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20220624 めっちゃがんばって書いたから読んでほしい!

きんようび。

比較的おしごとは少なめな1日だったかもしれない。しれないんだけど、どうせおしごと少ないからだいじょうぶやろ?みたいな気持ちで前日にちょっぴり夜更かしをしてしまったので、おしごとのすくなさと比例して、いやもしくはそれ以上に体力の最大値が削れた状態だったような気がする。

せっかくおしごとのダメージが40くらいでおさまっている日だったのに、体力の最大値を30くらいまで下げて今日に臨んでしまったから結果的にはキツかったよね。あいかわらず生きるのヘタすぎない!?

出勤。さっき書いたようにおしごとは一応平和。っていうか天気が最悪すぎて笑っちゃたんだけど。雨くんと風ちゃんがまたコラボを組んで再登場ですよ。やめろやめろ!帰ってくるな!!誰も望んでないぞそのコラボ!!

車に乗るまでの短時間でアホほど雨に降られる。そしてこういう天気になると気がつくんだけど、僕って家に傘を置いてないんだなって。車に置いてて、完全に傘を完備したつもりになっていたけど、今日みたいな車までの距離ですら大ダメージを負うような天気だと、あまりにも無力。

おしごとがおおよそ終わって‥‥というか終わってないんだけど体力がなくなって、帰ろうかなと思ったところでちょっとしたことがあって、いろいろなお手伝いというかが発生して、帰るタイミングが少し遅くなってしまった。

家に帰ってから、ごはんを食べて、30分くらい寝て、22時くらいからワードウルフオンラインで遊んだ。なかなか人が集まれなくて、結局3人だった。たくさんの人が集まるのってそれだけで奇跡みたいなものなんだよね。

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“詠み人知らず”で生まれた6つの名(?)句たち。詠み人知らずは俳句?川柳?を1文字ずつ書いて回していって、名句が作れちゃう!というゲームです。

ちなみに今回のテーマは「夏」でした。「夏」だったはずなんだよ‥‥?

なんとなく、僕なりにこの句ってこういう状況で詠まれたんじゃないか?みたいなものを、がんばって解釈していこうかと思います。なんのコーナーだろうねこれ。


まずひとつめ。

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これひどいな‥‥。スイカで申し訳程度に夏要素は入っているけれど。ひどいなって言ってるけど、“うんち”の“ち”を入れたのは僕です‥‥。“うん”まで入って回ってきたときに、なんかもう衝動を止めることができなかったんだ‥‥。これどういう状況だろうね‥‥?

子どもが参加するスイカ割り大会があって、割るためのスイカがたくさん用意されていた。しかし一方で、大会の主催団体は動物園の経営団体と癒着しており、動物園側から多額の援助を受ける代わりに動物園の宣伝をしてくれという条件を飲まされていた。その動物園の宣伝として、スイカ割り大会にゾウを呼んだ結果、大会用のスイカをゾウが全て食べてしまった‥‥!

泣き叫ぶ子どもたち。そう、これは全て自分たちの立場や利益を守ろうといういう大人たちのエゴによって生み出された悲劇だったのである。ゾウに食い散らされ、跡形もなくなったスイカ。そしてそこに残されたのは、スイカを食べて満足げなゾウが残したうんちっちだけだったのである。

ここで一句。

すいかがね おとなのえごで うんちっち


ふたつめ。

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屋形船は夏じゃん!!だけど“かちちぎん”ってなんすか?きっと“勝ち組の地方銀行”のことかな?

