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にゃあ日記8

昭和

猫は自宅と屋外を自由に往来したとて誰も気にもとめない時代。
ジャレと過ごした少女時代、
自宅の側には春には花見客で賑わう大きな公園があった。

 公園の中心には、戦没者を祀る大きな忠霊塔があって塔を中心に展望台や立派な遊具にあずまやとおよそ公園に必要とされる設備は全て整っているので季節を問わず喧騒が絶えないところだった。

人がたくさん来るということは、よからぬ輩も集まるものでそれは人間に限らず縄張り争いが絶えない猫社会も同じであり野良の激戦区でもあった。

 マスターの生家は、地場産業のニット工場を営み自宅兼職場の玄関は何かと出入りが多いことあり扉は常にオープン状態。

道を挟んでお隣さんは、仕出し弁当や給食を賄う会社あって残飯目当ての野良がよく公園からやってきたらしい。

 環境が人に与える影響は言うまでもなく大きく、マスターのパーソナリティは育まれ、猫という生き物に対して肯定とある種の達観した考えをもって成長した。

 そんな折し肥満が悩みの少女は、コンプレックスを埋め合わせするように近所の飼い猫が産んだ子猫を貰ってきた。

名前は、ジャレと名付けられマスターの成長期から反抗期を共に過ごすことになる。

昭和の感覚を持ち越して
平成を生きたジャレの生涯を掻い摘んで紹介する。

給食のパンは、黒糖味が好きだった


9へつづく

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