silver story #42
#42
行きと違って帰りは早く家に戻れたように感じた。山登りのそれと同じなのかもしれない。
時間の経過がわからなかったが、家に戻るとすぐに現実を感じた。お腹が空いたのだ。
「何か食べますか?」
顔に出ていたのか、お母様が台所に向かいながら声を出してきた。
みんな無言で家まで帰り、中に入って最初に聞いた言葉だったのでなんだかおかしくなった。
夢や幻、非現実的なものに触れても体はしっかりと日常を生きているんだと思ってしまった。
台所からは、日本の物とは違う香りが漂って来た。スパイスと爽やかなライムの香りが鼻腔から体の中に染み透っていく。
「さあ。できました。さっぱりしたものがいいでしょう。」
そう言ってお母様は、透き通ったスープ『ソト・アヤム』を運んできてくれた。
ライムやレモングラスの香りが部屋いっぱいに漂い、疲れた体を包みこんでくれた。
ジメッとした空気を追いやって抜けていくような、そんな香りのするスープにユキさんもすぐさま飛びついてきて香りを楽しみながら飲みだした。負けじと私もお皿を手にしてスプーンなしで飲みはじめた。
「二人ともそんなに慌てなくても、うふふ。まだあるから、ゆっくり飲んでくださいね。」
さっきまで歩いてきた闇の中の蠢くもの達にまとわりつかれ汚されていた体が、一気に清められるように染み込んでいった。
「ふうーーっ。」
前のめりになっていた私たちは同時に椅子の背もたれに体を委ねて倒れこんだ。
食べ物のパワーは、本当に凄いと思う。さっきまでありえないような光景と体験にドキドキが止まらない体が、一杯のスープで眠たくなるほどリラックスしてくる。
わたしは、だんだん瞼が重くなる感覚がしてきてやはり眠ってしまった。
どれくらい経ったのだろうか、強烈な明るさを瞼越しに感じて目を開けるとオレンジの塊が目の前にいた。ゆらゆらと揺らめく塊の真ん中にギョロッとした目玉が見えていた。
さっき、ファインダー越しに見たあの塊と同じだと感覚でわかった。絶対にこれは、現実ではないと頭でわかっていたが目に見えているものがあるので疑うのをやめてココロで感じてみようと思った。
塊の目玉は、目玉の中がぐるぐると回りながらじっと私を見据えていた。
恐ろしくはなかったがその塊からくる圧というか覇気というか、なんだか頭を下げてなければいけないようなものを感じながらわたしも真っ直ぐに見つめていた。
ゆっくりと塊の中の目玉が近づいて来たので私は耐えられずに頭を下げてしまった。目を瞑り動かずにいると一瞬オレンジの光が強くなり人の顔が頭の中に浮かんできた。それは、二人の顔だった。
それも、知っている二人の顔が浮かんだので思わず目を開けると、そこは、もう部屋の中で横に眠っているユキさんが見えていた。
「え?!今のは何?」
丁度お母様がユキさんにブランケットをかけようとしていたので思い切ってお母様に今見たものと、祀りの時に見たものを話そうと思い口を開こうとすると、お母様は、ニッコリほほ笑んで首を横に振っていた。
それは、まるでわたしが見たことや感じたことを全てお見通しのような優しいほほ笑みだった。
わたしは何故だか安心してそのまま静かに目を閉じて眠りについていったのだった。