
にじさんじの闇。格差によるファンの衝突。
――にじさんじの企画が減った理由は何だろう。
大会や運営が主導する番組はたしかにあるものの、昔に緑仙がやっていたような規模の企画は減っているように感じられる。
それもこれも「厄介リスナーが暴れたからだ」
そう結論付けるのは簡単だ。
では何故、その厄介リスナーが暴れるのか。
何故、にじさんじのリスナー同士はこうも仲が悪いのか。
それは本当に”リスナーだけの問題なのか”
にじさんじが今のような「内ゲバ環境」に至った理由を”とある1人のライバー”から紐解いて行く。
前置き「渋谷ハジメ問題」
一部のにじさんじコミュニティ、まとめサイト、物申す系Vtuber、批判系Note界隈で頻繁に取り上げられたライバーがいる。
渋谷ハジメ。
彼が過去に何をやらかして、そして今はどんな批判に晒されているのか。
という詳しい経緯の話は、私よりも格段に詳しい方が随時Noteやwikiにまとめてくれているようなのでそちらに任せる。
本記事において重要そうな部分だけを取り上げると、
・自身が誘われない環境への不満を口にするようになっていた。
(にじさんじは冷たい、誘われない大会への愚痴)
・登録者を増やすためか、他のライバーに対してゴースティングを疑われるような粘着的な姿勢でコラボを狙う。
・ARKなどのコンテンツへの過剰なしゃばり(所謂シュバり問題)
高レベル個体をとりあえず捕まえて誰かに無償で配るetc
・他ライバーとの同時視聴コラボの最中にもARKを行う姿勢。
・そこまでしておきながらも、ARKのコラボには無断欠席して迷惑をかける。
こういった言動から反感を買ってしまっているようなのだ。
まぁこれらは話半分で聞いても良い。
重要なのは渋谷ハジメに対して生み出されている感情の方にこそある。
にじさんじを見る上での「渋谷ハジメ」がストレス要因になっている層が一定数存在しているらしく、
他ライバーのリスナーから「邪魔。」「不快。」と思われているという話。
推しのコラボに来ないでくれー。
共有鯖で絡んでこないでくれー。
なんてことはない、にじさんじ特有の厄介なリスナー同士の喧嘩。
炎上とも呼べない下らない話題。
と思う人もいるだろう。
しかし、この感情を放置した事は他のライバー、
グループ全体にとっても遅効性の毒になったように思える。
このライバーを通して見えるのは、にじさんじというグループの”歪み”
だからこその前置きだ。
現状にじさんじ見ている人へ向けて、この問題を伝えるのに分かりやすい例が「渋谷ハジメ」というライバーであるという事。
この問題は「渋谷ハジメ」に固有のものではなく、個人に積を負わせようと言うものでもない。という事には留意して貰いたい。
あくまで文中の渋谷ハジメ=渋谷ハジメのような要素を持つライバーとでも思って欲しい。
よって、仮にここで書かれている事に同意する所があったとしても、
それを理由に渋谷ハジメを糾弾する、はたまた「解雇すれば良いんだ」などと扇動するような意図はない。
今回の記事で本当に主張したいのはライバー個人の是非というよりも、
”グループの構造”の問題だ。
”にじさんじの弱点”
私は1期生がデビューした直後からにじさんじを見始めていたので、
彼がどのようなライバーかをそれなりに把握しているつもりだ。
・界隈で数少なかった男性Vの第一人者。
・YouTubeへと最初に乗り込んだにじさんじのサポートセンター。
(他のライバーの配信環境のサポートをしてくれた)
・壺商人
・1期生の絆を大事にする情に厚い人。
・優しいお兄さん。
・当時はまだ珍しいゲーマー型のライバー。
・鈍感系ハーレム主人公
・深夜に友人とゲームをする感覚で見るまったり系配信者。
おおよそこんな所だろうか。
・・・・・。
いや、本当か?
これらは多くの人にとって周知されている”渋谷ハジメ像”を言い表すのに適切な言葉であろうか。
これらは過去の栄光であり、イメージ戦略的でもあり、幾つかの虚像を含む。
彼が多くのにじさんじファンに対して、自身で流布した最も強い印象はこれだけではない。
◇
渋谷ハジメは当時から自身が他の同期達に比べて、
”登録者数や視聴者数で劣る事”を常々気にしてた。
その焦り、功名心から「月ノ美兎」とのコラボを行った。
(1期生の全員と順番にコラボする計画を立ち上げ、最初の1人に月ノ美兎を選んだ。)
そして失言、炎上した頃から、
”ライバー同士のコラボに対する忌避感”
を持ったファンが一部に出始めた。
これはさながら、内紛の狼煙。
箱のファン同士の対立構造の表面化。
この件はにじさんじアンチ系コミュニティの本格的な発展にも貢献し、
グループの内ゲバ的な問題点が初めて公になった。
その後「緑色系V限定」と称して行った凸待ち企画内で、相手方の立ち絵を出さなかった。とする所から始まった炎上の連鎖が起る。
アクキーグッズの遅延、個人情報の粗雑な取り扱いも露呈した。
一連の炎上から最終的には休止へと至り、図らずともこれを批判した、
Vの炎上系切り抜き動画の有効性を証明する形となってしまった。
この2度目の炎上は「ライバーの炎上は面白く、数字が取れる」という明確な前例を作り上げる決定打であったように思う。
にじさんじの悪い情報はすぐに共有される。
にじさんじライバーのやらかしや、ファン同士の対立はゴシップとして扱われ、にじさんじのファン同士でもこの情報を共有しやすい環境になっていった。
こうしたライバーを糾弾する流れの中には、にじさんじ自体のアンチだけではなく”他ライバーのファン”が含まれていた。
他ライバーのファンからも、こういった炎上の流れに乗っかる者が増え始めた。
「嫌いなライバーは炎上させて潰してしまえば良いんだ。」
ここに、にじさんじのファンすら物申す系を支持する姿勢が生まれた。
「鳴神裁は嫌いだけど、嫌いなライバーを叩いてくれている時は有益だ。」
と思うような心理状態が発しやすくなる。
直接的な批判はぶつける事が出来ないが為に、代わりにしてくれる人を求めたのだ。
だからこその需要と供給。
にじさんじのゴシップを取り扱う人は増え続けた。
(当然このNoteに関しても同様の視線で見るべきだ)
このように渋谷ハジメには数多くの”スキ”があった。
彼を引き合いにだせば、圧倒的に責めやすい。崩しやすい。
さながら「にじさんじのウィークポイント(弱点)」。
にじさんじはライバーを増やし、規模を拡大させる過程において、
このリスクを軽視し続けた。
するとどうなるか。
新人ライバーが増える
↓
新規のファンが箱に入る
↓
新規のファンが同じグループの渋谷ハジメを知る
↓
渋谷ハジメのやらかしを経験してアンチが増える
↓
”対立構造の激化”
その影響は個の範囲に収まらず、にじさんじ全体に火種を広げていく。
もう一度しつこく補足しておく。
渋谷ハジメ=渋谷ハジメのような要素を持つライバー
でもある。
”格差問題”
にじさんじが大きくなるほどに、ファンからの期待は高まり続けた。
先達者としての多くの規範が求められ、叩かれやすい環境にあった。
ライバーに求められるハードルは自ずと上がっているのだ。
にも関わらず、この基準に”物足りない”と思わせる人間も所属する。
「月ノ美兎」
「本間ひまわり」
「葛葉」
「叶」
「リゼ・ヘルエスタ」
「社築」
そして、
「渋谷ハジメ」
いずれも同じにじさんじだ。
そこには組織としての正式な区分けは存在しない。
どのようなライバーに対しても「にじさんじ」の看板、ブランドが与えられ同じ立場に立っている。
これは異常な事ではなかろうか。
この世の中を見渡しても多くの会社や、学校、スポーツ、グループ活動などで100人規模が何の区分けもされずに一律の待遇と権限で活動する環境というのは中々見当たらない。
効率化や専門性の確保、管理やリスクヘッジのために。
様々な理由から個人個人の能力や目指すべき進路に合わせて、
適材適所に配置を行うのが一般的だ。
この時点でにじさんじが異例の形態を取っている事が判る。
「自発的に売り出し方や居場所を見つけて頑張ってね。」
というのがにじさんじのやり方なのだろう。
だからこそ当然ながらグループとしての機能に支障をきたしている。
◇
まず当たり前の話からすると、
”適正のない人間”が相応しくない場に出て来て、足を引っ張る事がある。
その悪影響を広範囲に広げてしまう。
渋谷ハジメの過去のやらかし、そして冒頭でざっくりと並べた今のやらかしのその全てが真実なのか。
本当に行為そのものがそこまで批判されるべき事なのか。
という事に私はあまり関心がない。
今、にじさんじを見始めた方にとっても
「過去のやらかしなんてどうでもいい」という人は居るだろう。
――だがしかし、一つだけ確実に言える事がある。
それは、
渋谷ハジメには人気がない。
という事だ。
長年の活動実績と現状を鑑み、ライバーとしての適正は低いとも判断される。
にじさんじのライバーは立場上は平等であり、そこに区分けなどはないが、
実に数多くの”格差”が生まれている。
とりわけ人気。実力。それらに結び付く活動への意識の差。
これはにじさんじ所属であるにも関わらず、彼の固定となる視聴者数が200人足らずであることからも誤魔化し様がないのである。
彼は決してチャンスを与えられなかった不遇なライバーではない。
記憶に新しいのはARKアイランド編での活躍、麻雀大会の優勝、APEXキルリレーでのアンカー役を務める。
多くのにじさんじのファンは渋谷ハジメを見て、知って、そして去っていった。
むしろ「多くのチャンスを与えられながらも、そのほとんどを台無しにしたライバー」と言えるかもしれない。
見限るに至った理由は様々ではあるだろうが、彼はこの3年を通して多くの人にとって「見なくていいライバーの枠」に落ち着いてしまった。
厳しく言えばこれはただ”人気がない”というだけではない。
”嫌われてしまった”
「興味がない」、「知らない」と「嫌い」の差は大きい。
認知度の不足によるのではなく、広い範囲に認知をされた上で人気がないというライバーは相応に、他ライバーのファン達から”苦手意識”を持たれているというケースが多い。
あるいは積極的な嫌悪感でないにしても、少なくともこの手のライバーが積極的な交流を図りコラボに出てきても、これを喜んで迎え入れるような感情にはなり難いはずだ。
悲しいかな「邪魔だなぁ。」くらいには自然に思ってしまうのである。
”見ない理由を作るハイエナ”
――それでも彼は未だにじさんじだった。
どれだけ結果が出ないライバーもトップライバー達と同じにじさんじという役職に座ることが出来る優しい職場。
