この時期のにじさんじライバーの中ではトップの伸び率だ。
いつものようにデビュー配信をチェックする。
程よくセンシティブな見た目に合った可愛らしい声質。
キャラクター性の強い今時な喋り方。
卓越したコメント読みの才能や切り返しの鋭さ。
「絶対にウケるタイプのライバーだ」と思った。
何よりも活動に対しての意欲に満ち溢れている。
デビュー配信でのしっかりとした個性の披露、その後の配信での企画チョイスやゲーム選びといった嗅覚の強さ。
ツイッターを活用しての積極的な交流やファンアートを描いてくれた方に対しての姿勢、目立つためのアイコン等の上手な使い方。
歌動画を出すタイミング。デビュー早々での大会での活躍。
「にじさんじで上を目指す。自分の可能性を試したい」と語る彼女の姿勢に嘘偽りは感じられなかった。
自分をより魅力的に見せるための術を心得ており、多くのファンを魅了する素質があると感じた。
と同時に現状で満足せずに成長する事の出来るライバーでもある。
ファンからは積極的に意見を募り、自らに悪い所があれば改善してより楽しい配信になるように心掛けていた。
※通常待機枠のものでメンバー限定配信とかのコメントではないです。
朝活配信や英語動画、恋愛相談など試行錯誤を繰り返す。配信時間帯を工夫して、ソロ配信とコラボの比率が偏りすぎないようにとバランスを考えた配信をするような柔軟さも持ち合わせる。
ファンの意見が全肯定に寄り過ぎればこれを諌め、
メンバー率の高さに他の視聴者が気後れしないようにとコメント色を全て統一する。
歌配信では初見も参加しやすいようにとテンプレ的なコメントの連投に配慮して貰うように頼んでいた。
一見して予想されるようなキャラに反して、
活動への向き合い方は常に生真面目で良く考えられている。
こういった機知に富んだ女性のライバーというのは希少な存在だ。
にじさんじでは黎明期から特有の天性の素質と偶然的なバズりに寄っているタイプのライバーが多かったが、今の時勢で注目されて継続的な人気を得るには彼女のような強い上昇志向と積極的な姿勢が無くては厳しいだろう。
そういった意味ではここ1年程のにじさんじライバーの中で、最も登録者を伸ばしているのは妥当という他ない。
素質が有り、これだけの努力を重ねて来た。
第一の予兆「炎上への認識」
その一方で彼女のキャラクターやスタンスには"一定の危うさ"が見え隠れしていた。
初期の頃のにじさんじファンからの印象的には「御伽原江良」。(実際初期のコメント欄には"ギバラネタ"が多かった)
界隈を広く知っている人からすれば「神楽めあ」あたりを連想させていたのだろうか。
キャラ付けもあるのだろうが「性格は悪い」と自身でも認めており、明け透けで赤裸々なトークを武器にする売り出し方。
万人ウケしないというより、不快感と共に特定の層からの反感を買いやすいタイプではある。
炎上を面白がる層、ゴシップに期待する層からすれば新しい獲物の登場。
「こいつを監視していれば面白い事になるぞ。」といわゆる悪意ある切り抜きもすぐに拡散され易い。
実際「いつかやらかす」、「炎上しそう」とはデビューした当初から言われ慣れていたようだが、そういった自身へのヘイトの高さや低評価の多さなどもネタにしてやり過ごしていた。
この際に炎上した事をいっそ箔が付いたかのように吹聴していた点には以前から違和感を覚える事があった。
それと言うのもにじさんじ古参ファンとしての私の感覚ではこの時、
「星川サラは炎上していない」
そこまでの大事には至ってなかった。
本人の感覚的に言えばデビュー配信に低評価が多く付き突然標的にされてしまったのだ。
先輩や箱のファン、同期との関係性への申し訳なさなどもあり、炎上していると捉えてもおかしくない。
そういった状況ではメンタル的に辛く苦しいのも当たり前。
当事者が軽く捉えられる話ではないだろう。
しかし炎上というものは本人の認識よりも、”外からの反響”によって決まるものである。
アンチ系の切り抜きはほぼ誇張されたものであると判っていた。
人気が確立する前のデビュー前の素性を理由にした炎上などというものは、本当に確定的、致命的なものであれば「真堂雷斗」や「魔乃アロエ」のように排除される。
その程度の理性はこの界隈にも運営にも残っている。
初配信の低評価率も大目ではあるが、その場のノリによる半ば「低評価芸」のような雰囲気の中で増えたものが多く含まれていた。
あれが果たして「炎上」と呼べる程の規模だったのかと今でも疑問に思う。
なにせニコニコ動画などの一部ではにじさんじやVtuber界隈でその時に注目されている何某かに火を付けて回り遊ぶような悪ノリが加速していた。
当時の星川サラに対してのそれも似たようなものが含まれると感じた。
恐らくは「何か生意気そうな新人が来たからちょっくら揉んでやるか」、
程度の勢い盛んな注目株の新人に対しての、出る杭を打つ批判的な視線。
言ってしまえば、にじさんじあるあるの通過儀礼。
にじさんじの中でも狭い範囲でそういった視線を受けたに過ぎず、広い範囲に波及するような炎上の仕方ではなかった。
だからこそ星川サラ自身も徐々にデビュー直後の自身の風評については、「昔炎上しちゃってさぁ~」と自身の売りであるかのように何度も言いふらせるくらいのものになっていたのだろうと思った。
その点で言えば今回のネタに出来ない失言こそが本当の炎上であり、当時の炎上が言ってしまえば「炎上まがい」であった事を物語る。
この時点での星川サラは本当の炎上の怖さを知らないままに、
「自身が炎上を経験して克服したライバーである」
という自負に近い感覚を持つようになってしまったようにも考えられる。
この界隈の炎上は一部のアンチが粘着しているだけの取るに足らないもの。
この界隈の炎上はネタに出来る程度のもの。
と、”本当に炎上する事でのリスクを軽く見てしまっていた事。”
これが予兆の一つ。
第二の予兆「関係性」
他にも予兆はあった。
星川サラはソロでの活動はもちろん大事にはしていたが、コラボを積極的に行うタイプのライバーでもある。
引きこもり気質で壁を作り難ちなライバーの中にあって、比較的に”コミュ強的な性格”であり、知り合いや友達が増える事、交友関係の輪の広がりに喜びを見出すタイプの活動者でもあるように見受けられた。
こういったタイプのライバーの活動規範を考えるに当たっては、交流相手からの影響は無視できない。
初期の頃は前述したにじさんじ箱推しからの批判的な視線があった。
先輩ライバーからは「陽キャ」「にじさんじに居なかったタイプ」と半ば警戒の目で見られていたとも。
事実「黛灰」のファン層とは相性が悪いだろうと言うことでお互いに絡まないように配慮をしていたと後に語っている。
