
にじさんじ文化論まとめ「衰退への道。おこぼれ意識の蔓延とコミュニティの村社会化」
気になるのは今回の金魚坂めいろの件が、今後のにじさんじにどのような影響を与えるのかという点だ。
間違いなく陰りが差して落ち込むような出来事。
私としてはイレギュラー性が高く事故のような側面もあり、これ自体の落ち度をそこまで追求しようとは思わないが見る目は変わる。
別にそれはまぁ良い。
元々運営というものはファンからは批判的な視線を向けられ、
足を踏み外さないようにと監視されるくらいで丁度良い。
炎上や不祥事と無縁の箱などは存在しないのだ。
問題はこの状況を挽回出来るようなポジティブな話題を作れるのか?
「夢月ロア」が今後もにじさんじで活動を続けられるようになったとしても、それを許さないと批判的な目を向ける人は沢山いる。
にじさんじとしてはこの蔓延し続ける敵意や悪意にどう対処するのが正解か。
数字という誤魔化し
衰退。
最も避けねばならぬのは、こういった炎上や不祥事からファンが減る事。
自らが支持して楽しんでいたコンテンツに対して懐疑的になり、辛いと感じる事が増え、次第に楽しむ事が出来くなるから去ってしまう。
このはっきりとした対策は一つしかない。
話題性。
身も蓋もないが結局の所、これが全て。
今後も似たような炎上はどうせ起こる。
そうなった時に何が支えとなるのか。
ファンの数であり熱量。箱の勢い。
内部の問題をどれだけ想像した所で、傍から見ているだけの私達には本当の所は判らない。
どうすれば良かった。ああすれば良かった。と過去を振り返るよりも、
ファンが見たいのは相変わらず普段のライバーの配信やにじさんじというコンテンツの方にある。
だからこそ魅力的な配信、需要がある配信をにじさんじ全体で増やす事でネガティブなムードを消し去り、ポジティブな感情に変えてやれば良い。
そういった配信が出来るならば結果として新しいファンも増えていく。
ファンが増え続けるというのは、それだけ魅力的なコンテンツであり、
勢いが衰えぬコンテンツという証明になる。
それは絶対的な安心感を提供する。
推し続ける事に対しての不安を抱かせずにファン離れを防ぐだろう。
果たしてこれは誤魔化しと思われるだろうか、
だがファンの感情はその『誤魔化し』を望んでいるはずだ。
早くネガティブな話題を忘れたがっている。
ならば忘れさせるのが最も現実的な回答ではなかろうか。
だからこそ、
「新人がバズらないのは不味い。」
「数字を意識出来ないライバーばかりなのは駄目だ。」
「楽しいだけの馴れ合いには需要が生まれない。」
「今はまだゲーマーズ型のライバーを増やすべきではないか。」
私が口を酸っぱくするのはこの為でもある。
数字や人気への意識喚起は何もムシキングや対立煽りがしたいからではなく、話題性の高い配信の有無がこうして炎上した際の最大の誤魔化しにもなり、コンテンツを長く存続させる事に繋がるからだ。
何より良識的なファン達は今そこに触れないようにと努めているかもしれないが、それは在る種の”我慢”をしているような状況ではないかとも思う。
目立ったポジティブな話題が少ないなら、今回の件はいつまでもシコリとして残り続け延々とネガティブな話題をループさせ続ける雰囲気に負ける。
耐えられなくなった人、そういった辛気臭いムードが嫌になったファンからさっと消える。
だから一にも二にも新しい話題が必要であり、そのためにはライバー個人個人が需要を強く意識して楽しませられるような配信を心がけねばならない。
新しいトレンドを絶えず作る事での過去の忘却。
新しいファンを作ることでのコミュニティの循環。
これを徹底しなければ、
にじさんじは炎上のマイナスイメージを長く引きずるような弱い箱となる。
アイドル部という先例
過去の「アイドル部」にはこの力が無かった。
固定ファンは強く、案件に恵まれた。
一見すると箱は安定しているようにも見えたが、実稼働ライバーは9人かそこらしかいない箱であり新規ファンの入りは少なかった。
そんな中での運営不信。ライバー同士の不和と引退。
トドメはここでコンテンツの供給が途切れたこと。
ネットリンチに近しい状況が続き、それでも気丈に配信を頑張っていたのは日に1~2人いれば良い方であった。
そんな弾の少なさで良い話題なんて出てくるはずもなかった。
ファンは何一つ誤魔化される事がなく、ネガティブな事だけを考えて過ごす羽目になり急速に人が去っていった。
けれど、にじさんじの体制はまた違う。
ライバーの数は100人以上。
一人に何かトラブルがあってもそれが推しから遠いものであれば関係がなく、”推しとその周辺以外には興味がない”と感じるファンが大半。
全員が一斉に自粛を行うような状況にはならない。
本来にじさんじの人数とコンテンツ力があれば、このような不祥事や炎上はそこまでダメージとして響かないのだ。
仮にやらかしても、
物量で押し流せるだけの”炎上耐性”がにじさんじにはある。
というのがアイドル部での騒動を横目で見ていた時の私の感覚。
事実、そうして来たからだ。
にじさんじは炎上とは無縁の箱ではない。
先駆者だからこその数々の問題に当たりながらも耐えられたのは、その都度新しい楽しみや、尽きぬ話題性を提供し続けて来たからに他ならない。
暗い話題があっても、新人が入れば一気に話題はそちらへ持っていかれる。
”何も知らない新規”からすれば”過去の炎上”などどうでもいいのだ。
”だが、この考え方は近頃のにじさんじを見て既に変わっていた”
たしかに数は多い。
が、「それだけ」になってやしないかと。
視聴者500人や1000人程度の配信をどれだけ増やしても、それが箱にとっての大きな話題性に繋がる事はない。
同じライバーがトレンドを担い続け、
今後下から上がって来るようなライバーの姿が見えなくなった。
にじさんじは新人が伸びず、そこからの新しい流れも生まれず、古い話題ばかりが蔓る。
そんな中でより多くのファンを増やす事よりも、
既存ファン向けのコンテンツにばかり舵を切り始めた。
「オフイベント」の増加、
上位ライバーの配信頻度の低下、
メン限やグッズなど新規獲得には繋がらない数々の活動、
大会やイベント用の準備や練習配信、
ファンクラブなど有料系の固定層向けのコンテンツ。
休日という視聴者が多い時期にも誰も企画を立てない事が多く、そもそも企画の中心になれるようなライバーの多くが大会やイベント、案件に追われて自由に配信が出来ない現状。
ファンから強く注目されるのは公式配信かAPEXかマイクラかという具合で、
ライバーの人数をどれだけ増やしても、配信コンテンツ上にはさしたる変化がなくなって来ている。
もちろん他の分野での進歩は目覚ましい。
だがそれは今のネガティブムードを吹っ飛ばせるような、
”話題の奔流”を作り出せるものか?
