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自分にとってのあたりまえは、人とは違うんだね
先日会社で銀行へ行かなくてはいけない事務員さんが、本社から用事を頼まれたようで困っていました。
それを見て私がやるよと変わりに対応したので、事務員さんは支障なく銀行へ行き、私はその要件をすませました。
するとその夜、彼女のインスタに今日は困っていたら助けてもらった!大先輩に感謝!と書いてありました。
銀行へ行かなくてはいけない理由のほかに、実はその要件に対応することが苦手だったようでした。
私にしてみたらあたりまえのことをしたまでなのに、彼女からすれば感謝といえるほどのことだったのでした。
こういうことなんだろうな。私がブログを書くことを考えていると、こんなことあたりまえのこと、あえて記事にするほどでもないと勝手に判断することがとても多いのです。
子供を育てていると自分の思い通りにいかないことばかりです。むしろ思っていたことと正反対のことを子供はしてくれます。
そうなったときまず子供の目線になって考え、こういう考えもあるんだね。という感情に切りかえます。そしてそれが一般として通用するものか考えます。
私が子供を育てていた時とくに気をつけていたことは、自分がやられていやなことは相手もいやなんだよと、教えていました。
だから子供が想定外のことをしたとき、最初にそのことが頭にうかびます。そして良い悪いの判断をしてきました。
そして子供にかんがえさせます。でも家の中でのできごとはほとんど放任でした。いま思うとその育て方って外づらのいい子になりますね(^^;
またうちは長女が小学一年生のときから夫が単身赴任になり、家のこと子供のことすべて私がすることになりました。
そのため自分の責任の重圧がおもくなり、大変なことが起きても自分で解決しなければいけません。
次女は小学五年生の時ミニバスをやっていたので、平日週3日の夜練習と土日は練習か練習試合でほとんどミニバスの毎日でした。
親はその付き添いや送り迎え、またお茶当番などがあり同じスケジュールで動かなければいけません。
さらに長女も中学校でバスケ部だったので、そちらの送迎、当番もありました。そして地域の当番もかさなりとても忙しいときでした。
そんなとき自分の感情コントロールは自分でするしかなく、私よりもっと大変な人はこの世にたくさんいるんだ。
毎日が無事に送れるだけでもすごいことなんだ!と言い聞かせることでした。
そして長女が大学受験、次女は高校受験の年、実家の父親が年老いて動きが鈍くなってきました。
実家は県外なので家から車で2時間近くかかります。受験が本格的な時期になってから、もし何かあってもすぐに飛んで行かれません。
だから近くに住めばと提案しました。受験シーズンになる前の夏に両親は引っ越してきました。
そのときも親の送迎や身の回りのこと、子供たちの深夜まで続く塾の送り迎えなど毎日目まぐるしい日々でした。
でもそのときも私よりもっと大変な思いをしている人はたくさんいるんだ。と感情をコントロールしていました。
自分が我慢をすれば、時が過ぎれば解決することが身についてしまい、いつの間にか乗り越えていました。
こんなことぐらいでと思ってしまうことが習慣になり、それが当たりまえになっていました。
自分にとってあたりまえでも、ほかの人からすればそうじゃないこともあるのです。
今までこんなことあえて発信するほどでもない、という考えは間違っていたんだなと、今回の事務員さんのコメントを見て思いました。
・発信することのメリット
・言葉にすることで、自分の頭が整理される
・発信するために、調べることにより知識が増える、学べる
・考えが似てる人、共感者が増える
・語彙力が鍛えられる
コピーライターの先生がとにかく書く!間違ってもいいから書く!下手でもいいから書く!毎日書く!書き続ける!(一部抜粋)。と常ひごろ言っています。
やらなければやらないほど自信がなくなります。だからこれからは思いついたこと、気になったことを書きます!