このように自身の良くない印象を察知したライバーはほとんどの場合、
そういった視線や風評を極端に無視するような事はしない。
相性の悪いファン層を持つライバーとの交流を避けた結果、
『自身と相性の良いライバーを交流相手に求める事になる』
やはりというか星川サラのスタイル的には
「何を言っても許される相手」
に寄っていくのが今後コラボをしていく上でも穏便なのだ。
それはデビューした直後から仲の良い間柄である「雪城眞尋」
それは「シェリン・バーガンディ」、「不破湊」のように弄られ役が得意な男性ライバー達。
それは自分を一番の推しと言ってくれた「夏色まつり」。
彼女の交流相手、コラボ相手は「星川サラの事を嫌わないでくれるファンを持つ相手」の方へと向かうことになった。
そんな彼女が最も頼りとして親しい関係になっていたのが、
同じく「ぶっちゃけノリ」を得意とする集団。
このリスクについては過去の記事でも触れているので詳しくはそちらも参照して欲しい。
その場の高揚感から犯罪自慢も武勇伝となるようなノリと言えば判りやすいか。
そんなチキンレース的な性質が蔓延している。
このような最近のにじさんじの大小様々な失言タイプの炎上の原因には、「他が言い難い事も言ってしまえる自分たちすげー」なグループの肯定感や、彼らが作り出す場での気の緩みが絡んでいるように思えてならない。
「星川サラ」の面白いと思うノリや、尊敬するライバーが「神楽めあ」、「犬山たまき」、「郡道美玲」などのタイプである限りそういったグループに属する事は必然的だったのかもしれない。
この横の繋がりには
「他のライバーなら言えない事をぶっちゃけるのが売り」、
「失言をネタにするのは面白い」
「炎上は話題になる」
と言ったノリが見られた。
もちろんこれらのノリも確実に人を選ぶ要素がある。
「郡道美玲」などは顕著だがにじさんじという多くのファンが混在する大所帯の中では他のファンからのヘイトを買い易い立ち位置だ。
スタイルがスタイルなだけに、今か今かと揚げ足取りに近い監視の中で炎上を期待され、ファン層の異なるライバーのファンからは「コラボをして欲しくない」対象として拒絶の憂き目に合い易くなってしまう。
だからこその『同族意識』
ぶっちゃけノリ、失言を武器にする、炎上をネタにするタイプのライバーが集まる事でそこには相互扶助や慰め合い、時には悪ノリのような作用が生まれる。
彼女はコラボに積極的ではあるものの、元々先輩後輩の上限関係を軽んじる事はせず、相手に合わせて自身の過激な言動をセーブするような立ち振る舞いや謙虚な姿勢自体は持っていた。
だがこういった見るからに周囲との交流を大事に捉えるライバーにとって、交友関係やコラボ相手から受ける影響は大きかったのではなかろうか。
交流相手に影響されてより悪い方へと向かった。というのは些か責任転嫁が過ぎるだろうが確実にそういった作用は見られた。
ソロの時よりもこういった相性が良いグループとのコラボを通して、
より過激なネタを連発して羽目を外す傾向にあったからだ。
それこそ「炎上流星群」などは判りやすく自分達は失言や汚物ノリ(自称)をしていくから嫌いな人は見ないでくれ、大目に見てくれという意味での「予防線的な割り切ったネーミング」であるようにも見受けられる。
なので正しくは影響されたというより、元々は緊張感の中でセーブを効かせて活動出来ていた部分が同類、同族を見つけた安心感からリミッターを外すようになった。
と受け取るべきか。
意気投合したコミュニティの中では、同じく叩かれやすい同僚や同業者に親近感を覚えると共に、自己の立場を鑑みて重篤な問題だと反省するような視点を失い「この人も同じ被害者なんだ」と安心してしまう。
仲が良い同僚「夢追翔」の失言からの休止を見てすらも、同じく仲の良い同業者「犬山たまき」とのコラボで禊と称して許され合う流れの中では、身を引き締めるきっかけには全くならなかったのかもしれない。
※個人的には迷惑を掛けてしまった、ファンに申し訳が立たないと「禊」を行うならば、やらかした張本人が企画(反省の意を表現できる)をしてファンを楽しませるために主体的に動くべきだとは思う。
実際の所「グウェル・オスガール」、「甲斐田晴」の炎上などの大半は言ってしまえば罪とも言えないような物が多い。
こういったファンのゴタゴタの中で発生したタイプの火種や批判的な意見は、ライバー同士の仲間意識の中でこれを軽く受け止めて茶化したり、意趣返しを行うような風潮が度々見かけられる。
彼らが炎上した際には慰め半分、茶化し半分と行った感じで率先してこれらもネタにしていた。
そういった行為はたしかに面白く小粋だと感じる人も多い。
ネタに変えてくれる事で心理的にも立場的にも救われる事はある。
炎上や失言をエンタメに使えるというのは美味しいポジションだ。
一方で本来問題にしていた層の感情を置き去りにしたまま、何も問題は無いと思っている層からの支持を増やす事で有耶無耶にするという行為でもある。
グウェルのラジオはエンタメに昇華されたが、この一見から「ヒールキャラ」的な立ち位置に率先して立ちたがり、ARKの戦争中には「プロレスにしてもやりすぎ」と取られるような報復的行動に出た事で再度の反感を買ってしまう。
ウケが良くて面白がられた結果のやりすぎ。
仲間内で過度な弄り企画を続けた「緑仙」の炎上と路線変更もそういった感情を軽んじて爆発させた結果のように思える。
活動を通して界隈の数々の下らない炎上を見聞きし、しかしそれをコンテンツとするライバー達の輪の中に身を置く事で、「炎上しても誰かがネタにしてくれる」とタカを括ってしまうような姿勢を強固にしてしまった部分があったのかもしれない。
仲の良い「緑仙」、「夢追翔」、「郡道美玲」、「神田笑一」などが相次いで失言や炎上、謹慎をしていた時点で星川サラも時間の問題となっていた。
これほどに判りやすい予兆はないだろう。
普段これらのライバー達を見ていないようなリスナーからしても、
「あの周辺やばくない?」と思われても仕方がなかった。
第三の予兆「ファン層」
ここまでくれば予兆を感じ取れる人は相当数いたはずだ。
「星川サラ危ういぞ」と。
しかし、この危うさは身内からはあまり指摘されず気付け無かった。
上の図を見ても判るが星川サラと強い交友関係にあるVtuberのほとんどが、コラボを数多くこなし、主にコラボによって登録者を増やしてきたタイプの『コラボ主体のライバー達』
コラボで登録者を増やす。単純にコラボが楽しい。仲良しを増やしたい。
理由は何だって良いがコラボを活動の主体に置くタイプのライバーが最も頑固になり譲歩をしなくなるのが自身のコラボに対しての姿勢だ。
