アンジュルム『悔しいわ』はネガティブをポジティブにする人間讃歌であり橋迫鈴讃歌である
いつからだろう。「悔しい」という感情を僕は日常生活で持たなくなった。特に「他人と比べて自分は……」という悔しさを感じなくなった。いや、捨てたと言ってもいい。「悔しい」と思うのにはとてもパワーがいる。とてもカロリーを消費する。そこには負の感情も渦巻くため、体力がないとマイナスに取り込まれて沈み込んでしまうのだ。
だから僕は他人と比べて自分を評価するのを止めた。
昔よく「他所は他所、家は家」と親に言われたが、最近それがよく分かる。あれは実は最上級の負け惜しみであり、そう思うことで現状のやるせなさから目を逸らしてやり過ごす常套手段だったのだ。比べなきゃ「悔しい」なんて思わない。
「悔しい」と思えるのは元気な証拠だ。若さの象徴だとも言える。それがネガティブな怨念になろうとも、それだけのパワーがあるのは羨ましさすら感じてしまう。
アンジュルムの新曲『悔しいわ』は、まさにそんな悔しさをネガティブ方向ではなくポジティブに自分の活力へと変換して立ち向かうアンジュルムらしさ全開の曲だ。
作詞作曲はアップフロントを退所しても尚、積極的にハロプロへ楽曲提供を続けてくれている中島卓偉さん。もはや「卓偉とアンジュルム」といえば切っても切れない関係性の代名詞と言ってもいいんじゃないだろうか。スマイレージから改名して大切な一発目の曲に『大器晩成』という超絶名曲を生み出し、その後も『友よ』『上手く言えない』『もう一歩』など名曲の数々をアンジュルムに授けてくれている。
そしてその曲たちに共通するのが「挫けても前を向いて進む」反骨精神、ロックなマインドだ。
『悔しいわ』はド直球でそんな卓偉イズムを表現している。
不器用で思うようにいかない毎日を過ごす中で、ちょっと下に見ていた幼なじみが急に垢抜けてインフルエンサーになってたり、同級生は起業家の玉の輿で早々に仕事辞めてたりと、たぶんインスタ情報なんだろうなと思うが勝手に他人と比べてしまうような環境に置かれてしまうというのも残酷だ。
冷静を装っても「キーーーーーー!」ってなるのは若さである。
サビでの歌詞の主人公は、それでも頑張って前向きに「自分は自分」と言い聞かせつつもモヤモヤしてしまう。割り切るって簡単じゃない。やっぱり自分と何が違うんだろう?と悩んでしまうのも当然だ。
でね、これって誰なんだろう。どういう子なんだろうと考えるとですね、もうMV観ても一目瞭然なんですよ。そうです。鈴ちゃんなんですよ。この曲は橋迫鈴ちゃんの曲なんですよ。
最近メキメキとパフォーマンス面でも頭角を現して評価も鰻登りな鈴ちゃんだけど、本人的には「あぁ もう!めっちゃ悔しいわ!」という状況だろう。
鈴ちゃんがデビューしてから3年になる。その間、なかなか前に出られず歌割りも増えず、素質は誰もが認めるのだけど本当に『大器晩成』型な子なんだろうなという印象だった。
ただ、言ってもまだ16歳。特に早熟な子が多いアンジュルムにいると遅咲き感はあるけど、まだ16歳なのだよ。自分が16歳の時どうだった?僕は高校で教師と揉めて勉強が嫌になって美術部の部室でマンガ読んだり河原で本読んだりしてグダグダしていましたよ。なんにもしてなかった。
そうだ。もしかしたら僕はその頃から「悔しい」を捨てていたかもしれない。なんか進学校で勉強が当たり前に出来る人たちに囲まれて、教師もそれが当り前で、僕はそんな状況に耐えられなくて「悔しさ」すら感じなくなってしまったのかもしれない。
鈴ちゃんも研修生時代からダンスの正確さ、憶えの速さには定評があったと最近もラジオでBEYOOOOONDS島倉さんも言っていたが、アンジュルムに入るとそこに歌唱力も付けなければいけない、キャラも出さなければいけないと持っていた要素に更に高い次元のスキルが要求されるようになったことで上手くいかないことが増えていたと思う。
そこで「悔しい」から目を逸らさずに向き合うって本当にパワーが必要だ。それと向き合って、その先に或るものを目指す意志がないと「悔しい」をポジティブなチカラに変換できないと思うのだ。
2番のサビの歌詞、ここは鈴ちゃんが初めての後輩である9期三色団子を迎えてみたものの、優秀な後輩たちがどんどん歌割りを貰ってライブでも目立つことへの複雑な感情そのままに感じてしまう。
MVが公開された後のブログでも鈴ちゃんは
と心境を吐露している。だが、何度も言うけどまだ16歳。
「遅咲きの成功者」というには全然、全く若いのだ。ただその「悔しいと」いう気持ちと向き合う勇気、自分自身に向き合えるって本当に勇気がいる。
鈴ちゃんも好きな『ジョジョの奇妙な冒険』での有名なセリフがある。
人間讃歌は勇気の讃歌
ジョジョ1部に登場する人気キャラ、ツェッペリのセリフだ。誰もが傷つきたくないし、リスクを負いたくない。それでもそこに飛び込むには「勇気」が必要になる。僕はパワーとも言っていたが、気持ちが強く持てないと行動には起こせない。勇気とはパワーの源だ。
「悔しさ」をポジティブに自分の活力と出来ることの素晴らしさ。まさにそれは橋迫鈴ちゃんの今の姿そのものだと思う。
6月に行われた武道館以降、鈴ちゃんは目に見えて変わった。それまでなかなか目立てなかったライブでも存在感を放つようになった。そして、それと共に明確に歌割りも増えだして目を惹くようになってきた。
ラジオでも敬愛しているリーダー竹内朱莉さんから「鈴ちゃんが変わった」「鈴ちゃんが世間に評価されるようになった」「私はそれが嬉しいし頼もしい」と絶賛された。
『私を創るのは私』でデビューした橋迫鈴ちゃんは、その曲を体現するように成長している。
和田彩花さんが卒業した後の竹内朱莉体制は「アンジュルムの第二章」と言われている。その中心には当然リーダーの竹内朱莉さんが居たわけだが、同時に第二章と共に加入した橋迫鈴ちゃん成長の物語だったのかもしれない。
最近のアンジュルムの曲はハロプロでも1、2を争う歌唱力の持ち主である竹内朱莉依存から脱しつつある。この曲でも竹内さんが登場するのはほぼラストの大サビだけだ。
だが、そこには大きな意味を感じてしまう。大サビでソロを長尺で歌う竹内さんは最古参の莉佳子、エースのかみこ、サブリーダーのかわむとだけ対になる。なんか、竹内さんが「あとは任せたよ」と笑ってバトンを渡しているように思えてならない。
もしかしたらこの『悔しいわ』がアンジュルム第二章の終幕なんじゃないかと肌感覚で伝わってきてしまうのだ。だからこそ、第二章の主人公だった橋迫鈴ちゃんが覚醒してきているように思えてならない。彼女もまた、なんとなく感じているんじゃないだろうか。
この瞬間はもう、あと少ししかないのかもしれない。
だからこそ橋迫鈴ちゃんは強くなってきているんだと僕は思うのだ。