『壱百満天原サロメ』の人気が示したのはにじさんじへの不満の裏返し。という考察。
にじさんじ所属のVtuber『壱百満天原サロメ』
私はこの人気に引っかかるものを覚えました。
先日、YouTube登録者100万人を達成した彼女の活躍は、Vtuber史上に残る歴史的な快挙。
所属企業である『ANYCOLOR』の上場と合わせて、『にじさんじ』にとっても非常に喜ばしい話が続きました。
ですが、今のにじさんじは決してポジティブな話題だけではなく、数々の問題を抱えています。
筆者はにじさんじの1期生がデビューしてから、約4年近くにじさんじを見てきました。
その上で主に『にじさんじファン視点でのにじさんじの問題点』についての記事を中心に投稿して来た側です。
こちらの記事などは3000を超えるスキを頂けました。
有名人でもない、肩書もない一視聴者のVtuberに関してのnoteとしては割と異例の数字です。
その為、にじさんじとそれを取り巻くVtuber事情に関しての、一定の理解とファンの実態は把握しているつもりです。
特に不満を持つファンの感情に寄り添った視点はあるものと思っています。
そんな筆者からした引っかかり。
それは彼女がまるで、
”にじさんじらしい”と捉えられがちな点です。
「むしろ”逆”ではないのか?」
壱百満天原サロメは今最も、”にじさんじらしからぬ事”をしている。
にじさんじらしくない故の需要がある。
むしろこの人気には、『にじさんじへの不満の可視化。』
だとすら呼べるものが含まれているのではないか。
つまりは、今のにじさんじに不満があって、見なくなった人達。
元々にじさんじへの印象が悪くて、毛嫌いして見ない人達。
そんな”にじさんじが取りこぼした層”をも彼女は拾い上げている。
更に大枠では、Vtuberが取りこぼしていた層とも言い換える事が出来るやもしれません。
彼女の人気にケチを付けたいわけではありません。
本記事は彼女の人気を構成する要因においての、数少ない一側面を語るものでしか無い。
しかし、壱百満天原サロメの人気が示すものや、その状況性が
”にじさんじにとっては前向きなものばかりではない”事を提示したい。
彼女の異例のバズリ方はこれまでのにじさんじの数々の問題点が、
割と深刻なものであった事を露呈させているように感じてならないのです。
にじさんじの問題点。
筆者の過去のNoteに書いたものと重複する所もあるのですが、
今一度、壱百満天原サロメの人気に関わるものから優先的に5つ紹介し、
そこから如何に『壱百満天原サロメ』が今のにじさんじらしくないかを導き出したいと思います。
1.問題行動を起こすタレントによるリスク
はい。これが直近のにじさんじを見ていて、最も心当たりがある不満のはずです。
にじさんじの運営はアダルトビデオの割れ疑惑から炎上した、所属ライバー『ローレン・イロアス』を箱に残す判断を下しました。
それも、ほぼ無罪放免とも言える放任状態で。
形ばかりの休養レベルの謹慎。
復帰直後のコラボ、大会への積極的な参加。
デジタルコンテンツを侵害してからのボイスドラマの販売。
そこから2ヶ月足らずでの人種差別的な失言による炎上。
事後対応の印象は悪いと言わざるを得ない。
被害者側との間に示談が成立しているとて、迷惑を掛けた相手は他にもいました。
同僚のにじさんじライバーや、箱そのものです。
炎上によって、彼が関係していた案件も延期にもなりました。
にじさんじグループ全体の風評も著しく低下してしまった。
気分を害し、好感度を下げたのは他ライバーのファンも同様です。
しかし、彼のその後の態度や活動姿勢から他ライバーとそのファン、
箱への反省や謝罪の意が見えて来なかった。
それをどこで判断しているのかって?
そんなのは簡単じゃないですか。
コラボをして、大会に出て来るからです。
自身のやらかしを真摯に受け止める気があるならば、
迷惑をかけてしまったと反省しているならば、
復帰直後からホイホイとコラボをして、CRカップなどの大会に出てはしゃぎまわっていません。
自身に突き刺さる対外的な厳しい視点を汲んで、反省の意を示すつもりがあるならば、コラボなどは当然ながら自粛するはずです。
「相手から誘ってくれたから」って?
それこそが、誘惑です。
「自分は再び誘惑に負ける意思の弱い人間です。」と証明するに等しい態度に見られてしまいます。
自分にとって美味しい話、美味しいチャンスを断るからこそ、反省していると捉えられるのです。
彼個人も問題ならば、箱の体質も問題です。
実際に反省をしているかどうかよりも、”反省の意思を示さなくてもライバー活動が成り立ってしまう事”の方が危うい。
何故ならば、こうしたライバーに対して今後にじさんじは、
何の抑止力も持てないと示しているに等しいからです。
本来ならば、運営側から該当ライバーに対して、”一定期間のコラボ制限”を課すだけでもある程度はこうした不満は解決され、それが再発防止にもなると判ったはずです。
3ヶ月でも半年でも良いから、ソロ配信だけでコツコツと活動する姿勢を見せてくれたならば、本人の気持ちはどうあれ世間は勝手に「こいつはもう反省したんだな」と思ってくれた事でしょう。
こうした運営の甘い対応は当事者の今後の為にも宜しくない。
「またやらかしたら、ソロ活動のみで頑張らないといけなくなる。」
「またやらかしたら、コラボが出来なくなってしまう。」
自身の過ちの結果として自身が不利になる懲罰的措置がなければ、
”そもそも反省する必要がない”と解釈する人間はいます。
箱の風評の為にも、他ライバーの為にも、ローレンの為にも、コラボ制限と云う罰則を設ける事である程度は丸く収まります。
でも運営は何もしませんでした。
ならば身体中に油をぶっかけて、マッチを持ったままの人間が、
大勢が集う場所に平気で飛び込めてしまうのです。
こんなのは他のにじさんじライバーを推している側にとっても対岸の火事とは捉えられず、”身に迫る驚異”にしか感じられません。
何度も同じようなミスをして、あまつさえ反省の色も見せない相手に対してそこに怒りや嫌悪の感情が湧くのは無理からぬ反応です。
大会等ならランダム的なチームの振り分けや、二次会などもあります。
「どうか○○が大会に参加していませんように。」
「どうか推しがこの嫌いなライバーと当たりませんように。」と、
イベントの発表や抽選会の度に戦々恐々としているのが、今のにじさんじ界隈です。
そのストレスは解決出来ます。
現状「壱百満天原サロメ」を見る分には、見たくないものを視野に入れなくても良い。
集団的コンテンツに深入りしない「個」としての楽しみ方。
危ういライバーからの直接的な介入、及びランダム性のある舞台での不安も回避出来るのです。
2.ハイエナの氾濫とコラボ嫌い
『ローレン・イロアス』の問題は判りやすく、本人に目に見えた落ち度がある一例に過ぎません。
あれほど極端な存在ならば、風評被害や二次災害を警戒して自ずと回避しようと努めるライバーもまだ多いでしょう。
普段にじさんじを見ていて、”もっと回避し難い難題”があります。
多様な個性のタレントが一箇所に集まるのがにじさんじというグループです。
――その弊害。
最初から自分が受け付けないジャンルまでコンテンツの中に混入する。
興味がないタレントと嫌いなタレントで溢れてしまう構造を持っています。
そしてにじさんじ、Vtuberのコラボ文化の強さ足るや。
単純に”見たくない相手とのコラボが増える”
そして一部の方はこんな事も思うかもしれません。
「自分が嫌いなVtuberに限ってコラボをしたがるなぁ・・・。」
「自分が嫌いなライバーに限っていろんな大会で見かけるなぁ・・・。」
これはある意味、”偶然ではなく必然”です。
コラボとは本来ならば、宣伝の為に行われる活動です。
これが企業同士ならばお互いにWIN WINの関係を目指し、お互いの利益になるような形でのコラボレーションを行うでしょう。
しかし、にじさんじ、Vtuberにおいてのコラボの趣旨は異なります。
コラボとは『仲の良い人達が集まって配信や動画で絡む事』
これが界隈のコラボにおける”暗黙の了解”や”建前”としてあります。
利益だのビジネスだのと言った不穏さを纏う打算的な感覚は度外視して、
あくまで「ただ仲が良いから」と云う体でコラボを片付ける優しい文化です。
故に全員が優しい良い人で、