多くのファンの心を誤魔化せるような心強いニュースであるか?
公式のTwitterでは日々グッズとオフイベントの告知を連打しているが、
果たしてそれにどれだけの人がワクワクして盛り上がれるのか疑問である。
「Raindrops」のオリコン1位など凄い事だが、それはにじさんじの視聴者がメインコンテンツとして見ている配信ではない。
具体的なデータ集計などは専門外なのでTwitterなどでの登録者botや各種Vtuber情報サイトを見てもらう他ないが、それらを眺めていてもこういった状況的な部分を観察しても、
メインのYouTube上でのにじさんじのトレンド力が停滞していると感じる。
それらについての指摘は過去のにじさんじ文化論を通して数多く指摘して来た。
今回の記事をある意味では総集編的なものとして、この機会にざっとおさらいしようと思う。
何故そこまでして、数字や人気、需要のある配信に拘る必要があるのか。
流れを通して見るとまた見えてくるものもあるはずだ。
何より伝えたかったのは、
・コミュニティ要因による新規獲得力や個のトレンド力の低下。
・関係性やコラボが必ずしも人気に繋がらなくなった事。
数の多さによる弊害が出始める。
にじさんじ文化論の概略
『自由意志に任せた活動方針』によってライバー同士が自発的に絆を深め合い、その強い関係性は「てぇてぇ文化」として箱の大きな魅力になった。
しかし、その一方で”マイナス方面とも言える関係性”が生まれ始める。
箱を支えている上位のライバー達に頼り、彼らが引っ張って来るファンを当てにした活動スタイルが蔓延したのである。
エンタメ意識の低い雑なコラボ。
「ただ仲良くしていれば良い」という楽観的な姿勢は馴れ合いに等しく、
放任主義的な性質はライバー同士が互いの悪い所をも許し合うという
”低め合う方”へと向かう。
特に「統合後」からのコラボの自由化はこの流れをも促進させた。
隔離されたSEEDsの反骨心、個の強いゲーマーズのような、
”頼れる相手が少ない”からこそのグループ特有の気風を育む事がなくなり、頼れる相手が増えたことで、ライバーがより楽な方へと流れやすくなった。
✓関係性やコラボに頼ったスタイルの蔓延。
✓ライバーにとって最も必要な自己プロデュース力が欠如する。
◇
にじさんじは上位ライバーばかりが負担を背負い込むような環境だ。
残りの多くのライバー達は「にじさんじの一員として何かを成した」という成功体験に乏しかった。
「自分が頑張って箱を引っ張っている」という箱意識が備わらぬ中で、
にじさんじへの所属欲が乏しい者達は、
”同僚への優しさ”が武器になる事を覚え始める。
そしてこの武器を頼りに、
『ライバーに好かれるライバー』
というポジションを確保しようと動くのである。
それは多くの労力を伴う「ファンから人気のあるライバー」になるよりも、遥かに”楽に承認欲求が満たされる立ち位置”だからである。
面白い雑談が出来なくても、
ゲームが下手でも、
企画が作れなくても、
誰にでも与えられた逃げ道が、同僚から支持される事での居場所作りであった。
活動が上手く行かず、ソロの配信で満足な人気を作れない者達にとっては、同僚との積極的な交流が救いとなる。
にじさんじ的活動における安定択、逃げ道が”ライバーと仲良くする事”になってしまった。
何故このような卑しい推察をするのか?
それは今新人が入れば優しく声を掛け、
相談に乗って積極的にコラボを取り付けるのが、
”人気の乏しいライバー達”ばかりだからだ。
そこに感じるのは、
箱の中心から離れた者に特有の責任感の欠如、
影響力の低さから来る軽率な言動、
登録者を増やす手段がコラボの他にないという憤り。
ここに、
・『人気の乏しいライバー』は”交流に意欲的でコラボ好き”
・『人気のあるライバー』は”交流に消極的でソロ重視”
という区分けがはっきりと出始める。
雑にコラボを頼るライバーと、ソロでもファンを獲得できるようなライバーとの間には様々な差が生まれだした。
意識の低いライバー同士のコラボが身内ノリを加速させ、”腐ったみかん”のように、その周辺丸ごと人気のあるソロ型のライバーに付いているファン達からは見限られるきっかけにもなっていく。
「ドッジボール問題」の根底にある感情は何か。
ライブや案件で忙しくしているライバーがいる中で、それを支えなくてはならないライバー達や新人が裏で遊びながら、これを関係性的なコンテンツにする事も出来ないという”失望感”。
裏話で安易にリアルの容姿に触れるなど、RP破壊的な性質を持つ集団に対しての”拒絶感”。
その否定的感情を彼らは「嫉妬」に過ぎないと誤魔化している。
これに参加して嬉々としてその裏話を始めたライバー達は、
どんな裏話でも喜んでくれると思い込んでいた。
実際にはそんな事はありえない。
100人を超えれば嫌いなライバー、興味がないライバーが居て当たり前。
同僚としての仲間意識の強さから視聴者側の感情を置いてきぼりにした。
今にじさんじの上位勢と下位勢の間に格差があると感じているならば、
カーストの原因はここにある。
そういったライバー同士でのコラボや関係性に影響を受けて囚われやすいのは、デビュー間もなく立場の弱い新人達。
不安でいっぱいの新しい職場、優しくされたらコロっと落ちてしまう。
黄金世代とも言えた統合後の新人であったが、次第にすぐさまコラボに走り新規層へとアプローチ出来ないような、
「ただライバーと遊びたいだけ」と取られるような者が増え始めた。
そんなライバーが先輩役になる事で、続く新人達もすぐさまこの文化を後続に継承させる。
これらは当然ながら「善意からの誘い」を含むという点で厄介である。
そのコラボがファンから見限られる選択であることに気付く事が出来ない。
先輩からの優しい誘い。断るという選択肢は存在しないのだ。
だからこそ、ほとんどの新人ライバーがその沼に落ちるというサイクルが形成されてしまった。
この時点で「新人の話題性で全てを消し飛ばす」というにじさんじが最も強かった誤魔化しの力が阻害されるような環境になっている。
✓自身のファンを増やせるソロ型ライバーと、同僚ばかりを見るライバー
の差が開く。
✓新人がデビューして、人気がないライバーとコラボして人気がなくなる。
そんな見飽きた様式美。
◇
・にじさんじ文化論「男性ライバーの活躍と女性ライバーの弱体化」
そんな中で存在感が強まっていたのが男性ライバーだった。
