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米国DHSの海底ケーブルに関するペーパーを読んでみた。
2024年12月18日、米国の国土安全保障省が「海底ケーブルのセキュリティと強靭性に関するレポート」(以下、「DHSレポート」)を公表した。NHK国際報道2024の海底ケーブルに関する特集(「海底インフラ被害相次ぐバルト海はいま」初回放送日:2024年12月23日)でこのレポートが登場しており、とても興味深かったので紹介していきたい。
その前に、昨今の情勢について少し触れたい。2024年末、バルト海において海底ケーブルが破損する事故が複数発生し、ロシアを出航した中国船籍の船の関与が疑われた。2025年1月には、台湾北部の海域でも海底ケーブルの損傷が確認された。これらの事件は、武力攻撃までには至らないため有事としての対処が難しいいわゆる「グレーゾーン」事態の一例だという声もある。
国際通信の根幹を担う海底ケーブルは、インターネットが当たり前となった現代の生活・文明において電気や水道と並ぶほどの社会的インフラとなり、国家安全保障や経済安全保障の観点からもその重要性が高まっている。今回のDHSレポートも、そんな時流に合わせたものであろう。
そもそも海底通信ケーブルとは?
海を横断し大陸間の通信を実現する海底(通信)ケーブルは、国際通信のトラフィックのうち99%程度を占めるとされる。海底ケーブルが世界で初めて敷設されたのは、イギリスとフランスを隔てるドーバー海峡を銅線のケーブルが結んだ1851年のことである。それから170年ほどの間に技術革新は進み、現在は光ファイバーを用いた海底ケーブルが主流となっている。
国際海底ケーブルは複数国間に陸揚げするものであり、関係する業界や行政機関も多岐にわたる。それに呼応して、必要な手続きは煩雑化し、業務も縦割り化しており、政府が海底ケーブルに関する全体像を把握することもままならない。DHSレポートは、こういった海底ケーブルを巡る複雑な政策環境を再整理し、適切な規制改革や官民連携に向けた方針を示すことを目的としている。
海底ケーブルが故障する原因
まず、経済活動に大きな影響を及ぼす海底ケーブルの故障について着目したい。DHSレポートによると、海底ケーブル故障の主な要因は
①自然災害 ②事故 ③故意
の破壊活動の三種類に分類できる。海底ケーブル故障のうち約3分の2は漁業活動や船のいかりを引きずった際などに伴う事故だというが、現在は悪意を持った人為的な破壊のリスクも高まっている。海底ケーブルが故障し通信不能となれば、国際通信に重大な影響が生じてしまう。そこで、世界の海底ケーブル網は、ゆとりをもった通信キャパシティの確保や、通信ルートの冗長性確保(すなわち、一つのケーブルが故障しても他のルートで通信が可能な状態を保つこと)、修理体制の確保といった対策によって維持されてきた。
また、DHSレポートによれば、民間企業が海底ケーブル故障の最も頻繁な事例は、水深の浅い海域での事故である。陸地から近く水深が浅い海域では、人間活動もそれだけ頻繁に行われるためである。一方、水深の深い海域においては、海底ケーブル修理船が故障地点に到達するまでの難しさも増す。
地政学的なリスク
現在、海底ケーブルが存在するルートの多くは一部の海域に集中している。これには、技術的、地理的、財政的な条件に加え、規制環境も影響しているとされる。多くの海底ケーブルが集中するエリアは、地理的かつ地政学的なチョークポイントとなってしまう。DHSレポートは、主なチョークポイントとして紅海及び南シナ海を特筆している。紅海は物流においても極めて重要な航路だが、2024年2月の紅海において、武装勢力の攻撃を受け貨物船が沈没する事件があった。これに伴い海底ケーブルが断絶される事故も発生し、欧州とアジアを接続するデータトラフィックの25%に影響を与えたとされる。アジア地域の通信トラフィックの多くが通過する南シナ海については、地政学的な緊張状態や周辺国における厳しい規制環境により、海底ケーブル網の整備が進みづらい状況にある。
海底ケーブルが抱える課題
マーケットの課題
