1848年カリフォルニア

 川の中から金を拾い上げただけで世界史に名前が残った人がいる。その隣りには金が見つかってしまったことで全てを失った人がいる。1848年のカリフォルニアの出来事だ。世に言うゴールドラッシュ。見つけた人はジェームズ・マーシャル、見つかってしまった人はジョン・オーガスタ・サッター。後から振り返ると金が見つかった瞬間が彼らの人生の絶頂の時でそこからは崖を転げ落ちるようにすべての富を失い、最後はふたりとも困窮の中で没した。『黄金―ヨハン・アウグスト・サッター将軍の不可思議な物語』(ブレーズ・サンドラール著、生田耕作訳)は土地の持ち主のサッターの半生を書いた小説だ。この本は世界初のゾンビ映画だ。ゾンビは出てこないけれどゾンビ映画になっている。本当だ。マジだ。

黄金―ヨハン・アウグスト・サッター将軍の不可思議な物語   ブレーズ サンドラール
https://www.amazon.co.jp/dp/4560042535/ref=cm_sw_r_tw_dp_3XDFP4G1GWDP7WZQ6QP1

 ……と、この続きを書くために、引っ越しの時のどこかのダンボール箱にあるはずの本を探していたんだけど見つからなかった。しょうがないのでインターネットを活用しながら続きを書くことにしよう。サッターはスイスに近いドイツで生まれた。ジョンはドイツ読みするとヨハン、オーガスタはアウグストになる。サッターはズッターになるようだけど、なぜかこれだけ英語読みになってる。最初に本を読んだ時は架空の人物じゃないかとちょっと疑ったけどウィキペディアも充実している(息子の分まである)、実在の人物だ。もっともサッターの英語版のウィキにはサンドラールの『黄金ー』はちょっと悲惨に描きすぎていると書いてある。

ジョン・サッター
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%BC

英語版
https://en.wikipedia.org/wiki/John_Sutter

 ドイツで育ったサッターは30歳くらいで事業に行き詰まり、妻と子供をドイツに残したまま新大陸に逃れ、なんやかんやあってカリフォルニにたどり着く。彼が36歳の時だ。当時はメキシコ領で1000人くらいのヨーロッパ人と30万〜70万人の先住民が住んでいたらしい。今でいうサンフランシスコも小さな港町でまわりは実際原野だったんだろう。サッターが築いた彼の王国は現在のゴールデンゲート・ブリッジから160キロほど内陸に入った場所にある。そこに入植した見返りとして、彼は4万8千エーカー、約200平方キロメートルの土地をもらった。どのくらいの大きさだろうか。

日本の市の面積ランキング
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%B8%82%E3%81%AE%E9%9D%A2%E7%A9%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7

 200平方キロメートルは富山県の魚津市や沖縄県の宮古島くらいの広さだと書けばちょっと想像できるかもしれない。どちらも人口5万人前後の市だ。単純に考えると1辺が14キロメートルの正方形になる。地平線が見える距離が約16キロなので、文字通り「ここから見える、見渡す限りの大地が自分の土地」という状態を体感することができる。ちなみに宮古島は1周約100キロ、車でも3時間くらいかかる。歩いて周ろうとするなら1日10時間ぶっ続けで歩いて3日間かかかる計算だ。現代のカリフォルニアで似たような物件を探すと3600エーカーの土地付き1.1億ドルの豪邸というのを見つけた。動画を見ると、これはまさに「谷ひとつ分」という広大な敷地だ。これが10個以上あるサイズを想像すると、サッターが入植ボーナスとしてもらった土地がどれくらい広いかわかる。

Touring a $110,000,000 California Ranch With 3 MEGA MANSIONS!
https://www.youtube.com/watch?v=1UiokDqeUS0

 彼はそこに砦を築き、農場を開き、牧場を作り、数年のうちに領地の経営を軌道に載せた。それはとても順調な成功だった。しかし、「新スイス」と名付けられたサッターの王国にはおおっぴらにできない暗部があった。先住民の村を襲撃して虐殺し、捕まえた子供を奴隷にしていたのだ。その数は600人〜800人と言われる。訪れた人が驚くほど奴隷の扱いは残忍で、ベッドもない環境で家畜のように閉じ込められ、桶で餌を与えられていたという。もちろん強姦も遠慮なかった。「サッターは12歳の少女でもレイプすることで知られている」という証言が残っている。サッターにとっては俺の土地だけれども、当然「インディアン」たちにとってはずっと住んでいる川のそばの大地なので、彼らから見るとサッターたちは突然現れて銃をぶっ放して大人を殺して子どもたちを連れ去る正真正銘の侵略者だった。1947年には家畜を襲うインディアンを「懲らしめる」ために20人の村人を虐殺したことが記されている。

Kern and Sutter massacres
https://en.wikipedia.org/wiki/Kern_and_Sutter_massacres

 新大陸で成功したサッターが気持ちよく村を焼いていたちょうどそのころ、カリフォルニアの支配権はメキシコからアメリカに移っている。たぶんこの時サッターは結構ビビっていたんじゃないかと思う。砦を構えて専制君主のように振る舞っていたが、彼の王国が解体される可能性も少なからずあった。アメリカとメキシコの戦争のときにはカリフォルニアの独立を目指して活動し、アメリカ軍によって砦を制圧されてしまっている。どういったやり取りがあったかわからないけれど、アメリカ編入後もサッターの土地所有権は無事守られた。ホッとしたんじゃないだろうか。これで今まで通り農場や牧場をやっていける、借金も返したし、スイスに残した家族も呼ぼう……その翌年の1948年1月28日、製材所を作っていたジェームズ・マーシャルが川から黄金を拾い上げる。