彼はその中でも人気ライバーの席に座りたがっている。
おそらくは専業。今後も配信者を続けたいという種類の人間だ。
当然稼ぐ必要がある。
その意識自体は結構なことだ。
――しかし、、、どうやって人気になるつもりなのか。
渋谷ハジメは自身が注目されるチャンスを得ても長時間「LoL」というゲームをする。
しかも大して上手くもなく成長もしない。下手さを売りにすることもなく支持コメなどに過敏に反応をして、不快感をあらわにする事も多かった。
当然集まった客は帰っていく。
3年間この界隈にいたのだ。
LoLの配信需要が低い事など判りきっている。
この界隈で、にじさんじで人気になりたいという意思があるならば、
もっとやりようはあるはずだ。
でもLoLが好きだから。
無言時間が多かろうが、それは「まったり系配信者」として評価して欲しいのだと。
ファン向けに期待させるような事を言った落語配信も、あれこれと理由を付けて準備を進めようとしない。
こうした活動から見えてくるものは、
――好きなことだけして人気も欲しい。
人気になる為に自身を変える意思が見えない。
見限られ、嫌われる要因を変えずに、
どうやって人気を手に入れようとしたか。
にじさんじと他のライバーの人気に便乗して利益を得ようとした。
これが何よりの大問題なのだ。
より正確に言う。
人気や適正の低いライバーが自身を成長させる方ではなく、
にじさんじという箱のブランド的な付加価値にのみ縋り付くことで、
他者が作り出した利得ばかりを得ようとする選択肢に向かってしまった。
しかしそんなライバーがブランドの期待値に応えられるはずもなく、コラボをすれば時に配信のクオリティを下げ、注目されては泥を塗る事に繋がる。
これを止める仕組みがこの箱には無い所か半ば推奨していた為に、
にじさんじ全体の利得が下がる。
にじさんじに所属する恩恵として、最も大きなものは何か。
それはコラボや企画、公式番組などを通して、
他ライバーとの間に”ファンを共有出来る事”にあるのは明白だ。
箱という一つの大きな枠組みやコミュニティの中で認知され、宣伝がされる事で他者から”見る理由”を借りられる。
というがにじさんじのライバー達に与えられた特権となっている。
このシステムがあるからこそ、にじさんじは大手Vtuber事務所として多数の人気ライバーを高頻度で量産する事が可能となっていた。
だが、同時にこの特権を適正の低いライバーに与えてしまった事で、
”見ない理由”をも作り出す。
――適正のないライバーによるファンの共有化は上手く行かない。
仮に「月ノ美兎」「葛葉」「叶」等のファンを渋谷ハジメが共有したいと願うならば、彼らのファン向けの適正を持たなくてはスムーズに受け入れられない。
でなければ、渋谷ハジメによるファンの共有化の為の行動というのは、
いらない商品をセットでゴリ推しされているに等しい不快感を伴い、
他ライバーのファンにとっての”ストレスや障害”となり得る。
例として”共有鯖”がある。
ARKやマインクラフトが他のゲーム配信と異なるのは、にじさんじライバーが自由に出入り出来る共有鯖を利用しているという点だ。
ゲーム単体としての面白みもあるが、やはり最大の魅力はこの共有鯖を活かし、多数のライバー達が入り乱れ、会話や交流を行うことでの予想出来ないドラマ性や箱に紐付いた大規模で集団を活かしたコンテンツ力にあった。
当然ながらそんな共有鯖の配信は他ライバーのファンからの興味や
関心の対象となり普段よりも視聴者数が増える事が多かった。
ならばこそ、にじさんじのブランドや他ライバーの集客力に期待して、
軽率なハイエナ根性で縋り付くというケースが生まれやすくなった。
近場に莫大な利益が転がっているのだから仕方のない流れだ。
「にじさんじなら誰でもOK」
この特権、恩恵を利用しようとして渋谷ハジメもやって来る。
繰り返すが事実として彼個人での集客力はご存知の通りに低い。
固定にして200人足らずしかいない。
上にも下にもそれだけ多くの人を動かした証。
その低い数字にはライバーとしての資質が現れる。
面白くする能力が低い事の証明。
多くのにじさんじファンから見限られた実績。
意識の低さを露呈したライバーである事も周知されている。
そこに当然芽生えるであろう周囲からの忌避感。
「いつ○○が鯖にログインして来るかわからなくて怖い」
「○○が絡んでくるから純粋に楽しめない」
即ち、
――「見る理由」にはならないのに、「見ない理由」にはなる。
適正を持たないライバーのファンの共有化行動を許すことでの、
見たくない配信の増加。
箱への貢献力というものがあるとすれば、
これが明らかに低いライバーを理由として、
周囲一帯に”見たくない理由”が増え続ける事は大きな損失だ。
これによる具体的な影響は当然、視聴者数の低下だった。
共有鯖であるにも関わらずこうしたハイエナの存在によって視聴者が離れていく現象は無視出来ない。
観客達はハイエナ的な食事風景ではなく、トラやライオン達の活躍が見たかったのだ。
このような箱の恩恵が与えられやすい場の力が低下することで損をするのは、箱の人気のおこぼれを求めうとしたライバーである。
つまりは渋谷ハジメ自身。
今かつてのように彼がARK配信をしても視聴者が集まることはない。
にじさんじブランドの勢い、その人気を利用しようとする行為は完全に悪循環を生み出していた。
渋谷ハジメは自身の言動によって、自身のような存在が許容され難い環境を作り上げる事に貢献していたからである。
にじさんじの「実力や適正で区別しないグループ構成」と、
ライバー全てに与えられた「ファンの共有化」という特権は、
この特権を軽率、無作為に振ってしまう事で、
嫌いなものを作りやすく、
嫌いなものが目に映りやすく、
嫌いなものが避け難く、
嫌いなものを許容し難い環境にも導いていた。
この問題をライバー、運営、リスナー共々、なぁなぁのままで放置し続けた。
結果、ついには箱の持つ”最大の強み”が損なわれようとしている。
”にじさんじのファンは誰のものか”
自身の実力とその場に求められるものを把握した上で、
相応しい場に出向かなければ、良い評価を得ることは難しい。
ということだ。
その場に要求されている基準を満たさなければ、企画やコラボをつまらなくしてしまう。
それは時に他ライバーのファン達からの反感を招き、最終的に箱のブランド価値を下げる方へと向かう。
これを繰り返したのが渋谷ハジメというライバーだと言えるかもしれない。
では何故、繰り返したのか。
何故、自分の能力を見誤ったのか。
――にじさんじという環境は”認識のズレ”を生み易い。
と思う。
にじさんじに合格したのだから凄い。
にじさんじ所属であることがステータス。
など、
これもまた前述した通り、にじさんじに区分けが存在していない事で生まれる価値観ではなかろうか。
例えばにじさんじが「1軍」、「2軍」と分けられていた場合、
2軍に所属の人が自分を1軍と同列に見なすようなことは少なくなる。
※別に1軍、2軍で分けろと言っているわけではない
ある程度グループが別れていたならば、そのグループ自体の人気の差によって在籍しているだけで生まれる付加価値は変わって来る。
そして、渋谷ハジメが在籍しているのは何処か。
界隈大手、
それもトップVtuberを数多く抱える「にじさんじ」である。
そこには正式な区別はなく、全てのライバーがにじさんじという大いに期待されるだけの看板を背負っている。
――しかしこの価値観は次第にファンと共有出来なくなった。
”8人の中の1人”ならばエリート感もある。
昔「にじさんじは全員SSR」と呼ばれた時代はたしかにあったのだ。
「渋谷ハジメ」を含めて全員がやべー奴で特別な存在なのだと。
だがそれが30人、100人と増え始めることで希少価値は下がり、
”にじさんじに所属しているだけの事”では評価してくれなくなった。
むしろ比較対象が増えることで格差が広がり、劣っている点が明確に際立ってしまう。
機材不足、配信経験の不足を待ってくれるようなリスナーも多かったが今は「怠慢だ」としてすぐに見限られる。
渋谷ハジメにしても次第に「界隈での男Vは不利だから人気がないだけ」というお情けは適用されなくなっていた。
◇
しかし、後から現れた人気ライバーの登場やこうした格差は、在籍するライバー達にとっては絶望的なものではなく、より一層縋り付く理由となる。
他のライバーの頑張りや成果は自分の利益にも繋がるからだ。
――とりわけファンの姿。
箱に対してのファンを抱え、箱のイベントがある事で、
他ライバーの集めたファンの姿も近場に感じられる。
同接○○万人やらトレンドやらの華々しい数字。
自分が参加していないライブやイベントの盛況ぶりを見る。
「にじさんじ盛り上がってるなー」
と感じるのはファンだけの話ではなく、ライバーも同様であろう。
そのファン達は他ライバーのファンであり、にじさんじのファンであり、
”にじさんじのファンであるのならば、自分のファンに出来る”
事実として、
”他のライバーとコラボをすればすぐに相手のファンが手に入る”
と思い込ませるだけの環境がある。
この事からにじさんじの人気と自身の人気、
自身のファンとグループのファンを混同して捉えてしまうのではないか。
と考えられる。
◇
大人数で一つのブランドを形成するという特徴は、自分以外の誰かの人気を理由として自身の立ち位置を見誤り易くした。と言えるのではないか。
何よりもそうして箱に寄りかかり登録者を増やしたライバーには、
個よりも「にじさんじだから」という視点で見るファンが増え易い。
コラボやカップリングが好きなだけ、
その時々のイベントを見るのが好きなだけ、
と言うライバー個人への執着の薄いライトなファン層だ。
――その中には「にじさんじ内での配役」を求める者が多く存在した。
新人に対してとりあえず「やべー奴」を求めて他先輩ライバーのネタを平気で使うのもその一つと言えるだろう。
渋谷ハジメで言うならば「壺の人」「サポートセンターハジメ」「1期生の優しいお兄さん」など。
にじさんじ内での”キャラクター的な立ち位置”の話だ。
こういったにじさんじ内で周知される美味しい立ち位置はライバー側も頼りにする。
自分がさも人気ライバーと同じ場に並び立っている(にじさんじぞ)
自分は箱のファンから歓迎されている(ハジキ!ハジキ!)
と実力を見誤る。
結果の撃沈である。
渋谷ハジメが最初に炎上した月ノ美兎とのMHコラボでの直接的な炎上要因は、失言と事後の対応にこそあると言われる。
しかし、ソロ配信で同じことを言って1000人以下の視聴者を相手にこれほどの炎上をしただろうか?