あの人とコラボするのはやめて。
こういうコラボは嫌い。
という我儘なファンからの意見は「私がどんな人と付き合おうが勝手でしょ」と最もなスタンスで一蹴される。
正論ではあるが、コラボの回数が多いライバーが主張する事で、既存ファンの継続的な切り捨てに近付いていく。
元々コラボというのはファンを増やす作用ばかりではない。
既存のファンが見限るきっかけにもなりえる。
コラボ型ライバーの多くがその登録者ほどにソロでの視聴者数が見込めないのは、それだけ去る人も多く定着するファンが少ないからというのが理由の一つに挙げられるだろう。
本人は全肯定以外を切り捨てるような事はしていなくても、
『コラボを理由に合わない人が逃げ出しやすい。』
というのがコラボ型ライバーの基本構造にある。
そうした山を乗り越えた者達がコラボ型ライバーの身近なファン層となる。
推しが何をしても受け止める精鋭中の精鋭が残る。
ソロ型ライバーに多い「ユニコーン的な狭量さ」と反対に位置するものでありながら妄信的な姿勢は変わらない。
コラボ相手を尊重する寛容で理想的なファン層。
寛容さは裏を返せば全肯定的だ。
そのコラボを肯定出来ない、コラボ相手を許容出来ないような人が消えていった結果、誰とどんなコラボをしても構わないファン層が残っただけ。
とも考えられる。
つまり炎上や失言をネタにしても問題ない環境。
星川サラのファンも同じく過激なノリに寄っていくコラボや交流関係、そのノリを苦々しく思うような層から消えて行ったのではなかろうか。
あるいは思っていても、彼女の好きなものを尊重して、対外的な風評の為に口には出さず黙して我慢するような状況にあった。
結果として、星川サラの今の危険性を理解出来る人程、星川サラから離れていったように思える。
推しが炎上して痛い目を見る姿など誰も見たくはないのだ。
かといってそれを忠告した所で無駄な事がわかりきっている。
ならば距離を置くしかない。
こうして「汚物ノリ(自称)」「ぶっちゃけノリ」が合わずに去る人がいる一方で、コラボを通じてこれらのライバー、グループからのファンの流入と共有は率先して行われた。
「ぶっちゃけノリ」を面白いと感じるファン層。
「過激な発言」で話題を作る事に異を挟まないようなファン層。
「炎上をネタ」にすれば禊が行われたかのように錯覚するファン層。
甲斐田晴を軽々しく呼び出した事をろくに叱ってくれないファン層。
やらかしの予兆を見過ごして、むしろ危険なノリを求めるファン層に比率が寄ってしまったのである。
ファンがこれを喜んでくれる限り、ライバーは応えようとする。
星川サラ自身は全肯定は良くない事だと思っていても、頼りにして縋った先はぶっちゃけノリを寛容に迎え入れる層であり、登録者を増やす過程で自身の危険性をスルーしてくれるようなファンに支配された。
これが3つ目の予兆。
第四の予兆「にじさんじのクリーン路線」
本人の炎上に対しての認識が甘くなっていた。
むしろ似た者同士が集まって危ないネタに寄りかかり、仲の良い同僚達がやらかす程にこれを軽く見てしまった。
ファンもそんなノリが見たい人ばかりが周りに集まっていた。
だとしても。
にじさんじやVtuber界隈、彼女の立場が”デビューした時から変わらず”、
案件を今ほど抱える事もなければ、今回の失言もそこまで大きく取り沙汰されず深刻に受け止める事態にはならなかった可能性はある。
最後の予兆はにじさんじ全体の『案件増加に伴うクリーン路線』にある。
言ってしまえば周囲の環境や自身の立場の変化だ。
今のにじさんじは常に多数の案件を抱える箱となっている。
ライバーの夢や自己実現を活動の主体とする場になって来ている。
もちろん「電音部」やアパレルグッズの案件を貰った星川サラもその一人。
案件の増加は判りやすくクリーンさを求められ、人気になればなるほどに、仕事が増えれば増えるほど「ぶっちゃけノリ」や失言でのリスクは水面下で高まり続けていたのだ。
界隈での対外的な視線も軽視できない。
他のVtuberや個人勢が言うならば許されても、にじさんじやホロライブが言えば許されないという、大手ならではの敏感な視線がある。
単純に注目度が違っている。求められる規範が違う。
同じやらかしでも立場や影響力によっても反響の大きさや許容される範囲は異なっている。
Vtuber全体で不祥事が増えれば増えるほど、界隈大手のにじさんじは「同じ穴の狢」でない事を示さなくてはならず、そうでなくても比較的にマシなポジションで在らねばならない。
今のにじさんじへの世論的な感情には「他社と違ってしっかりとしている」「界隈の模範」的な期待感すら見て取れる。
他社運営のやらかしからの対応が悪いとされている世情だからこそ、それらよりも厳正な処罰や誠意ある対応が求められる。求められてしまう。
箱のスタンス的にも不祥事から生まれる『悪評』を置き去りにする程の爆発的な新規獲得力は無く、こういった期待感を違える事は致命傷となる。
何より案件で活きていくような路線を取るならば”信用は絶対に落とせない”
運営にしても多くのライバーの夢を叶える為に、こういった箱への良き評価を維持する必要が出てくるはずだ。
にじさんじがクリーンに見られる中で、所属ライバーが過激な方に寄った。
にじさんじを取り巻く状況の変化と、星川サラの得意とする路線が噛み合わなくなっていたのが最後の予兆だ。
簡単に言ってしまえば、にじさんじはヒカキン路線に向かっているのだから他に迎合してラファエルやヒカルみたいな際どい活動をしては不味い。
「クリーンな活動が求められる人は危ない橋は渡れない」っという当たり前の話でもある。
だが、にじさんじという箱や事務所が勝手にヒカキン化して担がれようとも"ライバー個人の認識上"では、自分をVtuber界隈のヒカキン的な立場に置いて考える事は難しく、今後多くのライバー達がこの問題に直面する事となるだろう。
◇
まとめ
1.「デビュー初期の小規模な火種」
→『自分は炎上を克服したと錯覚する"余裕的"な態度』
2.「自身と似たようなノリの同僚や過激な発言を売りにした集団に属する」
→『失言や炎上を仲間内で茶化すような"ノリ"に傾倒した』
3.「コラボを通じたファンの流動」
→『予兆をスルーし、危うい路線を支持する"ファン"の比率が増えた』
4.「にじさんじ自体の案件主体でクリーンなイメージの増加」
→『以前よりもぶっちゃけノリや失言の"リスク"が増していた』
こういった炎上カウントダウンが始まっているのをただ見ているファンの気持ちはどこにあったのか。
そこで先頭の問いに戻るのだが、
「星川サラの炎上」は未然に防げたのではないか?