にじさんじがコラボに傾倒すればするほど、流行りのゲームをする集団になるほど、”男性ライバーの優位性”が際立つ事になったからだ。
男性という性差の時点で芸人的な面白さやゲーム適正には有利が付き、
主にコラボや大会などでの活躍から多くの箱推しに支持される。
しかし、それは”女性ライバー達のお株を奪っている”とも言える流れ。
(逆に言えばこのお株を奪われず、対等に張り合える女性ライバーは強い)
にじさんじと言えど、未だに「男性のファン」が圧倒的に多い。
男性ライバーの多くは箱の外からの新規を取るようなムーブは行わず、
女性ライバーに元々付いている、「箱の男性ファン」を男性ライバーの側に集約させるに留まっていた。
女性ライバー側も便利な男性ライバーに頼り始める。
男女コラボで”美味しい弄られ役”となるのはほとんどが男性ライバー側だ。
男性頼りのコラボでの女性ライバーは芸人的なインパクトを残せず、更に影が薄くなってしまう事も多かった。
もちろんゲームでまともに戦えるのも一握りだけ。
下手な女性と上手い男性という組み合わせの男女コラボで好感度が上がり、登録者が増えるのは介護をされる女性ではなく、介護をしてくれた男性ライバーである。
かろうじて残されたのは女性である事のアドバンテージ。
女性Vtuberにとっての最大の魅力とも言える。これだけがあれば十分に戦っていけるという強み。
それが異性相手への”アイドル売り”
しかし、にじさんじ特有の脳死男女コラボの流れによって容易に
”アイドル売り路線を放棄する”
ここに、
『ゲームで負け、芸人としても負け、アイドル売りも出来ない。』
そんな中途半端な立ち位置の女性ライバーが増えていく事となった。
この証左として独自のスタイルで新規層を獲得出来ていた女性ライバーの名が挙げられる。
男性にも負けない芸人気質で強いトレンド力を持つ「御伽原江良」
ソロ配信をメインとしてホロライブとの兼任ファンが最も多い「鈴原るる」の2人である。
この頃隣のホロライブが女性的なアイドル需要と「桐生ココ」を中心とした箱企画で爆発的な伸びを見せる中で、にじさんじ側はこの二人のような新規を取れる路線を開拓するべきだったのではないかと思う。
にも関わらず、続く「VΔLZ(ヴァルツ」の登場、ブランディングの失敗によって決定的な線引を行ってしまったのだ。
✓既存ファンの男性ライバー側への集約。
✓男性に負けて目立たなくなってしまう女性ライバー。
◇
・にじさんじ文化論「新人は男性3人組。アイドル売りの難しさ」
運営は「Zepp福岡」の成功や一見すると好調に見える男性ライバーの需要に期待したのか、男性3人組の新人として「VΔLZ(ヴァルツ」を投入する。
女性ファン獲得を狙ったかのような設定やプロモーションではあったが、
彼らは最近の新人ライバーと同じく、いやそれ以上に男性ライバーとしてはあまりにも迂闊な立ち回りによって、箱推し他ライバーファンからの反感を買ってしまう。
にじさんじは男女混合箱だ。
その文化性から所謂「ユニコーン的ファン」が少なく、男性ライバーに寛容であるように思われている。
だがその実態は、過去の男性ライバー達がそれだけ警戒的な視線に気を使って活動を続けて来た結果として受け入れられたものだった。
「VΔLZ」は先輩男性ライバーと違い、デビュー早々の配慮に欠けたコラボによって女性層向けのアプローチに失敗。
それだけでは無くコラボにでしゃばり、既存の関係性に割り込み、失言などによって好感度を損ない悪い意味で認知度が高まってしまう。
つまりこの初動では、箱推し向けのアプローチにも失敗する。
彼らを軽率にコラボに誘う「先輩ライバー達」にも責任はあった。
未だライバーとしての方向性が定まらぬ初動の時期。
見守る事もせず、自身が与えてしまう影響には無頓着。
軽いノリでコラボを行ってしまう先輩ライバーの大半が例に漏れず下位の方で燻っている者達。
『後輩は先輩に倣うものである』
ろくに新人へのキャリーにもならず、彼らが後輩に残した影響は
「にじさんじは軽率に、雑なコラボをしても良い箱」という勘違いだった。
これまでの馴れ合いや低め合い、
自己プロデュース力の欠如、
新人が伸びない悪循環、
男女混合でのアイドル性の喪失、
その集大成とも言うべき結果であった。
あくまでも配慮が上手く、好感度が高く、高い人気を確立した男性ライバーだからこそ、”にじさんじの男女混合戦略”はこれまで上手く機能していたのだ。
自身にさしたる人気や好感度がまだ無い状態でコラボを頼り、積極的に箱の中にあるパイを欲する、
「ガツガツした姿勢の男性ライバー」という存在は箱の中で大きなネックになってしまう。
炎上した「甲斐田晴」 、至らないまでもヘイトを集めた「弦月藤士郎」は批判を浴びたことでその姿勢を改め、好印象を与えられるような活動を心がけているように見えるが、彼らと違い見過ごされた「長尾景」の立ち振舞いには火種が見える。
そもそもにじさんじでは初動での積極的なコラボは擦り寄りとも見なされ、反発を買う事が必定であり、運営側も指導を入れておくべきではなかろうか。
新人にはコラボ禁止期間があるかのような事を言っているライバーもいるが、彼らは1~2週間足らずでコラボしているため明らかに短すぎた。
次の新人を早くに出していれば、まだ彼らに対しての悪い印象は早くに薄れたかもしれない。
しかし運営肝いりなのか続く「空星きらめ」「金魚坂めいろ」まで3ヶ月と長いスパンを開けた事も逆効果となった。
某流行り病による配信視聴者数の増加。運営主導の大会。あまりにも早い同期グッズの販売。
恵まれた環境の中での活動だったのが災いした。
新人に対しての注目度が長期間「VΔLZ」に向けられたままでの炎上は、
新人への良くないイメージを流布し続けた。
「新人の男性がやらかしまくっているぞ!」
「運営はそんなライバーを推している」
といった悪評。
新人に対する視線には警戒の色が映る。
その更に1ヶ月後。
初の”女性5人組”として「世怜音女学院(セレ女)」がデビューする。
「どうせまたすぐに男女コラボして裏話するんでしょ」
「安心して推せないよ」
ガツガツした男性のイメージが広く浸透している「VΔLZ」の後に、アイドルユニット的な体で新人を出した所で信用は無い。
にじさんじの環境ではそれは期待できないと悟られている。
同日には「ホロライブ五期生」がデビューを発表していた。
アイドル売りを期待していた人はそちらに向かったのだろう。
にじさんじははっきり言って遅すぎた。
せめて「VΔLZ」の前、「メイフ」が堅調に伸びた後の新人に「セレ女」という配役が必要だったのではなかろうか。
