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思い出のモノも断捨離です

かなり昔ですが、科学万博つくば'85というイベントが開催されました。

いろいろな企業が参加し、新しい技術を駆使した未来的展示物が目白押しのイベントでした。

当時、発刊されていた「コペル21」という科学雑誌にイベントの記事が掲載され、暇だった私は、その雑誌ばかり読んでいました。その結果、新しいもの好きな性格もあいまって、すごくイベントに行きたくなりました。
イベント会場の近くに親しい親戚が住んでいた事もあり、また、家の用事(何かはわすれました)もあって、家族旅行として連れて行ってもらうこととなりました。
連れて行ってもらえることを知って、当時の私は大興奮だったように覚えています。

現地では、いろいろな展示を見て回りました。
たとえば、当時ではドラえもん的な夢の技術であるテレビ電話もあったと思います。近い距離での通話が体験できる展示だったので、ケーブルで繋いで画像を表示しているといった、今となってしまえばアナログな、本当に未来なのか?といった展示でしたが。

すごくいい思い出になったので、記念硬貨を入手し、ずっと手元において保管していました。
他にもテレホンカードと切手も入手しました。そして35年ほど、手元に大事に保管してきました。

でも、ミニマリスト的な観点から、これって不要なんじゃない?と思えるようになってきたのです。

引き出しを開けるたびに思い出す必要ある?
記念硬貨は文房具などを入れる引き出しの隅で、ずっと保管してありました。時々、記念硬貨を見ては、そういえばイベントに連れて行ってもらったなあと、なつかしいなと思い出すきっかけになっていました。でも、記念硬貨がなくても思い出すことはできるから、手元に置いておく必要はないんじゃないと思いはじめました。そもそも、定期的に思い出す必要あるのかなあって思ったり。

この硬貨、価値が十分に生かされてないんじゃない?
500円硬貨ですから、500円の価値があるのに、使うこともなくただ置いて保管されているだけです。多分、私が亡くなった後は放置されるだけの存在。ある意味、ゴミです。それなら、今、その価値を有効活用したほうがいいと思いました。500円あればコンビニコーヒーが何回も楽しめます。

物を置くスペースを用意するのが嫌になりました。
500円硬貨ですからサイズは小さいかもしれないけれど、置き場所を用意して管理していかないといけないという心理負担があります。ミニマリストなので、そういった心理負担からも解放されたいなという気分にもなりました。

いろいろと考えた結果、それなら今、500円として使った方が価値がある!という結論になり、銀行窓口で預金口座に振り込んでもらいました。多分、そのまま店などでも使えるのでしょうけど、店員さんも記念硬貨なんて支払いに使われると困惑するでしょうし、あえて銀行に行きました。

他に持っていたテレホンカードも金券ショップで買い取ってもらいました。500円分のテレホンカードだったけれど、買取価格は300円。今はテレホンカードを使う機会はないので、使う機会のあった購入当時に使った方が、500円の価値があったはず。200円分、損してます。早く使えばよかった。

たかだか500円硬貨ですが、手放してスッキリしました。
そこにある、当たり前な物として認識しているかもしれないけど、手放すことのできる物はまだまだあります。

もっといらない物を手放して、身軽になりたいです。

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