夏。お盆やすみを間近に控えた時期、多くの会社では暑いなか、とりあえず一区切りつくところまでお疲れさまという気持ちをこめて、飲み会などが多く企画されていた。それは地方銀行とて例外ではなかった。

しかし、新型ウイルスの流行などの影響もあり、どの会社の業績は芳しくない。飲み会とは言えども豪勢なものは難しく、小さな居酒屋などで盃を交わすのがせいぜいだった。

そんななか、煌びやかな電飾を纏う屋形船を借り切り、豪勢に会を謳歌している人たちがいた。彼らはこの地域の顧客の大半を抱える大手地方銀行。さしずめ“勝ち地銀”とでも言ったところか。

不景気の影響もどこ吹く風、着実に業績を伸ばし続ける彼らの乗る屋形船の針路は、きっとビックな明日にでも繋がっているのだろう。

ここで一句。

やかたぶね ビックなあした かちちぎん


みっつめ。

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暑い。ここ数年はいつもそうだが、今年の夏は特に猛暑になるでしょう、そんな声がつけっぱなしのTVから流れてくる。その話が耳に入らずとも、そうなるのだろうな、と感じさせるのには十分なほど、ここ数日の暑さは異常だった。

暑い。ただ立っているだけでも気が滅入る‥‥。タバコでも吸わないとやっていられない。ズボンのポケットに手を突っ込んで俺は舌打ちをする。ちょうどタバコを切らしてしまっていた。

続けて別のポケットに手を突っ込み、俺はまたも舌打ちをする。そうだ、今の俺には現金の持ち合わせがない。電子マネーの類は使っていないし、このままでは自販機を見つけてもタバコを買うことすらできない。

とりあえず日差しだけでも避けようと、住宅街のなかにある大きな公園に入る。この公園にはハイキングコースがあり、よく老夫婦が歩いている様子を見かける。ハイキングコースに入り、鬱蒼と茂る木の陰で涼みながら、ふと閃いた。

このコースに生えている名前も知らない植物、この茎をどうにかすれば、タバコのようになるのではないか?考えるよりも先に、俺は植物を切り、茎を細く千切りにしていた。これくらい細くすれば、きっとタバコのように吸うこともできるだろう。

無骨な植物の茎を千切りにしたたばを口に加えようとしたその刹那、訝しげな顔で俺を見つめる老夫婦に気づく。さすがにこれを口にくわえて火をつけたら、老夫婦に心配されるだろうか。

そこで俺は、ポケットからアイコスを取り出し、その茎の千切りの束をアイコスへと差し込んだ。老夫婦は当然アイコスなど知らない。ただ茎の千切りの束が見えなくなると、疑いが晴れたのか単に興味を失ったのか、またハイキングコースの順路へと戻っていった。

アイコスに差し込んだ茎の束を加え、一服する。‥‥なるほどな、ゴミのような味がする。当たりまえだ、野生の植物がタバコになってたまるか。

どうやら俺は暑さでどうかしていたようだ。俺は公園を出ると、また都会の喧騒へと戻っていくのだった。

ここで一句。

あちちーち くきをきりきり あいこすー


よっつめ。

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自分で言うのもヘンだとは思うけれど、僕は好青年だ。人当たりはいいし、近所の方々へのご挨拶も欠かさない。会社でもしっかりと業務をこなしているし、まわりの人間への気遣いも欠かしていないつもりだ。実際、多くの異性から好意を寄せられることがある。僕にはそのつもりがないので、全て断ってしまっているけれど。

そんな僕には実は1つ、誰にも打ち明けていない趣味がある。それは、人の墓石を壊すことだ。墓石には人の想いが宿る。生前の人間との思い出だ。それが宿る墓石を壊し、絶望に打ちひしがれる遺族の表情を遠くから眺めることが、いつから至高の悦びとなっていた。

幼少のころより、礼儀を身につけ、身体づくりも兼ねることができるという理由で空手教室に行かされていた僕にとって、素手で墓石を壊すことは容易だった。普段は筋力増強という狙いもあって、両手足におもりをつけて生活をしているが、墓石を壊すときには外している。おもりをぽんと投げ捨てると、ズンッと鈍い音ともにそれは地面に落ちた。身体が軽い。もう何も怖くない。

空手で僕の得意とするのは正拳突き。そのときに“せいや!”と叫んでしまうのは、幼いころから変わらない僕のクセだ。

ここで一句。

はかまいり せいやせいやと おもりぽん


いつつめ。

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“断ちポテト”という本が流行ったのをご存知だろうか。現在、多くの料理に使われているポテト、つまりジャガイモを、一切断つことによる健康増進法である。“グルテンフリー”などという手法も流行を見せたが、それに近いものだと考えていいだろう。