もっと言えば同接2桁の個人勢などが同じ発言をしてもろくに騒ぎにもなっていないだろう。
多くの視聴者、その注目度に値するだけの実力を渋谷ハジメは持ち合わせていなかったのである。
にも関わらず同じにじさんじだから対等な存在であると思い込んでしまった。
――予定していたのはボス攻略。
当時ゲームという舞台でなら、渋谷ハジメは月ノ美兎をリードできるような役で見られていた。
発表当時からこのコラボは一部で不安視されてはいたものの、
”にじさんじの中ではゲーム慣れしている”という役を持つ渋谷ハジメが
”クソザコ属性な委員長を引っ張るという「優しいお兄さんムーブ」に期待したファンが多かった。
しかし、渋谷ハジメは直前にクエスト受託可能な所まで進める準備が必要だったにも関わらず、これを怠り深夜まで閃乱カグラで遊んでしまう。
結果、ホスト側の準備不足によってボス攻略は不可能となり、序盤のチュートリアル程度のクエストをするだけのコラボとなった。
MHのチュートリアルクエストである。
元々面白く仲が良い間柄でしか面白くなりようがない。
――見積もりの甘さ。
渋谷ハジメが唯一、月ノ美兎を相手にしても活躍できる配役が消えた。
渋谷ハジメが活躍する程のピンチになることもなく、終始画面映えしない光景が続く。
純粋なトーク力、会話能力が必要なコラボと化していた。
渋谷ハジメのトークを長時間、2万人近い視聴者が見続ける事になってしまった。
適材適所を完全に違えている。
会話に困ったのかMHコラボ中であるにも関わらず、自身が最も得意としている壺(Getting Over It)を見せ始め、そんな中で調子に乗って例の失言が飛び出す。
断言するが、このコラボにおいて渋谷ハジメに例の失言がなかったとしても確実に印象を悪くしている。
明らかに相手方のファンを満足させる事が出来ない、
その意識を感じさせないようなコラボであった。
意識の低さも、人気の無さも個人で完結する分にはまだ良い。
しかしコラボであったり、大会であったり、共有鯖であったりと、
その場で求められるコンテンツ的な水準は「にじさんじ」となる。
通常より多くの視聴者が集まるのは、他のライバーのファンが見てくれるからに他ならずその期待は高い方に合わされる。
もっと言えば、人気ライバーが連れてくるファンの目線が基準になり易い。
本来そういった場に、相手方の集客力を目当てに乗り込むのであれば、
見合うだけのものを提供する義務があるのだ。
「そんなのはファンが勝手に期待してるだけ」というのは通らない。
渋谷ハジメはにじさんじなのだろう?
にじさんじで人気者になりたいのだろう?
――だから歪んでいるのだ。
そういった意識を持たないままの人間が、他者のファンから認められようと積極的に介入出来てしまうこの組織の形態には問題がある。
意識の低い社員をフォローする過程で全体の生産性を落とすが如く、
本来、格差がありすぎる人同士、得意分野の違う人間同士を同列の立場や
同じ権利を与えて働かせている事は顧客への信用を損なう。
そんな事も”この時点で判っていたのだ”
だがそこに絶対的な格差と対立構造の温床があるにも関わらず、
箱意識を依り代として誤魔化された。
にじさんじは仲間だから。同期だから。
ただ仲良くすればウケるだろう。という甘い認識を持たせ続けた。
”配役による利益の奪い合い”
こういった認識のズレが現在のARK配信でも悪い方に作用したのだと思う。
この場での渋谷ハジメの配役には「四皇」や「ハジキ!」などがあった。
渋谷ハジメには興味がないのに、
「四皇」や「ハジキ!」を目当てにして来るような視聴者層がいる。
渋谷ハジメはまたしても自身のこうした配役に楽観視して、
本当の実力を見誤った。
この配役を手にするに至った活動内容。
にじさんじの中で注目されるためのわかりやすい武器
について触れておきたい。
◇
(1)強者の配役。
”にじさんじの中で”上手い事、強いと見られる事は大きな魅力だ。
とりわけ象徴的なのはtime to win(時間=強さ)。
プレイ時間を重ねることでの先行利益の確保によって、単純なプレイヤースキル以上に自分の価値を高める事が出来る。
ARKで言うならば文明を開拓して、新しいボスを倒し、先の展開を見せる事で「箱内で上手いプレイヤー」「箱内で強いプレイヤー」の枠に入り注目を集めるという手法が非常に強い。
これはある意味では昔流行った「MMO」というジャンルに似ている。
先に開始すれば、時間や回数さえ掛ければ、その狭い世界の中でのトップとしてチヤホヤされるというシーンは数多くある。
この手法によって図らずとも得たのが「四皇ハジメ」
(2)優しさの配役。
資材をあげる。恐竜をあげる。手伝ってあげる。など
何かをしてあげる。という優しさには無条件の肯定で返すしかない。
問答不要に分かりやすく、好感度を上げる事の出来る配役。
優しさはにじさんじでもっとも手近な武器だ。
これはハジキ(優しい兄貴分的ニュアンス)への歓待的な声に繋がる。
◇
この2つの武器はにじさんじの中でてっとり早く注目を集める為の近道。
とりわけ男女混合、大所帯のにじさんじではゲーム慣れしたライバーの多くがこの手法を使い人気になる傾向があった。
(1)元々のゲーム経験量の差などから、経験の少ないライバーの上に立ち。
(2)「教えてあげる、介護してあげる、忖度してあげる」と言った関係性を作り、相対的に実力を高く見せることで、「優しい強者としての配役」に収まるのである。
しかし、これらの行為は限られた利得を自身に集中させることで、
時として”他者の見せ場や配役を奪う”事がある。
(1)度を超えたプレイ時間によって特定のライバーばかりが先の展開を見せるのは”コンテンツの先行特需の独占”という見方も出来る。
これも共有鯖には顕著であった。
とにかくコンテンツを食い尽くし、他人の見せ場を奪い、目立つ。
先を開拓するライバーの方に多くの関心は集まり、後続への注目は下がる。
続くライバー達の元には先の展開を知っているリスナーが増える。
”伝書鳩”によって「○○は~時間でクリアしてた」「○○に手伝ってもらおう」とそのライバーの名が届くようになる。
後続は集客力的な観点で言えば、注目度は下がりつつも非常にやり難い環境に置かれる。
もちろんこれも実力があれば、後続であろうが関係ないとは言える。
だからこそ実力以上に評価されようとするライバーはこれを利用する。
実力が劣り尚且進歩速度でも遅れを取ったライバーの立場は苦しい。
だからこそ、渋谷ハジメは開始時期を経験者待遇として3WAVE目に回されたことへの焦りを口にしていたのだろう。
(2)優しさにしても、「落としたみかんを拾ってくれる」程度の困難。
その程度の困り具合ですらない。
配信は見せるためのものであり、ライバーが切実に困窮して助けを求めるならばそれは当然ながら裏で言う。
そのためARKやマイクラなどであれば、”たかがゲーム上での困難”に対して優しくしているだけなのだ。
そもそもゲームというのは、その多くが壁にぶち当たることを前提に開発されている。
これらを突破することにプレイヤー側が喜びを見出すような仕組みを作っている。
そしてこの状況をライバーは配信に載せている。
即ち、配信上での困難は明確な”撮れ高”となる。
オンラインゲームにおいて、圧倒的にレベルが高いプレイヤーが初心者と組むことで強敵を倒し、急速にレベルを上げさせる、先のアイテムを手に入れさせる「パワーレベリング」と呼ばれる行為などでもしばしば発生する問題がある。
頼んでもいない優しさによって、
初見の驚きやコツコツと1人で頑張るという過程を奪われるのだ。
配信を仕事に、過程を商品として提供するライバーにとっては、
「〇〇いりませんか」「手助けしましょうか」は時として必要のない優しさだ。
何より見ている側の心境としても、
自身が好意的ではない人に優しくされただけの側はそこまで面白くない。
これを介した「関係性」や「ドラマ」の一つとして面白い展開へ導く事で真に歓迎される。
求められてもいない、関係性も浅いライバーからの押し付けがましいだけの優しさは、相手の撮れ高を奪うだけに終わる場合も多い。
本人からすれば恐竜やアイテムを挙げて、優しい自分を演出した気分でいても、優しくされたライバー側のリスナーからすれば、
「推しの配信の楽しみを奪った相手」となる場合があるのだ。
しかし、この行為は絶対的な正義「優しさ=ジャスティス」
優しさや施しに対しては歓迎する他無い。
「優しくする側」と「優しくされる側」の関係性には上下関係が生まれる。
労力を割いている側が上であり、施しを受けた側は下だ。
だからこそ通常、優しくする側の評価は上がりながらも、
優しくされた側の評価は特に上がる事はない。
にじさんじではこうした配役を活用するライバーが目立ちやすい一方で、
企画全体のバランスを考えて~、相手の事を考えて~という奥ゆかしいライバー達程に良い養分となる。
ライバー「○○さんありがとう!」「○○すごーい!」
リスナー「○○優しい!」「登録しました!」
さながら彼らにとっての引き立て役だ。
「箱」に起因するイベント的な場で誰が目立つか。
誰が強い配役を手にするのか。
というのは実質的に”箱利益の奪い合い構造”でもあり、それも含めてライバーとしての当然の権利。
だからこそ、非常にデリケートなコンテンツと化していた。
ARKのWAVE制
ARKのWAVE制によるライバーの段階的な参加は表向き、初心者と経験者の格差問題やライバー間のスケジュール調整と解釈されるが、これは箱コンテンツの利益問題と等しい話だろう。
前回と同じライバー達が先へ先へと進めて、恐竜や文明を配り歩いて、初心者側の見所や楽しみを奪うという行為を抑制するためのものであるからだ。
この措置に対して焦りと不満を口にするようになっていたのが渋谷ハジメ。
この程度の制限ですら危うさを見せるライバーがいるという環境。
あれ以上の制限的な措置は立場上同じライバー側には取り難い。
”にじさんじの一般人”
マイクラをして共有鯖に行って、
APEXをして、大会に出て・・・。
飽き飽きとしたお決まりのような流れがある。
この作用を利用しての登録者稼ぎはあまりにも効果的。
誰しも安易にたどり着く回答であり、人気ライバーへの近道だった。
それが為に現在の実力以上の成果を手に入れようとする者を生んでしまった。
◇
今回はこれを仕方無しと許容するべき問題と仮定して話を進めよう。
コンテンツの賞味期限とその利益は元々有限。
どのライバーがこれを上手く活用して目立つか。というのも一つの醍醐味。
俗に言う「シュバり」が良く叩かれるが、この積極的意識がなければ共有鯖の意味が薄れてしまうというのもまた事実だった。
「シュバり」のない世界は平和かもしれないが、恐らくそれはつまらない。
――だからこそ「誰がシュバるのか」「誰が活躍するのか」が重要なのだ。
活躍する配役が渋谷ハジメであることに”勿体なさ”が付き纏うという話だ。
「アルス・アルマル」に優しく手を差し伸べて助けるにしても、それは、
渋谷ハジメの役割ではなく「エクス・アルビオ」である方が嬉しい。
という視聴者が多いに決まっている。
APEXの「2434キルリレー」にしてもそうだ。
あの企画でラストキルのアンカーとなったのが渋谷ハジメ。
箱推しから最も注目されるその場所にこのライバーが立つ事は多い。
いつもいつも、実力と期待に見合わない場に立ってしまっている。
その場では「ハジキ!」「ハジキ!」と盛り上がってるようにも見えた。
だが彼らの大半が渋谷ハジメの普段の配信を見ていないし、その後も引き続き見に行くことがなかった。
様々なライバーが参加して盛り上げ、作り上げた企画があったとて、
そのチャンスを渋谷ハジメが今後のライバー人生に活かすシーンが見えず、
しょっぱい結果に終わる。
ならばこう思うのではないか。
――他のライバーにその役を譲ってくれないか?