金が最初に発見された場所は現在「マーシャル・ゴールド・ディスカバリー州立歴史公園」になっている
https://goo.gl/maps/kpuwUKZfnY97oxaJ7

ジェームズ・マーシャル
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB

英語版
https://en.wikipedia.org/wiki/James_W._Marshall

 金の発見をサッターに報告したときの様子がマーシャルの英語版ウィキに書かれている。

「それはなんだ?」
「金だ」
「オー! ノー。そんなはずない」

 とてつもなく嫌な予感がしたに違いない。サッターは金の発見に喜ぶどころか、困惑して最初はその発見を隠そうとした。そしてそうこうしているうちに何もかも手遅れになってしまった。『黄金―』ではここから始まる奇妙な出来事が描かれている。まず人がいなくなった。みんな持ち場を放棄して、次々とただ出ていった。農場は荒れ、家畜は放置された。次にどこからかやってきた人々が家を建て生活を始めた。彼らは後から後からやってきた。砦を守る人もとっくにいない。反乱すら起こらなかった。サッターが先住民の血で染めた川は、今や大勢の人が踏み荒らし、ひっかき回され泥で濁っている。黄金の熱に浮かされた群衆が全てを飲み込んだ。それを描くサンドラールの筆致はまさにゾンビ映画そのものだ。

カリフォルニア・ゴールドラッシュ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5

英語版
https://en.wikipedia.org/wiki/California_Gold_Rush

 その感じがわかる光景を少し紹介したい。1846年のサンフランシスコはたった200人が住む小さな漁村だった。しかも、金が見つかったというニュースを聞くとみんな出て行ってしまい一度廃村になる。その後人口は急速に増え続け、わずか5年間で3万人が住む街になった。象徴的なエピソードがある。港には多くの船が生活品を積んでやってきたが、上陸すると船員が金を掘りに脱走してしまって、どうしようもなくなった船が港に放棄されることになった。何百隻も。当時の写真を見ると、人類が滅んだ後に幽霊船の艦隊が入港してきたみたいだ。無人の船が海面を埋め、マストだけが垂直に伸びて焼け落ちた森のように見える。余談だがこの船たちは後ほどホテルや監獄、埋め立てる材料やそのまま陸に上げて部屋にしたりとフリー素材として活用された。

Abandoned ships in San Francisco Bay, 1850 - a picture from the past
https://www.theguardian.com/artanddesign/picture/2013/aug/19/san-francisco-gold-rush-photography

Part of a panorama including Yerba Buena Cove & Goat Island, San Francisco, CA, 1851
https://picryl.com/media/part-of-a-panorama-including-yerba-buena-cove-and-goat-island-san-francisco-42eb37

 野田サトルの『ゴールデンカムイ』で主人公たちが求めるアイヌの金塊は72トンだった。カリフォルニアのゴールドラッシュでは最初の5年間で370トン、累計では1100トンの金が掘り出されたと推定されている。もしある日突然、1日で半月分の給与があっさり稼げることがわかったらどうなってしまうだろうか? たいした努力もいらない、川に行って金をすくってくるだけ。みんながだ──急げ! サンドラールの『黄金─』で描かれているのはこういうことだ。どうしたら崩壊を防げただろうか。銃で脅して? 銃を手に広大な領地を脅して回る連中を雇うのにどれだけの黄金を積む必要があったのだろうか? 人間の社会の根幹を支える虚構のひとつ、それが一時的に失われてしまった。ある時一斉に。サッターにとって重ねて不運だったのは、カリフォルニが正式にアメリカ領になったのは金が発見されてから2年後の1850年だったことだ。この間は単にアメリカが占領しているだけの土地で行政組織がなかった。法律もなく、当然、税金もなかった!

 ゴールドラッシュの期間を通じて30万人の人がやってきたと言われる。最初は鍋で取れた金もあっという間に取り尽くされ、すぐに大規模で複雑な採取方法へ切り替わった。税金も取られるようになった。5年もすると金探しはすっかり普通の経済活動になってしまい、鉱山会社の仕事になっていた。その間に次々と街が作られ州議会が開かれ州憲法も定められ農業も活発になった。この発展はもちろんサッター抜きで行われた。いつの間にかゾンビ映画の上映は終わっていた。後に残ったのは裁判に明け暮れる日々とうんざりするほど便りがない政府への陳情の歳月だった。晩年の彼は西海岸から東海岸に引っ越し、1880年に77歳で亡くなっている。

 それから幾星霜、サッターの子孫は今どうしているのだろうか。ごく普通の生活をしている、というのがその答えだ。最後にひとつの記事を紹介して終わりたい。2015年、9歳のコナーはカリフォルニアの小学4年生を対象としたプログラムに参加した。丸1日かけて野外で1840年代の生活を体験するものだ。ここは彼の6代前の祖父が築いた砦の地でもある。彼の祖父は最近まで「サッター砦友の会」の会長を務めカリフォルニア、ドイツ、メキシコに多くの親戚がいる。コナー少年は野球と水泳を楽しむという。

https://www.valcomnews.com/capt-sutter%E2%80%99s-descendants-visit-sutter%E2%80%99s-fort/


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