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クソリプをかんがえる(2180 字: 5 分)

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Twitterを熱心にやり初めて2ヶ月ほど経つが、クソリプなるものを自分が自然としようとしていることによく気づく。ぼくも"クソリプおじさん"というわけだ。

ただ、意識してみると自分がクソリプしそうな事がなんとなく分かるので、そのたびに自制する。ただ、なぜいわゆるクソリプがクソなのかがよくわからない。ちょっと考えてみた。


まず、ぼくの思うクソリプの典型例がどういうものかというと:

①あるTweetを引用RTする際に、引用源のTweetでなされている主張とは無関係に持論を展開する

②Tweet主のアイデンティティに関わるセンシティブな吐露に関し、常識や正論で切り込んでくる

③あるTweetに対して、それに関する自らのエピソードを披露する

などだ。一般化すると、もともとのTweetの意図とは無関係に論を展開するとき、それをクソリプという事が多いらしい。


これのなにが問題なのか。

Tweet主の立場に立つとたしかに、もともとの意図と違った風に自分の発言を利用されることに嫌悪感を感じるのは理解できる。”利用された!”と感じる場合もあるだろうし、もっと直接的に”そんなことが言いたいわけじゃない”となる場合もあるだろう。

そこには、コミュニケーションが成立していない。コミュニケーションを成立させる気がないのならば、不都合なので私の発言に関わらないで欲しいーというわけだ。

いささか、短気すぎるような気がしないでもないが、多くのTwitter民は趣味の範疇でTwitterをやっていると思うので、クソリプを飛ばしてくるやつを排除して自分のTLやリプライを同じ趣味嗜好のやつで染め上げたくなる気持ちは理解できる。


次に、自然とクソリプを飛ばしてしまう自分の心理とクソリプを飛ばしても良いパターンについて考えたい。なにせクソリプはやる側には楽しいものだったりするからだ。

なぜクソリプを飛ばしてしまいたくなるかという心理については、僕の中ではけっこう明らかで、一言でいうと、持論の展開が容易だからだ。

上記の①に関しては、まず他人の意見をたたき台にしているので、前提となる問題意識を共有しやすいし、他人を否定してから持論を展開すると、持論の意見が正しく見えやすい。②に関してなら、権威主義的に正論を振りかざすことで、持論は少なくともある側面では絶対的に正しく見えるので、Tweet主が反論しずらい上に、正義を実行したことによる満足感が本人にはある。誤解を恐れずに言えば、一部のフェミニストなどはこのタイプの承認欲求の満たし方をしている人があると思う。③に関してなら、単純に自分の話をすることは人間にとって、もっとも簡単に影響力を発揮してある種の承認欲求を満たせることなので、気持ちが良い。

上記したようなケースにおいては、やはり、Tweetを選んでリプを飛ばし、それを持論を展開する上での叩き台とすることで気持ちよくなることができる。ただし、それは嫌われるようだ。


次に、クソリプを飛ばすことが容認されているパターンについて考えたい。それは、ひとつには、もともとのTweetがコミュニケーションの成立を前提とされていないような場合だ。具体的には、支離滅裂に近い雄叫びのようなもの、芸能人や政治家などの直接的なコミュニケーションを取ることが前提とされていないようなアカウントからの発言だ。

前者に関しては、ネタを一方的に扱っているような具合になるが、それは意図されていない使い方であったとしてもコミュニケーションが前提とされていないので、多くのTweet主はそこまで不快にならないと思う。

後者に関しては、Twitterの使い方としては、ほとんどゴシップに近い。小泉現環境相が内容スカスカの発言をしたことに関して批判というか、ディスりを入れたりすることに誰も問題意識を感じない。具体個別的に彼のケースに関しては、正答な批判という面もあるし、なによりもTweet主や小泉さん自身はそのリプを見ていないので、コミュニケーションはまったく成立していないのだ。そもそも、コミュニケーションの成立が前提とされていない。どうやら、Tweet主との距離感が、離れすぎていると、それをクソリプと捉える人は減りそうである。


最後に、クソリプでないリプを飛ばすとき、それはどのようなものか考えてみたい。それは、Tweet主の意図に沿うような軸に乗った状態で、主の考えを深化させるようなリプをする場合だ。

少し具体的にいうと、気づかなかった視点を追加したり、補足情報を追記したり、明らかに問題がある点に関して指摘したりすることは建設的なリプと言えそうだ。

メーカーだったか、どこかの技術的にとがった中小企業のオフィスでは、真ん中にブルーシートがしかれ、そこに新製品のプロトタイプのようなものが置かれているそうだ。気になる社員は誰でも、そのプロトタイプを直接いじって機能追加したり、動作を確認できる。これを祭り方式とかいうらしい。

僕は、建設的(少なくともTweet主が気持ちよくなれるような)リプライというのは、この祭り方式による開発のようなものだと思っている。これなら、もともとのTweetをした人にクソリプだと思われることは、たぶんないだろう。

以上で、クソリプの考察と正しいクソリプの飛ばし方、建設的なリプの飛ばし方を考えた。みなさん、良いクソリプライフを!

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