笑顔でお別れ~ウソのような本当の話~
先日、入所されていたGさんが亡くなられました。
亡くなられる2週間くらい前までしっかり話して、食事をされていました。
「しんどいけぇ食べとうない」
と言われ、徐々に体力も落ちていき。
車イスに座ることも難しくなり、ベッドに横になる時間が増えていきました。
仲の良かった入所者さんが部屋に行っても、
「話しかけても返事をせんのよ」
と寂しそうに帰ってきました。
亡くなられる前日の午後から娘さんが付き添い、県外に住む息子さんが到着したのとほぼ同じ時間に呼吸が止まりました。
若い頃から、ずっと働いておられたGさん。
呉服店を営んでおられたそうです。
入所されてからも、
「私はボーッとするのが嫌なんよ。何か仕事を持ってきてや」
と言われ、おしぼりをたたんでもらったり、エプロンをたたんでもらったりの毎日でした。
「世話になっとるんじゃけ、少しでも恩返しせんとね」
とよく言われてました。
他の入所者さんにも勧めて、時にはケンカになることもありましたが…😅
介護福祉士養成の実習生にもいろいろ話をしてくれた方でした。
そして、とにかく食べることが大好きでした。
職員と外食したときは、肉、ウナギ、寿司などなど😲
娘さんが
「あれだけ食べるのが好きだった母が、食べたくないと言われたのでもうダメなのかと思いました」
と亡くなられた時に言われました。
買い物にでかけたときも、仲良しの入所者さんへのお土産を買って帰ることを忘れずに、
「幸せのおすそ分けよ」
と笑っておられました☺️
そんなGさんが時々感情的になられたのが、TVなどで原爆にあった方のインタビューを放送されたときです。
ご自身も被爆されたGさん。
「あんな話はウソよ! あんなもんじゃなかった! もっとひどかったんじゃけ!」
と強い口調で言われてました。
娘さんに聞いた話では、昔、被爆されたことに対して、ひどい差別や中傷を受けたそうです。
決してご自身の被爆体験を話されることはありませんでした。
もしかしたら、Gさんは「被爆者」としてではなく、「呉服屋を営んで頑張って働いてきた自分」を見てほしかったのではないかと思います。
そんな思い出の尽きないGさん。
エンゼルケアを終えた部屋の中でGさんを囲み、娘さん、息子さん、勤務を終えた職員で思い出話をしていました。
息子さんから
「母はここに入所した当初は、『家に帰りたい』とよく言ってましたが、そのうちに言わなくなりました。皆さんの話を聞いて、母が言わなくなった理由がわかりました」
と言われました。
娘さん、息子さんが「一旦帰宅します」と言われ、私たち職員も部屋を出ようとしたときでした。
Gさんの口を閉じるために、枕の下に敷いていた小さいクッションがはずれ、
Gさんの口がパカッと開きました。
「母が皆さんに『ありがとう』って言ったんだと思います。そうよね、お母さん?」
と娘さん。
あんなタイミングでクッションが外れて、口が開くとは…。
最後まで気遣いを忘れないGさんらしいお別れでした。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。