1日3回幸せを届けられるものはなーんだ? | #スキすぎてごめんなさい
とつぜんですが、なぞなぞです。
1日3回訪れるものは、何でしょうか?
それは、食事です。不規則な生活で2食という方もいるかと思いますが、一般的には朝昼晩食べている方が多いでしょう。
そこで、質問です。
3食をなんとなく食べていないでしょうか?
時間がないから。お金がないから。美味しくないから。
様々な理由があるはずです。
僕は、料理人になって”なんとなく食べる”から脱却しました。シェフは幾度となく、口に入れるもの全てに神経を尖らせろ、と教えてくれました。それがいつしか財産になると確信しています。集中して食べてみると、意外といろいろなことに気が付きます。味のバランス、香り、食感。意図があるのか、ないのか。コースの流れに、ドリンクとのペアリング。流してしまうにはもったいなさすぎる情報量が食事には詰まっています。
しかし、日常にありふれているから、見落としてしまいがちなのでしょう。
食べるということは、世界共通のテーマだと繭子さんは言いました。
食は、衣食住にも、三大欲求(食欲・性欲・睡眠欲)にも含まれる唯一のもので、生きることに大切すぎる要素だから。
食は尊いものだと、仕事として携われば携わるほど実感します。
そんな山口繭子さんの軽快な仕切りのもとで、料理がスキでスキで熱すぎる料理家&料理人のトークルームが毎月1回配信されています。
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食の未来を本気で考えシンクロしたSHIORIさんとシェフ、そこに編集者山口繭子さんを迎え、Clubhouseで定期配信中の #スキすぎてごめんなさい 。
●370万部の『彼ごはん』の生みの親でアツすぎる料理家SHIORIさん
●食の編集者またの名をトースト先生山口繭子さん
●sioオーナーシェフであり僕の師匠鳥羽周作
●sio仕掛け人であり弟子オリタシズる
というメンバーで食を通してより良い未来を目指し、語り、書き、拡げ、届けている。
今回のテーマは、「仕事における目盛の幅」「料理を仕事にするということ」。今回もたくさんの気づきがあり、自分にとって料理とは何か?を考えさせられた。
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目盛の幅とは、解像度の高さ
先日のnoteでも目盛の話を書きました。
4月の中旬からしきりにシェフが言うようになりました。一流は、細かな目盛を持ち得ているというのです。目盛の細かさとは、違和感力。つまり、気付ける力だと言います。
自分がやっている仕事に細かな目盛を持てているかで、アウトプットの質が変わるのです。
本当にこれで良いのか?
漏れていることはないか?
もっと良くできないのか?
この粘り腰こそが、細かな目盛を持つために必要なものです。考えぬけるかどうか、やりきれるかどうか、で目盛が10cmなのか1mmなのかが変わります。細やかで丁寧な仕事に心を動かされたことはありませんか?
ここまで背景を書き込むんだ、という絵やマンガを見たことがあります。まさに一流の仕事はそこに詰まっているような気がするのです。
SHIORIさんに至っては、仕事の詳細を伝えるだけではなく、一緒に働くスタッフが”なぜこれをやるのか?”と疑問を持たないように逐一伝えていたと言います。それは相手への想像力であり、違和感を感じさせないようにするスタッフへの愛そのものではないでしょうか。
目盛の幅は、解像度の高さです。
それは、結局のところ愛と想像力から育まれるんだと思います。
料理を仕事にするという覚悟
料理家である、SHIORIさんは家庭料理のプロでもあり、現役のママでもあります。ママの気持ちも分かるため、どんな時に料理と距離を置きたいのか、さらに細かな目盛で具体的にシチュエーションが想像できるのでしょう。そんなSHIORIさんはこう言っていました。
2人の私のギャップがあるからこそ、家庭料理のプロとして選択肢を増やせる存在である。毎日仕方なく選んでしまった後ろめたさのある食事ではなく、実現可能な選択肢を増やしていきたい。
さらに、こう重ねました。
誰も置いてきぼりにしないで幸せにできる
身近にあるからこそ、価値に気づけないことがあります。料理は人生に幸せを何度も届けてくれるツールなのです。
そんなSHIORIさんと呼応するのが、いつもシェフです。
料理に良いも悪いもない。500円も2万円も一緒なんです。結局、作る相手がいないと成立しない。料理は愛であり、僕の生きる理由なんです。
内食のプロが料理家だとすれば、外食のプロが料理人です。
内食とは、家で素材から作って食べることを言います。
しかし、そこの区別は必要ないのではないか、と僕らは考えています。ただただ料理が好きなだけで、家で作る料理もレストランで食べる料理も、全力で美味しくするというのが本当の意味での料理人ではないでしょうか?
そういう想いで、僕らはsioのコースも、松屋もマックももっと美味しくできないか、日々考えています。
僕なりの”幸せの分母を増やす”
さて、僕なりの「料理を仕事にするということ」を考える前に、料理とはなにか考えました。
料理とは、1日3回幸せを届けるもの。
少しゆっくり起きた日の朝、カーテンを開けてトースターで焼きたてのパンにバターをたっぷり塗って頬張る瞬間。
乾燥した静かな教室。午後からは苦手教科。腹が減っては戦はできぬ、なんて心配は必要なかった好物が詰まった二段弁当。
缶ビールとおつまみを買って仲間と集合、あーだこーだ言いながら注文して、わいわいと分ける宅配ピザ。
料理を食べることで、五感をフルに使い、幸せな記憶を作ります。
もちろん、そんな日ばかりではないけれど、人はお腹が満たされると少し穏やかになると思うのです。
仕事には、いろんな形がありますが、基本的には人の役に立つことだと思いますし、目の前ではないかも知れないけれど、誰かの幸せをつくることだと思います。
そして、食の仕事とは、1日3回も幸せを届けることができる尊い仕事なのです。回数で言ったら、一番人を幸せにできることが食事ではないかと思っています。
だけど、僕らがつくる”美味しい”のまわりにあるものを、タイムリーにわかりやすく言葉にすることで、目の前の人だけではなく、たくさんの人に”美味しい”を届けることができる仕事だと思います。届けきるとは、そういうことです。
それが、僕なりの幸せの分母を増やす。
僕にはもったいないくらい、おいしい仕事なのです。
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