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祖父、夢枕に立つ。

冬になってからというもの、とにかく睡眠時間が長くなった。

以前は日付が変わってから寝るのが当たり前だったけど、ここ最近は23時台には瞼がひっついて離れなくなる。

長くて短い夜の時間、私は夢をよく見るほうだ。

夢を見るというのは体があまり休めていない証拠だけれど、私は悪夢を頻繁に見ることはないし、夢を見るのは好きなので苦ではない。

その日の夢は、小学5年生の時に亡くなった、祖父が出てきた。



最初、祖父はダイニングテーブルに座り、正面にいる祖母(まだ生きている)と、会話をしていた。
私は俯瞰しているような感じ。

祖父は、絵に描いたような頑固じいちゃんだった。
まだ幼かった私は、祖父によく叱られた。

祖父との記憶を思い返すときは、怒られたことが必ずセットだ。

「靴のかかとを踏むな!」

「椅子に座って体を揺らすんじゃない!」

とか、祖父の怒り顔が目に浮かんでしまう。


そのイメージと違わないような形で、祖父は自分の意見を険しい口調で祖母にぶつけていた。
祖母も攻防するかのように、同じような口調で自分の意思をぶつける。

自分の意見をただ主張するだけのようで、激しい口調でも喧嘩はしておらず、ちゃんと会話になっていて不思議だった。(内容は覚えていない)


「思ってることをぶつけ合ってるだけなのに、会話になって凄いね」
私が祖父にそういうと、


「ばあさんは話せば分かる。お前の母さんは、人の話すことを全然聞かんのじゃ、あれは悪い」
と、急に母の悪口を言い出した。笑


亡くなった祖父は父方なのだが、母は生前、祖父から「豚の嫁をもらった」などと、ひどい言われようだったそうだ。
それを笑い話として話す私の母も、かなり肝の座った女だと思うが。

そんな肝っ玉母ちゃんは確かに祖父の言うとおり、自分が一番正しいと思い込んでいる節があり、あまり人の話を聞かない人だ。

そんな母の一面に「げんなりした」と弟も話していた、と思い出していた。


祖父と祖母が話し込んでいたと思ったが、いよいよお別れの時間が来たようで、祖父はいつの間にか私の前に立っていた。


優しい目をして、両腕を広げる祖父。
私は祖父を優しく抱きしめた。

「じいちゃん、来てくれてありがとう。
 久しぶりに会えて嬉しかったよ。
 また会おうね、またね」

そう別れを告げた瞬間、はっと目が覚めた。


目が覚めた時、まだあたりは真っ暗だった。
枕元のスマホを見ると、6時18分。
もう朝だ。

目が覚めた瞬間から、泣いていた。
目が覚めた時も、まだ抱きしめられた感覚が残っているようで、心の中がじんわりあたたかいままだった。


鼻をすすっていると、普段ほとんど起きない主人が起きて、目をぱちくりさせながら「何事?」と寝ぼけながら聞いてくる。

ずっとずっと、涙が止まらなかった。


泣いて30分ぐらい経った頃か、徐々に昔の記憶が脳裏をかすめる。
それは、3歳の七五三の時の記憶だった。



祖父を抱きしめた時、少し筋肉質で張りのある背中に触れたとき、この背中の厚みをよく覚えていると感じた。

私の古い記憶は5歳ぐらいで止まっているものと思い込んでいたが、祖父の夢を見てから急に、色々な記憶の引き出しが開いた。


髪をセットしてもらった、地元馴染みの古い美容院。

少し潰れた千歳飴に、もらった紙風船。

あの頃はまだ重たいと感じていた、立派なピンクの着物。

そして、帰りの参道。

足が疲れたと駄々をこねる私を、祖父がおんぶしてくれたこと。
祖父の背中のあたたかさと、厚みを体いっぱいに感じた。


祖父の遺影は、私の七五三の時に一緒に撮った家族写真だ。

「この時のじいちゃんが、今までで一番優しい顔をしてたんだよ」

祖父が亡くなった時、母はそう教えてくれた。



もしかしたら、本当に祖父は私に会いに来てくれたのかもしれない。


祖父にはたくさん怒られたけれど、本当に愛されていた。
心から本当に私を愛してくれていたと、信じていられるのだ。
それはなんて幸せなことだろう、と思う。

じいちゃんが私を愛してくれた分、私も家族を愛したい。


明日は、母の誕生日のお祝いをしに、実家に帰る予定だ。

私も家族にたくさん、愛と感謝を伝えたい。
そして「じいちゃん、会いに来てくれたんだよ」と、報告しようと思う。

きっと、この報告を喜んでくれるだろう。

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