全員がファンを楽しませようと努力する人で、
全員がエンターテイナーとして秀でた才能を持つ人。
と云う保証ありきの上で成り立つ文化なのです。
結果として、この界隈は打算を見抜けなくなった。
ならば打算的な者である程、この文化を悪用するに至ります。
”このコラボの前提に見合わない活動者”こそが建前を盾とする。
自分の人気が無いからと、ソロでやっていけない者達からコラボに頼る姿勢に向かう。
まだ人気がない、実力が及ばない人ほどコラボや大会に積極的になる。
そしてこの手のやり方は、あまりにも有効に見えすぎた。
手軽に利益を得られる手段だと知られすぎてしまった。
にじさんじは数多くのインフルエンサー、人気所が所属する箱。
それでいて「にじさんじ(Vtuber)ならばみんな信頼出来る仲間だ」
「コラボ相手は素晴らしい逸材揃いだ」と云う強迫観念にも似た感覚が蔓延している。
コラボに対しての警戒心の乏しさ。
自身の利益を度外視した、仲間意識での交流様式。
そうした環境、慣習が呼び起こす者こそ、
自分のコンテンツの人気を他者に委ね続ける、
――ハイエナ型の活動者達の氾濫。
それは、片方の活動者に利益が偏りすぎたコラボ。
それは、片方のファンばかりが喜ぶ関係性。
それは、ただ大会に出て誰かと運良く絡む事を目的とした姿勢。
周囲が全体を慮って空気を読んでいるのを良いことに、自己の利益に執着する姿を隠そうともしない姿勢には一種の浅ましさを覚える。
それは、飲食店などで何の制限も書いてないからと、紅生姜などの卓上調味料の小袋を全部自分のバッグにしまい込む人を見ているような、
それは、会社の同僚が買ってきたお土産を全部1人で取っていく人を見ているような気分にさせた。
これらに相当する感覚に全く遭遇しなかったあなたは運が良い。
そうした関係性は仲が良くて微笑ましいだとか、てぇてぇよりも先に、
「推しが利用されているのでは?」と思ってしまう。
単純に実力が釣り合わない場合には自ずと、エンタメ水準的な格差からコラボをする相手の事を嫌いになってしまう。
「当人同士が了承してるならば認めるべき」
と思われる方もいるかもしれませんね。
ですが、
「推しが認めたから今日から相手の事も好きになります」
「嫌いだったけど、コラボしたから大好きになりました!」
と急に心変わりするわけではありません。
渋々です。
渋々と受け入れて、納得するしかないだけ。
あるいは「嫌なので自衛する。」
最初から見ない選択を取る。
自衛をさせる事で、そのコラボに肯定的な人のみを残す。
どちらにせよ”何かしらの悪感情”は残ります。
見ない自衛は、更に見ない自衛をせざるを得ないコラボの成立に繋がるだけだった。
ハイエナ的なコラボによる利益の確保とその成功に味をしめて、
次から次へとハイエナ達活動者が周辺に増殖する。
にじさんじの内外がハイエナだらけになっていく。
最悪コラボや関係性からファンをやめる。
個人的な『好きだったVtuberを見なくなる理由の1位』は、苦手な相手とのコラボからです。
この流れは現状『お人好しな人気者』ほど利用され易く陥り易い。
誰も彼もを歓迎ムードで呼び寄せてしまう優しい推しの立ち位置は嬉しく感じない。
コラボに肯定的なファン層である程に、ハイエナにとっての格好の餌になってしまう。
ならば自らの視聴者が喜ばない、需要に乏しいコラボの連発でファンを突き放し、人気を捨て去る事になります。
これはにじさんじのライバー達。
特に話題性ある新人や、一度はバズりかけたタレントの人気が急速に冷え込む原因でもありました。
人気を維持し難い事の理由の1つには、その人気や話題性をコラボ活動や大会の出場によって冷ましてしまう事が挙げられます。
新人ほど環境に対しての不安でいっぱいで、立場も弱い存在はない。
先達にコラボを誘われるならば、それは「ありがとう」でしかない。
大会のチームに招待されるならば、それは栄誉な事と受け取る。
ならば、軽率に付いていく。誘われるがままに付いていく。
ですが、新人のファンが今最も見たいのはその”新人ライバー個人”であって他の知らないコラボ相手達ではありません。
結果、ファンが見たくないものを見せてしまう。
そこで今、おすすめしたいVtuberがいます。
『今最も見たいものだけを見る事の出来るコンテンツ』があります。
自分自身だけを見せ続ける事で、煩わしさを感じさせない。
ハイエナも近寄り難い孤高の立ち位置。
「コラボが嫌なら見るな。」と言われるならば、
「嫌で見ない。をしなくても良いこのVtuberを見る。」
はい、『壱百満天原サロメ』です。
3.グループ売りと関係性疲れ
にじさんじがお熱なのは『小規模編成のグループ売り』です。
だからこそ、グループとしての深い関係性の中に嫌いな相手が生まれてしまったファンはどうしようもなく逃げ場を失います。
元々の人気も平等ではありません。
実力的に拮抗してない場合もあります。
『Aが大人気、Bが中堅、Cが微妙』と云う関係性だってあり得ます。
元のファンの母数的に多いAのファンがCに対して「こいつは足手まといだ」「Aはソロの方が面白いのになぁ。」と感じるのも仕方のない事です。
そこから『グループ内ファン達の対立、泥沼の喧嘩状態』が生まれます。
運営主導によるグループ化の波はこうした『人気のキャリー的構造』をも頻発させ、ソロ活動を見たい方々にとっての懸念事項となりました。
公式案件の抜擢やグッズに際しての優遇、不遇と言った感情もどうしようもなく生まれます。
単純にこうした関係性絡みの対立構造は、ファンにとってもライバーにとってもめんどう臭い。
グループ売りには一連託生、運命共同体なリスクがあると云えます。
それこそ再び例に出しますが『ローレン・イロアス』は、同期としてデビューした4人のライバー達と一緒に、「エデン組」で括られるグループを形成しています。
(更に内部ではスローンズという二人組コンビもあります。)
ローレン1人がやらかした事で、他の同期4人の今後の活動にも何かしらの支障は生じ、”同じエデン組”として厳しい視線が注がれる・・・・。
「いやいや、ちょっと待ってくれよ」と。
これがグループYouTuberであったり、最初から運命共同体としての契約を結び、強固な繋がりを持って活動をしているならばまだ判ります。
相互利益として全体でしっかりと利益を共有しているが故に、誰か1人が不祥事でやらかすならば、”グループ全体の責任”として対処するわけです。
ですが、にじさんじのグループ売りの大半にはそこまでの連帯責任は無いはずです。
元々ローレン・イロアスとのエデン組での活動において、他4人が受けた利益などたかが知れている。
他4人のファン達がローレン・イロアスを通じて感じた楽しさ、喜びもそんなに多くはないのです。
けれども、”風評被害のとばっちり”は同様に受けかねない。
”身内の不始末”としてフォローする必要が出て来る。
擁護するのか、しないのか。触れるのか、触れないのか。
逐一シビアな選択を迫られ、一歩間違えば同類として嫌われかねない。
予めグループでのグッズ展開や案件なども予定していたならば、突き放す事も解散する事も出来ない。
本人たちの内面は窺い知ることが出来ませんが、苦心する推しを見て、
ファンとしてはメリットとリスクが見合わない関係性に思えてくる。
「溜まったもんじゃないな。」と思ってしまう。
このようなグループ売りは個人としての活動の制限にもなり、
一歩間違えば足を引っ張られる、”逃れられない呪縛”と化します。
にじさんじでは一貫した1つのグループだけで活動を行うのではなく、複数のグループを掛け持ちしていたり、またすぐに次のグループ展開が始まるのが日常茶飯事。
その為、関係性やグループ売りに日々感情を振り回されることで、ファンの方も疲れてしまうのです。
そこで良い提案です。
にじさんじで唯一、ソロデビューをしたライバーがいます。
その名は『壱百満天原サロメ』。
彼女には同期という関係性すら存在しません。
故に足を引っ張られる事も最小限で済むでしょう。
4.大会と外部環境への依存
にじさんじでは一時期からグループ所属のタレントを集めて行う、『ゲーム大会』が流行り出しました。
にじさんじの人数の多さを活かして行われるこれらの大会イベントは、
ライバー、ファン共に凄まじいまでの熱量を提供し、今日では箱を象徴する一大コンテンツとなりました。