✓独自層開拓に向かわないガツガツとしたコラボ頼りの新人。
✓他ライバーファンから新人ライバーに対しての忌避感、期待感の喪失。
◇
・にじさんじ文化論「ホロライブは最強で最悪のライバル?」
・にじさんじ文化論「無敵のホロライブとライバル不在の箱」
これらの記事はホロライブの強かさと強さを示した記事でもあると共に、
「にじさんじは外部のVから客を引っ張って来れるのか?」という話でもある。
界隈の話題の中心には長らくにじさんじがあった。
「Vtuberの生配信ならにじさんじを見ていれば良い。」
というブランド的な強み。
界隈での目立った立ち位置による導線の存在。
ライバー側がそこまで数字を意識せずとも、にじさんじには客が流れ込んでくるという直線的な導線に今”ホロライブという競合”が加わって来た。
にじさんじ側の新人ライバーが下の方を見て悪い循環を繰り広げている間に、ホロライブ側は”にじさんじの上位ライバーの方を見て”研究する事で、箱として急成長して行く。
ファンを吸われ、切り抜き師や絵師界隈での需要も取られ始める。
外交戦略、海外層の獲得などにじさんじには備わらぬ、
高い新規獲得力は不祥事に対しても最強の武器となる。
そのために不祥事の応酬でどっちもどっちの対立構図になった時、
新規が少ないにじさんじは脆く、新規が多いホロライブは強い。
新規の多さや生配信での強さを引っさげて強行的な姿勢でもやっていけるホロライブと比較される事でのにじさんじ側のクリーンな立ち位置。
案件とタレント的な活動に舞台を移し始めたが故に、身動きが取り難い状況に追い込まれた。
しかしそんな勢い盛んなホロライブが隣にあり、多くのコラボを行って親交を深めて来たのは何もデメリットばかりではないはずだ。
お隣さんが新規を獲得してくれるなら、にじさんじ側にもメリットは大きい。
本来ならば大きなチャンスにも繋がる関係。
だが『にじさんじは同業者に対しての外交能力が弱かった』
自らの箱の強さに慢心して同業者をライバル扱いしない。
ライバル扱いしないから、相手の良き部分を学ぼうともしない。
Vtuber=仲間という意識で毎度チャンネル枠を譲り続けるコラボを行った。
身内で居心地を悪くしたライバーから率先して外部に逃げ出し、手厚い歓待を受けてチヤホヤされる事で満足しているような節も見られた。
このような外部コラボによるメリットは箱を成長させる事に繋がらず、
ライバー個々の精神的充足感に終始している。
同業者からの好感度を得るためのコラボはしても、外からファンやお金を獲るような力は発達しなかったのだ。
自らの登録者やファンも所詮は自分が意識的に稼いだファンばかりではなく先輩たちのおかげというどこか他人まかせな姿勢が影響したのだろうか。
大切なファンを容易に外部へと垂れ流してもお構いなしのその姿勢。
それでいて相手からはろくに吸えないというビジネス意識の欠如。
前述したアイドル売りの拒絶と外交意識の欠如により、にじさんじからホロライブに逃げる客は居るが、反対にホロライブからにじさんじに向かう客はいないという状況を作り出す。
✓新規獲得力が高いホロライブにイニシアチブを取られる。
✓箱の強さにあぐらをかいて外交意識が芽生えなかった。
◇
・にじさんじ文化論「イベントや案件中心の是非。ゲーマーズ人気の環境。」
それでもにじさんじには大きな強みがある。
新人が伸びずに個の話題性が乏しくなっていく中で、
”箱としての話題性”でファンを満足させる方へと進んだ。
「にじさんじ甲子園」などの大人数を活かした箱内での大会や、イベントでのお祭り的な『集団的コンテンツ』が大きな反響を生む。
だがこの「イベントでファンを集める」という方向性にも懸念があった。
長大な過程を見せる事で成り立つ大規模な企画作りは、ライバーにとってもファンにとってもカロリーが高く、イベント期間中の活動や関心がそれ一辺倒になってしまう。
また、刺激の強い集団的コンテンツはファンから求められる配信に対しての面白さのハードルを大きく引き上げる事となり、イベントが無い期間では虚無感が漂う。
にじさんじファン「にじさんじは大きなイベントの時だけ見れば良いや」
こういった感覚は個のコンテンツへの関心を更に低下させ、
”イベントで活躍出来ないライバー”が不利な環境になっている。
にじさんじが刺激の強いイベント路線に向かうほど、その場での活躍が見込めるようなライバーに視聴者からの応援意識が集中するからだ。
イベントの場で活躍出来るのは誰か。
ゲームや配信スキルに秀でたライバー。
即ち、
『ゲーマーズ型ライバー』の人気が揺るがないものとなる。
※ゲーマーズ所属のみを指すものではない。
そのため彼らと、彼らのファンに訴求出来るかどうかというのが、現在のにじさんじでの上がり目を決める。
「ゲーマーズ型ライバー」ならば人気があるライバーとも円滑にコラボを行う事が出来る。
関係性も好評。余程大きなミスがなければ人気になれる。そういった環境だ。
一方でゲームの舞台などでも活躍する事が出来ない、と思われてしまう
『非ゲーマーズ型ライバー』が下の方で沈みきっていた。
ライブや音楽関連での成功を狙って投入されたライバー達にこそ本来ならば人気が必要であるにも関わらず、ゲームや配信が拙くて人気が出ないという負のスパイラル。
新規を獲得するのもゲーマーズ型。
箱内のイベントで活躍して好かれるのもゲーマーズ型。
そんなゲーマーズ型と非ゲーマーズ型ライバーの間には、コミュニティ的な壁がある。
主力であるゲーマーズ型ライバーのファン層にアプローチ出来ない時点で、”箱内からのファンの流動すら期待できない”という厳しい現実。
しかしこの際に至ってライバーにはさしたる危機感が無いようにも見えた。
”華々しいタレント的な成功者を目指す”『夢追い人』となっていたからだ。
ゲーマーズ型ライバーとは生主的な活動者、あるいはゲーム実況者であり、YouTuberである。
何より配信自体が好きで、生配信でファンを増やしてお金を稼ぎ、今後も生配信の世界で食っていこうとする者達。それ故の強さであるが、
最初からこの『生主的な活動者』を志さないライバーが増えた。
彼らのように泥臭くファンを集めて配信を生き甲斐にするのではなく、
メジャーデビューをしたり、
テレビやメディアに出たり、
オリジナルグッズを販売したり、
綺羅びやかな『タレント的な活動』を夢見るライバーが増えた。
では、それを誰の力で成すのか?
