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20200722 そんな幻想をどこで覚えたんだか知らないけど

すいようび。‥‥だけど実質金曜日みたいなもの。まぁ4連休が本当に4連休なのかと言われれば全くそうではないのだけれど。

ただ、そう簡単に休日には行かせてくれないのが労働というものの性格の悪いところ。お休み前に立ち塞がるラスボスこと水曜日のお仕事はかなり密度が濃くてなかなかに大変だった。短時間でやらなきゃいけないことがいっぱいある感じの1日。水曜日って結構そういうこと多いんだよな‥‥。

それでも先週とかに比べるとかなり気持ち的も時間的にも余裕があるかも。余裕があるといってもぜんぜん平気というわけではなくて、毎日息を切らして生きていることには変わりないんだけど、あくまでも先週よりはマシだって思えるというだけ。

先週は余裕がなさすぎたので、週1くらいで開催されている飲み会にも参加できていなかった。‥‥ということで今週は参加するぞ。たいていは当日のお昼とかに開催が決まって、それでもみんな来れるっていうフットワーク軽すぎ集団なんだけど、今回は珍しく水曜日に開催されることが前もって決まっていた。

そしてもともと来れない予定だった別の職場に勤めている人が、運転の予定があるのでお酒は飲めないけど、と言いつつなんとか都合して参加してくれることになった。久々だー。

‥‥にもかかわらず、その別の職場から参加してくれている人が1番最初にお店に到着し、僕を含めて他はみんな、定刻に到着できないという事態になってしまった‥‥。わざわざ来てくれたというのになんて仕打ちだ‥しかも待たされた挙句にお酒は飲めないし。

気を取り直していろいろ食べる。例によって写真はほとんど撮り忘れております。

お通しで出てきたおいしいトマト。さくらんぼみたいに甘かった。

2軒目でいったお店の串の写真。写真はこの2枚しかない‥‥。やっぱり人といると“日記用に写真を撮らなきゃ”みたいなところまで頭が回らないんだよね‥‥リソースが別のところに割かれているというか‥‥。どれだけ仲良くなったとしても、やっぱり家族といるときや1人でいるときと同じような身勝手さは出ないな‥‥。それは“親しき仲にも礼儀あり”という考え方ならば良いことなのだろうけれど、“誰に対しても心開き切れていない”とも考えられそう。いや、単にポンコツだから写真撮り忘れているだけだね、きっと。


なんだか最近、愚痴を言ってしまうことが増えたような気がする。今日みたいに小規模な飲み会の機会が増えたからというのもあると思うけど。他人の愚痴を聞くことはこれまでもそれなりにあったけれど、自分が言う側になることってあんまりなかったような。もし、自分が言う側になっていたとしても、それは他の人が言っている愚痴への共感の手段として言っていたにすぎなかったと思う。そう、これまでは。

最近、気がつけば自分主導で愚痴を言ってしまっていることがあるな‥とふと気づいてしまった。働いている人間なんて大なり小なり愚痴くらい言うだろう‥と開き直ってしまえばそれまでなんだけど、“自分が愚痴を言っている”ということにものすごく嫌悪感を覚えてしまう自分が確かにいる。本当によくない。僕は最低だ。直接言えよ。とかとか、そんなことを考えてしまう。

昔から自分のことなんて好きじゃないけれど、ここ最近、それがかなりひどくなってきている気がする。精神的な自傷行為みたいなものがクセになってきていないか。

傷ついている人間に対して世界が優しくしてくれる‥なんて、そんな幻想をどこで覚えたんだか知らないけど、実際は煙たがられるだけだぞ。自分で自分を痛めつけたって、世界はこっちを向いてはくれない。そんなことは無駄だし、世界にも自分にも嫌われるだけで収集がつかなくなる。だからそもそも自分は傷つかないべきだし、自分を傷つけるべきでもないんだよね。何も生まれないんだから。わかっている、わかってはいるんだけど。

じゃあ愚痴を言ってしまうことに対して、どう受け止める?いちばんお手軽なのは“みんなこれくらい言っているって”って開き直ることなんだろうけど。ただ、もし本当に“みんなこれくらい言っている“のだとしたら、きっと僕は人間不信になってしまう。それだけ溢れている愚痴の矛先が自分に向かないわけがない。そうなってしまったらもう、世界のどの場所にも体重をかけられない気がする。

もっとこころのひろい、やさしいひとになりたいですね。




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