noteをつづけられなかった話
はじめは、ぐるぐるがいっぱいある頭の中を文字にしたかった。
あわよくば誰かの心に届いたら嬉しいなと思った。
◇
休職して2ヶ月がすぎた頃、わたしは外の世界との繋がりが希薄になっていた。
noteという街に飛び込んで、久しぶりに人が行き交う温度を感じて、
そんな中に自分の種を撒けるのが楽しかった。
色んな人の温かさを感じられるのが、その時のわたしにはとても嬉しかった。
なのにどうして、「それ」はあっという間に訪れた。
書きたいことはたくさんあるのに、どうも素敵な言葉が紡ぎだせない
あの人の言葉はこんなにも温かいのにどうして自分の言葉は
どうしたらスキがたくさん貰える文章になるのだろう
わたしは、わたしの中の思いを自分の言葉にしたかっただけなのに、
いつの間にか人と比較して、自分の言葉に価値を得ようとしていた。
人と比べることでしか、自分の価値を見いだせないわたしの悪い癖。
「毎日投稿しなくちゃ」
もうわたしの「やりたい」は濁って見えなくなって。
そんな義務感だけで毎日なんて、わたしにはできる訳がなかった。
つづかない。
つづけられない。
素敵な島を作りたくて始めたどうぶつの森も
夕食に汁物を毎日用意することも
夢だった仕事でキャリアを築くことも
何もかも、つづかない。
どうして、わたしは。
「また、つづかなかった」
涙と一緒に溢れたその一言は、
自分で開けた世界の扉を閉める引き金となってしまった。
◇
それから、4ヶ月が経ちました。
もし、わたしのことを覚えてくれている方がいて、
もし、心配をほんの少しでもしてくださっていたらごめんなさい。
わたしは、大丈夫です。
まぁ相変わらず、体調は良くなったり悪くなったりで、
春頃仕事をはじめるつもりがまだおうち生活です。
でもここまで時間が進んで
わかったことがひとつ、
というより、受け入れられたこと、という方が正しいでしょうか。
わたしは、継続することが苦手です。
これは開き直りとも言います。
心が弱っているわたしには、それくらいが丁度良いのです。
今までのわたしはどこかで「自分は継続できる人間だ」と信じていました。
だからその期待を裏切る自分に落胆して、
そんな自分を許すことができなかった。
でも、わたしが絶叫マシンが苦手なのと同じように
継続することが苦手だと諦めて、認めることって
肩の力が抜けて、とってもいい。
もし、わたしが 絶叫マシンを楽しめたら。
ディズニーランドはもっと楽しいと思う。
けれど、どうして乗れないんだと自分を追い詰める必要はない。
乗れないから、とエレクトリカルパレードでも観たらいい。
たまーにチャレンジして「やっぱ無理だった」と泣き笑いすればいい。
そうやって上手に諦めて自分に優しくしても良いのだろう。
◇
なのでわたしはここに宣言しよう。
わたしは書きたいときに文章を書きます。
毎日書くか、1年に1回書くかは気分次第です。
と。
これはわたしによる、わたしのための宣言です。
誰も口は挟めません。
◇
これからまた、ふらふら現れますね。
わたし、やっぱり文章書くの好きなんだなぁ。
これを最後まで読んでくれたあなたに
ちょっと良いことがありますように。
こんにちは、こんばんは。
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最後まで読んでくださり、ありがとうございます! コメントもいつでもお待ちしております。