次に、マーケットの観点では、海底ケーブル市場は「極めて資本集約的であり参入障壁が極めて高い」。2024年4月の日米首脳会談に際してGoogleが明らかにした日米間の海底ケーブル敷設計画では、10億ドル(約1,500億円)の投資が発表された。国際海底ケーブル敷設の際は、ほとんどの場合に複数の事業者が集いコンソーシアムを組む形で計画が進められる。これは資金面で協力する意図も当然含まれるが、陸揚げ先の国の事業者を含める必要がある又は手続きを円滑に進めやすいといった事情も存在する。従来は各国のMNOなどの通信事業者がコンソーシアムを組むことが多かったが、昨今は先述のGoogleをはじめとして、データトラフィックの大部分を占めるハイパースケーラーが自ら海底ケーブル敷設計画を主導することが増えた。
サプライチェーンの課題
また、サプライチェーンでも課題を抱えている。海底ケーブルの運用には①敷設、②保守運用、③修理という三つの段階が存在するが、そのいずれも対応が可能なサプライヤーは、全世界で4社しか存在しない。その4社とは、米国のSubcom、日本のNEC、中国のHMNTech(旧ファーウェイマリンネットワーク)、フランスのアルカテルである。4社が存在する国の並びを見れば分かるように、海底ケーブルは米中対立の一つのフィールドでもある。例えば2021年には、ミクロネシアのナウル、キリバス、ミクロネシア連邦の各島しょ国をつなぐ「東ミクロネシアケーブル」の敷設計画について、破格の入札価格を提示したHMNTechへ米国が懸念を示し、一度は計画がとん挫するという事例があった。同ケーブルの敷設計画は最終的に、日米仏の三社によって敷設されることとなったが、背景には日米豪政府による資金提供という裏支えも存在していた。また、海底ケーブルの修理船はその隻数そのものが非常に少なく、老朽化も進んでいるという。海底ケーブルの修理能力の欠如が顕在化すれば、信頼できない他国に重要インフラの修理を頼らざるを得ないという事態にもつながりかねない。
規制環境の課題
DHSレポートによれば、規制環境に関しても問題が存在する。国際海底ケーブルの陸揚げするためには、陸揚げ当事国の承認プロセスを経る必要がある。国によって審査基準や承認までに要する期間の長さも異なるため、複数の国で陸揚げする場合は相当な手続き上の負担が生じる。また、米国内においては海底ケーブル敷設の関係機関が分散化しており、機関ごとに所管する業務が縦割りとなっていることから、海底ケーブル敷設に関する規制環境が非常にサイロ化しており、全体像を捉えづらくなっている。DHSレポートによれば、特に米国は近年、審査プロセスを厳格化しており、海底ケーブル陸揚げに至るまでのプロセスが最も難しい国の一つだという。
優先すべき取り組み事項
これまでに述べた海底ケーブルに関する諸課題を受けて、DHSレポートは以下のように優先すべき取り組み事項を整理している。
(1) 官民連携メカニズムの強化
(2) 米国における海底ケーブルの許認可及び規制プロセスの効率化
(3) 緊急時や事故対応における連邦政府の役割と責任の明確化
まず(1)については、現状セクター間を超えて海底ケーブルに関係するステークホルダーが一同に会する場が存在しないことから、既存の官民の情報共有体制である重要インフラパートナーシップ助言協会(CIPAC)における政府調整委員会(GCC)やセクター調整委員会(SCC)といった枠組みを活用しながら、海底ケーブルに関与する民間企業との関係構築に取り組むという。(2)については、望ましい規制とは「予見可能で、信頼でき、透明性のある」ものであるとしたうえで、海底ケーブルの許認可に関連する手続きを包括的に評価し、不必要な手続きの削減を進めるという。規制の信頼性及び予見可能性を向上させることで、健全な投資環境を促進し、海底ケーブル産業における主導的な地位を堅持することを目指す。(3)については、有事の際の米国政府の窓口について不明確であるという指摘が産業界から多く寄せられたことを受け、DHSが有事における米国政府の運用権限について概要策定を主導するという。なお、2024年4月にバイデン政権が発表した重要インフラのセキュリティと強靭性に関する国家安全保障覚書(NSM-22)は、DHSの外局機関であるサイバーセキュリティ・インフラセキュリティ庁(CISA)に対して、国内の緊急事態対応に関する役割を指示している。
以上のとおり、DHSレポートについて筆者の補足も交えながら紹介を行った。本レポートはあくまで米国の海底ケーブル政策に焦点を当てたものであり、ここで示された課題が日本にどの程度当てはまるのか、また、日本固有の課題が存在するのかについては、今後の検討が求められる。