私の答えは不可能だ。
予兆は数多く有ったがこれを本人に知らせ、気付き、改めるのは難しい。
炎上やそこからの謹慎を予想出来ていながらも、何も出来ないという焦れったさはあった。
と同時に、「一度やらかさない限りこのライバーは気付かないだろうな」とも。
ならポジティブに考えて、ここを一つのきっかけとし今後の活動に活かす方に期待するという見方も出来る。
これも正直ライバー本人が決めることでしか無いが、私なりのベストな事後対応、今の環境下での現実的な炎上リスクの回避策を述べる事が今回の記事の主題だ。
見えない地雷
この手の炎上の多くは「被害者」の見えない炎上。
実際には怒っている人がほとんどいないにも関わらず、「炎上している方が面白いから」と大事になるケースもある。
正直、反省して改善すると言っても何をどこまで改めれば良いのか。
発言内容にどの程度気を付けていたとしても際限がない。
本来そこまで厳粛にチェックされない、緩い空気で行われるネットでの生配信的な活動が多くの人に注目された事の特異性。
どれだけコンプラ研修を受けたとしても、週に何十時間と配信をする中でタブーを全く犯さないとは言えない。
特にVtuberには「隠す文化性」と「演じる文化性」がある。
実在する人間なのか。
バーチャル(仮想的に演じられたキャラクター)なのか。
ある種、演技をする事と嘘を付くが表裏一体にあるような職業。
自身のキャラクターを面白おかしくする過程での”嘘松的な盛った話”が、
実際のものとして先輩側ファンのタブーに該当してしまうという場合もある。
元SEEDs1期生としてデビューした「安土桃」が初期に躓いた一件などはこれが大きい。
どれだけ気を付けても、誰かしらの地雷を踏んでうっかりで語弊を生むという事も考えられる。
デビュー初期の新人にしてもそうだがにじさんじという巨大なファン層からの『好感度や信用がまだ低い段階のライバー』や、キャラクターの個性的に喋った事の何でもかんでもが、”悪意ある視点”で見られやすいというのは一つの不利だ。
一例を挙げれば、「ASMR配信をするのは安い女発言」
ニュアンスを捻じ曲げ過程を端折る悪意ある切り抜きの筆頭だろう。
自分の声、ASMRには需要があると判っている。
それを求めるファンの要望が多いのも判っている。
だからといって求められるものを、求められるようにすぐさま提供するのは自分の流儀、活動方針ではない。
という程度のものであり、「安い女と思わないで~」に掛かっている箇所はASMRではない。
この発言で=「ASMRをしている人を安い女と見ている」と繋げるのは無理があった。
星川サラをよく見ている人ならば、このライバーが先輩リスペクトに篤い姿勢があったのも知っているはずだ
ASMRを良く聞く側というのも配信上で度々言っている。
前提情報のあるファンならばまず誤解しない。
だがそれ以外の星川サラをよく知らない人の一部には、「他のVtuberの悪口を平気で言いそうな奴」という認識があるのだろう。
そういうキャラで性格だと。
これが印象であり、好感度だ。
炎上に繋がるのはファンからの好感度だけではなく、むしろそれ以外からの好感度だったりする。
だが赤裸々なノリや際どいトークを売りにする事は星川サラの活動とキャラクターの根底に根ざすものであり、これをやめるという事はある種の個性を放棄するに等しく、ほとんどのファンも求めてはいないだろう。
燃やしたがる人達にしてもそのバカさ加減、その理不尽さをいくら指摘しようとも直るものではない。
それらは人気に対して付随するものであり、タレント的活動者はそういったやっかみや難癖の渦中に身を置く職業だと自覚して活動をするしかない。
ならば大本の発言内容に関してはただ最大限"気を付ける"という他にない。
『それ以外の部分での炎上リスクを減らすしかない』
仮に失言やそれに近い発言をしたとしても、
”大事にしないような立ち位置に居る事”の重要性が見えてくる。
自らの個性を保ちながらも出来る限り印象を良くして、「要警戒対象」の範疇から外れるか。
言ってみればヘイトタンク(敵意の的)に立ってはならない。
全く同じ失態でも、月ノ美兎や本間ひまわりのような看板的なライバーがやらかすのと、目立たない下位のライバーがやらかすのでは確実に反響に差が出る。
身も蓋もない事を言えば人気が低い、注目されない、看板の重さを背負わないポジションに立てばそういった意味では多少は自由な活動ができる。
「目立たずひっそりと活動する」これも一つの対処法である。
しかし、星川サラのように人気になりたいライバーにとっては目立たずに注目を受けないポジションでいるのは本末転倒だろう。
人気になれば様々な思惑の視線からは逃げられない。
人気になる程に規範を求められるのが必定。
だからこそ『好感度』が必要になって来る。
この界隈の炎上なんてものは、ライバー側の本音や真偽よりも「周囲からどう思われるか」という点が強いのだから印象如何で変わる部分が大きい。
芸能界から学ぶ好感度の大切さ
芸能人などのスポンサー相手の商売は特に顕著だが、同じようなスキャンダルを起こしても『好感度の差』で復帰出来るかどうかが決まるようなケースは多い。
吉本の闇営業で芸能活動を謹慎していた「ロンブー亮」と「雨上がり宮迫」を例にとれば判りやすいだろう。
ガチ目に反省の態度を出していた亮と、嘘泣きと思われてしまった宮迫。
亮は元々の人畜無害なキャラクターと、騒動後にもこれを厳粛に受け止める姿勢を示し、相方や多くの関係者からの口添えの元で復帰が叶った。
一方で活動の場所をYouTubeに変えて、"炎上を餌にする相手"からの誘惑に乗ったのが宮迫である。
「反省していない」と取られ、好感度を下げたまま芸能界への復帰の道を閉ざした。
先輩の松本人志らから「今は大人しくしておきなさい」と言われたのにも関わらずだった。
「TKO木下」にしても本来の居場所で炎上したからと、別の場所で「それをネタに稼ぎます」みたいな態度は快く思われない。
このケースで業界復帰を目指す宮迫に必要だったのは、悪い意味での注目度をネタにする立ち回りではなく、『本来テレビで宮迫を見るような層』に対しての反省の意、”好印象を付ける立ち回り”だったのではないだろうか。
