親の言葉の重み
子どもの進学が迫り、新生活に対する不安が募る毎日。去年から通わせている塾の宿題を、なかなかやらない我が子に日々苛々が募る。
仕事を早く切り上げて(日によっては中断して)子どもの生活にあわせようと努力する身としては、腹立たしいしもどかしい。いつもならそこで「早くやりなさい」と怒ってしまうところだが、今日は私に向き合って叱咤激励する気力がなかった。
ただ「あなたはどうしたいの?」と聞いた。
すると、息子は「思うようにできない」という。
「やりたくない」ではなくて、「自分が願うような理想に及ばない」のが辛くて、自分が不甲斐ないのが悔しくて、グズグズしてしまうのだ。
これを聞いてグッときた。
今私自身が抱えている悩みと一緒じゃないか。
そこで、何を言ってもらえたらもう一度取り組む気になるだろうと我が身を振り返って考えた。
自分ならどんな言葉がほしいか、どう寄り添ってもらいたいか。
私の口から溢れでたのは、こんな言葉だった。
「大丈夫だよ」
続けて、「途中までできてるよ」や、「あなたは満足いかないかもしれないけど間違いではないよ」、「間違えてもいいからやってごらん」、「間違えてもそこに戻ってやり直せばいいだけだ」といくつか言葉を足して側で見守っていたら、息子は最後まで宿題をやりきれた。
「よかったね。やりきれたじゃない。やったね」と伝えると、息子は声を上げて泣き始めた。
泣き止んだ後の、その笑顔の晴れやかなこと。
そうだよね。一番もどかしいのは本人だよね。不安で挫けそうな自分を信じてくれる人がいるから頑張る気力も生まれるよね。叱るばかりじゃ能がないよね。
自分が子どもの頃は、親に「大丈夫」だなんて言って貰うことはなかった。伝わってくるのは「この子は大丈夫だろうか、どうしたらまともに育つか」という不安や焦りばかりだった。私が親から「お前はもう大丈夫」だと言ってもらえたのは、親の死後に見た遺書の中でだけだった。
それでも、息子にかける言葉を探した時に出てきたのは、その親の遺言だ。
「お前はもう大丈夫。自分の感性を信じていきなさい」
あの言葉が頭の中にあったから口にすることができた。
良くも悪くも、親の言葉は重い。
うちはたまたま私と息子の感性が近いだけで、真逆の対応が嬉しい子もいるだろう。何を選ぶか、これはよく相手を理解していないとうまくいかない。
改めて親の責任は大きく重い。
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