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20210427 情報が源泉徴収されているみたい

かようび。

何してたっけなぁ‥‥3月下旬から4月上旬にかけてイベントが多かったこともあって、特にイベントがない1日を過ごすと急に記憶の濃度が薄くなる感じあるな‥‥。

普通に出勤して、普通にお仕事をした1日だった‥‥はず。いやホントにそうだっけ?なんかお仕事中に“あ、これ日記に書こう”って思った出来事があったような気がするんだよな‥‥。でも、もちろんお仕事中にiPadを取り出すわけにもスマホを取り出すわけにもいかないので、その出来事は記憶の底に沈んで見えなくなっていくんだよね。

Twitterのタイムラインなんかを見ていると、“脳に電極さしてそのままツイートしたい”なんていうツイートを見かけることがあるけれど、ここ最近そう思う気持ちがすごくわかるようになってきた。結局、思考を表現するために何かしらのデバイスを経由すると、それだけで情報が摩耗してしまっている気がするんだよね。情報が源泉徴収されているみたいな感じ。出力したものが他の人の元に届くころには、経由したいろいろなデバイスに食べさせるための情報がいろいろと差し引かれているんだよ。

“記録に残すことができない場面”ほど、思考が冴えているように思えるのはただの気のせいなんだろうか。たとえばそれはトイレのなかであったり、お風呂に入っているときであったり、お仕事中だけれど思考だけは自由なタイミングであったり。そういうときに限って何かいいことを思いついている‥‥ような気がする。断言できないのは、それはもう記憶にも記録にも残っていないから。

いや、逆なのかもしれない。“記録に残すことができないからこそ思考が冴える”のだとしたら?記録に残すためのデバイスというと、現代で言えばスマートフォンが筆頭に挙がるだろうけれど、スマートフォンを自由に使える状態に身を置いていたら、できることが多すぎて自分のリソースをあまり思考することに割かなくなってしまうんじゃないだろうか。

トイレだったりお風呂だったりみたいなさっき挙げた状況は、言ってしまえば“考えることくらいしかできない”状況で、だからこそ思考が深まるのかもしれない。でもその深まった思考を記録することはできないから、まばゆくようなアイデアは誰にも伝わることもなく、その狭い水回りの一室で短い生涯を終えることになる。なんだかうまくいかないね。

0から100まで全部思いつきで書いているし、“トイレとかお風呂って考えごとに向いてません?”みたいな話を人としたこともないから、そもそもこれ自体を思っているのが僕だけかもしれない。

でも、スマホを持って、スマホありきの生活を送るようになってから、いろいろなことに“深く”取り組むってできなくなっているなぁ‥‥というのは強く感じる。それこそスマホみたいに、マルチタスクでいろいろやってしまっている。でも、スマホはやっぱり一眼レフのカメラだったり、ゲーム用のPCだったりには勝てない。

結局はそうやって、いろいろなことに平均かそれ以下の集中力で取り組んで、平均かそれ以下の出来の何かを生み出し続けるだけになっちゃいそうで怖いな。普段はそれでもいいのかもしれないけれど、いざというときには集中して一眼レフやゲーミングPCになれるようなギアを作っておかないといけないんだろうな‥‥。


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カレー2日目。色が変わった気がするのは、たぶん写真の効果を変えたから。変えたつもりはなかったんだけれど、なんか気がついたら変わっていた。具体的には昨日のカレーはただの“ビビッド”で撮っていて、今日のカレーは“ビビッド(暖かい)”みたいなやつで撮ってしまったみたい。

見た目だけでいうと、今日のカレーはポケモンカレーとかアンパンカレーみたいな甘い味がしそうな色味をしているけれど、もちろん味は昨日とほとんど同じです。ただ、加熱してもなおあまりにもドロドロだったから少し水を加えた。

シャバシャバすぎるカレーが食べたいというわけではないけれど、おたまから落ちてくれないくらい粘り気?のあるカレーはちょっとね‥‥。ルーを大量に入れたうえに、じゃがいもが溶けたりしてるのもあるんだろうな‥‥。


え?明日行ったら1回休みですか!?昭和の日ナイッスゥーーーッ!!!!!


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