何よりコラボ相手の「ヒカル」のようなグレーゾーンやチキンレース的な話題性を動画に使いがちな場では印象が改善される事は少ない。
「ヒカル」のファン層からは好かれても、「雨上がり決死隊の宮迫」を見ていた層には何も良い印象をアピール出来ていない。
ロンブー亮が元のコンビや元の居場所での選択を取ったのとは対照的なのだ。
こういった他業種の例はVtuberには関係がないと思われるかも知れないが、ゴシップ、スキャンダルに対しての見る人の感情、野次馬のリアクションというものはどの界隈であっても凡その所で共通している。
YouTuberやVtuberも広義でのタレント化が著しく、にじさんじが案件主体で売っていくならば尚の事こういった事例からも教訓やヒントが得られるのではないか。
効果的なのは炎上前との姿勢の違いを判りやすく示す事。
コラボという誘惑
とりあえずVtuber界隈でも”コラボの自粛”は判りやすい姿勢となる。
「責任を感じている。反省している。」と受け取られる。
初期から数多くのVtuberの炎上を見ていれば、炎上した後の足早のコラボは下策だと理解できるだろう。
「やらかす」事を半ば期待され、穿った視線で見てくる人を引き連れて来るその場のリスクの増加。
コラボ相手が良くても、コラボ相手のファンが不安に思う。
コラボ相手のファンが許容していても、注目している野次馬が咎める。
「炎上したくせにすぐコラボとかあいつ反省してねーな」と見られる。
そうした厳しい視線や反応が判っているからこそ、コラボの自粛によって反省の姿勢を示すというのが定石となっている。
では、単純なコラボ自粛という選択がベストな対処法なのか?
もちろんこれは誰しもが思い付くような選択だ。
大切なのは自粛する立場だからこその”誘惑への対処”である。
今後の星川サラもしばらくの自粛ムードによってコラボは確実に減る。
彼女はそこまで無神経で無責任な人間ではなく、本人が周囲に対して責任を感じるからこそ自分からは同期以外の事を滅多に誘わなくなるはずだ。
と同時に”誘われる場合には救われた気持ちになる”
「今のこんな私を誘ってくれてありがとう」と。
そして、今の星川サラを誰が誘うのか。
これは見え透いている。
もちろん一つは同期。
これは周囲からも親愛故と見なされる為、同期愛的な印象によって好転するきっかけになる。
問題になるのは、
同類の炎上した人や「炎上したという属性」を企画の話題性に使いたがる人からの誘い。
YouTuberの中でよくやる炎上した同士の集い、『ヒカル的な誘惑』だ。
誰それの事をヒカルの同類だとか言っているわけではなく、
自らの炎上をネタにするようなコラボを行って、ぶっちゃけノリを得意とする集団と共に「気にしてないぜウェーイなノリ」と、自身の悪い印象を餌にして数字を稼ぐような活動を見せるならば、好感度が上がることはない。
それこそ星川サラが甲斐田晴をネタにしてやるつもりで優しく手を差し伸べていたとしても、逆にこれが甲斐田晴の立場を悪くする結果になってしまってたのが良い例だ。
甲斐田晴の最初の炎上理由は、ざっくり言えば「自分の配信枠を取らなくて良い」とファンを蔑ろにしながらの軽率なコラボとライバー意識の低さ、その後の謝罪文が「ライバーと遊ぶ為ににじさんじに入った」と曲解され易いものだったという割と軽いやっかみ程度のものではある。
しかし火種が燻っていたこの後の自身の個人配信の最中に、星川サラから急遽呼び出され、凸に近い形でコラボを行った最中での失言が更なる炎上と自粛に繋がってしまっている。
単純に理由としてはその場のプロレスの流れで飛び出た差別発言が最も大きな理由だが、その前のやらかしと同様に個人配信のファンを蔑ろにして「結局ライバーと遊びたいだけじゃん」と取られてしまったという点が印象を悪化させていた。
これも星川サラが相手を助けるつもりでネタにしたものの、その炎上した理由と経緯をそこまで詳しく把握せず、下らない炎上と軽んじて知ろうとしなかったから大事になった例かもしれない。
”仲間意識や善意からの誘い”であろうとも、その誘いに飛びつく事が良い結果に繋がるとは限らない。
何よりもこれを自身が証明しているのだ。
こういった自粛中での誘惑は耐え難いものだと想像出来る。
炎上をして辛い立場だからこそ心に空きも生まれるかもしれない。
「気持ちは理解できる」と優しく手を差し伸べてくれる人は居るはずだ。
だが、それがお金や数字を動かす「コンテンツ」として配信される時点で、
"周囲からどう見られるか"を意識するべきだ。
はっきり言って優しくしたいだけならば裏で内密に励ます事が出来る。
配信や動画にしようとする時点でそこには別の意図も介入している。
何よりも周囲の視線。
失言で炎上して反省、謹慎、自粛をしていたはずの人間が、
炎上しやすい集団と共に行動を取って、今までと変わらず過激なネタを言い合う場に参加していた場合にどう見られるか。
ざわつく。そして冷ややかな視線。
その位置に立ち続ける限り、どうしたって「反省していない人」「安心して見ていられないライバー」の枠に収まり続けるのではないだろうか。
まずはそういった立場に立ってしまう事の不味さから改善しなくてはならない。
好きな相手と表で見せるエンタメの範囲はまた別と割り切らねばならない。
Vtuberやにじさんじは1つのカテゴリーとして括られるが、皆が平等な位置に立っているわけではない。
環境も立場も方針もファン層も違う。
活動方針が違うにじさんじ以外の外部の人。
案件などは当てにしてないVtuber。
今以上の高みを目指していないライバー。
等にとってのそういったノリは心地良く効率的な手段なのかもしれないが、
”にじさんじで上を目指す過程ではネックになる”
と弁えなくてはならないだろう。
郷に入っては
”グループや関係性で見るものを選ぶ”、
”グループや関係性で印象を決める”のがにじさんじファンの特徴。
人数が多すぎて個々を隅々まで精査するのはめんどう臭い。
ぱっと見の関係性やグループで括って見てしまう。
