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カレッジ・エッセイからも見えるアメリカ人の生き方

 アメリカの大学受験では、全国統一試験SAT/ACTのスコアは、センター入試結果の足切り点のようなものだろうか。試験のスコア以外に、大学へ提出する書類は多岐にわたる。その中でも、受験生を悩まし、多くの時間を割かれるのがカレッジ・エッセイである。

 先日、アメリカの進学塾で、保護者歓迎のカレッジ・エッセイにかんするワークショップがあったので参加してみた。そこでは、「あなたが持つ文化的背景は何か」「失敗から何を学んだか」「あなたにとってのヒーローは誰か」「あなたを幸せにしてくれる場所について」などのエッセイテーマ(prompt)が取り上げられた。そして、実際に生徒が書いて大学提出したエッセイの一部が6つ例として挙げられ、自分が入試選考委員だとしたら、このエッセイを読んで合格とするか否か、その理由は何か、が議論されたのだ。

 大学によって出題されるエッセイテーマは異なる。しかし、ワークショップ中、講師が終始、強調していたのが、
・自分は何ものなのか(Identity)
・自分が持つ価値観(Values)は何か
・自分が他者に言える資質(Qualities)は何か
であった。

 エッセイ・ライティングを通じて求められることは、己を見つめ直し、自分という人間をどう言葉で表現するかに尽きる。これは幼稚園の頃から一貫してアメリカで教育されてきたことだ。幼稚園の頃は、Show and Tellという時間があった。自分の好きなぬいぐるみや玩具を学校へ持って行き、皆の前で、なぜそのぬいぐるみが好きなのか説明するのだ。小学生になると、自己紹介のポスターを毎年のように作り、皆の前でプレゼンテーションをしていた。そして中学生以降は、エッセイで表現するようになった。学校では必ず、自分を見つめ、考え、そして文章表現する時間があるのだ。

 アメリカでは、勉強でも、スポーツでも、音楽でも、仕事でも、どんな些細な事でも挑戦することが大切とされる。そのためには、常に自己分析をし、こんなこと、あんなこともできますと自分を売り込み、ダメ元でも挑戦する姿勢を持ち続ける生き方が良いとされる風潮にある。アメリカの高校生は、カレッジ・エッセイを書きながら、アメリカで生きていく処世術を学んでいるのかもしれない。

 我が身を振り返ると、就職活動をするようになって初めて、そういうことを真剣に考えるようになった。しかし、普段からそういうことを考え、表現する習慣がないため、どうしても受け身な生き方になりがちである。私にとってカレッジ・エッセイの書き方について考えることは、自分の日々の仕事に向かう姿勢、そして生きる姿勢を問い直すことにもつながるのだと実感した。

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