著者は断山 芋蔓(たてやま いもづる)という女性作家。ペンネームではなく本名らしい。

“断ちポテト”はグルテンフリーに比べると、かなり無理のない食事法だとも言える。ジャガイモは多くの料理に使われてはいるが、避けることが不可能というほどのものではなく、多く使われているのはスナック菓子だからだ。“断ちポテト”は“スナック菓子禁止”とほぼ同義と言ってもいいのかもしれない。

そんな“断ちポテト”の本を書き、メディアで一躍有名となった著者がバラエティ番組に出演した際に事件が起こった。目隠しをして料理を食べ、価値の高いほうの料理を当てるという企画において超高級フランスパンが用いられた際、なんとハズレのほうの料理に“ギザギザポテト”が用いられたのである。

当然、本人はそれを知らずに食べたのだが、後から事実を知った本人は激怒。テレビ局を相手に取り、裁判を起こして大きな話題となった。その際、詰め寄られたTV局のスタッフに対して、“お前じゃ話にならねぇ!上のやつ呼んでこい!てめーは一生そこでギザギザしてろ!!!”と言い放ったというエピソードが話題を呼び、“ギザギザしてろ!!!”はその年の流行語大賞にもノミネートされた。

また、一大ブームを巻き起こした著書名“断ちポテト”も流行語大賞にノミネートされている。同年に1人の人物に由来する流行語が2つノミネートされたのは史上初のことであった。もっとも、断山にとっては不本意であっただろうが。

結局TV局から多額の賠償金を得るということで裁判は決着したのだが、この騒動以降、断山が表舞台に出ることはなくなった。

3年後、断山のことが世間から忘れ去られたころ、TV番組、しくじり先生のオファーのため、TV局のスタッフが断山の家を訪れた。その際、断山は自暴自棄となっており、家にはギザギザポテトの袋が散乱し、ビシソワーズをラッパ飲みしていたという。

TV局スタッフからの説明に対し、全てがどうでもよくなっていた断山は虚ろな目で何もない場所を見つめながら、“ピーピポピ”とだけ返し、会話を終わらせたという。

この会話の記録をTV曲スタッフが週刊誌にリークしたことにより、このときの断山の様子ややりとりが再び世間の目に晒されることとなり、“ピーピポピ”というフレーズはこの年の流行語大賞にノミネートされた。断山にとっては3回目の流行語大賞である。

なお、同一人物が三度の流行語大賞を受賞するのは史上初めてのことであり、この記録は未だ破られていない。

ここで一句。

たちぽてと ぎざぎざしてろ ピーピポピ


むっつめ。

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中学校1年生の夏。ようやく学校に慣れ、クラスにも馴染み始めたという季節に、僕たちの学校の炊事遠足はやってくる。炊事遠足では、前日に班単位で近隣のスーパーに買い物に行き、翌日にその材料を用いてあらかじめ学年ごとに決められたメニューを作るというものだった。

1年生のメニューは炊き込みごはん。最初なんだから無難にカレーとかにしておけばいいのに‥‥と思ったが、どうやらカレーは3年生が作るらしい。なんでも流行りのウイルスの影響でここ数年は炊事遠足が実施されていなかったため、2年生や3年生にとっても初めての炊事遠足なんだとか。その影響で、無難で失敗が少ないメニューは優先的に3年生へ‥という方針があったらしい。担任の先生が、僕たちの班にだけ、小さな声で教えてくれた。

それにしても炊き込みごはんとはまた絶妙なところを選んだものだなぁ、と子どもながらに思ったのを覚えている。カレーなんかに比べて、明らかに子ども人気のないメニューだ。それでいて、少し火加減を間違えるだけで焦げてしまい、難易度は思った以上に高い。実際、僕らの学年を最後に炊き込みごはんを作った学年はないらしい。

メニューが炊き込みごはんということで、おかずについては各自1品ずつ、持ち寄ることが許されていた。主菜、副菜、デザートと上手に役割分担をして、かなりしっかりとした食事を取ろうとしているはんもあったみたいだ。僕の班はあまり仲がいい班とは言えなかったので、特に相談もせず、それぞれが重い思いに食べたいものを持ってくることになっていた。

