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いろんな学生自治寮と文化〜自治領の存在意義とは〜(1917 字; 4 分)

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はじめに

学生自治寮(以下、自治寮)というと僕は熊野寮や吉田寮をまず想像するが、全国には様々な自治寮がある。

僕がこれまでに訪れたことのある自治寮は北海道大学恵迪寮、慶應大学日吉寮、東北大学日就寮などだ。自治寮は、そのどれもがある程度文化や文脈を共有しながら、独自の文化を形成しているのが面白い。ちょっと簡単に紹介しながら、私見を述べていこうと思う。

北海道大学恵迪寮

北海道大学恵迪寮は、現存する自治寮の中では、熊野寮と双璧をなすといってもいい大きく、しっかりと自治がされている寮で、とにかくノリがアツい。ちょっと訪れた感じ、その学生的なノリの良さ、毎年作られるという寮歌をみんなで歌ったり(寮歌を検索できるアプリまで自作しているやつまでいた)しているのが印象的だった。

大学当局(以下、当局)とは比較的仲良くやっているようで、留年や休学を繰り返す人などはけっこう少ないように感じた。熊野寮と大きく違うなーと思ったところは、自治会員が学部生だけで構成されているーということだ。いちおう大学院生なども物理的には同じ建物に居住しているが、自治会員でないので自治にはほとんど参加していないようだった。それもあってか、なんとなく立てのつながりの強い、学生的なノリが強く、よく言えば風通しの良い文化だった。熊野寮は多留や休学をしている人間がけっこういたり、大学院生とかもいるので恵迪寮よりも、なんというか空気が淀んでいる感じがする。ちょっと余談になるが、江戸川区にある自治寮のようなコミュニティに行ったことがあるが、そこはとてつもなく空気が淀んでいて、コミュニティの代謝は大事なんだなーと思った。

慶應大学日吉寮

慶應大学日吉寮は、小高い丘の上にある小さく、こぎれいな寮だった。20 人くらいしか住んでいなかったと思う。ここは自治寮とは言っているけれどもかなり大学の管理下に置かれているようで、大学院生もいないし、留年・休学はおろか留学すらも認められていなかった。最大でも4 年しかその寮には居ることができないし、途中入寮や途中退寮も認められていなかった。それらがすべてみとめられている熊野寮に住んでいると、日吉寮のルールはとてつもなく不自由に見えるが、そういった空間しか知らない当人たちからすると、特に疑問を感じなかったのだと思う。

日吉寮は僕が熊野寮に住み始めて訪れた、初の他の自治寮だったので、熊野寮がいかに粘り強く反抗しながら、強力な自治機能を残してきたのかーということに思いをはせざるをえなかった。先輩たちが勝ち得てきた自治は、実際に今の学生たちに自由という、とびきり難しい恩恵をもたらしてくれていた。

東北大学日就寮

東北大学日就寮は、当局からの攻撃で今にも自治会が解体されようとしている自治寮で、全国で同時並行的に行われている自治寮つぶしというのはこういうふうにして自治会を疲弊させ、解体していくのだなーというのが見ていてわかった。今ではたぶん定員40 人くらいのところに5 人くらいしか寮生がいないのではなかろうか。事務室の当番が猛烈な勢いで回ってくるので、みんな半分事務室に住んでいるような感じだ。

日就寮は実は、ほとんど同じ形の建物が合計3 棟あり(4 棟かも)、残りの寮は大学が直接管理していた、つまり管理寮だ。それを見ていて、自治寮と管理寮は何が違い、なぜ自治寮を守らねばならないのかーと考えさせられた。

というのも、この日就寮のケースにしぼって話をするなら、家賃もほかの棟とあまり変わらないし、管理寮のほうがまだ多少綺麗で、当番はないし、なにより筋の通らないことや嘘・事実の誇張を経済的体力に任せて押し通してくる当局と戦って疲弊しないで済む。たぶん、この状態だったら僕は無理して日就寮に済むのではなく、となりの棟のほうに住んだろうと思う。

その時出した、僕なりの「管理寮でなく自治寮であらねばならない理由」は、ざっくり言うと人の教育だ。自治寮であることで、自分たちで自分たちのことを決めねばならないが、その代わりに自由が得られる。その自由を使って、膨大な時間を道探しに費やし、ひとたび見つかった道を突き進んで、どんどんとがっていった、その、人が面白いのだ。お金のない学生のためとかいろいろ意義は言えるのだが、僕はむしろそこを取っ払ったとしても、自治寮の自由こそ面白い人間を輩出することができ(やすい)環境であり、それこそが自治寮の最大の意義だと言いたい。

もう言いたいことは言ってしまったので、いろんな自治寮の紹介はこれで終わる。ぼくは自治寮に住んでいるので、尖るのに忙しいのだ。

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