これもまた箱利益の奪い合い。
渋谷ハジメが大会にでなければ、企画に参加しなければ、
優勝し、注目されたのはまた別の誰かであったかもしれない。
その誰かならばこの特大のチャンスを活かす事が出来たかもしれないのだ。
渋谷ハジメが共有鯖で絡まなければ、推しと別の誰かとの物語が見れたのかもしれない。
こうしたワガママすぎる不満は尤もらしい言い部分でカモフラージュを施さないと主張する事が難しく声の通りは悪い。
「推しが活躍して欲しいから邪魔なライバーは参加しないでくれ。」
なんてのはあまりにも一方的な話だ。
しかし、この感情は存外と根深いように思う。
◇
優勝したり、活躍したライバーがこれをきっかけに大きく羽ばたく光景というのは楽しいものであり純粋に高揚する。
その成長過程のドラマもまたこういった大規模イベントの楽しみでもあり、視聴者が数多く集まるほど、そのライバーの今後にも期待を持って行く末を見守る。
――それこそ「葛葉」や「叶」。
彼らが(1)(2)のような武器で成り上がった側面は無視できない。
※それだけが人気の理由と言っているわけではない。
度を超えた配信時間。大会となればプロのコーチを付けて勝とうとした。
エンジョイと銘打ったポケモン大会でのガチり具合を見ても、空気読み的な観点で言えば彼らは多くの場で歩調を合わせなかった。
企画全体、鯖全体のバランスは考えず突出し、遠慮をしないことで注目された部分もある。
判りやすく伝えるために意地悪く言えば、外部をも含めた広い集団の中ではゲームの腕前などでトップに立てなくても、
にじさんじの中では常にトップを期待される一際強い配役を得た。
彼らが突出しすぎた為に鳩は飛び交い、時にコンテンツの賞味期限を下げ、ポケモン大会のようにルールの改定を余儀なくされる。
こと箱の競争的なイベントという観点においては、彼らが強い配役を持ち続ける事で、反対に目立たないライバーが生まれたとも思う。
犠牲を伴い、全体に影響を与える些か強引な自己アピールになるからこそ、
この配役を振るう者には大いに活躍してもらわねば困るのだ。
にじさんじの大会で活躍するのはスター選手で無ければ困る。
この一等強い配役のライバーが将来的に人気を作る側に回らなければ、ただコンテンツを消耗させるだけに終わる。
大会にしても共有鯖にしても葛葉や叶が新たな集客要因となることで、
その利得を他ライバーにも分け与えることが可能となった。
事実、大会なので葛葉とチームになったライバーの登録者が爆発的に跳ね上がるのは良く見かける光景だ。
こうした箱のトレンド、にじさんじの主人公的な配役、利益の奪い合いとその循環を繰り返すことでにじさんじは成長を続けた。
この作用の負の側面こそが渋谷ハジメのようなライバーである。
ライバーを増やし続けたことで”追いやれるもの”が出てくる。
こうしたにじさんじの配役には”定員”があったのだ。
渋谷ハジメには長時間ストリーマーや優しいゲーマーのお兄さん的な配役があった。
だが、同グループに「葛葉」や「叶」が現れたことでその配役は霧散していく。
いや、最初から渋谷ハジメのそれはにじさんじの人数が少ない状況だからこそ与えられた、妥協的な称号だったのかもしれない。
無言時間が多くても、ただ深夜に数時間配信をするだけで評価された昔。
しかし今は12時間、常にハイテンションで喋り続けられるようなライバーが近場にいる。
8人の中ではゲーム慣れしてる事を武器としてアピールできても、
”100人の中では無個性”
単一のグループの中にライバーを増やせば増やすほど、
にじさんじでの「配役を持たない者」、
「にじさんじの一般人」が生まれた。
多くの人が彼らの方が優れている点を知り、
渋谷ハジメが劣っているという部分は知り尽くした。
同じ役で更に優れた存在が登場する事で、劣っている側に対しての視線が厳しくなる。
”一般人の活躍は望まれない”
ライバーの数がどれだけ増えようが、大会などでの優勝という席は1人。
その席は増えたりしない。
共有鯖の参加者にしてもライバーが増えれば増えるほど、
活躍出来る席の奪い合いは激化する。
ライバー同士の間に、こうした奪い合いの意識は少ないかもしれない。
しかしファンの方はどうだろうか。
誰だって推しに活躍して欲しい。人気ライバーの活躍が見たい。
ライバー数の増加と格差の開きは、このジレンマを強くさせた。
渋谷ハジメよりも、もっと面白いライバーの活躍を望むようになった。
より強い配役のライバーが、相応しい席に座る事を望んだ。
渋谷ハジメが優勝するならそれは彼が凄かった。
渋谷ハジメが高レベル個体を捕まえて配り歩くのも彼が強いから。
先行で動いたもの勝ち、運も実力の内。
だとしても、強い配役に立つ者の活躍ではなくては面白くない。
「主人公」である叶や葛葉が活躍すればコンテンツは盛り上がる。
――だが渋谷ハジメでは不足している。
「弟子」エクス・アルビオと「師匠」アルス・アルマルの関係ならばドラマになる。
――だが渋谷ハジメの優しさは邪魔と捉えられる。
――分不相応。
多くの視聴者が既に渋谷ハジメを一般人として周知し、
それぞれの中には、それぞれのスター選手を見出していた。
共有鯖での活躍や企画の主役的な立場など、
「限られた役に対して見合っていないと認識された人が収まろうとする事」
は不快であり、もったいないと思わせる。
演劇やアニメ化などで主人公やヒロインの役に評判の悪いタレントや、無名の声優が入ると批判される。
スター選手でもない一般人が、スター選手と同じような立ち振舞いをしても有効に機能しない。
力不足の一般人が人気者と同じ役になろうとでしゃばり、
他者の見せ場や利益を奪う過程が対立感情を刺激し続けたのである。
”裸の四皇”
本来ならば目立つ活躍をした時点で一定の実力がある証明だ。
しかしここはにじさんじ。
ライバーとしての実力で劣る者がしばしば目立つ役に座る。
注目されては見限られ、勘違いしては悪評を垂れ流したライバーでも何度も注目される席に座れてしまうという事は当人からすれば希望でもあるが、
視聴者にとっては期待感の喪失へと繋がる。
箱や他ライバー、ファンにとって不利益ばかりであまり楽しみや利益に還元されない存在がいると知ってしまうと、最初から負の感情的なバイアスが発生し易くなるからだ。
◇
1年前からにじさんじを見ている人にとっては今、残念に思っている事があると予想される。
「去年のARKでの渋谷ハジメは面白かったのに。」と
期待と失望。
「アイランド編」と「エクスティンクション編」における渋谷ハジメの何が違うのか。
率直に言う。
――ハジメ個人は何も違わない。
同じだ。
むしろ、同じだからおかしなことになってしまった。
アイランド編は特に”演劇的な環境”であった。
ライバーとしての既存の関係性やキャラクターともどこか違う、その世界限定の何某かを演じていたように思う。
元のライバー像を切り離して見るような舞台的な演出があった。
これに直前の「休止空けで改心した(に違いない)渋谷ハジメ」という補正が掛かる。
つまり、ARKアイランド編では一時的にこれまでの「炎上やらかし系ライバーの渋谷ハジメ」という印象が消えていた。
これまでの渋谷ハジメはいない。
そこには「武器商人の渋谷ハジメ」「四皇の渋谷ハジメ」という配役だけが存在していた。
彼は時間を掛けて先に進み、強者の側に立って施しをすることで注目を集めた。
根本的な動きはエクスティンクション編とさほど変わっていないのだ。
違うのはアイランド編でのそれらは立ち位置的に、
「権謀術数を尽くした商人プレイだ」と肯定的に捉えられた事であろう。
その一挙手一投足が壮大なドラマに繋がる布石として見られていた為に、今とは印象が異なった。
配役が機能する状態のライバーは何もかもが良い方に解釈される。
第一次戦争での”邪魔となるような観戦行為”も当時のARK内での強い立場上からさして咎める意見はない。
この行為をきっかけとした他ライバーからの失言によりひと悶着があったもの、そこでは相手方の非だけが強調された。
渋谷ハジメ側の非は追求されず、逆に寛容な大人物として解釈を受けた。
渋谷ハジメ自体は今も昔も変わらない。
その時に立っているポジションと周囲からのバイアスが異なっただけだ。
四皇という称号によって「叶」「本間ひまわり」「夜見れな」と「渋谷ハジメ」は対等な立場で扱われる。
エクス・アルビオ、加賀美ハヤト、イブラヒム等が渋谷ハジメを王として奉じるようなシーンを演じる事で、周囲の人気を糧にして渋谷ハジメの強者としての配役はより強固なものとなった。
これは人気あるライバー達がこぞってヨイショすることで渋谷ハジメを劇の主役に据えて、実力以上に面白くしてくれていた所もあったのだろう。
彼がこの美味しい配役で居られたのは、「周囲がそう扱ってくれているから」という点を無視する事は出来ない。
ARKに限ること無くにじさんじ内限定での「天才」「やべー奴」などのお得なイメージは実の所、これを接待してくれている他ライバー達の協力によって成り立っている面も強い。
何よりそれを証明したのが現在のエクスティンクション編である。
この世界には、渋谷ハジメが大活躍したアイランド編のような配役は存在しない。
「休止空けで改心した人」という肯定的な補正もない。
周囲のライバー達からも過大に持ち上げられない。
なのにかつての四皇としての栄光を胸に、
ARKをすれば人気を取り戻せるだろう、と期待して優しさを振りまいた。
――思わぬ手応えの薄さ。
この世界に配役のない渋谷ハジメのそれは誤魔化される事がない、
剥き出しのにじさんじライバー渋谷ハジメの姿。
戦争を行う上でのキャラ付け的な権謀術数としては見られず、
登録者稼ぎの為の小賢しいムーブ。
などと捉える層もおり、もはやいらないお世話になっていた。
――本人が自認する配役と、周囲からの認知がズレている。
これは一例であり、ARKの世界だけに起る話ではない。
先に述べたように、にじさんじ内での配役と周囲からの認知のズレはコミュニティに由来する感覚だ。
にじさんじのライバーと保有するファンが増えれば増えるほどに、認知の共有が難しくなりズレも生まれやすくなっている。
◇
渋谷ハジメは事ある毎「1期生の絆」を売り文句にする。
これこそ彼が最も大切にしている配役だと思われる。
1期生とは”たった8人だけの役”であり、新しいライバーがどれだけ増えても脅かされる事のない立場と言えた。
どれだけゲームが上手い新人が増えても、どれだけ優しさを武器とする男性ライバーが増えても1期生は8人だけ。
この永遠不変、不可侵の絆をアピールすることで、自身を特別な立ち位置に置き、その価値を実力以上に高める事が出来る。
――だが、これもズレている。
もはや1期生から入ったファンよりも、統合されてからにじさんじに入ったファンの方が遥かに多い。
個々の活躍はともかく、今のにじさんじのファンで1期生の絆をアピールした所で有効性は如何なものか。
まして渋谷ハジメのライバー活動を見て「にじさんじを作り上げた偉大な先輩の一人だ」と尊敬の念を抱いてくれる人はどれだけいるのか。