しかし、そんな強いコンテンツだからこそ、”大会に依存する”とも言える状況が生まれます。
大会で活躍出来るかどうかが、人気の潮流を大きく揺るがします。
そして、大会のほとんどがゲームの大会です。
必然的にゲームの大会で活躍しやすい、ゲームが上手い人達ばかりがにじさんじの中で存在感を発揮して、目立ちやすい環境になりました。
別にVtuberはプロゲーマーではありません。
必ずしもゲームが上手くある必要性はない。
ですがゲームスキルが活動において、目に見えたアドバンテージを持つに至りました。
そんな大会文化、ゲームスキルが有利な環境に目を付けたのか、
”彼ら”がやって来ます。
ストリーマー、プロゲーマー。
ゲームに特化した”本職”の方達です。
APEX。CRカップ。ストリーマー界隈との交流の問題点については、こちらの記事で詳しく紹介しました。
それは、お強いプロゲーマー達の客寄せパンダになるVtuberの姿。
生身の活動者達を知っていて当たり前かのようなコミュニティ。
一部のライバーに至っては、もはやライバーやVtuberよりも外部のストリーマーとのコラボが多い状況です。
特に企画するでもなく同じゲームを、同じ相手とずっとやっている光景。
APEXも大会も、もはやコラボをする為の口実に思えてなりません。
ファンの方を見たくないが為に、
ファンと向き合いたくないから、
”外部のコラボ相手と外部の大会を中心にした活動スタンス”に向かう。
そのコラボ相手はVtuberではなく、別界隈の人間。
――圧倒的な疎外感。
Vtuberがヒットした理由の一つは、
『双方向性が高く、ファンとの距離感が近い、二次元キャラクターの姿』にこそあったと思います。
にじさんじにしても、より双方向性の高いコンテンツである生配信に注力した事が成功に繋がりました。
ですが今ストリーマー界隈とコラボをして、あちらの文化を取り込むことで、そうした『Vtuber側に根ざした魅力』は失われ欠けているようにも感じてしまいました。
プロゲーマー、ストリーマーが悪い。というわけではありません。
ですが文化的な価値観は異なります。
比較的に”アウトローなスタンスの言動”が評価され易く、そうした活動者が活き活きしやすい場。
人気や好感度に対して、ゲームの上手さという指標が占める割合が高く、
ゲームで活躍してしまえば、多少のマイナスを帳消しに出来てしまうと思わせる。
ストリーマーやプロゲーマーならそれでも良い。
それがあちらの、ゲームが本職故の文化と云うだけ。
ですが、にじさんじライバーはVtuberであり、
”Vtuberはストリーマーでもプロゲーマーでもない”。
人気商売としては本来ならば、ゲームが上手かろうが大会で活躍しようが、そこまで好感度の低下を補えるものはなく、信頼回復には足りない。
ならば反省やそこからの改善なしに、人気的な復活もありえない。
――だが、今ではそれが成り立とうとしていた。
かのローレン・イロアスが復帰直後に大会に誘われ、チームを組んだ相手もストリーマー方でした。
「同僚が相手なら角が立つけど、外部のストリーマーさん達なら大丈夫だろ。」と楽観視させてしまうようです。
かつての炎上したライバー達ならば箱とそのファン達に向き合い、
向き合う中での反省から、成長も出来たかもしれません。
ですが、今は明確な”逃げ道”がある。
『外部が逃げ道』になってしまっている。
外部に依存する事で、反省せぬままに人気的には復活出来る。
CRカップには大手Vとの恋愛沙汰で炎上した「まふまふ」等も参加しますし、RUSTのストリーマー鯖もローレンのように炎上直後であったり、脛に傷を持つ人達が入って来ます。
「にじさんじでやらかしても、ストリーマー相手ならイケる」
「ネタにしたら禊になる」
「外部が弄ってくれたからありがたい」
不良が武勇伝かのように語る事での傷の舐め合い。
何か問題を起こして身内の箱に迷惑をかけても、別の界隈に逃げ込めば外部主体の空気感の中で茶化して無かった事にしてしまう。
外部依存による所属意識の低さ。所属意識の低さによる外部依存。
そりゃあ反省や改善には向かいませんよ。
にじさんじでは一時期から所属タレントと一般人(リスナー)との間での、VC(ボイスチャット)を禁止しています。
その理由というのも恐らくは「センシティブな発言」や「差別用語」を口にされた場合の、チャンネルBANなどの貰い事故回避が名目だと思うのですが・・・。
ほとんど同じような構図で自社タレントが外部に迷惑を掛けてしまうようでは、いろいろと理屈が通りませんよね。
別の箱では、RUSTのストリーマー鯖への参加自体に運営からNGが出ている模様ですが、こうした炎上に巻き込まれるリスクを考えると当然としか思えません。
ライバーだから、Vtuberだから、ストリーマーだから、何かしらの活動者だから、無条件で一般人よりは信用出来るなんて事はない。
簡単に誰でも出入りして、好き勝手して良いと思わせる『場』こそがリスクを増幅させる。
これは個人的な観点でも紹介したかったのですが、
所属ライバーの『北小路ヒスイ』といわゆる『KUN界隈』の繋がり。
「運営側は放置してても良いんでしょうか?」と心配なリスナーが出ている事例です。
にじさんじの『北小路ヒスイ』は『ヒスイ転生』としての名で、KUNが主催する「50人クラフト」というMinecraftの企画に参加。
『ヒスイ転生』をタイトルにした動画での一幕。
参加者「Vチューバーもどうせ裏でセッ○スしまくってる。」
参加者「紙ぺらに精○かけたらふやける」
参加者「セレ女って何?」
HISUITENSEI(ヒスイ転生)「せれいねじょがくいん」
参加者「セ(フ)レ」
参加者「本生5万セレ女」
HISUITENSEI(ヒスイ転生)「やべやべ」
この界隈ではこういった会話内容は当たり前なので、彼らが悪いわけではないです。
ですが、コラボ相手としてまず対等な扱いをされていないにも関わらず、それを良しとしてしまっているライバーの姿勢。
いくらタレントの交友関係は自由であるべきとしても、企業所属のVtuberとして、箱の看板を背負った身で依存して良い環境には思えません。
同期であったり、他のライバーにこの文化が向かってからでは手遅れになります。
箱からの利益は十分に手にしながらも、不祥事を起こせばそれは箱の責任として風評被害が生じてしまいます。
そのツケは他の同僚達が払ってくれながらも、当事者は外の世界で伸び伸びと活動が出来てしまうようなこの環境。
これでは元々の素行に問題がなく、Vtuberに拘って箱を盛り上げようと活動をしている者達が報われない。
そんな理不尽さに対しての苛立ちです。
ゲームが上手ければそれでチャラなのか。
大会で活躍すればそれが偉いのか。
ストリーマーの知り合いが居れば炎上しても痛くも痒くもないのか。
他者に迷惑を掛けたライバーが野放しにされ外部に救われる一方で、
『真面目なタレントや正直者が馬鹿を見る』この環境そのものへの漠然とした嫌悪感。
ひいてはこの状況の馬鹿らしさから、運営も信じられずにじさんじを集団的コンテンツとして推す事にも不満足さを覚える。
ストリーマーや外部の界隈との境界線が曖昧になった中での、いろんな意味でのVtuber離れ。
そんなどんよりとした暗い感情にも”待った”を掛けた存在がいます。
それが『壱百満天原サロメ』。
彼女のAPEXをやらない宣言に喜んだ方も多いのではないでしょうか。
APEXというゲームが悪いのではなく、APEXをコラボツールに経由した諸々の雑多な関係性と『文化的な干渉』こそがトラウマの種。
ゲームの上手さは関係ない。
大会での活躍も関係ない。
APEXをしなければ伸びないなんて事もなかった。
ストリーマーとコラボをしなければ、人気になれないなんてまやかしだった。
真面目な者、正直者が報われた。
Vtuberが身一つの正攻法で駆け上がる様を一緒に楽しむ事が出来ます。
5.女性タレントの低迷ムード
最近というかここ2年ほどですが、『女性ライバーよりも男性ライバーの方が勢いを感じられる』状態が続いていました。
加えて、『鈴原るる』や『御伽原江良』などの看板クラスの女性ライバー達の引退。
最近でも『童田明治』など人気のあった女性ライバーの引退は連続しています。
