「言葉をどう捉えるか – テークエム『THE TAKES』雑考」(著 高木"JET"晋一郎)
梅田サイファー「ビッグジャンボジェット」のライナーノーツも執筆してくれた高木"JET"晋一郎先生に、アルバム"THE TAKES"のライナーノーツを執筆いただきました。僕はこの文章を、読んだ時に、とても胸いっぱいになりました。是非、ご一読いただけましたら幸いです。(テークエム)
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「言葉をどう捉えるか – テークエム『THE TAKES』雑考」
ソロアーティストとして、梅田サイファーのメンバーとして、ユニット:Japidiotのメンバーとして、そしてCreepy Nutsのロゴや梅田サイファーのグッズなどを手掛けるデザイナーとしてなど、様々なアプローチで表現活動を続けるテークエム。
RHYMESTERやSEEDA、KREVA、EXILEなどを手掛けるプロデューサー:BACHLOGICが、梅田サイファー”トラボルタカスタム”のプロデュースを手がけたことをキッカケに、BACHLOGICをプロデュースに迎えた”それじゃ無理 (feat. R-指定, NORIKIYO & AKLO)”や、EP「XXM」などをリリースしてきた彼が、初のソロフルアルバム「THE TAKES」をリリースした。
これは聴くものを完膚なきまでに圧倒する「言葉」のアルバムだ。
もちろんBACHLOGICという、大ベテランの域にあっても、常に新たなアプローチの提示と的確なアーティストプロデュースを手掛ける、当代きっての名プロデューサーが全編を手掛けるというサウンドクオリティの高さは、当然ながら超一級品。それに呼応するように、テークエムのラップスキルもこれまでの作品よりもコントローラブルになり、リスナーの聴感を様々なスタイルと温度で刺激しながら、そこにアンバランスさを感じさせない整頓感でまとめ上げたスキルの高さは折り紙付きだ。
その意味でも、ラップ/フロウ/トラック/プロデュースといったサウンドのエレメンツがしっかりと絡み合うことで、聴感的な聴き応えは十分であり、悪い意味ではなく、母語ではない言語で繰り広げられるハイスキルなラップを聴くような、単純に音感として楽しむことが出来る、根本的な「ノリ」の確かさは、このアルバムの背骨として揺るぎなく存在する。
しかしそれでも、このアルバムをあえて「言葉のアルバム」と表現したい。
そう考えたのは、やはりこのアルバムでのテークエムが発する言葉の構造性と構築力の高さゆえだ。当然ながら言葉は「単語」や「形態素」だけでは意味を成さない。それらが接続し、順序だち、起句と結句で纏められ、構成されることで、一つの文脈となり、その文脈によって「理解すること」や「他者に届くこと」を可能にする。もちろん、ラップにおいては単語や形態素をそのまま羅列したり、イレギュラーな形で組み合わせることで新たな価値観を創造し、それがオリジナリティの表出となる場合もあるし、テークエムのラップにおいてもそういった部分は散見される。しかし「THE TAKES」は、基本的には楽曲ごとの根本のテーマ性と、それを詳らかにしていくラップとの間には、しっかりと理屈や接着面があり、その意味でも「自分の想い」というものを独りよがりな形ではなく、真摯にリスナーに与えるという意思を感じさせる。
同様に、その真摯さは自身にも向けられる。ラップは「その文脈体系を誰が発するのか」という事実が最重要視されるアートフォームだが、「THE TAKES」は、その「誰が」をひたすらに言葉として綴り、ラップとして昇華させる。その「誰が」は当然、他でもないテークエムなのだが、思考や意識、これまでのキャリア、生育環境、体験、ヒップホップ、梅田サイファー……そういった彼を形成するすべてを、60分/16000字以上の文字群でラップとして発信する。
翻って「言葉はなぜ存在するか」を考えると、それは一つには「認識する」、つまり「取っ手をつける」という必要性が存在するからだ。例えば「木」を考えれれば、それを「木」としてだけ認識するとそこで終わりだが、それをナタやチェーンソー、そしてメスで分解し「枝/葉/葉緑素/樹液」と細かく「認識の取っ手」をつけていくことで、「木」がどのように成り立っているのか理解でき、その概念を広く共有することができる。同様に「THE TAKES」も、「テークエム」という存在を、14曲によって、ラップによって、フロウによって、ビートアプローチによって、作品デザイニングによって、テークエムを構成する要素に「取っ手」を付けていく。その意味でもこのアルバムはテークエム自身を「腑分け」し、そこに言葉をつけ、他者に認識させるという強烈な意思が作品の全てから滲出していく。その意味でも「言葉のアルバム」だと感じた。
