「眩く眩む」を観て。
ムシラセさんの「眩く眩む」観劇致しました。
とっても内容が深く、リアルでした。
「集団創作とハラスメントとクオリティの行き先」というテーマの作品。。作品を見て思う事。
今、どの業界でも意識されているハラスメント…
でも私はどこからどこまでがそれに該当されるのかまだ線引きが分かりません。
周りから酷い、アレはないと思っていても、言われてる本人からは、それが成長に繋がる言葉だったり、怒られててもそれが励ましになったりもする。
自分はバレエ学校時代。本当に下手くそで頑張っても上手くいかなくて、それでも諦めずに続けてました。内部の大きい作品に出演するためにオーディションを受けても、いつも落ちて、先生やクラスの皆んなの前で結果の封筒を開けて私だけ落ちてた時もあった。その後のレッスンは辛かったけど、見返してやろうと燃えていました。弱い、足りない、作中ほどの暴言は無かったけどもう人格否定になりそうな事もありました。それに凹むのは弱い証拠だ…と。でも自分はそれでも続けたし、今も表現の世界にいます。その傷ついた言葉をパワーにしてのし上がってきました。
プロの世界はもっと。。作品を見て思いました。
凡人では書けない、作れないものがある。
何かが飛び抜けてないと越えられないものがある。もちろん、それを支えて下さる制作スタッフさんやプロデューサーさんは不可欠です。でも、凄い作品を作る人の技量は人より越えていないといけない。だから、書くしかない書き続けなければならない、作品の為に捧げる神崎さんの気持ちも凄く共感しました。
人間なので感じ方も人それぞれ。だから難しい。正解を見つけるのは難しいかもしれないけど。
でも作品を見て感じたのは、仕事場以外で交流を増やす事、が必要なのかなと感じました。お金も時間もない世の中ですが、たった数分でもいいから職場の人と上司、後輩、同僚、コミュニケーションをとる事。劇中でも少しの間、自分の好きな事について話していたシーンがありました。
その時間だけは人間同士で話せる。超人に見える人も普通の人間なんだって事も、後輩、同僚の熱意や愛情も。。。
とは言っても、みんな時間がありません笑笑
そんな余裕はないと思います。でも私はそうでありたいなと思いました。死ぬもの狂いに表現にしがみつきながら、人とのコミュニケーションを大切にする。自分が言われて嫌なことは言わない。強制的に規制するのではなく、じっくり考える。その人の発言の意味を考える。意見をしっかり言う。自分から始めてみようと思います。
芸術や表現の情熱はそのままに、作り手さんにも優しい世界になるよう、表現者として考えていきたいと思いました。
長々と失礼しました。
深い作品でした。答えは出ずとも考えさせられました。ありがとうございました。