むしろこのライバーがにじさんじに対して作り上げたイメージというものは負の面が色濃い。
現在の1期生のそれぞれのファンは果たして本当に渋谷ハジメの事を「同じ1期生だから」というだけで肯定的な目線で見てくれているのか。
好かれるだけの実力が不足しているのではないか。
愛されるに足る誠実な活動が見えて来ない。
なのに広範囲に好かれ、愛されるために配役、称号に縋り付いて期待してしまう。
――だって、自分はにじさんじだから。
渋谷ハジメとその周辺の囲い達が、慕われる兄貴分としての「ハジキ!」であったり、「1期生の絆」という配役を縁にして、にじさんじでの生存権を確保しようと動く。
けれど彼ら以外。
これらの配役を頼りに”擦り寄られる事になる側のファン”は冷ややかな目で見ているのではないか。
「ハジキ!(優しい兄貴分)」だとか「にじさんじの絆」という価値観は、
この感覚を共有出来ていない相手には響かない。
けれども、優しさだとか助け合いだとか、絆だとか、そういった如何にもな善的概念を引き合いに出して来られると、それを表向き否定することは難しくなるのだ。
そうして残るもの。
自分が認めていない異物をも、
「にじさんじの仲間」扱いで受け入れなければならないとする
暗黙の強制力。
”コラボ相手を見てファンを見ず”
それでもたまには見える範囲での否定的な反響も当然あった。
そうした周囲からの意見を本人が察しないわけではない。
これについての反応は曰く、
「コメントでは歓迎してくれている」
「自分のコメント欄は荒れていないから」
「ライバー同士が決めることだから」
と。
「ライバー同士の間柄で納得して行ってる事だから視聴者さんは心配しないで見て下さい」
多くのライバーのARK配信の概要欄にはこれに類する文言を載せている。
コラボにおけるこういった言い分は正しく、反論は出来ない。
視聴者側がやれ恐竜を殺すな、やれ迷惑だのと口を挟むことではない。
――だからこそ、この論法を盾に使う。
差別反対!男女平等!
世論的に絶対的に正しいと受け取られやすい主張がある。
ツイフェミ問題のように、否定のし難い正義は時に都合良く利用される。
この場合ライバー同士の合意や仲の良さの上で~、
といったものを盾にして甘えられる。
渋谷ハジメは赤羽葉子とのARKコラボに寝坊、完全に欠席した。
当然ながら謝罪はしている。
「赤羽さんには謝りました。」
ライバーには許してもらえるだろう。
そりゃそうだ。
「許さないです」「もうあなたとはコラボしません」なんて言うライバーはいないだろう。
配信に欠席するくらいは誰でも許すことが出来る。
いや、許すしか無い。
これは相手が優しいか優しくないかに限らない。
渋谷ハジメが炎上してしまえば飛び火をするからだ。
「○○とのコラボで渋谷ハジメが炎上」と不名誉な場で名前が書かれるのみならず、
「にじさんじがまたARKで炎上」との見出しが踊る。
ARKはただでさえ荒れやすいと周知されている中、何度も警告をしながらも誰かが炎上すれば、もはやコンテンツ自体の存亡が危うくなるだろう。
ARKを存続させるためには、ライバーを炎上させてはならない。
コンテンツを守るためにもライバーの失態は許す他ない。
それはライバーにとっての共通認識のはずだ。
穏便に済ませるために。騒ぎを大きくしないために。
そうして何度も許されて来た。
許されていると思いこむ度にひずみを大きくした。
彼はこの状況に際して、
”大事なことを忘れ続けたからだ”
他ライバーのファンの存在。
――果たして”相手のファン”には許されたのか?
彼は絶対に許される事が判っている相手のライバーには謝罪をするが、
”相手のライバーのファン”には謝罪の気持ちを見せなかった。
彼に限らず、コラボによって名を挙げたいと目論見、尚且それに対しての否定的な視線を感知したライバーの考え方はテンプレート的だ。
コラボがライバー同士の間だけで完結すると思い込んでいる。
コラボ相手に許されるならば、そのファンも同意していると見なす。
コラボ相手の感覚とコラボ相手のファンの感覚は違う。
渋谷ハジメは相手のファンを、周囲の視線を蔑ろにしてしまった。
数字は見ていても、相手のファンの感情の機微を見ていなかった。
やらかした当日の深夜、すぐに枠を取って謝罪枠でそのままゲームをし始めた。そのまま朝にも長時間ゲーム配信をした。
欠席の理由は「体調管理の不足」が原因であるにも関わらず、
謝罪した舌の根も乾かぬ内に長時間の配信を行う。
こうした彼の姿勢を見て、コラボ相手のファンはどう思うのか。
「別にそんなことで怒らないよ」という人が多いかもしれないが、
少なくともこの姿勢に好印象というものは抱かない。
彼とその一部のファンが望む配役のように「頼れるハジキ!」とは思わないのである。
◇
本当ににじさんじのブランドや他ライバーの人気にあやかり、登録者や同接が欲しいなら相手のファンに受けいられる必要がある。
同僚としての優しさで絶対に許容してくれるライバー側だけではなく、
相手のライバーに付いているファンの方を見るべきだ。
やらかした日の配信くらいは自粛し、外向けに謝罪の意を見せるくらいは出来たのではないか。
やれるはずなのにしない。
この程度の好感度調整すらしないライバーに対しての視線が厳しくなるのは仕方のない事と言える。
このような姿勢のライバーには本当はコラボに来て欲しくない。
このライバーとはコラボして欲しくない。
交流をして仲良くなって欲しくもない。
そう思っていても渋谷ハジメからやってくるなら、ライバーは断らず
ライバーが断らないなら、ファンも表向きは受け入れる以外の選択肢はない。
推しの顔に泥を塗るから言えない。
騒ぎを大きくしたくないから言わない。
行為の上では優しくしてくれているから言えない。
チームを組んでいるから言えない。
グループにされてるから言えない。などなど。
コンテンツの治安を人質に取られたライバーと、
推しのライバーを人質に取られたファン。
嫌なら見るな。見ない自衛と言った文化に甘えたライバーの行いは、積もり積もってにじさんじの自由な交流やコラボ文化を衰退に導いてしまう。
”にじさんじというブランド”
「にじさんじは自由な交流やコラボが売り」には前提があったと言える。
コラボにしても何にしてもこの一見すると自由な環境は、
・「にじさんじは面白く優れたライバー達の集まりである。」
・「自分のファンだけでなく、コラボ相手のファンを楽しませる意識がある」
・「あくまでも節度を保って行う」
という前提の上で成り立っているように思う。
でなければ、にじさんじでのコラボという手段はあまりにも簡単に登録者を伸ばす手段として、他者の利益を奪う行為として”機能し過ぎる”
そこまで簡単に利益が増やせるならば、誰だって見境なくその選択肢を選んでしまい質の低下は免れない。
昔、とあるライバーがファンからコラボに消極的な理由を問われ、
「面白くする必要があるから」と応えていたのが印象的だった。
このライバーが当時比較され、コラボを望まれる対象になっていたのは、
何よりも面白さが求められるようなハードルの高い存在だった。
「コラボは相手のファンを満足させてこそ。」
このライバーは相手のファンに対しての弁えた姿勢を持っていた。
同僚としての利益を享受する事より、同僚として邪魔をしない事を選んだ。
面白くすること、楽しませる姿勢。それを実現するための準備など。
大変な前提を確保しなければならないからこそ質は維持され、
にじさんじのコラボはファンに望まれるエンタメとして成立する。
このような前提は通常わざわざ言わない。
わざわざ言いたくないからコラボに出てくる以上は
「ライバー全員が前提を満たしている」という建前にある。
つまり、自由な交流やコラボに対してファンとの間に合意を得るには、
「にじさんじは優れたエンターテイナー集団。」
といったような認識を作り続けなければならなかった。
――しかしこれが出来ない者がいる。
にじさんじの自由なエンタメを保証していた暗黙の了解は崩れていった。
「ライバー同士で決めることだから視聴者は心配しなくていいから」
というのは、
視聴者に心配をさせないだけのライバー達だからこそ言える、
”ライバーとファンとの間に培われる信頼関係”だった。
しかしながら、渋谷ハジメと渋谷ハジメを含む集団にこの文言を使われて、
素直に「はい、ライバー(渋谷ハジメ)にお任せします」と信じることが出来るだろうか。
――出来ない。
ライバー同士で合意してようが関係ない。
そのライバーは今や「100人以上」を対象としており、
あまりにも意識の格差がありすぎて、何の保証にもならない。
推しに安全安心を保証されようが現実問題、渋谷ハジメはそこにいる。
悪い印象ばかりを拡散させながらもそこにいた。
自分が配信を楽しむ上で弊害になっているという、その感情は誤魔化せない。
このようなライバーにもにじさんじのブランドを与え、にじさんじライバーである事を言い訳に使ったが為に、ライバーとリスナーとの間の信頼関係にもヒビを入れ続けたと言える。
ならば心配せざるを得ないのだ。
にじさんじファンの間にある内ゲバ的な対立や、杞憂民等の厄介なファン層はリスナー側だけの問題ではなく、コラボ意識の格差がもたらしたブランド価値の低下によって広がった。
◇
認識は変わっていく。
にじさんじはスター選手だらけの集団ではなく、
一部のスター選手と一般人が混在している集団だとバレ始めた。
”にじさんじだから魅力的に違いない”という、ブランド力の低下。
大型企画があれば、連絡を無視する。提出期限を守らないライバーなどが散見される。
とある企画の主催をしていたライバーがこういった姿勢を、
「みなさん、これがにじさんじですよ」
と半ばネタにしているシーンはマリカ大会のお決まりではあるのだが、
もちろんこの発言が単純なライバー批判ではない事は判る。
「ライバーはそれだけ自由奔放で、制御不可能な個性派集団だ」
「だからこそにじさんじは面白い」
といったニュアンスが含まれた言い回しとして受け取る人が大半なのではなかろうか。
これもまたエンターテイナーとしての面白さや、愛嬌、人を惹き付けるだけの魅力や優れた才覚があることを前提としている。
それらが自由に活かされる環境での必然的なデメリットとして、
こういった”欠点も笑ってネタに出来るよね”という流れである。
しかし、ここまで書いてきた通りだ。
残念ながらにじさんじはそんなライバーばかりではない。
特に目立った活躍もしていないライバーがただ連絡を無視する、遅刻や寝坊をする事がありえる。
にじさんじはおもしろ集団である。という前提を持たぬものが、
”その前提ありきでしか許されぬ失態”を犯してしまう。
これは当たり前のリスクである人数の多さから生まれる責任感の欠如。
グループの人数が増えれば増えるほどに、自分1人の責任を軽視するようになる。
「他の誰かもどうせ遅れているんだから、自分1人が遅れても問題ない。」
といった意識が生まれ易くなるのは全ての環境で共通する普遍的な心理だ。