箱の力であり、生主的な活動でファンを増やしたライバー達の力だ。
「多様な人材の夢を叶える」というにじさんじの基本方針に則って、
自分ではろくすっぽファンを増やさず、数字を意識しない配信をして、
けれども、
「箱の力で夢だけは叶えたい」という在り方まで肯定されてしまっている。
こういったライバーは新規ファンを開拓するような生配信をする必要がなく、その気が薄い。
50万人、100万人を目指すような姿勢には至らない。
『にじさんじの既存のパイを消費する活動』に傾倒している。
既に夢が叶ってしまったライバー。
にじさんじに入ってゴールのライバーも数多く抱える。
にじさんじとしてデビューした限りは、誰でも獲得できるような最低保証的なファン人数を確保した後は、
新規が全く増えない”囲い向け”の楽な配信へと逃げ込む。
少数精鋭のファンに支えられ、ボイス販売や高額メンバーシップでの収益を貰えれば満足といった具合である。
「ライバーの活動スタイルは人それぞれ」という。
だがこうしたある種、「脛をかじるような活動スタイル」が成り立つのは誰のおかげだろうか。と考えてしまう。
箱を支えてきた「月ノ美兎」がメンバーシップを行わないのも個人的なエンタメ精神。
にじさんじの可能性を広げてきた人気のあるライバー達こそ高額プランを行わない、全額個人の取り分になるツイキャスを行わないのも個人の判断に過ぎない。
だとしても箱のファンを積極的に増やそうと動かない者達が、
温い活動で自分の利益だけを増やすような状況というのは、
他のライバーにとっての悪いお手本になってしまうのでは?と。
✓人気になるのはゲーマーズ型ライバーばかりであるにも関わらず、案件用
に非ゲーマーズ型ライバーを採用して伸び悩む。
✓既存ファン向けコンテンツに注力する事での新規獲得力の低下。
まとめ「箱頼り」のライバー
「自分の推しは違う!」だとか、「全てのライバーがこうではない!」だとか異論はあると思うが、逐一例外的ライバーにフォローを入れる事も出来ないのでそこは大枠での類型的な話として受け取って欲しい。
このように私のこれまでの文化論の主題となっていたのは数字や人気の話であり、「コミュニティ由来の悪習」「新規向けのアプローチの弱さ」を指摘するものであった。
数字数字と言うとこれまた「数字が全てじゃない」と返されるだろうが
その本質は、
「自分の力でファンを獲得しなくて良い環境が生み出す弊害」にある。
つまりライバーの活動に対しての姿勢の問題であり、箱の成長性の問題である。
登録者50万、100万と目指す。
”箱外からのファンを増やす活動”を意識的に行っているライバーといえば、
「本間ひまわり」などが思い浮かぶ。(葛葉や勇気ちひろなどは恐らく意識していない)
配信が出来ない日は動画(切り抜き以外も)を出している。
という至極まっとうなアプローチ。
過去に案件漬けとなった頃の反省から現在は極端に活動頻度を低下させないようなスケジュール管理も行っている。
こういったライバーが獲得したファンは箱全体に対してもストックされる。
「にじさんじ」という名を周囲に広めてくれる。
それを消費して、または共有させる事で他のライバーもにじさんじも様々な分野への挑戦が出来ている。
多くのライバー達がこのやり方を見習わない。
もちろん「月ノ美兎」の10分動画などのブランディングも、
「鈴原るる」の特異な立ち位置による成功も見習わない。
ツイステにのめり込んでも「御伽原江良」のようにその界隈にアプローチ出来る動画を出さない。
にじさんじでも特に目立つライバーの活動や配信内容を習わない。
外部の強いVtuberの分析も行わず、そこから客を引っ張ろうともしない。
にじさんじとその周囲には成功者が溢れ、いくらでもそのヒントが転がっているのにも関わらずその道には向かわない。
こうした新規獲得力の高いライバーの事を下のライバー達は見ていないのだ。
イベントがあれば一人のファンとして、同僚として、Twitterで応援や実況はしても同じ立場になりたくない。
彼らのそれは楽な道ではないからだ。
登録者トップ付近でありながらそれ以上にファンを増やすには、
”箱の力やコラボだけに頼らない活動をしなければならない”
多くのファンが集中するような配信は強い影響力を持ち、
言動には責任が問われ、軽率な事は出来なくなる。
配信に求められるハードルが高く、ツイキャスやメン限ばかりをしているわけにもいかない。
お金を強く意識する活動をすれば失望され、つまらなかっただけでも叩かれる。
ファンが多いほど我慢をする事、自由に出来ない事が増える。
最近でも高額メンバーシップのおさぼりでボヤがあったようだが、これが上の方のライバーのやらかしなら確実に大炎上して大騒ぎになっているはずだ。人気や知名度の高さによって、求められる規範や反響は変わってくる。
だから3Dになりたい、ライブに出たい。曲を出したい。
と夢を見て登録者を意識しているライバーがいても、
その夢を叶えるファン(人気)の大半は、
”にじさんじからの借り物的”である状況の方が楽だ。
普段から多くの視聴者がいてもしんどいだけ。
毎度ファンからの期待に答えるのがめんどう臭い。
需要とか考えずに自分の好きな配信だけがしたい。
固定層はそういった活動スタイルを許してくれるファンだけがいれば十分。
「にじさんじという箱に”誰か”がファンをストックしてくれていればそれで良い。」
コラボして適時ちょいとそれらを摘んでやれば、グッズは売れるし案件も貰えてライブも出来る。
「その”誰か”に自分はならないけどね」
「そのしんどい役目は誰かが頑張ってよ」
箱自体の方向性、土壌がこちらに寄っている為いくら活動を続けても、
「新規獲得力の高いライバー」へと成長させるきっかけに乏しい。
現在の環境では大半のライバーが、
「自分が新規を増やして箱を成長させよう」
「自らの力で案件を獲得しよう」
などという活動スタイルに至らず、
「箱の力を頼りにするのが上手いライバー」へと向かう。
図にすればこんな感じだろうか。
