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小学生の時に、ぼくは一生分泣いた

ぼくの人生を語るときに、欠かすことが出来ないテーマがある。

それは、今風に言うと、毒親との関係。

ぼくの家族は配送業の父親と近所でのパート勤めの母親と
二学年下の弟との四人家族。

父親は当時の普通を地でいってた人で、特にギャンブルで
家計を脅かしていた。

母は気丈で勝ち気でお姫様気質で自分中心主義の人。

弟は寡黙でマイペース。

ぼくと母とは特に家庭の経済事情について、
毎日のように激論を交わしていた。
一回始まると数時間はうるさく激論。

日常茶飯事なので、父も弟も、何事もないように
マイペースで生活している。

ぼくと母は気質が似ているようなので、
お互いに言わないと気が済まないところがあった。

もちろん、当時は母の権力は絶大で、
いつもぼくが泣いて終了する。

マンションの廊下で立たされるのや、
布団叩きで叩かれるのは、ご近所でも風物詩になっていた。

ごはん抜き、おこずかい減額なども度々あった。

母は、どんな時も絶対に謝らなかった。

こんな事を実の親が言うのか⁈というような事も多く、
いつしか、本当の親では無いと思うようになっていた。

そこに至るまでは、実の親だと思ったから、
泣きわめき、すがりつきしていたが、精神力が尽きた。

母はぼくによく言っていたのは、
こんなに言われて生きてきたのだから、
お前はどこに行っても生きていける。というものだった。

ぼくの独立心は小学生の時には確立していた。

ぼくは母が嫌いだ。母を一生、許さない。

大人になってから、大人の女性と話すと、
「そうは言っても実の親子なんだから、、、。」と言う。

ぼくはその度に、この人は平和に生きてきたんだなあと思う。

世の中には、どうしようもない親が居ることを知らないんだと。

こういう話をすると、まるで、ぼくが悪いように言われる。
それでもいい。
ぼくは母が嫌いだ。

ついでに、母の大好物もことごとく嫌いだ。

このブログを書いている時には既に十年くらい音信不通。

母をはじめ、父とも、弟とも音信不通。

ぼくの中では絶縁している。

心理職の今では、世の中をきれいごとだけで見ない事が出来て、
とても良かったと思えるが、
小学生の時に、一生分泣いたと自覚した思いは拭えない。

ぼくの今世のテーマは愛だと思った。

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