※本項で当初『メリッサ・キンレンカ』を女性ライバーとして紹介してしまい申し訳ありませんでした。
その影響は決して軽いものではありません。
女性ライバー市場全体、女性ライバーのファンやコミュニティ全体にどこか元気がなく、”言い様のない低迷ムード”は感じさせてしまっていた。
決して女性ライバー全てが低迷していた。というわけではありません。
多方面での努力で委員長に次ぐ登録者に上り詰めた『星川サラ』、
おバカキャラを活かして堅調に伸び続ける『フレン・E・ルスタリオ』、
最近では、キレのあるオタク語りでスペイン村をトレンド入りさせた『周防サンゴ』。
海外勢のグループ統合をきっかけにして注目された韓国勢の『ヤン・ナリ』。
個人単位に目を向けると、粒ぞろいで活躍著しいライバー達は存在しています。
しかし、女性ライバー市場全般の人気として見た時に現在の男性ライバー人気に比べると、明確に”まだ足りないもの”がありました。
――それは、アイドル的な需要。
――推し意識の強さ故の、爆発的な熱量。
今や登録者100万人を数える『葛葉』や『叶』による「ChroNoiR」、
海外の「にじさんじEN」の男性を筆頭に、男性ライバー達が飛躍したきっかけには、『アイドル需要による客層の獲得』があると考えられます。
また、運営側主導でも『ROF-MAO』などの男性ユニットの専用チャンネルを開設するなどして、この需要に強くアプローチする動きが見られました。
兼々『にじさんじ男性ライバーのアイドル化戦略』は、順調に成功していると言って良い状況です。
方や女性ライバーでは、こうしたアイドル的な人気が十分に開拓出来ているとはいい難い。
故にスーパーチャットであったり、グッズの売り上げであったりと、集客的な部分でどうしても一歩遅れる所があるのです。
正確に云えば『さんばか』と云う人気の女性グループがあります。
ほぼライバー主導で偶発的に生まれたこの需要は、後発の女性グループでは上手く再現することが出来ていないように思えます。
その為、運営が女性アイドル的な人気や集客力の高さを任せたい場面では、とりあえず「さんばか」で、と大きく依存している状態にも見えるのです。
それこそ、女性のVtuberでアイドルならば『ホロライブ』が思い当たるはずです。
だからこそ、にじさんじの女性ライバー達はアイドル需要の分野では一歩遅れを取った感は否めない。
いや。むしろホロライブが在るから”積極的に狙おうとしなかった”。
つまり、『アイドル(ホロライブ)との差別化』こそ狙っていました。
これは私が思うに、にじさんじでの一種の悪癖。
それは『面白さ至上主義』の『芸人』的な立ち位置への強い拘り。
そして、面白さを表現する為の最も強い選択肢としての”男女混合コラボへの傾倒”。
にじさんじは常日頃から多様性を掲げてはいますが、
その多様性の中から”アイドル需要”だけは除外されがちでした。
というのも、男女混合のグループで活動する為には、”アイドル性全般”が邪魔なのです。
正確には、アイドル性に惹かれてやって来るファンが邪魔です。
いわゆる『ガチ恋勢』だとか『ユニコーン(独占厨)』のような、
異性コラボで騒ぎ出す厄介なファン達は、男女混合のコンテンツには邪魔になるので箱から死滅させなくてはなりませんでした。
この際に”厄介な客だけをピンポイントに死滅させる”は不可能です。
にじさんじが男女コラボを基盤としたコンテンツを供給する箱である限り、
『女性ライバーのアイドル性一般』をも、需要としてまるごと捨てるのが一種の美徳と捉えられました。
その為、先に挙げた『さんばか』のアイドルグループ的な需要は奇跡的であり再現性を伴わない。
方やこのにじさんじが捨て去った、女性アイドルの需要にアプローチする事で人気を拡大させたとも云えるのが、今日のホロライブというグループ。
では、そのホロライブの躍進を前に、にじさんじがどうしたかと云えば、
「じゃあアイドル需要はホロライブのものでいいや。」
「にじさんじはそんなもの目指さずに、『芸人』でやっていくからさ。」
といった具合のスタンスを取ったように感じられます。
より一層面白さを追求した男女コラボに向かい、
ホロライブがあるからこそ、アイドル需要を強く突き放しました。
ですが結局でした。
結局は、男性ライバーに関しては運営主導で強固なアイドル売り戦略を行い、同性アイドルグループ的な需要は日々強まっているのが実情です。
ならば必然、そんなアイドル需要を伴う男性ライバーに対してはガチ恋、厄介ファンは増えに増えています。
以前のノリで男女コラボを行うならば、女性ライバー側に対して「雌を出してる」だとか、「ぶりっ子うざい」だとかの感情で叩かれ易くなった環境です。
言ってしまえば、今のVtuberは男性も女性も『大アイドル時代』です。
アイドル的な需要が人気に強く作用する潮流の中で、
――女性アイドルのホロライブ。
――男性アイドルのにじさんじ。
「え?じゃあ、にじさんじの女性ライバーの立場は?」
アイドル需要のパイを取らない限りは、にじさんじ女性ライバー市場はこの2つには及びません。
アイドル人気で推してくれるファン達は、基本的には金払いが良いとされます。
それこそVtuberの収入源の大半であるスパチャ、グッズ、ライブイベントにも結びつきやすい層です。
ならグッズや案件にしても、そうした需要を確保しているライバー達が優先して抜擢されるのは企業としての当たり前。
だからこそ、『アイドル人気を受け入れない』、『アイドル需要のファンを狙わない』のは、最初からとてつもなく不利なのです。
男女混合の環境であるにじさんじで女性がアイドル売りを行う場合、ホロライブとは”前提条件”が違います。
この際のホロライブの優位性は”箱そのものがアイドル売り”だと関わる全ての人達が判りきっている事です。
自箱のみでコラボと関係性を回すことで、スムーズにアイドル売りは完結する。
ファンに対して提示する箱としての指向性と、タレントの活動スタイルが最初からアイドルのみに向いている事での、需要と供給のわかり易さ。
対して『多様性』のにじさんじ。
どのライバーが何を目指しているかはバラバラであり、とりわけ『芸人売り』を目指してると思われがちな環境です。
アイドル需要を掴むためには、きちんと”他とは違うスタンス”である事をアピールをしないと気付いてもらえません。
「あなた達の方を向いています。アイドル好きの方どうぞ来て下さい。」と思わせる所から始めなくてはならない。
何よりも、『自箱の男性ライバーの存在』がどうしてもネックになります。
男性側のアイドル人気獲得には女性とのコラボは障害になり得ず、
女性側のアイドル人気獲得には男性とのコラボは障害に成り得ます。
簡単に例えるならば、
女性だらけの場で、ジャムの瓶の蓋が開けられずに困っているとしましょう。
そこに1人の男性がやって来て、スっと瓶の蓋を開けてやれば、
「すごいすごい」「ありがとう」と”男性的な魅力”がアピール出来ます。
これはにじさんじのみならず、Vtuber界隈の男女コラボの多くで採用されるテンプレート的な構図です。
こうした性別に紐づく魅力は、レンズ越し(配信越し)にはアイドル性にも繋がりやすい。
お祭り(大会)で中心的になってはしゃぐのも男性なのは間違いないのです。
大型のイベントが増えれば増えるほどに、にじさんじの男性ライバーの人気は高まりました。
男女混合の場において、性別に紐づく魅力(逞しさや格好良さ)をアピールしやすいのは男性側です。
この辺は性差の話もあって、複雑かつ長くなるので、ここでは深く語りません。
とかく女性ライバー側は男性とのコラボからでは、性別的魅力としてのアイドル性を獲得するのは困難です。
である以上は、男女コラボにおけるアイドル需要の掴みやすさにおいては男女は平等ではなく、女性側に一定の不利性があります。
もっと、単純な理由があります。
男女コラボに不満がある男性ライバー側の女性ファンは、『競合他社が弱いので不満があろうがにじさんじに残るしか選択肢がない』
男女コラボに不満がある女性ライバー側の男性ファンは、ホロライブ他競合が強いので、『わざわざにじさんじを見続けなくても良い』
その為、女性ライバー側の方がファンを失い易いという違いがあるでしょう。
その結果としてのにじさんじファンにおける男女比の変化。
単純に女性ファンが増えた。とも取れますし、男性ファンが減った場合もあり得ます。