箱のブランド力にあやかり、自分から外向けに新規を取るような配信を積極的に考えない。
コラボをして、たまに大会やイベントに出て、箱の力を当てすればなんとかなるだろうと。
それでもこの形は、「箱」という性質で活動を行っている以上は割と基本的な形でもある。
この時点では、まだ悲観する事でも批判する事でもない。
新規獲得が出来るライバーが次々に生まれるならば、十分に成り立つからだ。
「SMC組」に関してのこちらの記事。
「【VTuberデータ分析】「葉加瀬冬雪」「加賀美ハヤト」「夜見れな」にじさんじ新人の一ヶ月を数値で追う」
見ても判る通り「本間ひまわり」や「椎名唯華」他ゲーマーズ型ライバーからのファンの流動が顕著であり、この当時は統合後の新人達のバズりもあって貯金も生きていた。
「ベルモンド・バンデラス」や「アルス・アルマル」などがマイクラを中心とした配信で成功したのも、こうした多くの余剰ファンがいたからだ。
箱のファンを円滑に新人や下位ライバーに流動させるシステムがマイクラの共有鯖とすれば、所謂マイクラ民を引き留めておくような役割も必要でありこの引き継ぎも上手く行った。
統合後から暫くは新人の伸びも良く、適時トレンドが入れ替わり、これをコラボやマイクラを通じて更に次の新人へと流すという、
正常に箱としてのサイクルが機能していたと言える。
しかし上位ライバーの活動頻度低下、相次ぐ新人の不振でバランスは崩れた。
上位ライバーに頼り切っていた為にキャリー必須なライバーが増えすぎて、そんなライバー同士で足を引っ張り合うコラボを行うことで再起を困難にさせる。
人気の格差が開きすぎた状態での軽率なコラボや裏話などへの反発。
配慮に欠けるライバーへの強い拒絶感と箱推し意識の低下。
ゲーマーズ型ライバーを増やさず、歌や技術を売りにする配信需要に乏しい案件用のライバーの投入。
即戦力重視のホロライブの躍進による注目度の低下などが重なった。
新規獲得力が低下し、箱のファンで登録者を増やしたライバーの、
”更におこぼれのファン”は徐々に目減りしていくのが必然である。
この変化を図にすると、
枯渇する。
コラボした所でなんとかはならない。
そんなライバーばかりが増えすぎて、共有出来るパイが尽きて来ている。
その為「ベルモンド・バンデラス」や「アルス・アルマル」から更に下のライバーは彼らよりも下の階層のファンにしかアプローチ出来ない。
今「長尾景」がマイクラを擦っても「エビマル」の頃のようなブレイクスルーは起こらない。
「箱の力を頼りにするのが上手いライバー」は一定数居るべきではあるが、あまりにも増えすぎた。
ここで勘違いして欲しくないのはライバー数が増えた事で「リスナーが配信を追いきれなくて低迷している」わけではない。という事だ。
十分に配信を見る余裕は残っているが需要の低い、話題性のない、魅力に乏しい配信を見たくないだけという現実。
残飯を食べるハイエナではなく、ライオンの狩りを見たい。と思うのは当たり前のように思える。
つまり視聴者は図で言う所の「おこぼれのおこぼれの配信」を見る必要がないものとして処理しているだけなのだ。
なのでより正確に言うと、箱にストックされて共有化されるような、
「にじさんじなら誰でも何でも見ます」という寛容な箱推し層が枯渇した。
今致命的なのはこういった強い個に対しての訴求力を持ったライバーが生まれ難い環境が続いた事で既存の人気ライバー達もネタ不足に陥っている事。
実力がある配信者であっても「Vtuber」を纏う限りは確実にネタ切れは避けられないだろう。
そんな時に既存のライバーに新鮮な話題を提供するのは新しい関係性だった。
今のホロライブが5期生やENのライバーとコラボして関係性を作ることで、新人に発生している強い話題性や注目度、新鮮なファン達を既存のライバーへと還元するような箱としての強い「相互扶助」、「新陳代謝」の作用がにじさんじにはない。
後発からトレンドを作れるようなライバーが出て来ない中では、既存ライバー達も新しい関係性の構築による話題作りは十分に出来なくなってしまう。
いつまでも箱の中で既存のファンだけをぐるぐると回す。
いつまでも箱の中で既存の話題をぐるぐると回している。
ならば今にじさんじは新しい話題の洪水によってネガティブな話題を押し流す事が叶わず、炎上や不祥事に弱い箱になった。
にじさんじ村
騒動の影響で人気が落ちたと思われれば、そこから連鎖的に人は離れる。
人が多いから、人気なコンテンツだから。
活気があるからと集まって来ていたような層から消える。
そういったミーハーな人達を毛嫌いする人も多いが、コミュニティでの潤滑油を担うような者達だ。
彼らは欲求に貪欲であり、次の面白い話題にすぐに飛びついて盛り上がり、過去の話題は遠いものになる。
そういった層を失う意味を重く受け止めねばならない。
なぜならば「夢月ロアが再び活動出来るかどうか」
というのもこの層にかかっているからだ。
もし仮に夢月ロアの事を思って彼女の再起を願い、その居場所を作りたいと願うライバーがいるならば、今の炎上ムードを吹き飛ばすような事をしてやれば良い。
大型企画などは出来なくても新規ファンを増やしてやれば、それだけ生きやすい世界になる。
もちろん彼女だけではない。
今後も大いにありえる不祥事や炎上、そこで良くないイメージを付けられた既存のライバーが再起するためにも、新規開拓が不可欠である。
ホロライブの許諾無視やら何やらの不祥事。
「戌神ころね」の登録者が100万を超える。
もはや半数以上は騒動を知らない人か、知っていても悪く思っていない人と言うことになるだろう。
ホロライブ全体で登録者数1位となったENの「Gawr Gura」のファンのほとんどがそれら不祥事の後に入って来ている層だ。
何の負い目も不安もない。
ホロライブファンの中では当時のマイナスイメージを残したままの層の割合は確実に減って行く。
多少のやらかしがあろうが、あのレベルのバズり方をすれば何ともない。
こうして新規のファンや新しいトレンドを増やす事は、
箱の話題のサイクルを早めて新しい話題へとシフトさせる。