なのに100人まで区分けなく増やしてしまった。
「自分はにじさんじだ!」という威を借りたがる割には、
こういった面では”にじさんじの模範”となろうとはしないような、
集客力が見込めないライバーのそれらは、企画側の負担を増やすデメリットばかりが大きいのである。
”企画が減った理由”
他のライバー側にしても、こうした環境の中で何も対策を取らないわけではない。
ファンに求められる信用(エンターテイナー集団)を提供出来ないライバーとは次第に距離を開ける。
嫌わないまでも”商売的なパートナーには率先して選ばない”
この見切りが出来なければ今のにじさんじという環境で高みを目指す事は叶わない。
付き合う相手を選ぶ必要が出てくる。
渋谷ハジメは自身が流行りのゲームのコラボや大会、企画に誘われないと、
「◯◯が一緒に出来る友達が欲しい」、
「にじさんじライバーと○○がしたい」などと毎回つぶやいている。
3年間ずっとだった。
しかし、友達と呼べるライバーも、継続したユニットやグループもろくに増えなかったように思う。
ライバー側ですら能力不足を理解しているのだろうか。
あるいは人間的な相性の悪さを悟り、付き合う相手にしなかったのか。
最近あった事例。
にじさんじにはLoL配信者が少ないにも関わらず、普段からLoL配信をしている渋谷ハジメはCLASHの大会用チームに誘われなかった。
これを冷たいとか、イジメだとか吹聴する輩は無視するべきだろう。
より自身のファンを楽しませられるような回答、より利益が大きな選択を選んだというだけである。
これが恐らく現実的な対処法なのだ。
――選ぶしかない。
ライバー側も、こういったライバーを呼び込まぬように自衛するためには、
”自由募集”ではなく”指名性”を行うしかなくなって来た。
「凸待ち配信」や「自由参加募集」の企画などを見れば、こういった流れは納得しやすいのではないか。
何だかいつもこの人来るなー。
このライバーに興味ないんだけどなぁ。
と思わなかっただろうか?
未だに芽が出ないライバーの中には、これらの機会に出向いて知名度を上げようとする意思が強く積極的な者も多い。
それ自体は良い。
皆きちんとした実力と、他のライバーのファンを楽しませるという意識を備えているならば未知の組み合わせ、新しい化学反応に期待もする。
けれどそうではなかった。
ろくな武器を携えずに、多くの人が集まる場に”ただやって来る”。
困りものだ。
コラボにしても企画にしても大会にしても結局の所は、
参加者の人選とその能力によって反響や成果が左右される。
相乗効果を生み出すその大半は、ライバー同士の立ち位置と配役を頼りに成り立っている。
おバカタレントや家電芸人、クイズ王は使いやすい。
この人はこういう役だからこういう風にボケをする。
こういう風にツッコめば観客にウケが良い。という事が判る相手はコラボがしやすく良い反響が得られる。
反対に配役がないのにやらかすリスクがあるライバー。
特に「にじさんじの中の一般人」に埋没したライバーは使い難い。
どう起用すればウケるのか判らない。弄っていいか迷う。
目立つ配役を求めながら、何者にもなれていない、
にじさんじの配役に満たない一般通過ライバーの扱いに困ってしまう。
この扱いに困る”特定のライバーだけを除外する事”は難しい。
それこそ適材適所の括りを持たない、にじさんじ100人体制の大きなデメリットであった。
ここまで多いとライバー側も同じライバーの事を把握する事は出来ず、
得意分野ジャンル別などの公式的な区分けが存在しないなら、にじさんじ全てを対象に取るしかない。
そして、
得意でも何でもない向いていない人まで挙手してしまう可能性がある。
今でも「元ゲーマーズ」という括りでのコラボが強いのは、統合前に形成されたジャンル帯グループ分けが少なからず機能しているからではないだろうか。
人材採用の時点で似通ったタイプ(ストリーマーやゲーム配信者)を集めてデビューさせている為、この括りを使用出来るコラボでは適材適所が叶っている。
また、昨今の「メッシャーズ」に代表される若手男性ライバー同士でのコラボなどでも支持層とジャンル帯が近しい同士で集まる事で、その一帯にはブランド的な安心感を提供し、信頼出来るグループ範囲内では企画を成立しやすくする。
指定のない募集では期待に答えられるだけのライバーが集うとは限らず、
「自由だから良いじゃん」「同じにじさんじだから何が悪いんだ」と
ライバー同士の了解やにじさんじの環境と言った建前にばかり甘えられ、
何か不備があればその責任が企画者や他の参加ライバーに降りかかる。
然るに、今のにじさんじで軽率に「@1募集」「誰でもOK」と書き込み参加者を募る事はリスクなのだ。
先のLoLのチームでは5人中4人がにじさんじ、1人が外部という構成。
仮にここで、にじライバー4人内定からの「@1募集」を使った場合、
誰が挙手をしたのか・・・。
想像に難くない。
◇
これは極端な例え話としてだが、あらゆる「募集」と名の付くものに、
”絶対に参加を表明するライバー”が「1人」でも居たとしたら。
そしてそのライバーに適正が無く、意識が低いのも判り、参加するだけで荒れやすくなり、視聴者数などの利益に繋がる部分も下げると判っていたら。
残り全員がまともでも、そのたった「1人」を原因としてあらゆる「募集」を及び腰にさせる。
この例えも流石に渋谷ハジメの事を指しているわけではない。
ただ、今のにじさんじは似たような状況にはあるのではないか。
「100人の中で誰が来るかわからない」を回避する為には完全な指名性で信頼できる相手や実力が拮抗してる相手とコラボを行うか、
頭数を揃える必要のある「企画はしない」という選択肢に向かう。
◇
冒頭に述べたように、今にじさんじの企画配信は目に見えて減っている。
ライバー側が観測出来るような範囲でまで言われだしている。
これを「リスナーが五月蝿いからやめてしまったんだ」とするのが平和主義のライバー保護的には優しいのであろう。
――にじさんじのリスナーはどうしようもない厄介のクズが多い。
――そんな環境で活動するライバーは窮屈で可愛そうな存在。
としてライバー全員を傷付けない安直な回答へ向かう。
その裏で”格差のある人間達を一つのグループに押し込めた事の歪み”は放置され続けてしまったと言える。
放任的で平等的なグループの形態はライバー間にどうしようもない格差が生じている事が考慮されていなかった。
「好意的に受け入れられるようなライバー」ばかりが揃っていなければ、
このにじさんじのグループ形態はストレスの温床だ。
同接200人のライバーが自分さえ良ければという意識で、
にじさんじである事を寄す処として自由に動く事が可能。
ファンにとって見る理由にはならないのに、見ない理由にはなる。
ライバーにとって集客力にはならないのに、負担だけにはなる。
それが為に実力不足、不穏さを纏うライバーが紛れ込むリスクを際立たせ、ライバー側も企画の募集、人選に関して保守的にならざるを得なくなった。
これによって、今にじさんじにある頭数の揃えやすさという数の有利、
多様性を活かした企画のしやすさは死に体となり、共有鯖などの成り立ちを危うくさせた。
さながらみんなで走っている時も1人歩いてずっこける。
周囲に気を使わせることで全体の歩みを停滞させる。
これを助け合いてぇてぇ、絆だと言い前に進む。
また走るけど一歩進んで止まる。
勝手に怪我をして泣いたら誰かが慰める。
助けなければ冷たい奴と言われるからしょうがない
だがそんなのは見ていてつまらない、めんどう臭い。
次第にそいつが出て来る可能性を考えて参加者も観客も減る。
低い水準のライバーが放置され続けたことで、にじさんじの得意としている箱に起因する集団的で、ランダム性の高いコンテンツの成立は難しくなっている。
新人がデビューしようが新しい交流に関しても懐疑的な視線が増え、身動きが取り難い。
もはや100人もいるメリットが薄くなり、100人いるデメリットばかりが露呈して雁字搦めになったグループ構造がそこにはある。
”誰が悪いのか”
にじさんじに満たない者、
その場の期待に答えられない者までが、
にじさんじという看板を付けて利益を求め続けることで、
対立感情を刺激して、ブランドの品質は保証されず、
自由なコラボや交流を成立させる事は難しくなった。
渋谷ハジメが絡む直近的な問題で言えば、何者でもないと認識されたライバーが積極的に闊歩する事で、にじさんじ鯖というコンテンツの価値を損ねる問題となるか。
だが果たしてこれは、
渋谷ハジメ個人が悪い。ライバー個人が悪い。という話なのか?。
ある意味では渋谷ハジメはこのグループの歪みに導かれただけだ。
同じにじさんじだから期待され、にじさんじらしく人気を欲しただけだ。
格差がどれだけあろうが止めるものはなく、自由にコラボをしても良いという建前を信じてコラボをして炎上。
それでもにじさんじは渋谷ハジメのやらかし如何に関わらず、他のライバーの功績によって成長を続けた。
別に渋谷ハジメが支持を得られなくても成長しなくても問題なかった。
だからトップライバーと同じ看板を与え続けた。
これは残酷だとすら思う。
ある程度活動をしていれば、この仕事は向いていない、成果が出ないと悟り他の人生へと向かう選択肢を持つはずだ。
けれどにじさんじは、成長著しい大手Vtuber事務所。
しかも席を置いているだけでも旨味の強い看板をただ与え続けることで、
彼にとってのにじさんじは”楽に稼げる選択肢”として、大いに縋り付く先になった。
運営はライバーに期待はしても、一人一人にそこまでの成果を求めてはいない。
全員の人気が出なくても、数を増やしてたまに当たれば良い。
だから100人まで増やすことが出来る。
クビはもちろん、降格、配置換えなどもない。
他の組織にあるべき抑止力が存在しない。
どれだけミスをしても、最大最強の看板を付けて界隈のトップ層達と同じ仲間だと見なされる。
だから成長に向かわない。
将来性を閉ざし続けている。
――1年、2年と経ち、周囲の観衆は増えた。
復帰すれば同じにじさんじとして歓迎された。
ハジキ!ハジキ!とその場限りの歓待の声が響く。
にじさんじ内でのイベント時限定にある配役だけを持て囃す声を聞いて、
あたかも自身を求めるファンが多いかのように錯覚させた。
また自分がにじさんじである事を頼りにする。
しかしもはやファンは彼のことをにじさんじだからと甘く見てはくれない。
100人も増えればその中で”より有能な人間”が評価基準となる。
本人なりには頑張っている部分はあるのだろうが、それは今のにじさんじの中で評価に繋がるほど大きなものではなかった。
渋谷ハジメの遅々とした成長と、にじさんじというグループの巨大化、タレント化著しい事業拡大に伴う期待値は釣り合っていなかったのだ。
にじさんじの運営側が区別を設けなくても、表向きは言われなくても、格差は広がり続けていた。
ならば渋谷ハジメが今日の男性ライバーの大躍進を見て、その利益を自分が得ようと動くもまた嫌われ、叩かれ出すのは必然だった。
――どこかで止めないのか?