どちらにせよ男性ファンの方々としては、最近はにじさんじのコミュニティで肩身の狭さを覚える事も増えたのではないでしょうか。
それこそ、
「女性ファンは金払いが良い」「男性ファンは金払いが悪い」と比較されます。
これもアイドル需要の強さの違いです。
恐らく今後女性ライバーにアイドル的な需要が生まれない事には、ファンの男女比率や、それに伴う『男女の利益格差』も広がるばかりだと思います。
もちろん、運営側も女性ライバーのアイドル需要を全く見ていないわけではない。
それこそ『さんばか』の運用が示すように、その方が利益が出るとは判っています。
女性5人組の通称『セレ女』や、女性3人組の『Ranunculus』など女性のみで構成された新人グループを定期的にデビューさせました。
『Ranunculus』に至ってはデビュー直後から、3人でのオリソンまで発表しています。
これらのビジュアルやプロモーション段階でイメージさせるものはストレートにアイドル的、あるいは『きらら漫画系的』であり、同性売りやアイドル的な需要を見込んでないはずがありません。
にじさんじを知らない人程、これらの情報だけを見るならば、
「この子達はアイドルじゃなくて芸人として売っていくつもりなんだ」
「可愛さよりも面白さ優先で、男性中心にコラボしていくコンテンツなんだ」
と解釈する事はまず有りえない。
それくらいに”提示される情報としてはアイドルイメージ”に寄っている。
運営としては間違いなく女性ライバーのアイドル需要は狙っていた。
しかし、タレントにはそこら辺の特別な指導は特になく、事前のプロモーションとの擦り合せも不足していました。
放任が故に本人達が寄る辺としたのは、『芸人で男女混合が売りのにじさんじらしさ』に留まった。
異性との絡み方への配慮を心がけたり、それこそ『さんばか』のようなグループ売りの連携を得られず、アイドル的需要にはいまいち上手なアプローチが出来なかった印象です。
このビジュアルや編成で売り出しているにも関わらず、それは活かされず、にじさんじらしく男性ライバーとコラボを重ねて、大会に出て、知らない生身のストリーマーとご一緒する。
ならばプロモーションに惹かれてやって来た、アイドル性や同性グループを求めてる新規は去ってしまう。
既存のにじさんじのファンにしかアプローチが出来ない。
『にじさんじの多様性の中にアイドル性を求める需要』は引き込む事が出来ません。
ともかく女性のみのホロライブに比べると、何より面白さと男女混合を是とするにじさんじでアイドル需要を形成するには、針の穴を通すかのような繊細な立ち回りが要求されています。
――かつて、これを成したライバーが居た。
「鈴原るる」。
彼女は最後まで『ほとんど男性とコラボをしないスタンス』を取った稀有な女性ライバーでした。
正式な配信上での異性とのコラボは記憶にあるだけで3回程度。
内の2回においても、「舞元圭介」や「ジョー・カー」と言った正統派のアイドル的人気のあるイケメン枠男性ライバー達ではなく、気の良いおじさんキャラと見られている方々です。
異性とコラボをしない事だけが彼女の魅力の全ての理由ではありませんが、
『男女コラボこそがにじさんじの華』と見られた環境や集団において、
逆らうスタンスを取り続けるのには、相当な拘りか意思の強さが必要です。
彼女のそんな立ち回り、活動スタンスはにじさんじにおける特異点。
ホロライブファンの中にも、「にじさんじで鈴原るるだけは見ている。」といった兼任推しのファンを生み出しました。
ならばアイドル性を求めたファンをも惹きつけて、トップライバーの1人とも言える人気を博したのです。
つまり、「にじさんじの女性ライバーにアイドル性なんて求めていない」は嘘です。
求めていた人々はちゃんといました。
にじさんじの女性ライバーを追っているけど、男女コラボはあまり見たくない層だっていました。
ですが、にじさんじには存在しない方が良い者として、需要を日々追い返していただけです。
それこそ「多様性」です。
男女コラボしてなんぼの概念も、芸人的であるべきという感覚も、
ホロライブがアイドルをやっているから、差別化するべきという価値観も、
『多様性に反するにじさんじらしさ』の悪癖に過ぎません。
そんな彼女の引退が意味するものは個としての引退と云う意味だけではなく、にじさんじの女性ライバー市場から、またもアイドル需要を大きく後退させました。
女性ライバーがアイドル需要を狙う場合の1つのネックは、
『判りやすくお手本に出来るタレント』の少なさです。
やべー奴や、芸人売りは判りやすい。
今も様々なライバー達がコンテンツとしてその魅力、売り出し方を発信しています。
しかし、女性のアイドル的魅力を表現する為のお手本は限られている。
『鈴原るる』の引退は、にじさんじからの女性ライバーのアイドル売りに際しての『ノウハウの消失』をも意味したのです。
彼女のアイドルとしての人気、ファン層を満足に引き継ぐ事が出来なかった。
そして周囲が誰もやらないが故ににじさんじ女性ライバーのアイドル人気を作り出すには、”1人だけで媚びへつらうが如き気恥ずかしさを伴う”。
それ故に今日この需要を開拓せんとする者はその前提として、他のライバーや箱に囚われぬ姿勢を提示する必要がありました。
今のにじさんじらしさに流されない、独立した活動スタンスを取る者。
それこそ『壱百満天原サロメ』。
彼女がアイドル的な人気をも狙ったのかどうかは未だ分かりません。
ただ実態としてはそうしたファンが確実に付いていると思います。
露骨なアイドル営業はしていないにしても、にじさんじ女性ライバー特有のアイドル需要を突き放す選択肢は回避し続けている。
それ故にアイドル(ホロライブ)という、にじさんじが差別化を言い訳に捨て去ってきた巨大なパイにも手が届き、これだけの伸びを見せたのです。
『壱百満天原サロメ』による不満の可視化
コラボ。コラボ。コラボ。
大会。大会。大会。
自衛。自衛。自衛。
日々見られない配信で溢れていく。
煩わしい関係性。嫌いな相手が増えていく。
コラボに誘われやすい立場が何も良い事に思えなかった。
推しがCRなどの大会に誘われる事が何も栄誉に感じられない。
客寄せパンダにされる事の何が嬉しいのかついて行けない。
大会があっても結局は目立った活躍をして、上へ上へと駆け上がるのは男性ばかりじゃないのか。
女性Vtuberがアイドルやってくれている隣の芝はなんだか青いなぁ。
悪い事して反省しないままの人間が平気な顔してうろついてるし、にじさんじ推すのやめようかな。
そもそも、自分が好きなVtuberって何だったんだろう。
今、そんな不平不満を解決している存在が『壱百満天原サロメ』と言えるのです。
そこには、大規模イベントやコラボでの恐怖はありません。
そこには、関係性売りに振り回されて疲弊することがありません。
そこには、初見を突き放す身内ノリがありません。
そこには、別界隈からの文化的侵略がありません。
さながら、『不満からの反転需要』
にじさんじと云う所属ライバーの多さによるメリットよりも、デメリットが強く感じられるようになった環境での、
スタンドアローン(独立したコンテンツ性)への回帰。
ならば彼女の人気が示すものは、”今のにじさんじらしさへの反逆”とも読み取れるのです。
”にじさんじらしからぬ”
Twitterフォローが公式のみ。
これを見た時、にじさんじに詳しい方なら「おっ、こいつ出来るな。」と期待したかも知れません。
別にフォローが多かったら悪いわけではありません。
ただ、何か”特別な拘り”がなければ今この選択をあえて取らないのもたしかです。
少なくとも時代の潮流に流されるタイプではない。
”彼女は特別なポジションに立とうとしている”と感じさせました。
そんな彼女の立ち位置で顕著なのは、”ファンに寄り添う姿勢”でした。
この辺の魅力はそれこそ、日々の彼女の活躍を称えるネット記事でも良く触れられている点だと思います。
一見すると”人気商売を行う活動者達に必須の要素”です。
ですが実際の所、今のにじさんじのような箱型のV達がファンに寄り添う事は日々難しくなっています。
何故なら、箱(他)のファンと、個人のファンが別々にあるからです。
新人がデビューするだけでも、今は登録者は優に5万を超えます。
初配信から1ヶ月もすれば10万人は珍しくもない。