これらの習性は人気のあるライバーと関係性が深ければ人気になり易く、
人気があまりないライバーとしか仲良くなれないと人気が低迷したまま、
という状況がある以上は、今切っても切れない問題として偏在化している。
この作用がある為、同様に不良的に見られる活動(にじさんじ基準)とその周辺相手への依存度が増していく程に周囲からの見る目は危険人物的なまま、どれだけ頑張っていても好感度の高い領域にまでは浮上して来ない。
叩かれやすいポジションに立ってしまう原因には、関係性を持つ交流相手の存在と、その企画内容などから推察出来る、危うい立ち位置に属する事への警戒的視線がある。
神楽めあに憧れて、犬山たまきを頼りにして、夏色まつりに好かれて、郡道美玲が大好きで、緑仙を慕い、神田笑一を兄と仰ぎ、夢追翔をパパと呼ぶ。
という関係性の図と立ち位置で失言を売りにするノリの渦中にいながら、
「信用されるライバー」「好感度の高いライバー」の枠で見られるのかという話。
一人一人とただコラボをしているだけなら別だが、企画内容などがあまりにもそちら側に寄りすぎて危険な事をやっているようなイメージが固定される。
もちろん他にも同期や仲良しは居るのだが、そちら側のイメージは絵の具で言えば黒色だ。濃く強く、印象を染め上げる。
やらかしや不祥事絡みの話だと「葛葉」なども同様にやらかしてるのにそこまで大事にならず、これを人によっては理不尽だとか思うかもしれない。
女性ファンが云々とか思われるのだろうが、実態はこういった部分も加味されているのではと見ている。
葛葉というライバーは乾伸一郎に憧れて、叶や魔界ノりりむに救われ、歌衣メイカを先輩にして、プロゲーマーのすももを慕い、勇気ちひろと絆を深め、本間ひまわりを姉にして、社築とドーラを両親にする。
関係性で見た時に周囲のライバーには信用や好感度が強い。
同業者の輪の中からの好感度だけではなくその外側からの好印象を備える。
彼らが「葛葉って裏ではこれこれこうで、実は良い奴なんだよ」と言えばそれだけで印象は良くなるだろう。
そういった集団に属しているという強み。
言ってみれば『亮に対しての敦的な存在』が周囲に沢山居る。
彼らの存在はある種の”保証人的立場”にあり仮に炎上しようとも、
一緒に好感度の高いコンテンツを提供する事である程度の印象悪化は乗り越えられるのである。
この葛葉というライバーはある意味では真逆だ。
過去に炎上をしたから”炎上を恐れる”。
「炎上にビビる吸血鬼」というキャラクターを作り上げて認知された。
にじさんじに入って再度炎上し掛かれば叶以外の誰ともコラボをしなかった。
初対面のコラボ相手にはコミュ障的になり、相手から来るのであって葛葉からは行かない。
奥手な姿勢、あくまで受動的。
配信内容もほぼゲーム。
目的はただゲームをすることや、ゲーム実況で楽しませる事であって、ギリギリの危ない発言をする事が企画の主題にはない事が判る。
実際に危うい言動をしても本意ではない。と思わせるような立ち位置に立っている。
「炎上を歓迎するキャラクター(と思われている)」と、
「炎上にビビるキャラクター(と思われている)」だったら、
当然ながら印象の回復が楽なのは後者のビビり的姿勢のキャラである。
炎上に対して回避的なキャラクターの救済には綺麗所のライバーだって使えるが、炎上をネタにしたがる前向きなキャラクターの救済には同じタイプのライバーしか使えない。
星川サラにとってのシスター・クレアは仲は良いが、しかし今このタイミングで軽率にコラボが出来る相手ではない。
何より星川サラは自身の悪評が波及する事を恐れて距離を取る。
一方で、星川サラに近いタイプ。
仲が良い紫円の人達は優しく相談に乗ってくれるだろう。
炎上をネタにもしてくれるだろう。コラボもしようと言ってくれる。
星川サラも「この人達ならば大丈夫だ」と思うかも知れない。
緑仙や犬山たまきなどが誘い、夢追翔や郡道美玲と共に「僕たち炎上しちゃいました勢」で集まって、禊と称して何かしらの企画をするという流れはこれまでの流れからも想像出来る。
こういったコラボ自体は当たり前のように話題性があり衆目を引きつける。
数字は出るかも知れない。
良い反響が増えることで、禊になったと思うかも知れない。
しかしそういった企画や集まり方は、
”本人の好感度を上げる働きを持たない”
むしろ周辺以外からの警戒を強め、反省の色を無くす行動にも映る。
もちろん好きな相手とは仲良くすれば良い。
好感度で見られたいからと好きでもない相手と仲良くしたり、相性が悪い方へと行くのも苦しいだけの選択だ。
星川サラには星川サラの好きなものがあり、それが今の界隈の好感度的視線では多少の不利であったというだけ。
誘惑をしてくる人が悪人だと言っているわけではない。
コラボ自体はしても構わない。
『付き合う相手を選んだほうが良い』と言うよりも、
『今の自分の立場を鑑みて、コンテンツとして提供して良いもの』
は選ばなくてならない。
それこそ「赤井はあと」や「夏色まつり」とのコラボなどはお互いのファン層に配慮した普通の仲良しコラボの延長であり、別段危うい発言を引き出すような場ではなかったように思う。
郡道美玲や犬山たまきとコラボをしているライバーも数多くいる。
コラボをしたからと言って=危うい発言をしそうな立場だとはならない。
事実「郡道美玲」、「夢追翔」、「リゼ・ヘルエスタ」、「町田ちま」で行われた「にじさんじマスコッツ」という企画には何も危うさがない。
終始ギャグ時空的であり、多少の失言があろうとも「本人ではなくマスコットが言ったこと」と誇張された演技で乗り切れるだけの言い訳が効く場を形成出来ている。
失言したり、炎上したりする人が参加者に居たとしても、その場のノリが本人の悪印象を引き出すようなものでなければ安心して見ていられる。
炎上に繋がるような「ぶっちゃけノリ」の多くはそういった”仮想的なRP”という言い訳を遠ざけている。
ありていに言えば生々しい。
キャラを演じているのではなく本人である事を強く強調する。
私が、この自分が○○出来る、言えるから凄い。という売り出し方だ。
わざと目立つようにタバコを吹かして
