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特集・板東英二

こんにちは。池上彰です。違います。


先日の記事の終わりに、板東英二さんの名前を入れてから、無性に板東さんのことが気になって眠れなくなってしまい(大嘘)

今回は予定を変更いたしまして、板東英二特集をお送りいたします。


元々何の予定だったんじゃい!




ではいく!
(まいたくさんすいませんパクリましたもうしません🥺)


板東英二さんは1940年、満州で産まれました。

5歳のとき日本に引き揚げ、その後徳島県板東町で暮らしました。


板東さんは板東町にいたんですね🫢


ちなみに、板東という名字のルーツはこの板東町周辺なんだそうで、実際に板東という名字が1番多いのは徳島県なんだそうです。



1956年、板東さんは徳島商業高校に入学。野球部のエースとして活躍します。


ちなみにこの徳島商業高校、米津玄師さんの母校でもあるそうです。


板東英二と米津玄師は同じ高校
これってトリビアになりませんか?


すごい学校やで!



板東さんに話を戻しまして、板東さんは高校2年のときに、誕生日を変更してるんだそうです。


板東さんの本当の生年月日は1940年3月31日だそうなんですが、いろいろあって小学校に入学したのは1947年4月だそうで、ほかの同級生より1歳上だったそうな。

満州から引き揚げたばかりだったり、戦後の混乱期だったりご苦労があったんでしょうね。


で、中学も高校も同級生より1歳上のまま入学したそうなんだけど、それがマズイってなったのが高校2年。



このまま行くと高2の3月に18歳を迎えてしまい、高校野球の規定で公式戦に出れなくなるそうです。


公式戦に出れなくなると、もちろん甲子園にも出られない。すると野球部の部長が「裁判所に行く」と言って、本当に裁判所に行って誕生日を4月5日にずらしたんだそうです。


こうして無事に板東さんは、3年生の4月に18歳を迎えました。


1958年、ついに夏の甲子園に出場します。


そして大会では83奪三振を記録。この記録は未だに破られてないそうですよ。



すいません野球詳しくないので凄さがよくわからないのですが、凄いんですよね。



高校卒業後は、中日ドラゴンズに入団し、1969年に引退。その後はタレントや司会者として活躍しました。


個人的に、板東さんといえば、

マジカル頭脳パワー

ですね。



懐かしいよねえ

マジカルバナナ🍌



マジカルバナナ♪

バナナと言ったらちんk...


いやここで下ネタやめろや!
バナナだけにダダすべりや!



そしてですね、板東さんといえば!


ゆでたまご

すいませんこれは生タマゴでした失礼しました🙇‍♂️


板東さんは、ゆでたまごを毎日3~5個食べているんだそうですよ。


なぜゆでたまごが好きかというと、満州のときの悲しい過去があるようです。


ちなみに、卵かけご飯も大好きだそうです。



そんな板東さんですが、2013年ごろにいろいろあって芸能活動を休止してしまいます。


その後再開し、YouTuberデビューもしているみたいですが、その後再び芸能活動を休止しているようで、噂では体調があまりよろしくないとのことです。


今もどこかで、元気にゆでたまごを食べていることを祈るばかりです🙇‍♂️




そんなこんなで、板東英二さん特集をお送りしました。


野球、そしてテレビの歴史に名を刻んだ板東さんはすごいよ。ほんまにもぉー



今回の記事に関しては、主にWikipediaの情報を元にしました。🙇‍♂️



それでは皆さん、良い野々村真ライフをお過ごしください!


では!

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