その人達はにじさんじの他のライバーのファンであり、「とりあえず登録した」人達が多く、まだ新人個人のファンと呼んで良いのか判らない存在。
コラボや大型イベントで増える登録者にしても然り、箱のコンテンツをスムーズに楽しむ為にも利便性や儀礼的な動機で登録される場合が非常に多い。
つまり、『自身のコンテンツ』由来のファンではない視聴者も増えやすい。
これは箱所属の強みであり、煩わしさ。
登録した人達に自分が何を期待されているのかが判り難く、求められている需要も見え難い。
個人の力だけで獲得した数字ではないと判っているからこそ、
「別にそのリスナー達は自分のファンじゃないからいいや。」と、
全員を満足させようとする事はどこかで諦めてしまう。
多くの人に見られるのは良いことばかりではない。
求められる期待は高く、求めるものは千差万別。
ちょっとしたミスで叩かれて炎上し易くなる。
ならば程々が一番良いのかもしれない。
だがこの新人『壱百満天原サロメ』は諦めなかった。
自分の身一つで全てに立ち向かおうとした。
加速度的に増え行く登録者に対して、「好きな人だけ見てくれたら良いから」とは割り切らない。
「100万点の笑顔が、ひとつでも増えますように」。
にじさんじから来た人も、別のV箱から来た人も、今までVtuberに興味がなかった人も、配信に来てくれた全てのファンを満足させようとする姿勢。
彼女のファンに寄り添う姿勢は、より強調されてファンに”実感”を与えやすい。
「私は何より”視聴者の好き”を優先的に考えています。」
と思わせるようなブランディングです。
だってそうでしょう。
小学生でも今どきゲームを1時間区切りだなんて、まどろっこしいプレイの仕方はしませんよ。
自分がゲームを楽しむ為ならば、あらすじをわざわざ絵で描くような手間は必要ありません。
自分の楽しさを考えるならば、わざわざしない事を数多くしている。
ならば、それは視聴者の為なんだな。とダイレクトに思いが伝わる。
視聴者側の見やすさ、分かりやすさを考えた上での配慮、フレンドリーさがファンにも伝わりやすい。
コラボや大会が増え、
関係性ありきのコンテンツが増え、
ファンとの間に距離感が生まれやすいのが現代Vtuber事情。
そんな中で、
壱百満天原サロメはファンを見ている。
ファンは壱百満天原サロメを見ている。
それだけでも完結するコンテンツとしての圧倒的なわかり易さ。
双方向性という、Vtuberとしての原点回帰。
――異端ながら、正道。
と言うのもこうした”ファンの為にしてくれている感”によって、双方向性を強調するのは、現在のにじさんじが格別苦手としていた路線のようにも思えるのです。
彼女のそれはある種で”ファンに媚びる姿勢”に見えなくもない。
尖りのある芸人集団である事を目指し勝ちなにじさんじからすれば、
”ちょっとした照れ”があるのです。
もちろん、にじさんじの顔である委員長こと『月ノ美兎』には、最初からユーザーフレンドリーな感覚が備わっていました。
続きのゲームでのあらすじ然り、所属ライバーの話をする時には知らない人に向けて「同じにじさんじの○○さん」と補足を交えながらトークをしていました。
自分も楽しみながらファンも楽しませる、委員長キャラさながらの生真面目な姿にファンは惹かれた。
しかし、委員長の、いやにじさんじのイメージは誇張されて抜き出された。
「やべー奴」
「芸人集団」
「ライバーが好きな事をしているのを見るだけで良い。」
「それ以外を求めるのは傲慢である。」
と言った世論が形成される。
然るに、近年にじさんじらしいと持て囃され勝ちだったスタンスとは、
「自分達が楽しいものを見せてやるから、黙って付いて来い。」
「付いてこれない者は見なくて良し。」
豪放磊落で無頼を気取るが如き格好良さが、にじさんじブランドのカリスマ性へと繋がっている。
――ならば弊害もありました。
やべー奴を意識しての空回り。
「真面目にやるのは格好悪い」を旨とする粗暴さ。
初見を突き放した身内ノリ。
ファンの需要を損ねる自分が楽しい活動。
ファンよりも、コラボ相手に向かう姿勢。
もちろん全員ではないですよ。
けれど、こうした歯に衣着せぬにじさんじスタイルは誤解を生みやすく、
時にファンとの間の信頼関係を損ねる事が多々ありましたし、この辺の意識が炎上や人気の低迷に繋がったと思われるライバーを見て来ました。
「嫌なら見るな。」
ならば、こうした”にじさんじらしさ”のブランドに囚われたことで、
その、”らしさに馴染めない客を遠ざけていた部分”もあった事でしょう。
同じにじさんじ所属の『緑仙』が、『壱百満天原サロメ』に触れた切り抜きをご覧になった方もいるかと思います。
要約すると、
かつてはキズナアイや四天王達が、別界隈から客を引き連れてきたように、
これまでVを毛嫌いして見て来なかった層まで引っ張ってるのが今の新人。
だからこれを良いチャンスだと思って、自分達の事も好きになってもらおうよ!
と云った、一見するとイキの良い新人の登場に刺激を受けた前向きな発言です。
その後に続けて、
「でも僕はちゃんとしてないからな。」
「”あんなにちゃんとしてるのは壱百満天原サロメぐらい”だから。」
自虐風のネタではあるでしょうが、本音の部分もあると思いました。
元SEEDsコラボのノリが好きである人からすると、この感覚は痛いほど判ってしまう。
同じにじさんじライバーから見ても現状の「壱百満天原サロメ」はライバーとして、Vtuberとして”ちゃんとしすぎている”のです。
彼女の活動からは、いつもの「嫌なら見るな。」の大合唱が聞こえません。
時代の潮流に真っ向から立ち向う、
今のにじさんじらしさ(と見られがちなもの)への”反逆的姿勢”があります。
初配信での自身の胃カメラの公開などは、なるほどたしかに判りやすくにじさんじ的な「やべー奴」と言えるかも知れません。
ですがそれはあくまで撒き餌的。
初配信でやべー奴と言われて話題になるライバーなど数多くいました。
ですが人気が伸び切る前に失速してしまう事も多かった。
彼ら彼女らはすぐに、にじさんじらしさに囚われてしまった。
すなわち、
人気者と同じゲームをする、
コラボをする、
マイクラをする、
大会に出る、
男女コラボをする、
グループ売りをする。
広義的にはこれらはVtuberらしさとも言えるかもしれません。
別にこれらの活動も悪くはない。
適切に選ぶならば人気になる手段としては間違いではない。
求めている人も大勢いる。
だが、苦手な人も居る。取りこぼす客がいた。
苦手な人は声を挙げていた。ただ重要視されていなかった。
そんな中で、置き去りにされ往く需要をも救い上げる。
にじさんじやVtuberからは足が遠のき勝ちなリスナーにとっても、
「彼女は何やら違うぞ。」と思わせ、得も知れぬ期待感に繋がった。
今のにじさんじ、Vtuberらしからぬ事でのカリスマ性。
らしからぬ故にその反響は内に響き、外の世界にも届いたのです。
✰✰✰よろしければ左下のスキマーク、お気に入り等おねがいします。✰✰✰ 次回更新のモチベーションにも繋がります。
あとがき、今後
これでもデビューから一定期間は置いたのですが、見切り発車ではあります。
一ヶ月後にはやっぱりAPEXをして、大会に出てるかもしれません。
にじさんじの、特に女性ライバーの人気は落ちやすい。
男性ライバーとホロライブに挟まれた立ち位置は、少しのことで移住されやすく人気も吸われやすい。
のみならず運営に頼りなさを覚える。
女性ライバーへの対応は特に需要を捉えてないというか、割と邪魔な助け舟に感じる事が多い。
例えばの話。
ローレン・イロアスと壱百満天原サロメを共演させたり、抱き合わせにしてセット売りしてしまい兼ねないのが、今のにじさんじの運営だと思っています。
これは極端ですけど、いつもの「男女混合にしておけば面白いやろ?」という便利空間を使いかねない。
誰かをキャリーして人気にさせる為に都合よく利用しかねない。
壱百満天原サロメは1時間区切りのスタイルによって魅力を凝縮し、自身のネタの切り売りを最低限に留める事で、話題性の劣化を遅延させる事に成功しています。
この女の底が判らない。
もっと知りたいのに1時間だけしかしてくれない。
そんなもどかしさこそが人を惹きつける。
