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自己紹介

みなさんはじめまして!ポテンヒッツそらまめです。せっかく読んでいただいているみなさまへ、名乗るほどの人間ではないですがここで簡単に自己紹介というか、自分史を綴らせてください。

1992​
高度経済成長の渦中にディスコで出会ったという両親のもとに1992年、バブル崩壊とともに独りっ子として誕生しました。1998年のゆとり教育どんぴしゃり世代なので台形の面積の求め方知りませんでした。円周率は3.14。
(2022現在、円周率は3らしいですけどね)
2000
喧嘩ばかりしていた両親は、僕が小学校2年の末頃に離婚。2000年春、母に手を引かれ祖父母の家へ引越し。帰宅すると毎日迎えてくれるのは祖母で、晩ご飯も祖母がつくってくれていました。僕にとっては祖母が母のようでした。
この時期に初めて転校を経験しましたが、送り出される哀しさには嬉しさがあり、受け入れられない哀しさには嬉しさがないと知りました。
でもまあ、なんだかんだ楽しかった記憶があります。
2010
2010年、高3の夏。部活動の後輩に進路を尋ねると“建築がやりたい”と言うので“僕も”という流れで建築を学ぶことを決意。部活を引退してからの理転は間違いなく僕の人生のターニングポイントだったと思います。
翌年3月に東日本大震災があり、インフラの脆さ、人の脆さを感じて、“何故僕は今生かされているのか”などと考えてしまった記憶があります。一月後の大学の入学式は催されませんでした。
2016
バルセロナへの1ヶ月短期留学や、西日本への弾丸建築旅行、著名な建築家のアトリエでのアルバイトなど、自身の人生で1番行動的だった2016年。戻れるならこの頃に戻りたいなと、綴りながら思う次第です。
2017
修士設計を終え、2017年4月に某アトリエ建築事務所へ入社。アルバイト時代にお世話になった建築家から声がかかり入社する運びとなりました。朝9:30から深夜まで仕事をする職場環境でありながら、千葉の実家から東京まで毎日通う事に耐えられず同年5月、代々木上原の家賃57,000円木造アパートで一人暮らしをスタート。学生時代から交際していた彼女と半同棲のような生活が楽しくて仕方ありませんでした。休日無しの薄給男子でもその後4年間ともに居てくれた彼女には感謝しています。
2021
昨年に流行したCOVID-19の影響はさほど受けませんでした。事務所では“こわいねえ”なんて言いながらも毎日元気に仕事してました。インフルエンザにかかっても黙って出社したこともありましたからね。今思えば異常の極みですよほんと。

週7日勤務、泊まり込み、給料未払い等々、
“普通じゃない”仕事環境が異常と感じたあるきっかけがありました。朝目が覚めて歯磨きをしていると、鏡に映った自分が涙を流していたのは衝撃でした。
2021年3月末、4年間勤務した事務所を退社。
退社後は気の抜けたコーラのようで、水を得た魚のようでもありました。“誘っても来ない”で有名だった僕が急に飲み会に誘われるようになり、飲み会代を稼ぐためにUber eatsもしました。(だいたい1日9時間自転車に乗って8,000円程だったかな…)
同年5月には実家へ戻り、約半年間ぼーっと過ごしてから10月に心機一転。新たな会社へ入社し、現在に至ります。

主はどんな人なのかと、なんとなくイメージできましたでしょうか。いろんな人生があるなーなんて思っていただければと思います。長々とお付き合いいただきありがとうございました。これから末長くよろしくお願いします!!

ポテンヒッツそらまめでした。

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