ライバー間の差は激しく、ファンの望みも共有される事がない。
とりあえずで闇鍋的に一緒に混ぜても、良い結果は得られないケースが増えている。
見せかけだけの平等性を確保して、一体どれだけの失敗を繰り返すのか。
ごちゃまぜの化学反応に期待した闇鍋路線の目論見は、
下は報われず、上も動き難いだけになっている。
繰り返しになるがこうした環境を作り出したのは適材適所の区分けをせず、
格差から発生するリスクを軽視したままで、無作為に大所帯のグループを形成したグループの構造が原因だ。
多種多様な人間をにじさんじのフォーマットに押し込めたものの、適材適所を見つけられずに、向いてない既存の舞台で輝こうとするライバーからの負の連鎖を止める手段はこれまた自発的な意思にだけ依存している。
ならばもはやリスナーにもライバーにも、この環境を変えることは出来ないだろう。
ならば運営がどうにかするしかない。
◇
解決策は4つ。
1.このグループの構造を変える。
”にじさんじ内での区分け”を作る。
ライバーとそのファンごとに、適切な区分というのはあるのではないか。
判りやすくする為に文中では能力だとか実力と言っているが、それは現在のにじさんじ100人体制の中で活躍出来ないというだけで、別の舞台でなら活躍するかもしれない。
渋谷ハジメは視聴者数にして19万を記録するにじさんじという大舞台、とりわけエンタメ、バラエティを重視する現在の方向性と期待値には見合っていない。
ゲームが上手いライバーも、男性ライバーも増えすぎてその個性は死んでいる。
けれどもっと狭い、限定された舞台でならどうか。
幸い声は良い。
規模の小さいその声の需要に特化したグループでなら「まったり系配信者」として穏便に受け入れられる世界を構築出来るのではないか。
ここでは詳しく述べないが、かつてのVOIZの失敗は単純なグループ分けが理由ではない。
・・・これは全く信じる必要はない与太話としてだが、
運営も何かしらの変革をしようと試みた形跡を感じる。
2020年の初頭から夏にかけての事。
メン限などの話を含むので詳細は言えないが何かしらの運営不信を持ったライバー達が複数いた。
加えて10万ラインのライバーたちの謎の焦り。
一部ライバーの田角社長に掛け合った話や、その後の「いちからは良くなった」発言。
全く関係がないかもしれないし、何かしらの体制変更の社内ルールの規定があったのかもしれない。
あまりにゴシップ化するのでこれ以上はまだ言葉にするのを控える。
何にしても現状のにじさんじの枠内でこの解決策を取るのは難しい。
ファンはもちろん、ライバー側も大きく反発をするからだ。
ライバーを集めてストライキごっこでも起こされたら演者に依存するVtuber運営は折れるしか選択肢は無い。
いくら渋谷ハジメに人気がなかろうが、そうしたライバーを今更にじさんじから除外するようなグループ分けは火種にしかならない。
ファンの数が200人であろうが、これに反発する数は何千何万にもなるだろう。
当然ながら外野のアンチも乗っかってくる
一度「統合」をしてしまった以上は、ここからの適切かつ穏便な分け方は想像が付かない。
(強いて言うならばアーティスト部門、ストリーマー部門などの他の配信者事務所がやっているような、ライバーの活動形態に合わせた区分けか。)
だからこそ、次の新人を出すならばこれ以上の対立構造を生まない為に、
最初から既存のにじさんじとは別グループにするべきだとは思う。
2.コラボ制限。
これは最も現実的だと思える。
現状ではライバー側の自由意志に基づく「自粛」によってコラボや企画を減らすことで、極力の衝突を回避する方に向かっているようにも見える。
けれどこのままでは、いざ何か大きな事をしようとした時にも及び腰になってしまうライバーばかりになる。
単純ににじさんじを盛り上げようという意識そのものも減退させる。
ファンにとっては安心を提供し品質を保つためにも、ライバー側にとっては負担を軽くするために、運営からのコラボ制限に類するような措置の必要性があるのではないか。
しかしどこまでやらかせばコラボ制限となるのかの塩梅は難しい。
「あなたがコラボすると相手のファンが嫌がるからやめてください。」
とは言えない。
だが、そういった状況は確実に今存在するのである。
ARKもマイクラも、一部のライバーに制限を穏便に課すことが出来れば上手く運ぶと感じてしまう所ではある。
3.全てのライバーを引き上げること。
”にじさんじは優れたエンターテイナーの集団”という肯定感を元にしたグループ構造が、”実はそうではない一般人も居る”という格差によって壊れるなら、この格差を無くしてしまえば良い。
ライバーの将来性や可能性に期待して成長を促し、真にライバー全員を優れたエンターテイナーな集団へと成長させることが出来るならば問題は解決だ。
その為に公式で抱き合わせのセット売り、コラボの切り抜きを出すなどして、にじさんじのファンを全体で共有させて認めさせる。
渋谷ハジメが絶対に芽が出ないライバーだとは思わない。
3年で10回チャンスを与えて芽が出ないライバーでも、30回のチャンスを与えて5年目になれば大成するかもしれない。
だが現状のグループ構造のままでこれを行えば、その過程の中で、
”何を失うのか”はここまで呼んでくれた方なら理解してくれる事だろう。
4.ファンの母数を減らす。
付いてこれないファンを厄介者として切り捨てれば良い。
100人全てのライバーを仲間として受け入れて、どれだけ自由にコラボをしても楽しんでみていられる。
ストレステストを行いギリギリまで残ってくれるのは肯定感の強いファンだ。
そんなファンだけが残れば良し。
ライバーを増やしてファンも増え、その格差をスルーしたままでファンの共有を推し進めて治安は悪化していった。
ならこの後ファンが去ることでにじさんじは幾らか平和になるかもしれない。
この選択肢は足並みを低い方へと合わせる事と同義である。
何にせよ現状の鬱屈とした流れが続く場合には、将来的ににじさんじに残るのは渋谷ハジメ的なライバー達であり、対照的なライバー程にじさんじからは遠ざかるような気がしてしまう。
ブランド価値や将来性が低下するならば別の道を模索しての引退という二文字は大いにありえるからだ。
そうでなくてもにじさんじだから見るような動機が弱まり、
内部コラボの恩恵が弱体化することで実力者達程、
”内向けに活動する必要性”は薄れていく。
にじさんじとにじさんじライバーを当てにしなくなる。
この問題の行き着く先は、にじさんじの企画が減るに留まらない。
”逃避先としての外部”
・にじさんじで企画が減る。
・自由なコラボが難しくなる。
ここから辿り着く先のルートの一つに「外部」が存在する。
窮屈でめんどうなにじさんじから逃げるかのように外部へと向かう。
にじさんじから逃げ出すライバーやファンが増える事は、外部にとって美味しいチャンスでしかない。
APEX、CR絡みの動きなどを見れば判る。
”にじさんじが企画や大会をしないなら、外部がするだけだ”
利益の奪い合い。
強者からの優しさを利用して引き立て役にされるライバーの構図、
などは外部コラボにこそ起こり得る。
「言わない、見ない自衛」の文化は実は外様こそが十全に利用出来る。
外部コラボによる切り抜き問題
外部絡みの特異な状況を1つ。
にじさんじと外部がコラボを行うと、外部側はそのコラボの切り抜きを自分のチャンネルで出している。
1ヶ月で5~6つ出すのはもはや当たり前。
にじライバーへのチャンネルのリンクを概要欄に貼らないのも当たり前。
対して、にじライバー側のチャンネルには外部コラボの切り抜きがほぼ存在しない。
出す気がないのか出せないのかは謎。
しかし公式チャンネルには当然ながら外部の切り抜きは一切存在しない。
外部がにじさんじと100回コラボをして、自身の枠でにじさんじライバーの名前とイラストを使い300個の切り抜きを出せるとしても、にじさんじ側で増やせる切り抜きは0のまま。
外部コラボが増えれば増えるほど、公式で使えるそのライバーの切り抜きの機会が確実に減る。
でも外部様だから失礼なことは言えない。
偉大な絵師様だから嬉しい。
恐れ多くもプロ様が教えてくださっているのだから有り難い事なのだ。
・・・果たして今の外部コラボは本当に不満が少ない選択肢なのか。
Vですらない生身の方が、知っていて当たり前かのように、まるで身内のように配信に登壇する環境には違和感を覚えないか。
――外部コラボも強烈な”見ない理由”にはなってはいないのか。
にじさんじがこうして箱としての機能を衰えさせ、箱推し力を低下させる傍らでの外部コラボは視聴理由の継続性を妨げて、足を洗う良いきっかけにもなる。
そもそも企画が減った理由の一つには、
外部コラボの頻発によるスケジュールの擦り合わせの難しさが絡んでいる部分もあるのではと推察する。
事実、CRと別のイベントなどが被っている事があった。
カスタム練習と言いながら約7日間、連日連夜ゴールデンタイムのスケジュールが外部との企画に費やされるならばその影響が出ないはずがない。
外部コラボの増加はブランド価値の更なる低下を招き、
にじさんじだから見てくれている。という人が霧散していく。
ならば今後はどうなるだろう。
外部コラボを有効に使える者や
不評な外部コラボを避けられる者など、
外向けのビジネス意識が問われ、
にじさんじの身内ウケに寄りかかったライバーは苦しくなる。
そんな中での希望であった男女混合バラエティ路線。
女性リスナーの増加に伴う性差の対立軸。
誇張された芸人意識に囚われて失ったもの。
差別化したつもりでただアイドル需要の拡大に乗りそこねたライバー達。
といった話はまた機会があれば。
✰✰✰よろしければスキマーク、お気に入り等おねがいします。✰✰✰
次回更新のモチベーションにも繋がります。