今のにじさんじは真逆だ。
新規層向け、外向けの開拓には乏しく、箱の中の固定ファンをちびちびと流し合うようなコンテンツになっている。
ならばファンはいつまでも忘れないだろう。
にじさんじのファンは、”過去を知っている人”ばかりになる。
これは”悪い話題”も残り続けるという事。
新規ファンの増加率が低いにも関わらず、箱のファンを無理に共有させようとした事で悪い噂がすぐさま広まる。
増えているように見える登録者の大半は、元々にじさんじを見ていた人が別のにじさんじライバーを見るだけという環境の中では、
過去の醜聞が尾を引く。
にじさんじで一度付いた傷は箱の中で蔓延して誰もが知る所となり、
「あー、あの事ね」とファンの間で噂話の共有が出来てしまう。
にじさんじという村社会。
都会から人がやって来ない。
今のように新しくバズる新人や強烈なトレンドがない状況では、醜聞も風化することがなく致命傷になりやすい。
それこそ過去「御伽原江良」が大きなやらかしをした時期があったが、続いてデビューしていた「さんばか」が関係性人気を、「鈴原るる」が耐久系ゲーム配信で注目株となり、ノマカプ方面では「エビマル」などがマイクラに大きな話題を提供した事で彼女の炎上から視線が外れた。
この辺から入ってきた多方面の新規層は彼女の炎上を知らない。
新規を増やせば、過去のライバーの悪い噂も風化する。
一度やらかしたライバー、一度憎まれたライバーは箱の中での風評を覆す事が難しくなり、一度つまらないと思われたライバーはその印象のままで沈んでいく。
その風通しの悪さたるや。コミュニティの空気は淀んでいる。
と言うことを考える内、一つ理解できる事があるはずだ。
・ライバー個人個人が固有のファンを取る方に向かわない環境。
・されど箱に対してのファンは大勢抱え込んでいる。
・ライバーはそんな箱や他のライバーのファンを当てにして頼る。
・だからコラボを行う。イベントに出る。仲良しの輪を広げる。
その結果何を生んだのか。
にじさんじ最大の問題。
『内ゲバ体質』の原因もここにある。
「にじさんじのファンは全てのライバーの事を好きになれない。」
という誰もが判りきっている現実。
個人のファンを増やせぬままでの、ファンが望まぬコラボをすることでの無理な共有化が、本来棲み分けをしていた相性の悪いファン層を無理に引き合わせた。
そのひずみ。
しかしライバー側はいつまでも、
「にじさんじのファンは全てのライバーの事が好きだよね」と理想的状況を求める方が楽であり、必ず喜んでくれるものとしてコラボを行う事でファンの感情よりもライバー同士の関係性を優先し続ける。
厄介なファンなんてのは言うことを聞くような存在ではない。
だがファンだけの中で勝手に暴走して厄介化するわけでもない。
内ゲバ化はライバーの責任だ。
また長くなって来たので次回はこの辺の考察を元にして、にじさんじファンが厄介な内ゲバ体質になった過程について詳しく解説したい。
最後に。
近頃のにじさんじの近況を踏まえての本音。
「にじさんじが好きです」とか、
「先輩のおかげで今の登録者があるんです」だとか。
ライバーが口にする度、思う事がある。
仲良くして裏で優しくする事ばかりが、にじさんじへの愛なのだろうか。
好きだから何なのか。好きで終わりなのか。ただのファンか?
好きなにじさんじの当事者としてにじさんじを盛り上げるために、
にじさんじを更に良くするために頑張ろうと、ファンを増やそうと動くべきではないのかと。
ろくにソロでファンを引っ張って来ないライバー達が、
コラボや大会にだけは出たがって思い出作りをする。
偉大な先輩に憧れて、大好きなにじさんじに入ってやることがメンバーシップで稼ぐだけ。
その数字が先輩のおかげと自覚しているならば、
自分もまた次の後輩のために託す新規を増やしてやろう。
とは思わないのだろうか。
「数字なんて気にしないで、好きなことをするのが正解だよ。」
それはつまり自分は先輩達の稼いだ数字を寄す処としながらも、
後の新人にそのバトンは渡さず、先輩の数字で好きな事をしたいという話になる。
それこそがおこぼれ意識。
自分の好きなコンテンツや箱に対して報いる方には動かず、
仲良くして他人が増やしたファンを吸い上げるだけの活動にばかり熱心になる様で、にじさんじ愛を口にされても何も響かない。
もちろん彼らに嘘はない。
真実にじさんじは好きなのだろう。
ただ当事者として、ライバーとして、箱を成長させる方に活動が向いていない。
仲間が派手な炎上をしたなら、派手な事をしてファンを楽しませる。
箱の為にも今が踏ん張り時だと、にじさんじの一員なら今こそ奮起するべきという、そんな姿勢に向かって欲しい。
普段からの仲良しこよし、コラボばかりをしているのは何のためなのか。
こんな時だからこそ盛り上げようと動くライバーはどれだけ居るのだろう。
100人居ても片手で足りる程な気がしている。
あまつさえこの期に及んで運営批判や炎上ネタを軽率に行う事で、
「危ういネタに触れられる自分は格好良い」なキャラ付けを行うライバー達。
その人気作りは「鳴神裁」と大差がない。
金魚坂めいろの件にしても、一部のライバーの体制側を軽んじるような軽率な助言が混乱を招いていた。
これらの行為、風潮ははっきり言って大人げがなく、多くのファンに要らぬ不信感を与えるだけだ。
今回取り上げなかった炎上の対処法についての記事において、
「悪印象で見られ勝ちなライバー程に今は好感度の回復に務めるべきだ」
と指摘したのだがその願いも叶わなかった。
箱を頼りに、コラボを頼りにして来たライバーが箱や運営を軽んじる。
自分が何に生かされて今の活動が出来ているのかをまるで理解していない。
必要以上に不穏さを与え、印象を悪く見られる事になれば、その借り物のファンや箱の力に頼って来たライバー程に今後の立場を悪くするというのに。
あるいは、
箱推しや他のライバーのファンからいくら嫌われても、
”ライバーに好かれる事でどうにかなる”とでも思っているのか。
自身に向けられる厳しい視線や批判への対処を怠り、印象を良くしようと務めず、悪印象を連鎖的に増やしてにじさんじを潰す気なのか。
