noteをつづけられなかった話

はじめは、ぐるぐるがいっぱいある頭の中を文字にしたかった。
あわよくば誰かの心に届いたら嬉しいなと思った。



休職して2ヶ月がすぎた頃、わたしは外の世界との繋がりが希薄になっていた。
noteという街に飛び込んで、久しぶりに人が行き交う温度を感じて、
そんな中に自分の種を撒けるのが楽しかった。
色んな人の温かさを感じられるのが、その時のわたしにはとても嬉しかった。

なのにどうして、「それ」はあっという間に訪れた。

書きたいことはたくさんあるのに、どうも素敵な言葉が紡ぎだせない

あの人の言葉はこんなにも温かいのにどうして自分の言葉は

どうしたらスキがたくさん貰える文章になるのだろう

わたしは、わたしの中の思いを自分の言葉にしたかっただけなのに、
いつの間にか人と比較して、自分の言葉に価値を得ようとしていた。

人と比べることでしか、自分の価値を見いだせないわたしの悪い癖。

「毎日投稿しなくちゃ」
もうわたしの「やりたい」は濁って見えなくなって。

そんな義務感だけで毎日なんて、わたしにはできる訳がなかった。

つづかない。

つづけられない。

素敵な島を作りたくて始めたどうぶつの森も
夕食に汁物を毎日用意することも
夢だった仕事でキャリアを築くことも

何もかも、つづかない。

どうして、わたしは。

「また、つづかなかった」
涙と一緒に溢れたその一言は、
自分で開けた世界の扉を閉める引き金となってしまった。

それから、4ヶ月が経ちました。

もし、わたしのことを覚えてくれている方がいて、
もし、心配をほんの少しでもしてくださっていたらごめんなさい。

わたしは、大丈夫です。

まぁ相変わらず、体調は良くなったり悪くなったりで、
春頃仕事をはじめるつもりがまだおうち生活です。

でもここまで時間が進んで
わかったことがひとつ、
というより、受け入れられたこと、という方が正しいでしょうか。

わたしは、継続することが苦手です。

これは開き直りとも言います。
心が弱っているわたしには、それくらいが丁度良いのです。

今までのわたしはどこかで「自分は継続できる人間だ」と信じていました。
だからその期待を裏切る自分に落胆して、
そんな自分を許すことができなかった。

でも、わたしが絶叫マシンが苦手なのと同じように
継続することが苦手だと諦めて、認めることって
肩の力が抜けて、とってもいい。

もし、わたしが 絶叫マシンを楽しめたら。
ディズニーランドはもっと楽しいと思う。
けれど、どうして乗れないんだと自分を追い詰める必要はない。

乗れないから、とエレクトリカルパレードでも観たらいい。
たまーにチャレンジして「やっぱ無理だった」と泣き笑いすればいい。
そうやって上手に諦めて自分に優しくしても良いのだろう。



なのでわたしはここに宣言しよう。

わたしは書きたいときに文章を書きます。
毎日書くか、1年に1回書くかは気分次第です。

と。

これはわたしによる、わたしのための宣言です。
誰も口は挟めません。

これからまた、ふらふら現れますね。

わたし、やっぱり文章書くの好きなんだなぁ。

これを最後まで読んでくれたあなたに
ちょっと良いことがありますように。

こんにちは、こんばんは。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます! コメントもいつでもお待ちしております。