”あとがき。口実として使われる渋谷ハジメ問題”
にじさんじには自分以外の周囲が勝手に作り上げてくれる人気がある。
所属しているだけでもお得だ。
コラボしてその数字をぶん盗れば尚お得。
その際には配役を盾に、ライバー同士の了解の名の下に相手のファンの感情を軽視しても良い。
という環境にすがり、自身の能力以上の利得を得る傍らで他のライバーや全体の利得を落とす。
最初に言ったようにこの記事の中で私が脳裏に描いて書いた対象は、
渋谷ハジメだけではない。
この論調を渋谷ハジメを対象に言うなら同意はするという人でも、
□□□□にも当てはまると言えば納得されないだろう。
□□□□の名前を出した途端に渋谷ハジメで例えてきた説得力も霧散すると捉えられる。
私は1年前にも渋谷ハジメを対象とした記事を書こうとした。
しかし、その時の渋谷ハジメは丁度ARKで大活躍をしていた。
だから取り扱うのをやめた。
ARKで活躍してる最中に批判的な事を言っても説得力がない。
その時の彼のイメージは「反省して変わった人」であったからだ。
仮に同意はしても、同意を示せない。
閉ざされたコミュニティでの批判的意識には閾値のようなものを感じる。
問題は問題として抱えているのに、この地点までは見逃し続け、
このラインまで来たら一気に火が付いたように批判しても良いとするラインがある。
その怒りだす、耐えられなくなる沸点を緩和してるのが「好感度」であったり今回取り上げたような「配役」だと思っている。
積もり積もった不満も来るべき時、口実がなければ表面化しない。
プラスの補正で誤魔化しきれなくなる時までスルーして、問題が表面化した時にはもう遅い。
今にじさんじでの配役や好感度の弱い渋谷ハジメは批判しやすい。
過去現在含めての問題が多く、人気が極端に少ない。
それ故に口実として使いやすく、生贄にされやすい。
内ゲバ感情においては、しばしば自分の推しを引き上げるためにも使われる。
むしろ、こうして語りやすい渋谷ハジメや、あるいは郡道美令などは語りやすさで溜飲を下げている。
ヒール的ポジションとしてある程度の所で批判的意見を共有出来る場があるならば、彼ら個人を嫌になる人はいても、
明らかにやばいのだから、どうせ同僚のライバーも遠巻きに見ている。
俺の推しもあいつを厄介だと思うのは同じなんだ。
と都合よく解釈して心を落ち着けられる。
その為に彼らへの嫌いを理由として、推しやにじさんじに疎外感を持つ事は少ないように思う。
この二人のように瞬間で目立ったやらかしを責めやすいライバーにばかり気を取られるがもっと厄介な感情は、
嫌いを共有出来ぬほど目立たないが見ない理由にはなる。
配役によって印象が保護されて閾値ギリギリで留まっている。
そのようなライバーに苦手意識を持ってしまった場合、周囲一帯には一見すると歓迎の声で溢れていて問題にはされない。
「あれ、自分がおかしいのか?」と推し離れ、にじさんじ離れを引き起こし、そして残った人達もその対立感情を水面下では発達させ続けている。
こうした感情を散発的に抱かせ続けるのも、このグループ環境でライバーを推し続ける事の難しさだろうか。
格差を理解して、弁えているライバーの方が多い。
一部でもその影響力が広がりやすい環境という問題を指摘するための意図が大きいため殊更書かなかったがそれは、そう。
しかしその多くは最初から、というわけではない。
2019年の統合によるコラボの自由化によって、ここで指摘したような節操ないコラボは急増していった。
その余波によって2020年~に様々な問題が発生して導かれた回答でもあるように思う。
とりわけ新人の問題。
最近では、ほとんどのライバーは人気格差、未知のライバー相手のコラボを警戒して身の丈に合わない相手に向かう事は激減している。
上は上と下は下と。それはそれでまた格差による問題の一つ。
弁えないならトラブルの種になり、弁えて距離を取るならば100人体制にしているメリットが薄い。
にじさんじだから見るというブランド補正が減った場合、下と下のコラボから上に浮き上がってくる事は難しくなる。
企画が減ってどう思うか。
今の企画が減った状況が嫌なのかと言われれば、個人的にはソロ志向になりつつあるのもあって物足りなさは感じるものの「別に」という感覚。
このままの環境で企画だけを増やされても、恐らく私はストレスを感じることの方が増えるように思う。
ただ運営やライバー側にとっては今の窮屈で停滞感漂う空気はよろしくないように思う。
にじさんじは企画が売り。というの前提にして集めた人材であったり、
ソロではスポットライトが当たらない、どうにもならないライバーは割といる。
企画が減った他の理由。
都合上、内ゲバ問題に絞っていたが企画が減った理由は単純な内ゲバだけではない。
それこそ最後に書いたような外部大会の頻度であったり、
そもそも企画をしそうなライバーが忙しくなっていたり、
バラバラの案件が増えることでのスケジュール調整の難しさ、
流行り病によるオフコラボの制限など複数の理由が考えられる。
そういった意味で言えばまだ案件などのお仕事の少なく、外部にも誘われる事の少ない、若いライバーの方が身動きは取りやすく企画も行い易いだろう。
しかしそうしたライバー達には、にじさんじの縦社会的な先輩リスペクトを求められる視線が突き刺さる。
また本人の人気、人望、好感度が低ければ、企画の参加者集めを困難にさせる。
ここで使えるのが全体に対しての「自由参加募集」なのだろうが、
現状で若手のライバーが自由参加募集を募った場合、本文中に書いたような理由により、企画としての質や評価が保証されるとは限らない。
それも合り、かつてのSEEDsのように独自のグループ分け、独自文化の成立、ファン層の隔離があった方がその内々では企画が円滑にしやすい環境になるのではないかとも思う。
今の新人が、にじさんじ100人とそのファンの中で他ライバーやグループを巻き込み大きなチャレンジを行う事は難しい。
ライバーの切り捨て論はダメゼッタイ。
結果を出していないライバーを引退させるべきだとか、2軍に落とすべきだとは書いていない。
現状のグループ構造では適材適所が叶わないライバーが生まれ易くなる。
全てを等しく「にじさんじ」として括ってしまう事で既存のフォーマットに支配され易くなり、主に数的有利にある人気ライバーのファンが形成してしまう規範に縛られる事にもなる為、ある程度の色分けを行いライバーとファン層に合わせ棲み分け出来るような措置が必要なのではないかという考えです。
にじさんじがやるべきは、スタ丼さんが主張する切り捨てでも区分でもなく「上位と下位を徹底的に混ぜて大規模企画を連発する」ことになるはずです。
これは「”誰が悪いのか”」の項の提案として
3.全てのライバーを引き上げること。として触れていることでもある。
なので、自分はもう少しシビアな感覚で見ています。
にじさんじは全員が将来性ある有望株ではなく、適材適所が異なる事で噛み合わない企画が生まれ、無理やり混ぜて無理に救済しようとすれば失うものが出てくると。
そもそも「上位と下位を徹底的に混ぜて大規模企画を連発する」というのはこれまでにじさんじが積極的にやってきた路線でもあり、このリスクを軽視したことでファン対立は加速したと考えています。
何故なら、自分の見たくないライバーが視界に増える事は不快であり、その大型企画自体をも見ない理由とするからです。
何より上位側にはこれを行い参加するだけのメリットが現状ありません。
「箱としての盛り上がり」を提供する意思があり、企画者として批判に晒される覚悟のあるライバーでなければ、わざわざ雑多な集団を集めての大型企画などしないでしょう。
わざわざ今目立って評価されていない、あるいは悪評を纏うライバーを救済してやる、などというノリで企画を立てるライバーは限られます。
上位が面白い企画をしようとするならばそれこそ「○○王」のように、
自分が面白いと思う信頼出来るライバーを集める方がファンが喜ぶのは目に見えているのでそのように動く事でしょう。
区分けや、棲み分けが必要ではないかという話は統合前とのグループ構造とファン層の変化を絡めてまだ書き足りないと感じている所ではありますが、並列して複数のグループが同時多発的に進行する事によって、にじさんじコミュニティの分断を促し、負の情報の共有を妨げる効果も期待出来るのでは無いかとも思う次第です。
あるいは「コラボ無しでもイケるような強大な個性を作る」こと。
もう1つ提示されたこれに関しても、尚の事区分けがあった方が作りやすいかと思います。
これはライバーの「配役」として何度も触れたことですが、ライバーの数が増えることで個性の差別化は難しくなるからです。
長時間配信が当たり前となって、渋谷ハジメが長時間配信をしているだけでは評価されなくなったことなど。
それこそ去年にはライバーの個性被りによる問題も発生しました。
また意識の上でも大所帯になるほど、頼る存在が増えることで個の確立からは遠ざかり、既存のにじさんじファンからの要望によって同じような個性に寄せられる傾向があるように思えます。
一般に「上位」に位置するライバーでもコラボを乱発せずに伸びている個性の怪物がいますよね?鈴鹿詩子さんです。
この場合、彼女のデビュー時期と個性を確立した当時の環境にも着目するべきだと考えます。
今同じことを新人が言って、先輩ライバーから触れられることもなしに、「やべー奴」だと人気を博すかどうか。
既に「鈴鹿詩子」が存在しているこの今のにじさんじでです。
BLネタやらを口にするライバーはその後も数多く居ましたがエンタメというよりは趣味の範疇に留まっているように感じられます。
このライバーから参考にするべきは、話題性が落ち着いた後での動画メインでの表現などの多様なアプローチかもしれません。