ショートショート「罪人」
愛していた女を殺した後、死体を埋めた。
愛していたからこその決断だった。
決断を下した後、僕は怖くなって山から逃げようと思った。
山の中を走り抜けていると、足元には1匹の蜘蛛がいた。
人間を殺したのに、僕は何故かその蜘蛛を踏んでは行けないような気がした。
微塵の道徳心なら僕にも備わっているみたいだ。
山の中を走る。
不思議なもので、完璧な殺人事件だと確信していたのにも関わらず、常に誰かに見られている感覚になる。
木々が過ぎていく。
目の前の情景に必死になる。
心臓がバクバクするのは人を殺したからなのか、走っているせいなのか。
走りながら、チラッと足元に目を向けると、そこにはカマキリがいた。
踏んづけそうになったが、
「あぶねっ」
と、自慢のフットワークでカマキリを踏まなかった。
山の中を走る。
山の中には様々な生き物が棲んでいる。
その生き物は善良な心を持っているのかは分からない。
ヒトを襲う熊も実は、襲いたくて襲っているわけではないかもしれない。
自分の住処に入ってきた者を警戒する。
警戒し、考えた末、殺してしまう事が最も手っ取り早いのだろう。
それは自分の為なのか、相手の為なのかは人による。
生がいつも良い事とは限らないし、死がいつも悪い事とも限らない。
走っているとき、そんな事を考えながら、足元に一瞥をくべると、ナメクジがいた。
危うく踏んでしまいそうになったが、なんとか避けた。
山の中を走る。
走り続けると公道に出た。
ここまで、見られていなければ完全犯罪だ。
無我夢中に走っていると、
僕は車に轢かれた。
轢かれる直前まで覚えている。
そこから突然、目の前が真っ暗になった。
◇◇
それから次、目を開けた時も、真っ暗だった。
死んでいるのだと思った。
「ここはどこだ」
と周りを見渡す。
少し暗さに目が慣れてきて、何かが見えた。
周りには痩せ細った人間たちが、うろちょろしていた。
彼らが着ていた服は、布を貼っていると言えるぐらいボロボロで見ていられなかった。
そんな人間が何かを探し求めるようにさまよっていた。
「あぁ、地獄か」
僕は地獄の存在を生前に信じていたので、簡単に受け止める事ができた。
さまよう人間の中には、あの車の運転手もいた。
僕はその運転手の男に文句を言いに行った。
おそらく、コイツが僕をここに連れてきたからだ。
「おい、お前。」
「誰ですか?」
「お前、車で人を殺しただろ?」
「え、なんで…」
「殺された人間の顔を覚えているか?」
「は、はい…」
「分かるな?」
「あ!あんた、あの時の!」
「そうだ。お前に轢かれてここにいるんだ」
「ちょ…ちょっと。あ、あれはアンタが悪いんだろうが!急に飛び出してきたから轢いちまったんだよ!」
「知らねえよ」
なんだかんだで、
僕はその運転手に文句を言って謝らせた。
その中で、その男が弦楽器の職人だった事やボルダリングの代表選手だった事を知った。
「ギターをバンドの人に届けに行こうと車に乗ってたら、アンタが急に飛び出してきたんだよ!」
だとさ。
僕は
「知らねえよ」
の一点張りでその場を突き通した。
◇◇
それから何日が経っただろうか。
その男も僕も生活には慣れてきたが、飢えは増すばかりであった。
すると、天から光が見えた。
その光は僕とその男にしか見えなかったようだが、確かに見えた。
そして、黒く大きい物が見え、そこから何か線のような物が垂れてきた。
僕たち2人の間にその線が垂れ下がり、僕たちは察した。
「これで地獄から生還できる」
僕はその男を蹴り、糸を登った。
すると、男も続いて登ってきた。
「クッソ」
と蹴落とそうと必死になっていると、
「ブチッ!!!」
大きな音を立てて、糸はちぎれ、光は消えた。
僕は男と口論になった。
僕は蜘蛛を助けた事を覚えている。
その蜘蛛からのお礼を受け取ろうとした時、僕は男に邪魔された。
そんな事を口論していると、また天から光が差した。
今度は緑色の物が天に来た。
「カマキリだ」
僕は覚えていた。
あの時、カマキリを踏まなかった。
カマキリからも線が垂れ下がった。
寄生虫だ。
気持ち悪い。
僕はお構いなしに、
男にその線を取られまいと、ボックスアウトした。
頭上2メートル付近まで来ると、
その線は「ポトっ」
と落ちた。
カマキリは去り、光が消えた。
◇◇
なんやねん。
寄生虫の長さ足りてないやんけ。
あのカマキリ何しに来よってん。
◇◇
僕は生前ではあり得ないように、
足元のウニョウニョしている寄生虫を踏み潰した。
◇◇
立て続けに光が差した。
今度はナメクジだ。
ナメクジに関しては、ナメクジから何か出るわけではなく、ナメクジ本体が降りてきた。
僕は一応、男をボックスアウトをし、取られないようにした。
僕と男の間まで降りてきた。
(よし、長さは足りてる)
僕はナメクジを掴んだ。
触れた瞬間分かった。
「あ、登れない」
摩擦の抵抗が無さすぎる。
僕と男は登るのを諦めた。
察したナメクジは何事も無かったように、帰り、光は消えた。
◇◇
なんやねん。
ヌメヌメの奴は来んなや。
あのナメクジ何しに来よってん。
◇◇
この地獄で罪を償う事に決めた。
もう、助けはない。
絶望に打ちひしがれ、諦めかけていた時。
また光が差した。
天から見えるものは僕には分からなかったが、男は分かったようだった。
僕はアスリートのような強さでボックスアウトされ、それから伸びる線を2番手で必死に登った。
男は突然、さっきの弱々しさは無くなり、神速で登り出した。
「ボ、ボルダリングをしていたからか…!」
男は見えなくなるほどまで上に行った。
この線、触った感じで分かったが、弦だ。
あの男は生前、弦楽器を助けたという風に扱われているのか。
なんでもありじゃないかと嘆く暇も無かった。
手は血まみれ。
弦を必死に掴んでいるので、手が痛い。
少しの間、掴んで休んでいると。
「ビヨヨ〜ン」
と弦がなった。
そして、その振動がここまで伝わってきてしまい、
僕は振り落とされた。
ある程度、登ったところから地獄の地面に叩きつけられた。
◇◇
遠のく意識の中、微かに光が差しているのが見えた。
「今度はなんだ」
と不思議に思った。
僕まで伸びてくるものは、糸でもなく、弦でもなく、人の手だった。
その手についた指輪を見て確信した。
その手の主は僕が殺した女だった。
その女は生きる事を苦しみ、死ぬ事を望んでいた。
僕は生前に、虫や物を助ける事よりも難しい事を成し遂げて地獄に堕ちた。
僕が女を殺したのに、なぜ僕が女を助けた事になっているのかは、なんとなく分かる。
手が僕を救い上げるとき、僕は手の暖かさを感じながら、改めて考えた。
「生がいつも良い事とは限らないし、死がいつも悪い事とも限らない」
と。
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