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貧困国の子どもに募金をすることについて(3 分:900 字)

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ヨドバシカメラの前で、マレーシア人っぽい女性に声をかけられた。恵まれない子どもたちにお金をくださいーとの事だ。あなたならお金をあげるだろうか。

彼女は100 %善意でやっているのだと思う。だけど、僕はなんだか微妙な気持ちがして、お金を払わなかった。お金を払わないほうが正しいのではないかと思った。

いくつか理由らしい事は言えるのだけれど、ひとつは残酷で、もうひとつは諦めからくる理由だ。

はじめにエグい理由のほうを言うと、その生まれてしまった子どもは、残念ながらその社会の生産能力からすると過剰にできてしまった子どもなので、自国でなんとかできないのならば、それは残念ながら養えなかったという事だと思うのだ。

もうひとつの諦めというのは、上述したように自国で養えない子どもを作らせてしまった場合、その子どもを養って大人になるためにどれだけの資源を継続的に与え続けなければいけないのだろうかーということだ。物価が違うと言っても、必要とする支援は生半可な量ではないだろう(一人で支えるのではないとはいえ)。

その生半可でない量の支援を、次々と生まれてきてしまう子どもに使うのであれば、僕は、その資源を子どもたちの直接的な支援に回すのでなく、その子どもたちを支えるための社会制度を作るほうにこそ、その資源を回すべきではないかと思ってしまう。

だから、コンドームの布教運動とか、一人っこ政策導入支援のための義援金だとか、その社会問題を解決するための調査費用としてシンクタンクに支払うお金の募金とかだったら、ぼくは払いたいと思ってしまう。


ちょっと話はそれるが、いわゆる貧困国に行くと子どもの乞食が金をせびりにやってくるが、そいつにお金をあげてはいけないーというのはひとつの定説になっているらしい。自分で働いて生きていくという事を学ばないからーだそうだ。良かれと思ってあげたお金が、そいつの自立を妨げてしまうこともあるのだ。

あのマレーシア人っぽい女の子がやっていたことは、その子どもにただ金をあげちまうのと本質的に一緒ではないのか。だから、ぼくは、微妙な気がしながらも、やっぱりお金を払わなかった。

あなたならどうしただろうか。


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