しかし、軽率な企画やコラボに集客要因として使ってしまう事で、この期限は大幅に縮んでしまう。
運営の脚本、他のライバーに合わせた平々凡々な態度に底が知れる事もあるでしょう。
下手な介入をする事で「壱百満天原サロメの魅力」は落ちると判るはずですが、運営はこうしたライバーの人気を雑に扱う傾向が見られます。
それこそかつて新人時代にバズった直後の「御伽原江良」をクソ企画とも名高い、ただのしりとりをするだけの「MIXUP」という公式番組に呼びました。
結果、「先輩みたいに上手くやれなかった、面白く出来なかった」と本人の自信を喪失させてしまい、そこでのヘラりムーブが炎上に繋がった面もあります。
悪気が合っての事ではないのでしょうが、そのライバーのファンの需要を捉えない、むしろファンが減るような売り出し方も割と普通にします。
許容量を超えて案件まみれにした事で、体調を壊したライバーも何人か見てきました。
下手な介入こそが足踏みに繋がり、そのライバーの人気的な限界点となっていたようにすら思えてしまう所はありました。
だからこそ、そんな環境下でこれだけバズるライバーの誕生には、
運営をも含めたにじさんじらしさという色を感じさせず、限界点を遠ざかるだけの独立したスタンスを必要としたのだと思います。
最近の新人のように運営側からの助け舟があまり入らず、本人のセルフプロデュース力が主体となった人気です。
ならばここで余計な茶々を入れて、台無しにして欲しくはないと願うばかりです。
そして彼女の人気、そのファンはスタンドアローン故に箱には直接向かい難い。
界隈全体のパイは広げました。
しかし、それがどれだけ「にじさんじのパイ」として定着するのかは未知数です。
にじさんじの女性ライバー市場には、受け皿をほとんど作れてない印象があるので、このままだと彼女のファンはにじさんじ以外に向かうでしょう。
他のライバーに才能がないとか実力がないという話ではなく、方向性が違いすぎてファンの共有が難しい。
孤立無縁ゆえの悩み所であり、それこそほとんど全てのライバーとのコラボは、ファン離れを引き起こす効果のが高くなってしまうはずです。
ミスをすれば彼女の連れてきた新規層の向かう先はhol(ry
例えばにじさんじJPの次の新人の話。
にじさんじ史上でも類を見ない、この壱百満天原サロメからの熱気を全体に広げるならば間違いなく新人は女性ライバーにするべきです。
ですが、にじさんじは男性ライバー市場も大切にする必要があるので、流石にそろそろ男性ライバーか男性グループを出して来ると思います。
してその間に、他の大手の箱から新人女性Vtuberがデビューするとどうなるかは日を見るより明らかです。
じゃあみんな見習うべき。とも言えません。
正道であっても、誰もが目指す理想ではないでしょう。
SEEDs24時のような変化球的なライバー達によるワチャワチャとしたコンテンツも、にじさんじの魅力で強みなのは間違い有りません。
ただもう少しだけ彼女よりのVtuber、ライバーは増えて欲しいと思ってしまう。
「壱百満天原サロメ」によって、にじさんじの問題が別段解決したわけではありません。
むしろ解決してないからこそ、という論調の考察でした。
今後箱全体のブレイクスルーに繋がるのか、このまま個人としての話で終わるのかも判りません。
ただこの新しい風の到来に良い意味での刺激を受け、何か変わるものがあって欲しいと感じています。
追記:
予想通り?にじさんじという箱は彼女の人気を活かす事が出来なかったように見受けられる。
箱史上でも類を見ない程の外の界隈を巻き込んだ爆発的なムーブメントであるにも関わらず、彼女に対しての現状の運営からの触れ方や、サポートの仕方が常日頃からの女性ライバーに対してのそれと同じく、杜撰に思えてしまうのは私だけでしょうか。
運営「我々は邪魔をしないようにそっとしておこう。」ではなく、その人気を他のライバーをキャリーする為に打算的な働きかけはあれども、その女性ライバー本人の人気や需要を高める工夫には疎いように思えてならないのです。
案件や企画への抜擢などは単純に彼女のソロ志向の活動スタンスからしても他のライバーと同じには行かない部分はあると思われる。
とはいえど箱の登録者トップ。今最も勢い盛んなVtuberのはずだ。
本人の活動負担が少ない公式の切り抜きであったり、それこそグッズの類までもが極端に弱いのは些か不自然なものを感じてしまう。
それこそエデン組からの新人の扱いやVTA組はもちろん、登録者的に同じく100万を数える男性ライバーである葛葉や叶、アイドル売りの激しい男性ライバー達との扱いとの差、
今のにじさんじの運営にとって、壱百満天原サロメの人気は好ましいものであったのか。
と言うのも今のにじさんじ環境における男性ライバー人気の成り立ち的に、
「箱の中で引き立て役に出来る女性ライバー」の役割は未だに不可欠だと思うからです。
男女混合下における男性ライバー人気にとって有用な女性ライバー像とは、
太客である女性リスナーを刺激しないくらいにはアイドル性を喪失した存在である事。
そして、人気が程々にあって尚且大会やコラボ等を通して男性ライバーの活躍を引き立てせ、彼らを格好良く目立たせる役割を持つ事です。
運営やライバー達がこの辺を意識しているのか、それとも結果的にそうなっただけなのかは判りません。
が、私は現状のにじさんじという箱の人気は女性ライバーの人気を消費して都合の良い踏み台に使う事で成り立った歪な側面があると感じています。
そうした踏み台としての立ち位置、つまりは男性ライバーを輝かせる役割に付かせ難いライバーというのが、これまた鈴原るるであったり、壱百満天原サロメのような形の独立的な活動志向を持った女性ライバー達です。
(反対に箱にとって都合の良いのは元ゲーマーズの女性ライバー等でしょう)
この記事で語ったように、ともすれば現在の箱の方針や運営の色を感じさせる売り出し方に対して、カウンター的な人気の在り方をも持ち合わせたのが壱百満天原サロメでした。
そんな箱の方針とそぐわぬスタンスのぽっと出のライバーが運営のプロデュース色が濃く、徹底サポートを行ったライバー達よりも遥かに伸びてしまったのです。
のみならず登録者でトップに立ってしまった。
この事実は運営にとっても良くも悪くも想定を超えたものであり、
と、何かしら不都合に感じている部分があるのかもしれない。と邪推してしまうのです。
これまでもにじさんじはグループ売りがウケたと見れば、グループ売りを強固にしました。
アイドル需要の男性ライバーの人気が加熱すれば同じような戦略でアイドル売りの男性ライバーを出しました。
それと同じように壱百満天原サロメの二番煎じを狙えば良いのです。
すれば、にじさんじの停滞し掛かっていた女性ライバー市場も飛躍的に拡大するかもしれません。
ですが、今の運営のスタンスではそうはしないだろうと断言出来ます。
運営はもはや女性ライバー市場の拡大を諦めている。とまでは言いませんが在る種の人気の在り方を諦めて欲しいようにも思えてしまいます。
何よりもそうした女性ライバーの人気の高まりが、現在の男性ライバーにとって春の終わりと成りかねないからです
この話はまた機会があれば別の記事で詳しく語りろうかと思います。
コメントへの返答。
・にじさんじが芸人売りを推して女性アイドル売り需要を難しくしているのはまあ事実だと思う。その上で、逆に「アイドル売りをしやすくしたら、逆に芸人売りがしにくくなるのではないか?」と言う視点に欠けている。
アイドル売りをしたら芸人売りがし難くなる。これは無いと思います。
芸人売りをする過程でのアイドル需要の喪失の肝は、アイドル需要に対しての無頓着さにこそあります。
アイドル売りをしようが配信者に紐付いた「面白さを表現する」という観点は失いません。
然るにホロライブの様々な配信で「ホロライブは芸人事務所」「ホロライブは芸人だから」と草と共にコメントが流れて来ます。
THE・アイドルと見られ勝ちなホロライブにもバラエティ企画はありますし、芸人ムーブが出来ないわけではありません。
バラエティ企画でウケを狙って活躍するアイドルは大勢います。
それに今こうしてアイドル人気を確立させた男性ライバー達が、急につまらなくなったというわけでも無いでしょう。
・「差別化が悪癖」はあまりにも無理が有り過ぎる。レッドオーシャンを避けるのは経済の基本では?
