美はどこからくるのか


先日、notoを始める動機となったものについて言及してから随分時間が経ってしまいました。
宣言したにも関わらず、いざ書こうとすると思うように書けず…まだ自分の中で消化しきれていない物があるようなので、もう少し落ち着いてから書きます。

さて、書くことをサボってしまうのは是正したいので、今回は今読んでいる本について。
読んでいるのは、染織家の志村ふくみさんの随筆「ちょう、はたり」。

実は私、大変「布」が好きです。単に好きなだけで知識はないものの、織り方に模様、繊維によって異なる色の出方の違いまで、眺めているだけで楽しめる、ちょっと変わった趣味の持ち主です。

特に古い物に目がなく、骨董市で古い着物や布を見つけると、しばらくその場を離れられなくなることがあります。着古した布の手触りは、何時間触れていても足りないくらいに手に心地よく感じるのです。子どものほっぺと一緒です。

そんなわけで、図書館で志村ふくみさんのお名前を見つけて驚き、そのまま貸出受付に直行。子どもが寝た後に少しずつ読んでいます。

恥ずかしながら不勉強で、著者を染織家の大家としてしか存じ上げず、まずその文章の美しさに驚きました。本の中で綴られる言葉を追いかけているうちに、目の前に著者が染めた糸や織物が現れるような錯覚を覚えます。
その糸や布を干している場所の光や風、背景に広がる木々や山、空の色まで想像できるのです。

そして、染色の材料となった植物の美しさ、荘厳さを讃える表現は敬意に満ちていて、その豊かさをうたうように描いています。
日本語には色彩の僅かな違いを表す言葉が豊富だと、以前何かで読みましたが、その数と繊細さに感嘆するばかりです。
染めること、織ることを通じて道を求める方だからこそ紡ぐことのできる言葉があるのでしょう。

美は、そこに至るために手を尽くし、心を尽くした人にのみ姿を現してくれるもの、また著者によれば、作為のないひたむきな仕事からのみ生まれくるもの。

求めるべき道を見出すことが容易くはないために、そして成果に気を取られずにいることが困難であるために、人はそこまで道を極めた方の姿勢に尊い美を見出すのかもしれません。

ー以下は完全に脱線ー
・志村ふくみさんですが、ネット検索したところ随筆家としても多くの作品を世に出し高い評価を得ていらっしゃったことを知りました。次はどの作品を読もうか、考えるだけで心が躍ります。

・いつか子どもに見られた時のために念のため書き加えます。(そんな時は来ない気もするけど)
必死になるあまりあなたを悲しませたり、泣かせたり、怒らせたりすることがあっても、母ちゃん最大の優先事項はあなたの暮らしを守ることです。出来不出来で言ったら落第点の母だけど、必死さだけは胸を張れると思っています。…自分では。

ああ、こんなことを書いていると、亡父を思い出して胸が詰まる。何十年も前に他界した母の言葉が身に滲みる。だから痛みに耐えかねて、書こうと思ったことが書けないのだ…というのは言い訳です。

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