そういった危険信号の灯るライバーに対しても、相変わらずただ仲良くコラボをする他のライバー。
自衛する意識がない。
真偽がどうこうの話ではなく、ひたすら周囲の視線に鈍感。
相手を思いやるならば悪戯にファン感情を刺激しないように断ること、
距離を置くことも時には必要だろう。
100人も超えれば悪性腫瘍も出てくる。
全員が全員、箱愛に溢れた人物なわけがない。
箱の風評、他のライバーがどうなっても自分が良ければよそれで良いと考えるライバーだって出て来るのが当たり前。
ライバー側がにじさんじの腐ったみかんを見抜く事が出来なければ、そういったライバーも姿勢を改める必要がなくなり、連鎖的に腐っていくだけだ。
これだけは断言できるが、今回の問題と同等か、より大きな不祥事やトラブルがあったとして今のままだと衰退する。
箱に寄り掛かり危機感なくお花畑。
衰退するような状況になった時にもそれを食い止めようと動けるライバーというものが少なすぎる。
残念ながらそういった意識を育むような環境にならなかった。
個々の活動スタンスの違いからそれを求めるものではないとは判っているがこれだけは言いたい。
好きな事をしたいなら、自分でファンを増やせ。
それが出来ないままで、箱や他のライバーを頼らないでくれ。
箱を、他のライバーを頼りたいというなら好感度を意識しろ。
蔑ろにしたままで出歩くな。
好感度など投げ捨て、それが自分のスタンスだというならば誰とも絡まず、
自分と、自分のファンの中だけで完結させて欲しい。
にじさんじはライバー間での意識格差が開きすぎて、一丸で前に進んでいる気がしない。
今は一部のライバーが多くのお荷物を抱えたまま走っている。
この体質や文化を抱えたままでは箱としての強みは失われていく所か、
箱を支えているライバーから潰れるだろう。
願望
「月ノ美兎」がにじさんじの登録者順で15位くらいになった世界を見たい。
「文野環」を羨ましそうに語る「月ノ美兎」のその世界での配信が見たい。
「御伽原江良」は恐らくあのままのノリで動画を出し続ければ「月ノ美兎」の登録者を超える事が出来ただろう。
しかし「にじさんじトップ」という重責を背負えるか?
自らその役割から降りるために活動を停滞させたと取るのはただの邪推か。
それが直接的な理由ではないにしても今のにじさんじの環境。
御伽原江良のスタンスでにじさんじトップなりたいとは思うまい。
「こんな奴がにじさんじのトップとか箱が汚れる」
そういった事を言い出す人がいる。当人だってそれが判りきっている。
他の上位ライバーも同様。
「リゼ・ヘルエスタ」は月ノ美兎に憧れてライバーになったが、超える野心まではないだろう。
それ所か、その背中に手が届くようになれば意識してペースを落とすのだろうと思う。
このまま下からのブレイクスルーが起こらなければ上のライバー達も、
どうぞどうぞとトップを譲り合う。
にじさんじで一定以上を目指すことは損でしか無いからだ。
自身の夢のために超える意識、箱の重責を背負う覚悟が見えるのはやはりこれも「本間ひまわり」くらいのもの。
だが一人が超えるだけでは相変わらず二人ともに象徴的存在、矢面の存在で有り続けるだろう。
何より今の内ゲバ体質の強いままで、その場に立ったライバーが無事だとは思えない。
最悪潰される。
これまでと同じ活動が出来なくなる可能性の方が見えている。
誰しも「月ノ美兎」より上を目指して良い、「月ノ美兎」の上を目指したいと思うような環境にならなくては。
今のままでは不可能だ。
※コメント
今日『にじさんじ』と『それ以外』で反応が異なるものを見つけ、興味深く思えたことがありました。ツイッターで『vチューバー』がトレンドに上ったときのリアクションです。
『にじさんじ以外』では、自分がvチューバーであると自己紹介している人が見られました。
対して『にじさんじ』では自己紹介する人はおらず、トレンド入りしたことに自分なりの言葉を発する表現の場としていました。
自分は、これがにじさんじの気風なんだなと思ったのですが、タブルスタ丼さんはどう感じられますでしょうか?
にじさんじは正式には「バーチャルライバー」と名乗り活動しています。
自己紹介でもそちらを使う人が多いので自らを「バーチャルYouTuber」として名乗り出る事の習慣付けが元々薄いのだと思われます。
また、昔は「にじさんじはVtuberとして認めない」という界隈ファンも多く見られた中での活動だったので、デビュー順が古いライバー達程バーチャルYouTuber代表面をする事でのリスクを警戒しているのではないかと。
今はそういったシーンに出くわす事はほぼなくなりましたが、今度はVtuber界隈でのにじさんじの影響力が非常に強くなっている為、迂闊に触れて良いものかと迷う状況でもあるはずです。
自己紹介の有無に関してはやはりこの記事でも主題として取り上げた、新規ファン獲得に向けての意識の違いが絡んでいると思いました。
にじさんじ以外のVtuber、特に大きな箱に属していないようなVtuberからすれば「バーチャルYouTuber」というトレンドを活用して自信のファンを増やすという自己PR的な意識が当然のように備わります。
しかしにじさんじという大きな箱の庇護下にあるライバー達は外部を含んだ「バーチャルYouTuber」を効果的に利用するという視点を持たないはずです。
現在のVtuber界隈はほぼ、箱(にじホロ)>Vtuberと言える程の関係性だからです。
「自分今トレンドのVtuberやってます!」
と切り出すよりは
「にじさんじ所属です!」とアピールする方が遥かに強い。
なのでこれらのトレンドをPR的に活用するというよりは、何かしら含みのある言葉や心境を綴る事でのキャラクター性の補強と言いますか。
既にそのライバーの事を知っている人に向けて、箱のファンやライバーに向けて、より自身の解釈を掘り下げられるような表現になっているのだと解釈しました。
にじさんじ、というか「箱」の文化性が強く反映されている例でしょう。