「他人の迷惑を考えない自分は凄い」
「こんな過激な発言が出来る自分達は他と違う」
というような態度を取るから危険視されるのだ。
そういったノリを重ねることで、普段の発言も悪意が先に立っているものと曲解され易い立場になる。
過激派集団が集まってようが、
やることが『ボランティア』や『きぐるみショー』ならば悪印象にはならない。
少なくとも失言や炎上を一度起こして自粛期間のライバーは、その印象が拭えぬままにこれをネタにするような集いや企画に参加するのは得策ではないだろう。
にじさんじの輝く一番星
この世の中には過激なネタで売るようなYouTuberもいれば、子供向けに教育番組のような安全安心を心がけるYouTuberもいる。
自身のアプローチしたいファン層に向けて、どこまでセーブしてどこまで羽目を外すかは本来ならば個々人の判断で調節して行けば良い話である。
だが、にじさんじの形態はグループYouTuberにも近い。
「UUUM」などの事務所とはまた違いYouTubeのアカウントとキャラクターの権利自体が会社に強く帰属する立場。
ファンに対しての「にじさんじだから見てもらえる」といった視線誘導は強く、言ってみれば100人組のグループYouTuber的な側面を持つ。
”100人の中の1人がやらかせばその風評はグループ全体を傷付ける”
今後にじさんじのクリーン路線とそれを求める声に伴って、ライバー側は今まで以上に「清貧さ」や「好感度の高さ」を求められる事となって行く事は予想出来る。
同時に「ぶっちゃけノリ」「炎上ネタ」「失言」などの好感度を下げかねない、『リスクを武器とする売り方はライバーや箱の立場を悪くする。』
やらかすライバーや今後やらかしそうなライバーは、箱の内側の人達からすれば『ブランドの価値を下げて推しの案件を潰しかねない存在』とみなされる。
にじさんじやVtuberを快く思わない人からすれば単純に付け入るスキとなる。
双方からこれまで以上に強く監視をされ、失言が無いかどうかを事細かくチェックされるような息苦しさを味わう事になってしまう可能性が高い。
そうした時、にじさんじでやらかした、誘われ難くなった、他のファンとの折り合いが悪くなったライバーの多くは、宮迫のように外に逃げるような立ち回りに向かう。
外とは外部という意味でもあり、内部においても中心からは距離を取り、
多くの視線から逃れる方に向かう。
ツイキャスにしても、メンバー限定配信にしてもその一つ。
「嫌われている場所を避けて、別に居場所を見出す。」
というのは一見得策にも思えるが、その逃げの姿勢は”根本的な解決”にはならないように思う。
今のままの自分を受け入れてくれる「監視の緩い逃亡先」でまたやらかす。
改める事をしなくて良くなる。
外に逃げても損ねたイメージは修復されぬまま、厄介な、危険なライバーという印象が固定化されてしまう。
どこに居ても下衆の勘ぐりはある。
安心出来る場だと思い込んでメンバー限定配信で愚痴ったり、ツイキャスで危うい発言をしても、誰かしらがそれを持ち出して騒ぎにしようとするだろう。
にじさんじに所属し、にじさんじでやらかして、それでもにじさんじのライバーとして大業を成さんとするならば、そこから逃げるのは得策ではない。
茶化したり、ネタにしたり、打算的に利用したりせず、元の居場所に正面から向き合う事が大切なのではないだろうか。
星川サラもデビュー当時から「にじさんじ箱推しファンの多くに嫌われていると思って活動して来た」と語る。
黛灰のようなキャラクターとも軋轢を生むと距離を取っていたと。
それが為か「自分はにじさんじに合わない」という疎外感を感じ、いっそ嫌われ者と割り切って予防線的に外側に行こうとしているようにも見える事があった。
やや誇張して言えば、グレたようにも見える。
「ぶっちゃけノリ」と「汚物枠」を自称する集団と自身には親和性があり、過激な発言が許される生きやすい世界。
自らの個性や持ち味が活かせるコラボだからファンは喜んでくれるとも。
この辺は本当に個人的な感覚なので同意されなくても仕方ないのだが、
「別にそっち路線じゃなくても活躍出来るライバーでは?」
「むしろそっちの路線の活動が足を引っ張る事になっていない?」
失言前、「叶」とのコラボに対しての相手方ファンからの視線が冷たくなった理由にはユニコーン的な批判だけではなく、傍から見ている星川サラの危険度が頂点に達していた時期であったのも理由ではないのだろうか。
星川サラのファンが危険な状況に気付かずにそれをスルーしても、
傍から見ていれば「炎上カウントダウンが始まっている人」
である事がすぐに判る。
そんな人が積極的に推しに近付いて来るなら、それは拒絶する人が増えても仕方がないというもの。
にじさんじ箱推しや他のライバーのファンから嫌われていると思うような状況を作り上げているのは、そういった所にも原因があったのかもしれない。
自ら進んで危険に思われるライバーの立ち位置に立つから余計に忌避されるのだ。
「シェリン・バーガンディ」とだって、「不破湊」とだって面白く出来る。
「笹木咲」とだってゲームで張り合える。
同期の事も大切にしている。
正直この範囲で安全なコンテンツを提供するだけならば印象的には大分改善される。
見た目も良い。声も良い。コメントプロレスも得意でゲームセンスもある。大会や案件での努力は判りやすく支持を増やす。
本来ならしっかり好印象で見られるような素質を持つライバーだ。
安全な範囲でも人気になれる才能がありながら、わざわざ批判的視線で見られる方に寄ってしまう勿体なさ。
これも全てライバーの意思は無視した所謂ファンチと括って貰っても構わない提案だ。
本人が見れば「私の大事な友達を悪く言わないで」と悲しませるし怒らせるだろう。
「友達は悪くない」
不良は単なる漠然としたイメージ。そこで提供されるコンテンツや発言内容が他よりも迂闊だからという相対的な印象にすぎない。
所属するグループの方針や自身の目的との兼ね合い。周囲の視線に対しての本人の姿勢が問われているだけだ。
友達を理由にされたくないならばこそ気を付けねばならない。
◇