アルバムは”My TAKES”、つまり「俺の番」から始まるが、この曲では上記のような腑分けが、「一生まとわりつくmy face/選ばれし者じゃ無い my body」から続くヴァースでも明確なように、彼のスタンスや決意、アティチュードといった「意思」の部分が強調して書かれる。その意味でも、この曲にはこのアルバムを制作した意図であったり、彼の自己存在への意識が一曲に詰め込まれているが、それ故に内容としては視点が様々な方向に動き、整理はなされていない。しかしその情報が交錯した、ある種の「意識の混乱」こそ、自分自身を内観したときにこそ生まれるものだろう。「自分自身がなにを考えているか」「どうしたいのか」、それこそ自分自身で捉えることが非常に難しいものだ。自分は自分に対して嘘をつくし、隠し事もする、他人より度し難い、混乱を招く存在だ。しかしその「混乱」自体に名前をつけ、その「混乱の理由」を書くことこそがこの曲の肝であり、同時にこの曲で描かれる「混乱の理由」を、続く13曲で整理していくのが、このアルバムの骨子だろう。
そしてアルバムの中で描かれる「Brother! 屋上で死に損なう時間も終わりだ(”Weapon”)」という恐らく本人の体験をもとにしたであろうリリックや、”Mes(s) feat.Kvi Baba”での明確に彼自身の家庭環境を歌った楽曲、「アイツらの耳と目は超残念だけど(”奇襲作戦!!!”)」という攻撃性、そして明示はされていないが「お前がいないのは/俺の/あのword(”Ano word”)」というフレーズから感じる悔悟の念など、このアルバムはその端々から「陰」が顔を覗かせ、リスナーをそちらに引きずり込もうとする。しかし一方でこのアルバムはそういったダークサイドに対して光を当て続け、救い出すことが主眼となっている。それは「俺がKING/屑溜めん中のKINGWake up on garbage(”Wake up on garbage”)や、「死にたいとかyanpi/消えたいとかyanpi(”Yanpi”)」、「Why don’t you protect yourself?/銃弾は防げなくていい ただ強く生きる為に(”PROTECT”)」という言葉たちが象徴しているが、その意味でも陰陽のコントラストを明確にすることで、救いのメッセージの輝度を高める構成は非常に見事だ。
そもそも一曲目の”My TAKES”で「ラブばっかだ全く」と結句することでアルバムをスタートさせ、アルバムのラストは”Good joe sleep in a taxi”の「Life is my takes/豊かである」という言葉で閉じられる構成からも、そういった「救済」のメッセージを感じる。冒頭で愛の存在を認識し、彼が受けた傷や痛みがその愛によって癒やされていく過程がこのアルバムでは描かれ、そして「Life is my takes」、つまり「これは自分の人生だ」と自分を人生の主人公だと再認識する。そしてその救済の手は、彼からリスナーにも差し伸べられることは、アルバムを聴き通せば理解できるだろう。そしてその体験を経てから2聴目に聴く「ラブばっかだ全く」という言葉は、1聴目とは全く違った説得力を持つ。
曲ごとの内容に対する細かなディティールや(とはいえ、そのディティールの確かさと明確さは楽曲を聴けば自ずと理解できるだろうし、インタビューという形式でなければ深堀りは難しいだろう)、精緻なライミング、そしてBACHLOGICのトラックとの整合性などに分析が及ばず、非常に観念的な感想文になってしまい、汗顔の至りではある。しかし、このテキストが「THE TAKES」という、テークエムというアーティストの根本をさらけ出したアルバム理解への一助となれば嬉しい。(著 高木"JET"晋一郎)
テークエム 1st ALBUM "THE TAKES"
M1.My TAKES
M2.Weapon
M3.奇襲作戦!!!
M4.Nugget
M5.Wake up on garbage
M6.Yanpi
M7.Poltergeist feat.ふぁんく, peko, KennyDoes, KZ, KOPERU, KBD & R-指定
M8.Mes(s) feat.Kvi Baba
M9.PROTECT
M10.STRONG ZER0
M11.Saladjuice
M12.ano word
M13.Leave my planet feat.鋼田テフロン
M14.Good Joe sleep in a taxi