その場面の後のイメージ
(無事に最寄り駅に着いて、風を受けながら家までの道のりを歩いている···)。
私が日常のことなどでも、色んなことをイメージするようになったきっかけを思い起こしてみると。
元プロ野球選手の新庄さんが、ホームランを打った後の、ベースを回っている所まで
イメージしていた、と言う話しを聞いた時からではないか···と思います。
選手としては、ホームランを打つところまででいいですよね。
そこまでで、選手としては結果が出ているのですから。
でも、その後のベースを回っているところや、声援に応える場面もイメージしていると知って、深く興味を持ちました。
その話しを聞いた時は、そこまで「魅せる」ことを考えているんだなあ、と思ったのです。
やっぱり新庄さんですから。
そういう魅せたい、注目を集めたい意識が強いんだなあと。
でも最近になって、それは自分のためにもやっていたんだろうなと思うようになりました。
うまくいくように、と。
自分のハッピーのために。
これは私が最近になってやっと、ネガティブな、不幸な結果をイメージしていると良いこと無いなと思うようになったからです。
自分が望んでいない結果になったとしても、その結果に至るまでも、(きっとうまくいかない···)、(良い結果にはならない···)と考えていて、まさにそういう結果になったとしたら、ただただ結果が出るまで嫌なイメージで、さらにそのイメージを上塗りするだけ···。
そうするとどんどん精神が悪い方へ行くんですよね。
何より気持ちが良くない!!
なんでそんなことにずっと囚われないといけないんだ、と。
そこで私がやるようになったのが、良い気持ちでその日を終えているイメージです。
とにもかくにも無事に家に帰っている道のりや、いつも買い物によるスーパーやドラッグストアで買い物をしているイメージ。
ゆっくりお風呂に入った後のイメージ。
そんなイメージです。
さすがにホームラン的なことは、現実的でなく妄想でしかなくなるので、そういうイメージは無いですけど。
でも、無事にその日を終えているイメージをすると、そうなれるように頑張れるんです。
気持ちよくそのイメージの場面を迎えられるように。
この日は結構嫌な仕事の日、とかあるんですよね。
そういう嫌な仕事の日に、無事に1日を終えている場面をイメージするようになっていて、(あれ、こんなその場面の、後のイメージの話しをいつか聞いたような···?)と。
それで新庄さんの話しを思い出して、でも当時はただ「魅せる」ためにと思っていたのが、自分のためにもやっていたんじゃないかと思うようになりました。
本人が自覚している度合いもあると思いますが、プレッシャーもまああったと思うんですよね。
成績、結果を求められるプロですから。
自分がハッピーになっているイメージをしていた方が、プレッシャーやストレスにもよいだろうし、何より精神に良く、気持ちが良い。
そんな風に自分も思うようになりました。