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20240416 ポジティブでもネガティブでも誰かを照らせる

かようび。おらに元気を分けてくれ(迫真)

前日に比べたら眠れているほうだけど、まだまだ負債を返せてはいなさそうな感じ。なんか先週もこんなことを日記に書いていたような気がする。なんかもうなにを書いてなにを書いていないのかわからねぇですよ‥‥。

丸4年も書いていたらそら書くことなくなっても来るよね。別にそんなに新規性のあるような文章を書きたいとは思っていないんだけど、かといって同じことをずっと書いているのはまたそれはそれで違うような。

おしごとの記憶、なんにもないな。いやなんていうかたぶん記憶がないんじゃなくて、何もしていないんだと思うんだよね。憶えていないんじゃなくて、そもそも空っぽなのかもしれない。

4月になって、いろいろと立場とか役職とかそういうのが変わったわけだけれど、なんか3月までとはまた違った形で苦しい。業務量で言ったら3月までに比べたら確実に減っているような感じはする。少なくとも今の時点では。

ただ、業務量が減って時間があるがゆえに、なんかいろいろと考えてしまうというか。忙しいときは何も考える余裕がないからある意味的に悩まなくて済んだり、悩んでもおしごと関係のことだったりするわけだけれど。

今の状況だときっとあんまり職場に必要とされていないなって感じてしまう。一方で、僕も職場を必要としていないというか。もちろんお金をくれるっていう点では必要とはしているんだけれど、居場所だとか社会的な役割だとか、そういう点での自己肯定感にはあんまり役に立っていないような気がする。

自分が役に立っているとか、誰かを幸せにしているとか、誰かに必要とされているとか、そういうことが一切感じられていない。それはきっと僕が何もできていないからなのだろうけれど、何かをできたとしてもこの空虚が埋まるかどうかはわからない。

このおしごとはこういう空虚を抱えている人がやるおしごとではないんだろうなとは思う。もっとキラキラした人がやるべきしごとだ。おしごとでキラキラできる人にこそ向いている。僕はおしごとをすればするほど、出来や内容にかかわらずくすんでいくばっかりだ。

やることさえやっているのなら、くすんでいようがなんだろうが別に関係ないよ、っていう職場にいるべきなのかもしれない。そんな職場があるのかはわからないけれど。おしごとでキラキラするなんていうのは当たったらラッキーなおまけみたいなもので、それを前提として求められてしまうとくすんだ人間には苦しい。



頼んでいた歌集が届いた。中身はまだ見ていないけど、帯の時点で好き。

こんなことを言ったら怒られるかもしれないけれど、ポジティブでもネガティブでも誰かを照らせるのが短歌のいいところだと勝手に思っている。

キレイなものをキレイに伝えられる短歌、うまく生きられないことを嘆く短歌、どれもきっとそれぞれの形で誰かを照らしてくれるはず。

まだ読めていないけど、きっとこの歌集も僕を照らしてくれるのだと思うので楽しみです。本をKindleで読むことも多くなってきたけれど、歌集は紙媒体で持ちたい。なんでかはうまく言えないけど、どこか安心するから。



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