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20200624 さしずめ虚ツツキってところか

前日の日記で死亡確定かのような内容の次回予告をかますなどしてしまったけれど、結論から言うとこの日は死ぬほどに忙しかったというわけでもなかった。前日、前々日までに比べると特に。

ほら、コナンの映画とかでもあるじゃない。予告編であったはずの映像が映画本編のどこを探しても見当たらない‥‥みたいなやつ。あれと一緒だよ、きっと。

‥ということで本編。

お仕事の時間はそこまで長くなくて、そこそこの時間で帰ることはできたんだけど、お仕事している間の密度はなかなかに濃かった1日だったかもしれない。

夕方ころから来客‥というか、外部の人と会う用事があったんだけど、こちら側の人間が僕ともう1人、向こうは1人って感じで、基本的にお話を僕以外の2人で進めていたので、僕はそのお話のあいだ、程よいタイミングで相槌としてうなずくだけの存在と化してしまった。

途中までは別になんとも思わなかったんだけど、途中からうなずきながら“なんか今の僕ってキツツキみたいな動きしてない?”って思ってしまって、そこから一気に集中できなくなってしまった。

キツツキは木をつついているからキツツキなんだろうけれど、じゃあ今の僕はなんだろう?僕の目の前には木なんてない。あるのは虚だけ‥‥それならさしずめ虚ツツキってところか。つつく嘴さえないんだけどさ。

僕は昔からどうにも人の話を遮ったり、止めたりするのが苦手だ。だから僕以外の存在だけでやりとりが成立してしまう場面だと、会話のボール支配率が限りなくゼロに近くなってしまう。

なので3人以上の空間で自分から発信をするときには、こっそりとタイミングを図っている。会話をしているはずなのに、僕1人だけ大縄跳びになかなか入れない小学生みたいな気持ちでずっと会話が回っているのを眺めている。ありがたいことに、そういうことを気にしないで会話ができる仲のいい人たちもいるけど。

僕が話を遮らないことが災い(?)しているのか、“隠れおしゃべり”みたいな人にすごくよく話しかけられる。もともと根っこの部分ではおしゃべりで、人に自分の話を聞いてもらいたいんだけど、なかなかそういう場面を作れないような人。おしゃべりさんになりきれなかったおしゃべりさんというか‥‥。そういう人にとって、どうやら僕は格好の的であるらしい。

基本的に人の話を聴くのはそんなにキライじゃないけど、こういった手合いの人の話は(すべてが、とは言わないけれど)コンテンツとして微妙なことが多い。そして“隠れおしゃべり“の特徴として、“自分の話を聞いてもらいたい”という欲が強い場合が多いから、あんまり会話にはならない。その人が話したいことをただ話していくだけで、こちらのリアクションによって何かが変わるとか、新たな何かが生まれるとか、そういうことはほぼない。だからそういうときも、1対1での“会話“のはずなのに僕は虚ツツキになることしかできない。ツイキャスとかやったらいいのに‥‥。

別にそういう話を聴いている時間がぜんぶ無駄だとは思わない。けど、僕の人生が終わって、僕の人生の確定申告をしたときに、そういう時間の何割かでもいいから戻ってきたら嬉しいなって思う。還付金みたいな感じで。


帰宅。

本日の鶏肉と

カツカレー。

この日の食事、薄い茶色と濃い茶色しかないな‥‥?




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