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【デザインの種】 家康の描いた首都高速道路

1590年ころ入府した徳川家康は、江戸を安全で便利な住みやすい大都市にする為に、かなりでかいインフラ整備(河川工事)をしました。それが後に首都高速道路建設へと繋がるなんて家康さん予想してました?

申し遅れましたポテンヒッツそらまめです。

“家康の江戸河川“と“東京オリンピック1964”の
2つのキーワードから、首都高速道路を紐解いて行こうと思います。話が長くなりそうですが、
どうか最後までお付き合いください。

家康の江戸​河川

冒頭に記したように家康が江戸に入府すると、
以下の目的から河川をイジり散らかしました。

・洪水対策
・農地用水の確保(灌漑工事)
・物流としての整備

利根川水系を千葉の銚子へと繋ぎ、東京湾に流れていた河川の多くを太平洋へ向きを変えちゃったんですね。(お陰で佐倉市も栄えましたラッキー)

江戸に多くあった湿地も埋め立て、城下町も大きくなって行きました。灌漑工事もさることながら、江戸に物流としての水路が細かく張り巡らされ、その水路沿いに出現した町が商業的に次々と栄えて行きました。(日本橋、京橋、新橋など)

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水の在る所には人も富も流れていたわけですから、当時の人々は川への愛着は余程であったろうと僕は思います。

さて、首都高速道路を紐解く上でここで大事になってくるのは“江戸に細かく張り巡らされた水路”
なんですね。次は“東京オリンピック1964”を見て行きましょう。

東京オリンピック1964

戦後、敗戦国としてイメージは下がる中、ブランディングとしてオリンピックを好要素と捉えた
日本は、どうしても東京にオリンピックを招致したかったわけです。

努力も実り1959年、IOC総会にていざ東京招致が決まると、選手や関係者、そして観客といった多くの人々が東京に流れ込む事が懸念されました。東京が大混乱に陥るのを避ける為、以下のようにインフラ整備が急激に加速したわけです。

・羽田空港の拡張
・東京モノレールの開通
・地下鉄(日比谷線など)の開通
・東海道新幹線の開通
・道路の新設・改修
・首都高速道路の建設

ここで本題の“首都高速道路”の登場です。
羽田空港から代々木の選手村までの31.3kmにも及ぶ高速道路を急ピッチで整備ができたのは、全長の殆どが道路や川の上に建設したからなのです。

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道路や川は公地である為、民地買収の手間を省く事が出来、特に川の上では既存の交通に影響を及ぼさず、また時間帯にとらわれずに施工が出来たのです。そして、まさしくその川は江戸に家康が引いたものなわけですね。

まとめ

異常な工期の短さと、東京に張り巡らされた川があるという敷地的条件により首都高速道路がデザインがなされたのだと、ここで理解が出来たかと思います。
首都高速道路に限らず、また建築に限らずとも
デザインには何かしらの制約が複数存在します。それらをクリアしながら最適解を導くという行為が“デザインすること”だと思うんですね。少しは説得力の増す事例の紹介と共にデザイン論をここに投下させていただきました。
皆さまには是非、この記事の内容をデザインの引き出しとしてインプットしていただきたいです。

長々とお付き合いいただきありがとうございました。

ポテンヒッツそらまめでした

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