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抗うことと諦めないことは違う。

今日は2022年9月9日。
昨日久しぶりにnoteを開いたら、下書きにこのタイトルが残っていた。
日付は1年ちょっと前。

1年前の私が何を書こうと思ったのかはまったく思い出せないんだけど、せっかくなのでこのテーマで書いてみようか。


どう見ても今その流れじゃないのに何度もアタックするのは、抗っている気がする。流れに逆らっている気がする。それに比べて、流れに逆らわずにその時は諦めても、その気持ちを温め続けることは、同時にできることだと思う。

今回は諦めるけど、次のチャンスに備える。こんな考え方が建設的だと思う。こんな「諦めない」はいつか目標を叶える力がある気がする。

私も今、サロンをオープンすることができたのは、この切り替えのおかげだと思っている。あの時流れに逆らって無理に自宅サロンを始めていたらと思うと恐ろしい。その時の流れに逆らうということは、それ以上の好条件をも蹴ってしまうということなんだ。これじゃあいつまで経っても受け取り上手にはなれないわけだ。

だから、誰にでも経験として「抗う」ということがあるのは当然なんだけれど、何度もそれを続けるのは、次のステージへコマを進めようとする人にとっては、とてももったいないことだと思う。

もしかしたら、「流れ」というものすら、どういうものか分からない人が多いのかもしれない。

「とんとん拍子」を経験したことのある人はいるだろうか。
自分が話を進めなくても、あれよあれよという間にコトが運んじゃうアレ。アレが流れの3次元の姿だと思う。
移動式の床みたいに、願望が現実へとスライドしていくのを、私はこの4年間で少なくとも2度見た。離婚の時と、サロンオープンの時。

願望が現実へ、潜在意識が顕在意識へ。ハーモニクスを目で見ているような気持だった。これが「流れに乗る」ということか!と、震える気持ちだった。

反対に、抗い続けると、心がささくれ摩耗する。空回って大きく転ぶ。そういうことがほとんどだと思う。

「あきらめない」という言葉の語源とか私はまったく知らないのだけれど、なんだか悪くないニュアンスが含まれている気がする。「思いを未来に託す」ような響きな気がする。対して「あらがう」は、とても今を否定している気がする。「あきらめない」って言葉の響きを誰かカタカムナかなんかで見てくれんかね?

こういう話になってくると、「執着」にも触れておく必要があるけれど、今日はここまで。執着がもたらす心の不健全は多くの人の知るところだと思うけれど、現実までせき止めてしまうから怖いよね。また元気な時に書こうかな。





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