当日、炊き込みごはんをつくる。炊事公園には松の木が生えており、その松の木を拾って火に焼べては、火力が一気に上がるのを楽しんでいる同級生もいた。男子中学生なんてそんなものなのだ。

ある班の炎が松の枝によって大きく燃え上がり、注目を集めるなか、同級生のひろしくんの“あーーーーーーーーーっ!!!!”という悲鳴が炊事公園にこだました。何事かと思い寄ってみると、ひろしくんのカバンのなかではプリント類がぐしょぐしょに濡れており、カバンの底ではタッパーに入ったまま汁気を失った肉じゃがが、力なく横たわっていた。なるほど、どうやらタッパーのフタの閉めかたが甘く、汁だけがもれてしまったようだ。かなり大きなタッパーだったから、フタをしっかり閉めるのにもかなりの力が必要だったのだろう。

ひろしくんは目に涙を浮かべながら、茫然自失としていた。僕はそんなに親切なタイプでもなかったけれど、あまりに見ていられなくなったのでひろしくんに慰めの声をかけ、炊事用に持ってきていたキッチンタオルを使ってカバンのなかの水気を拭き取った。

するとクラスメイトたちはそれに続くように、ひろしくんに慰めの言葉をかけてくれた。なんだ、ロクなやつがいないと思っていたけれど、なかなかどうしていいクラスじゃないか。その慰めの言葉を受けて、少し時間はかかったけれど、ひろしくんに笑顔が戻ってきた。

ひろしくんの騒動もあって、ほとんどの班の炊き込みごはんは焦げてしまっていて、食べられたものじゃなかった。1つだけ、成功した班の炊き込みごはんを、クラスの全員で分けあったので、1人にはほんのちょっとしか当たらなかった。

幸い、汁気が漏れただけで本体は無事だったので、主食に代わる形でひろしくんの肉じゃがが振る舞われた。いや、厳密にはそれは肉じゃがではなかった。ひろしくんには下の兄弟が多いうえ、家庭も裕福ではないことも関係しているのか、その肉じゃがには肉が入っておらず、ただのじゃがいもの煮物だった。

だけど、このじゃがいもの煮物(便宜的に今後は肉じゃがと呼ぶことにする)は絶品だった。高級食材を使っているわけでも、特別な調味料を使っているわけでもない。それなのに、母親の思いが滲み出てくるような優しい味で、クラスメイト全員が舌鼓を打って絶賛していた。

その様子を見て、ひろしくんに笑顔があふれた。すると元気なクラスメイトが“ひろしの復活を記念して!!”と叫んだあとに、大きな松の枝を火に焼べて、大きな火柱が上がった。このとき、クラスメイト全員が笑っていたと思う。ひとつになったクラスを盛り上げるみたいに、火の粉が舞っていてとてもキレイだった。

先生もきっと危ないからと止めなきゃいけなかったんだろうけれど、このときは少し苦笑いをしながらクラスの輪を眺めていた。きっと見て見ぬ振りをしてくれていたんだろうな。

この肉じゃがは“ひろしいも”と名づけられて、クラスに留まらず学年全体で話題になった。この日を境に、ひろしくんのあだ名も“ひろしーも”になり、中学を卒業しても、十数年後の同窓会でも、変わらずそのあだ名で呼ばれていた。

これが僕の中学生いちばんの思い出。舞う火の粉があって、ほんの少しだけの炊き込みご飯があって、ひろしいもがあってひろしーもがいた。そんないつまでも色褪せない、小さな夏の思い出。

ここで一句。

ひのこある たきこみごはん ひろしーも


あーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!疲れたーーーーーーーーー!!!!!!!

疲れたけどめっちゃがんばって書いたから読んでほしい!がんばる方向性はおかしいけど!!

そのあと、NGワードゲームをやったり、雑談したりして1時くらいには寝ました!いっしょに遊んでくれたり、お話してくれたりしたかたがた、本当にいつもありがとう!



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