単純にライバーの好きな事を好きなようにすれば良いとありがちな視線で見れば楽なのだろうが、「大きな夢や野心」がありその場に立っているライバーにはどうしても思う所が増えてしまう。
それというのも私は星川サラの
「自分の可能性を試したい」
「にじさんじに恩返しをする」
「私がにじさんじを引っ張って行きたい」
という言葉を信じているからだ。
にじさんじを引っ張るようなライバーには大きな影響力と共に責任が伴う。
「鈴原るる」、「リゼ・ヘルエスタ」、「社築」などには案件が次々に舞い込んで来るようになった。
間違いなくこの箱を引っ張っているライバー達だ。
今のにじさんじに求められる資質、案件先からの評価の視線には好感度が問われているのは明白である。
界隈の時勢的にもVtuberには厳しい視線が突き刺さっている。
星川サラの言葉を嘘だと思っていないからこそ今後「輝く一番星」となる為に、彼らのような賢い立ち回りを願う他ない。
あとがき
題材にしたのが星川サラというだけで、他の炎上したライバー、叩かれやすい立場に立っているライバーにも同様の事は言えると思っている。
際どい発言で売っていきたい。ぶっちゃけノリを売りにしたい。
と思うなら尚の事に好感度を維持する工夫が必要だ。
悪意ある曲解や誤解を広げる立ち位置に立ってはならない。
危うい事をして咎められる。
そしたら危うい連中で集まる。
監視の目から逃れたと思い込んで、この程度で炎上したの馬鹿らしいと茶化してイジる。
「私達の中では許し合ってるから」「それをネタにすれば面白いやろ」
と悪ノリを増長させるならば結果が見えている。
自称汚物ノリ、ぶっちゃけノリが嫌い。というわけではない。
インパクトが強く、刺激的なコンテンツである事はたしかでそれを求めるような層も居るのは判る。
そういったコンテンツや個性をにじさんじから排除するべきではない。
ただ企業勢、Vtuber、にじさんじ、案件。
何より生配信との摺り合わせが悪くリスクが高くなっている。
個人的にその手のノリや企画は編集が効く動画に寄せていける方が強いと思っている。
というのもYouTuberでも物申す系やゴシップ屋以外は過激なネタ、センシティブなネタのほとんどが編集付きの動画で行っている。
生配信という場での失言や炎上誘うようなノリは、旧態然として時勢に合わない。
生配信がもっと無法地帯でおおらかであった時代。
見ている人が少ない場所だから通用していたノリ。
これを企業勢のにじさんじ、いろんな意味で大注目されているVtuberが行う事でそのリスクは桁違いになってしまった。
今後の為にも自身の危ういエピソードをただチキンレース的に曝け出して行くのではなく、かといって自粛で完全封印して窮屈に活動するでもなく、
それを違った形でリスクを減らしながらコンテンツとして成り立たせる道、程よいフォーマットを模索した方が良いように思う。
▼私が過去に投稿したにじさんじ文化論へのリンク▼
・にじさんじ文化論「馴れ合いの増加、低め合う関係性」
・にじさんじ文化論「ライバーとしての自覚の無さ、優しさという武器」
・にじさんじ文化論「男性ライバーの活躍と女性ライバーの弱体化」
・にじさんじ文化論「新人は男性3人組。アイドル売りの難しさ」
・にじさんじ文化論「ホロライブは最強で最悪のライバル?」
・にじさんじ文化論「無敵のホロライブとライバル不在の箱」
・にじさんじ文化論「イベントや案件中心の是非。ゲーマーズ人気の環境」
「金魚坂めいろ」に触れないのか。
タイミング的に「金魚坂めいろ」の話かと思った人もいたかも知れないが、にじさんじ文化論であの手の個人情報が多分に絡みそうな話をするつもりはありません。
私はライバーが炎上した場合にこれからどう活動するか。という点に興味があって、既に引退したライバーやにじさんじではなくなった人の話には正直あまり興味がないからというのもあります。
ただ少し思う所もあって書き留めていた事があったので、にじさんじ文化論以外の記事で詳細はぼかして感想的には触れるかもしれません。
私達には
ファンである私達に出来る事は~的な感想を書こうとして消した単純な書き間違えです。
Noteは私個人が書いていて一部が邪推するような何かしらの組織であったり、企業が絡む事もありません。
「夢月ロア」には触れないのか
私がこれを書いている時、その問題はあやふやなままでした。(今もですが)。
Noteの分量を見てもらえば判ると思いますが、公式発表が行われてからこれを書くのは不可能です。
そもそもこの記事の主題は「普段の活動の中でファンからも予兆が見える炎上」とそれに対しての対処であって、炎上の全てが同じ理屈でどうこうなるとは思っていません。
私がこのNoteを書いている理由は全ゴシップを網羅する事にあるのではなく初期の記事やプロフィールに書いたように「思っていても触れにくい話題」です。
それはある種では今ポジティブに語られる場面すら増えてきた「前世」がどうのという本来触れてはならない話題よりも、同調圧力的にある意味ではタブーになっているようなもの。
今回で言えば、星川サラの炎上についての話題自体はもちろん多いですが、炎上流星群や禊と称して許し合うサイクル、周囲の人間関係や立場も含めてより失言を重くする、信用を無くすという視点はまだあまり見かけないと思ったので書きました。
にじさんじは「ホロライブより運営がちゃんとしている」ということがファンのプライドになっていた、同時接続や登録者数など目に見える数字が劣る中で「クリーン」であることが売りの箱になっていたところがあると思います。
こういったファン感情はたしかに見えます。
それこそ以前の3D動画勢やアイドル部のような立場なわけです。
クリーンさを要求される立場は活動者としては窮屈で出来る事に制限が掛かりやすく、前回案件主体になる事のリスクなどの記事を書きましたが、これも一つのリスクと言えるでしょう。
あなたの絶賛してた葛葉さん差別発言して炎上してますよ
正しく意図が伝わっていないようなのですが、葛葉は「炎上しないライバー」として比較に出しているのではなく、「炎上した場合に救済が楽なライバー」の例です。