「専業お母さん」体験
皆様いかがお過ごしでしょうか?
私は、思いもよらないかたちでやってきた長期休業の最中にあります。
休業にあたり、真っ先に決めたのが「他の一切を忘れて「お母さん」に徹する」ことでした。
最近いくつかの事象が重なり、「一度でいいからお母さんだけをするまとまった時間が欲しい」と思うようになりました。
やってみてわかったことは、日頃いかに家族に意識を向けられていないかということ。
子どもの話をちゃんと聞けるだけで、自分の心の状態が整うことに驚きました。
私が落ち着いていると子どもも落ち着きます。恥ずかしいほどに子は親の鏡です。
思えば亡き母は10数年ずっとそれを実践してくれていました。
彼女の記憶はもう断片的なものしか残っておらず、「お母さん」像については朧げなイメージしか浮かばないのが残念ですが、やっぱり子は親の背中をよく見ているのでしょう。子どもに気持ちをこめて「いってらっしゃい」、「おかえり」、「おやすみ」と言えることが、自分にとってこんなに大事だなんて思いもしませんでした。
そんななか思い出したのは、亡父の愛読書。
土居健郎氏著『「甘え」の構造』と諸富祥彦氏著『どんな時にも人生に「YES」と言う』。
彼も色々悩んだからこんな本を読んだんだなぁと思うと、27年前の実家に飛んでいって、しょぼくれた彼の背中を叩いてやりたい気分になりました。
どんなに打ちひしがれて情けない背中でも、あなたのその姿が40を超えてまだ器用に生きられない我が子の足元を照らす灯りになっているよ。
そう言われて彼が喜ぶか落ち込むかわからないけれど、事実そうなのです。
追いかけたいと思える背中を遺してくれた両親に、改めて感謝する毎日です。
…現実的には人間誰しも一つの役割だけを「専業」にして生きることはできないから、今その瞬間の役割に没頭して、切り替え上手になるしかないんだよなぁ…。
子どもに寄り添いながら、自分自身に寄り添っているような不思議な時間。
42歳、まだまだ修行中です。
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