日記を始める
ストラテラを飲んでいる。
ストラテラはいわゆるADHDの薬でADHD特有のノルアドレナリン再取込を防いでくれる薬らしい。要するに、分泌されたアドレナリンをちゃんと感じやすくしてくれる薬である。初めに断っておくが、投薬による治療を勧める文章ではない。心療内科にかかるハードルは低い方がいいと思うものの、各自、医者両名の判断で行うべきものであると思っている。
幼少期からADHDの症状に悩まされてきた。主に多動ではなく不注意の方である。看板という看板にぶつかり、忘れ物という忘れ物をしてきた。ダブルブッキングも一度や二度ではない。課題は後回しにし、メールや連絡は返信のタイミングを逃し催促があって初めて返信するような人間だった。多動の症状こそないため目に見えないものの、僕は完全に「そういう人」だった。しかし修士論文を書くにあたって、どうしてもその不注意が足枷になっていたため、ここ半年ほどはメンタルクリニックにかかり投薬を試みている。
投薬によって目に見えて改善が見られた。メールは(薬を飲むことを忘れていなければ)すぐに返せるようになったし、忘れ物は(薬を飲むことを忘れていなければ)激減した。本も集中して読めるようになった。そして何より、ちゃんと作品を「手元で」楽しめるようになったことが嬉しい。
九月のある日、18時ごろのことだった。音楽に関わる仕事を多少しており、修士論文もポピュラー音楽のジャンル論に関わる研究で書いているが、基本的にラジオを聴いて歩く。音楽は、多少造詣があるぶん聴き流せないのである。
そのラジオ番組の中で、フジファブリックの『若者のすべて』を聴いた。聴いているうちに、僕はなせだか泣けてきてしまった。
リズムやハーモニー、編曲、声色などディテールや構造を分析する。聴いてふと浮かび上がる単語やら理論を、いかにこの作品と結びつけて論じられるかを考える。僕にとって音楽を聴くことは、このどちらかの作業にしか過ぎなかった。映画やアニメにおいても、それが構図やライティング、演技に変わるだけで同じであった。
でも、この『若者のすべて』を聴いた時、僕の頭の中で起きていたのは全く別のことだった。今日長袖をおろしたこと、夕焼けが少し陰っていること、恵比寿駅の喧騒と逆の方へ歩いていること、その全てが曲と相まって、「自分ごととして」感じられた。
こんなこと26になって初めて思うなんて、本当に恥ずかしかった。そしてそれを殊更に書き示している今、もっと恥ずかしい。
そんな恥を忍んで、なぜこんな日記を書いているかというと、修士論文を書き終えたら、投薬を中断しようかと思っているからだ。中断とはいっても、ひと月飲み続け、ひと月休み、また次の月は飲む…このようにして薬と付き合っていきたいと思っている。確かに、投薬を始めて本が劇的に読めるようになった。それは本を読んで頭の中で組み立てるという作業ができるようになったからだと思う。以前、本はあくまで自分の思考の材料となる単語のや文の羅列にしか過ぎなかった。でも今はそこに何が書いてあるのか、論のつながりは、そこまで考えて文を読めるようになった。しかし、以前の読み方も、もちろん論の飛躍は大いにあるにしても、その読み方でなくては到達しない領域があるように思えたからである。
卒業論文で書いたVaporwaveについての論文を「メタフィクショナルな論文」と指導教員は評していた。確かに、今読めば論文の体を成していないように思える。論の飛躍や、自分の解釈、連想が大いに取り入れられていて、わかりづらいことこの上ない。しかしながら、自分で言うのもという話ではあるが、一聴に値する部分があることも感じる。
自分のこの特性を、抑えるのではなく乗りこなしていくために、このような二つの自分を往復していく。そんな実験を行うために、自分が考えたことや感じたことを記録していきたい。そう思って日記を書き始めようと思った。二つの自分がいかに違うのか、もう一つの自分を見た時、何を思うのか。それを確かめるために、ひとまず記録したいと思った。
繰り返しになるが、投薬での治療を勧めるものでは全くない。でも、自分にとってそれだけ大きかった。というかみんなこんな感じに情緒を育んで大人になるんすね、ズルいわ