そのレッドオーションの認識が悪癖と云う話です。
むしろ余剰分の需要が身近にあるのにも関わらず、にじさんじが獲ろうとしないから他に取られていくだけです。
今ぶいすぽの界隈で「ノーマルカップリング需要」が凄まじい勢いで発達してますが、それを理由にしてノマカプ路線はレッドオーションだから避けるべきと云うのでしょうか。
ホロライブがEN市場を圧巻したからと、じゃあにじさんじは進出しない方が良かったとは思わないでしょう。
今後、他所の事務所が男性Vtuber市場で大きな成功を収める事があったとして、その後のにじさんじ男性ライバーは路線を変えるべきなのでしょうか。
むしろ他所がそうしてパイを広げてくれているならば、チャンスでしかありません。
これが個人勢だと事情はまた変わりますが、界隈で大手のにじさんじです。
他所が開拓した市場の客が次に向かう場所として、格別に有利な立ち位置にあります。
・ローレンに関する対処はまあその通りだが、その一つに対してあまりに頼りすぎている。「ローレンがいるから、コラボは全部ダメ」と言わんばかりの論理展開には流石に無理がある。
文中にも記してるように、ローレンは判りやすい一例でしかありません。
関係性とコラボの問題点に関しては、これまでの筆者の記事などで長々書いてしまってるのでここでは載せませんが、基本的にそれが「ダメだからするな」とは書いていません。
こういった形のコラボが嫌な人もいる。
こういったコラボをしていると人気は冷え込む。という指摘です。
それらのマイナスに向かう流れを回避出来た事も、今の壱百満天原の強みの一つとして機能しているという考察です。
・サロメは別にアイドル売りをしている訳ではないし、コラボを忌避してもいない。
何を持ってアイドル売りかという定義問題になってしまいますけど、
本人がアイドル売りを意識していなくても人気ある活動者ならば、自動的に割合問題としてアイドル需要は生まれるものです。
それが美少女やイケメンの姿をした二次元キャラクターであるなら尚更です。
そして、ボイス販売をして、記念日にはライブで歌って踊る。
それがVtuberの、にじさんじのコンテンツです。
客観的に見ても、これをアイドル的なコンテンツではない。と言い張るのはもはやダサいとすら思えます。
商売としては完全にアイドル売りでしかないのに、バーチャルキャバクラなんかと一緒にするな。といった変な対抗意識とプライドで気取っているようにも見えてしまう。
結局、Vtuberのコンテンツ的な土台にあるものは、どうしようもなくアイドル的です。
「アイドル的な需要があって更に面白い人」が最も人気になります。
アイドル性は皆無だけど、ただただ面白いだけの人がトップに立つ。なんて事はありません。
委員長が当初から歌に乗せて目指していたのもバーチャルアイドルです。
そして、どこまで行けばこのアイドル需要の喪失が起こるかの閾値には性別や個人個人の個性によって違いが出てくる。
葛葉や叶も女性とコラボはしていますし、何ならホロライブ6期生もデビュー直後からにじさんじにも触れていますし、ガリベンガーなどのテレビ番組では男の芸能人と共演していますが、そこでアイドル性が崩れる事はない。
初配信でキリコに憧れていると言い、オリバーやペトラと間接的に協力しており、ヤン・ナリのコメント欄に登場し、と、にじさんじの箱として売り出されている。
私はむしろ、そこら辺の他ライバーへの触れ方も彼女が付き合い方を弁えてると感じた点でした。
変な言い方ですけど触れ方に正当性がある対象や、不用意に自身のファンや相手のファンをざわつかせない対象をしっかり見極めているように思います。
それこそホロライブの面々がにじさんじに触れる時に、でびでびでびる辺りを引き合いに出すのと似ています。
これは勝手な予想ですけど、仮に葛葉が自身のモノマネをしても彼女は触れないでしょう。
(葛葉が危険というより、葛葉のファン層と自身のファン層の対立を警戒する視点を持つが故)
ある意味ではそうした君子危うきに近寄らずのリスク管理の感覚こそは、
鈴原るると壱百満天原サロメの共通点です。
5chやまとめサイトから引用しただけだろう。
それこそ北小路ヒスイの件はまとめサイトから知ったので、全く1ミリも参考にしていないとは言えません。
しかし1つ疑問なのは、5chやまとめサイトと似てる内容だからと、その情報や感想を100%過ちだと捉えがちな方が多い点です。
そういったサイトに書き込む人達は、もちろん野次馬やただのアンチも多くいますが同時にファンもいます。
とりわけにじさんじという箱はAと言うライバーのアンチが、Bと言うライバーのファンである事が起き得る環境です。
もっと広らけたコミュニティでは言い難い感情を、アングラな場所で書いているだけの場合があります。
その為、仮に5chやまとめサイトに書かれているのと似たような内容だからといって=ファンの感情とずれてるわけではありません。
5chやまとめサイトには嘘もあれば真実もあります。
そうしたサイトが他人のゴシップで収益を上げ、誹謗中傷の巣窟になってしまう事への嫌悪感や問題意識と事実性は別に考えるべきでしょう。
それこそローレンの処遇に関しては5chでもまとめサイトでも共通して、
運営の対応は甘いと捉えるような認識を持っています。
コラボや関係性に疲れたファンは存在しないと思いますか?
ストリーマーとのコラボが苦手なVtuberファンがいないと思いますか?
それら全ては5chやまとめサイトから発生したにじさんじアンチだけの感情であって、5chと同じ感情は偽であると言い切れますか?
これは少し意地悪な言い方ですが、
「では、どこから引っ張ってきた情報」で、
「どこのコミュニティと同じような意見」なら良いんですか?という話になるのです。
Twitterですか?ふたば掲示板ですか?Discordですか?と。
正直な所、私の記事が不満や問題点を指摘するという趣旨である限り、元から肯定よりのコミュニティから意見を引っ張って来る事にはあまり価値がないと思います。
不満が無いのは良い事です。
この記事と同じ不満を持つべきだ。なんて言いません。
ただ不満を持つ人を根絶やしにしようとするのは宜しくない。(誹謗中傷は別ですが)
にじさんじ界隈全てから不穏さの種をつぶさに見つけては、刈り取って回る自治的なファンの存在は不祥事を引き起こすライバーにとっての最大の味方です。
運営を楽観視に導き、迷惑を掛けながらも成長も改善もしないライバーが活きやすい環境を構築するのに加担してしまうのです。
鈴原のアイドル性について触れながら引退理由に触れないの悪質すぎる
私はVtuberの前世や転生後についての情報には、極力触れないように記事を書いているのもあって、それらが含まれる憶測などは省いています。
悪質と云う言い回しを見るに、アイドル性の高さ故のリスクとしてストーカー被害が生まれたんだ。と仰っしゃりたいのでしょうか。
果たし状の相手がファンかアンチかも判らない中でそういった予測は早計だと思います。
というより、異性に向けた人気商売全般に対してのリスクを極大化させて適応するのは暴論です。
鈴原るるがストーカーに合った。だから全てのライバーはガチ恋を生み出さないような路線を取らねばならぬ。
では、今のChroNoiR等の売り出し方に対しても警笛を鳴らさねばなりませんよ。
明らかに友達以上、恋人未満ないし恋人的関係性のボイス販売等もリスクを生むので止めなくてはなりません。
素直に俺はユニコーンだから今のにじさんじが気に入らないって言えばいいのに長々と駄文を書き連ねる熱意には呆れ果てる
これは丸々1つ記事にしても良い話ですが、ユニコーンは本当に便利な言葉だと思います。
このレッテルを口にするだけで全てを見下げて下に置く事が出来てしまうと思わせる。
それこそVオタク以外の人達が「V豚」と私達の事を蔑むのと同じようなノリで発する方が非常に多いのです。
そのV豚が何を言っても、彼らは聞く耳など持ちませんよね。
下賤な輩が発狂して喚いてると一笑して終わりです。
それと同じ事で仮に「私はユニコーンなので~」と事前に宣言した所で、
負のバイアスを強めるだけで何の意味も無いと思っています。
では、私がにじさんじで一番好きな配信が、「おりコウ」のギャルゲーコラボだと言ったらどうでしょう。
私の嗜好はNTRであって純愛ではなく、萌え一辺倒の作品よりも多様性を重視した質アニメを好みます。
これで何かしら印象は変わるのでしょうか?
私はどちらかと言えば、男女コラボこそがにじさんじの華であると思って見ていた側ですが、当然ながら全ての男女コラボが楽しめるわけではありません。
最初期からして、渋谷ハジメと月ノ美兎のコラボは楽しめませんでした。
ですが「全ての男女コラボを肯定しないならばユニコーンである」という考え方に基づくならば私はユニコーンになります。
異性コラボでの批判意見には嫉妬と断定し、ユニコーンと一言唱える事で全てを無効化出来てしまう。
だからこそ、その場合のユニコーンに該当する対象は物凄く数が多くなります。
それこそ、ユニコーン問題を粗製濫造のつまらない男女コラボの言い訳にしてしまった部分もあると思っています。
今のにじさんじは女性版のユニコーン(と言うべき存在)は増えています。
アモアス男子人狼などの視聴者数的に見ても一部のアイドル人気の高い男性ライバー達に関しては男女コラボよりも、男性同士の同性コラボを嗜好するファンが確実に増えていると感じさせます。
にじさんじ内の男女コラボに不満がある層を片っ端からユニコーンとして追い出した後で、結局は女性版のユニコーンはむしろ増やす路線に向かっています。
結果として、今のにじさんじでは男性ライバーのアイドル売りへの配慮が見えるようになりました。
それこそ、星川サラなどは個人的に男性ライバーとのコラボが上手かった女性ライバーだと思っていますが、叶え星など仲良くしていた男性ライバー側のガチ恋勢の事を意識して、身を引かざるを得なくなっているのは伝わります。
他にも典型的なのは紅ズワイガニ等。
男性ライバー側にアイドル人気が出た現在では従来のようなノマカプ売りはリスクが高い選択と捉えているのではないでしょうか。
そうした代替需要なのか判りませんが「おれあぽ」を代表とするぶいすぽのように、外部でもかつてのにじさんじが得意としていた男女コラボでのコンテンツ作りは活発化しています。
叶とぶいすぽの関係性など、人気の男性ライバー達の一部も外部女性陣とのコラボが多い状態です。
今や男女コラボの魅力はにじさんじの特権ではなくなりました。
それ所か、昔に比較すると男性ライバー側の女性ファンからは叩かれ易い。
男性ユニコーンを追い出しながらも、女性ユニコーンは意気揚々と育成してしまったせい現環境ではこの辺が一方的なのです。
その為「にじさんじの昔の男女コラボが好きだった人からしても今って微妙じゃない?」というのが私の感覚です。
現在の女性ライバーにとっての男性とのコラボはリスクばかりがあって人気を遠ざけるだけの選択肢に思えてならない。
ならば無理して男女コラボが華みたいな古い価値観に固執しなくても良い。
男性ライバーがアイドル人気によってブレイクしたのなら、女性ライバーもそちらを目指しても良いと思います。
というかそこを狙わないなら、セレ女やラナキュラの出し方が意味不明すぎますし需要の強さ的にも女性ライバーは年々と不利な環境になるだけでしょう。